12
六日目の夕方。昼時間の営業を終え、私とソラタは店を出た。
うちの店では、昼食時間に食べ損ねた人に備えて四時までを昼時間にし、夜の営業を五時からにしているから、昼時間を終えた頃には西日が赤く輝いていた。街道には、猛暑をやり過ごした人たちがちらほら現れている。
ソラタには、旅人が覚えておくべき施設――町の商業届を出す町役場、病期になった時に診てもらえる可能性がある施術院、教会を案内した後、露店を見がてらいろんなお店を見せて回った。
案内されているソラタは、物珍しそうに店を眺め、道なりに行列になっている様々な露店に頭を突っ込んでいた。
調理道具を見て一つ一つを指し示して用途や値段を聞いてくるし、食べたいと思うものがあるとすぐに購入しては一つ一つに正直な感想を残していく。
「酸っぱくて旨っ!お姉さん、お姉さん!このソース、何使ってる?」
「ん、これはしょっぱいな。もうちょい控えめにできたらよさそうなのになぁ」
「すっげぇ瑞々しいな!この赤瓜、どこで採ってんの?」
たまに見せる大人な側面は嘘だと言い切りたくなるほどはしゃいでおり、手が付けられない。
最初は諫めようかと思ったけれど、誰にも迷惑かけてないんだから仕方ないか、とやんちゃな子供を放っておく親の気持ちで一人、祭りの熱気を感じていると、満面の笑顔のソラタが突然振り向いた。
「ほら、これ食ってみろよ。旨い」
言われた時にはもう口の中にスプーンが入っていて、頬が蕩けそうな甘い味が広がっていた。
この町の伝統的なお菓子であるすももの糖蜜漬けだ。伝統的なお菓子だからこそ、各店が独自色を出すため、砂糖の濃さや混ぜる果物からとったシロップの種類を変えているので、食べ比べをするのが面白い。
この店のものは、最初に頬の奥がじんとする濃い甘さが広がり、それなのに後味はさっぱりとしている。甘くて酸っぱい。
こういうことをする時は了承されてから!いくらあんたが料理バカで何にも考えていないのは分かってても相手は分かってないのよ?今のあんたは変な能力らしきものを持ってるんだから気軽にやっちゃだめ!
頭にこれだけのことが浮かんでおり、舌先までやってきていたはずなのに、それを言い損ねてしまうほどの美味しさだった。
「やっと笑った」
「え」
片手に糖蜜漬け、片手に串焼きを持ったソラタが、それを掲げながらにっと笑った。
「シルフィ、接客の時以外はほとんど笑ってなくて、いっつも眉間に皺が寄ってる。気づいてねぇの?」
「そ、んなことは――」
「真剣に物事に打ち込んでるのは分かるんだけどさ、せっかく可愛い顔してるのにもったいねぇだろ。笑ってる方が絶対いいって」
残りの糖蜜漬けを自分で食べてゴミを店に返してから、「さ、次々!」と私を手招きし、次の露店に顔を出す。
私もそれに続いて――ってなるか!頬が熱いわ!今この男なんて言った!?
「か、か、かわ……!?たった四日くらいで女の子たちのあしらいに慣れてきたの?たらしになっちゃったの?」
「は?はんのほほ?」
「台無しだわ」
いい歳してソースをつけた顔で振り向かれたら何も言えない。頬を食べ物でいっぱいしたままのこいつを見ていたら、一つの言葉に照れた自分がアホらしくなってきて、訊こうと思っていたことが引っ込んだ。
持っていたハンカチでソラタの頬を拭い、再びの親の気持ちに戻る。少々乱暴な手つきになったのはご愛嬌だ。
「落ち着いて回りなさいよ。露店は逃げないって」
「店は動かなくても、逆は分からない」
「え?」
「当たり前のそれがいきなり目の前からなくなることだってあるんだ。だから今この時を精一杯楽しむっていうのが大事なんだぞ」
ソラタが、さらにその横の石材店を覗き込み、重い石製の鍋を手に取りながらさらりと言った。
それは一体どういう意味?これまでの経験談?――それとも、今のこの日常のことを言っているの?
もし、そうだよって肯定されたら、私はどうするの?
