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※ 8/20 一部意味が逆になっていた部分がありましたことを感想でご指摘いただいたので修正いたしました。

 次の日、私の顔は泣きすぎてむくんでいた。冷やしたタオルと温めたタオルを交互に目元に充てても治らない。

 しばし抵抗を試みた後、無駄を悟り、薄布の覆面装備で朝食の準備をしていると、大欠伸と共に食卓に入ってきたソラタが私の顔を見た途端に真顔になった。欠伸が止まってしまったらしい。


「……シルフィ、なに。コメディに生きることにしたの?それともあてつけか何か?」

「大真面目!こんな顔でお客さんの前に立ったら食欲を失わせちゃうかもしれないでしょ?夜までに少しは腫れが引くといいんだけどなぁ……」

「腹減ったー、いい焼き加減のそれ、いただき」

「あ、こら!つまみ食いはともかく、訊いておきながらそれってどうなの?それにそれすごく熱いよ」

「うわっつっあつっ」

「ほら」

「でもやひはてはいひはんはろ」

「焼きたてが一番なのは分かった。けど、今すぐ出すのに」

「つまみ食いってのがいいんだよ。肉汁がしっかり詰まってて旨かった!」


 ソラタは後ろから私の調理を覗き込みソーセージを一つ摘まみ食いし、その熱さにはふはふと息を吐いた後、満足げに油のついた指をぺろりと舐めた。子供か!


 普通の家はパンにスープくらいで終わりだから、朝食にソーセージが出るのはこの辺りでは定食屋ならではかもしれない。店に出せなくなったものを家用に回してプロの料理人が調理するんだからそりゃ美味しい。だから、女将さんたちのような体型になる人は多い。

 ソラタは、初対面時からよく食べているが、それでもこの体型なのだから、太らないタイプなのだろう。女性の敵だ。

 ちなみに私は食べるよりも作る方が好きで食は細めなので今のところ助かっている。


「で、さっきの話だけど、今夜シルフィは接客じゃねぇから大丈夫」

「それは厨房に入れって意味?」

「それも外れ。俺に町を案内してほしいんだ」


 ソラタは、席につき、私が用意した朝食のハムと卵焼きを食べつつ、自分を親指で指し示す。


「昨日女将さんが大幅値引きして、それをいいことに調子乗った常連さんたちが仲間を呼び寄せたろ?そのせいで予定より食材を多く消費したらしいんだ」

「えぇ!?嘘!お祭り期間中のための仕入れって普段より多いんだよ?お肉なんて途中追加したのに?」

「ほんと。で、追加で仕入れてもいいんだけど、シルフィがここのところ働き過ぎだから休ませようってことになったらしい。ってわけで、今日の夜からシルフィは休み」

「そんなこと言われても……」


 休んでいたら考えることなんて一つしかない。アサインとの今後を考えればどんよりと心が重たくなっていくし、昨日のエリィとのことを思い出せば腸が煮えくり返りそうだ。

 ほら、思いだすだけで胃が痛い。近い未来に向き合わなきゃいけないと分かっているのに、考えなきゃと思った途端に呼吸が苦しくなる。

 アサインはずっとこういう気持ちだったのかな。


「だから今日は俺に付き合ってくれって言ったんだ。実は俺、この町来てすぐにこの店入っちゃったからさ、他の店とかあんまり知らねぇんだよ」

「女将さんはソラタが出てもいいって?」

「シルフィがいいって言ったら行ってこいって」


 私はともかく、ソラタまでいなくなったら人手が足りなくて困るんじゃないかと躊躇っていると、ソラタは、その間を違う方向に勘違いしたらしい。


「仕事なら男と二人で出歩いても大丈夫なんだろ?あの男の理論で言うならさ」


 そこでソラタは口元を歪め、皮肉げに笑う。


 昨日ひとしきり泣き、涙が収まった後、

「辛さ以外にもため込んでいることがあるならこの機会に吐き出せよ。最初のシルフィの剣幕だったら、俺なんか臨時のゴミ箱みたいなもんだと思ってただろ?あの気持ちのまま吐き出せ。遠慮すんな、長期戦は予期してる。夜食は任せろ」

と言われた。

 その言い方があまりにソラタらしくて、一人でため込んでいるのが馬鹿馬鹿しくなり、アサインに言われたことも含めて全部を話した。

 話したことで、余計にエリィとアサインへの怒りやら悲しさや虚しさやらで気持ちが高ぶってまた泣き、しまいには声が掠れてしまった。

 ソラタは、宣言通り、泣いていた私に夜中付き合ってくれた。


「……珍しいね」

「なにが?」

「事なかれ主義、だっけ?ソラタがそうやって刺々しい口調を隠さないの、初めて見たよ」


 珍しいと言っても私が知っているソラタの人となりなんてほんの少ししかないんだけども。


 食後の茶を飲んでいたソラタはカップを口から離し、一度ため息をついた。


「……ちょいと私情もあってさ」

「私情?」

「いや……目の前でシルフィが辛い思いしているのを一番見てるからかな。同じ男の身でそいつの立場だったら大変だろうことも分かるけど、浮気の言い訳にはならないだろって思う」

「……ソラタだったら?」


 頬杖をつき、片手でカップを傾けるソラタは憂い顔だった。若く見える顔立ちのせいで同い年くらいにしか見えなかったが、こうして見るとソラタは私よりもずっと大人の男なんだなと思ってしまう。

 

 ソラタだったら、どうしていたんだろう?同い年のアサインとは違うことを考えるのかな