「あ。エリィだ」
「え」
石鍋から顔を上げたソラタの視線の先を追うと、数店舗先に、アサインではない別の男性と腕を組んだ愛らしい少女の姿が見えた。
昨日のことを思い出してふつふつと怒りが湧き上がりつつも、アサインの言った通り、彼女にとってアサインといることは遊びに過ぎなかったんだ、とどこか冷静に眺める自分がいる。
じっと見ていたせいか、エリィの栗色の瞳がこちらを向き、目が合ってしまった。
目が合うと怒りが勝ち、苛々してくるので、目を逸らそうとしたら、それよりも早く向こうの方が目じりを下げ、身を縮ませ、顔を背けた。そして傍らの男性の腕を引っ張って反対方向に足早に去っていく。
こちらが呆気にとられている間にエリィはそそくさと逃げて行ってしまった。
「な、なんだったの……?」
「自分が理解できない異次元生命体を見る目だなぁ、ありゃあ。よかったな。これから先はあの子もシルフィにやっかみ交じりのちょっかいかけねぇだろ」
ソラタは額に手を宛ててエリィの行く先を見守ってのんびりと言った。
「どういうこと?」
「あの子、シルフィを敵視してたみたいだけど、昨日のことでもうその対象を外れたんじゃねぇの。敵、じゃなくて、係わり合いたくない人になったってこと。シルフィの仕事への情熱があの子の価値観では理解できねぇんだろうな」
係わり合いたくない人ってそれはまた。まぁこちらとしてもこれ以上彼女に煩わされるのは嫌なので願ったり叶ったりではある。
これで簡単に怒りが収まるってわけでもないし、胸がすくわけでもないけど。
「それにしても、なんでそんなに敵視されていたんだろ?エリィと直接話したことなんてほとんどなかったのにな。業種だって違うのに」
疑問が口をついて出ると、ソラタが、目を見開き、信じられないものを見る顔でこっちを見る。
「……なによ?」
「……いや。シルフィってつくづく男脳というか、仕事人間なんだなと思ってさ」
「引っかかる物言いね。なに、ソラタには分かるっていうの?」
「細かい事情は知らないけど、大体想像はつく」
「なに?」
「顔だろ」
女心にも人の心の機微にも鈍いはずのソラタはあっさりと言ってのけた。あまりにも短い単語だったので聞き間違いかと思ったくらいだった。
「は?」
「だから、顔。シルフィは顔が整ってるから、あの子にとっては自分の縄張りである町に入ってきた脅威だったんだろ。あそこまで警戒されてるってことは、何回かあの子が気に入ってた男を知らずに奪ったことがあるとかじゃねぇの」
「私、アサイン以外の人と付き合ったことないわよ?言い寄られたことだってないですー」
「そいつと付き合ったのいつだっけ」
「はっきりといつから、と言えるほど明確じゃないけど……十四の時かな。ここに来たのは十の時で、その間なんか、やれ孤児だやれ異国人だとかでいじめられるばかり。いいことなんか何もなかったわ」
途端、ソラタが顔を覆って
「そのくらいの年齢の男ってそんなもんなんだよ…………俺も過去を振り返れば思いだしたくもねぇ覚えが大量にあるわ……分かってやれとは言わねぇけど分かってやってくれ……傷が……!」
とかなにやら呟いている。
意味が分からない。一文の中で主張を矛盾させないでほしい。
「ソラタの言うことって本当に分からないわ。分かったのは料理バカってことくらい」
「最後の要らねぇだろ。――つまりだな、そのいじめてた連中の半分くらいはそれなりにシルフィに興味っつーか、好意っつーかがあって、それが、おそらくだけど、男子の人気を一手に収めてたあの子の逆鱗に触れたんだと思う」
「そんな小さなこと……?分からないわよ、そんなの」
「それを小さいと感じる時点で、そもそも価値観が違うってこと。ようやくあの子もそれを分かったんだろ。こう、戦っても無駄なやつと戦おうとしてるっていうか……こんにゃく相手に力比べしようっていうか……」
例えも意味不明だ。
「ま、結論は、女って怖い」
「その結論に達する過程はともかく、私、エリィのことも分からないけど、あんたのことも全然分からないわ」
「俺?」
胸を掻きむしって苦しみアピールをしていた隣の男は、大げさな動作をやめて首を捻った。
「そもそもの前提として、賭けをしたのはなんで?これをすることであんたにどんな利益があるの?」
「は?」
私が尋ねると、ソラタは豆鉄砲を食らった鳩のようにこちらを向いて動きを止め、目を丸くした。
「動機がなければ動いたりしないでしょ?あんたに敵意しかなかった私のためにそこまでしてくれる理由ってなんだったのかなって」
「――っとにもう。シルフィはかわいくねぇなー」
「なっ!さっきと言ってること違う!」
「性格がってこと。人を疑いすぎなんだよ。あぁまぁ生い立ちからそうなんのも仕方ねぇのかもしれねぇけど」
ソラタは手に持っていた包み紙のゴミを丸めてゴミ箱に捨てた後、がしがしと髪を掻いた。
「あのねー。一応、ここにきてシルフィは一番お世話になってる人だろ。だったら恩返しするのは当然なんだよ」
「そう?」
「俺の国では鶴も猫も恩を返すんだよ。それも二倍にも三倍にもして返すんだよ。高価な服を贈ったり、王子様と結婚させようとしたりな。動物ですらそうなんだ、ニンゲン様が返さなくてどうする!」
「ツルって何か分からないけれど……動物って言ってたわよね。動物が服を贈る?王子様?一体何の話?」
「あぁ!文化の違いが辛い!小難しく言うと、無償の厚意に対しての礼は何よりも貴重だと思ってるってこと。だから疑わなくていい」
「ふぅん。じゃあ恩返し、のつもりなのね」
「正確には、だった、だけどな」
「それ、どういう意味――」
「シルフィ」
ソラタの最後の呟きが引っかかって、問いただそうとすると、正面から私に向き合ったソラタが急に真面目な顔になった。
「最初会った時と今でシルフィの中で、俺って変わった?最低の無銭飲食魔のまま?」
「違う、そんなことない。もっといてほしいとすら思ってる。あ、す、好きとか浮気のやり返しとかじゃなくて人間としてってことで――」
「はいはい、それで十分だよ」
ぶんぶんと勢いよく顔を横に振ると、ソラタはぷはっと噴出し、「素直でよろしい」と言いながら私の頭をがしがしと乱暴に撫でた。
ソラタが定食屋から姿を消したのは、その日の夜だった。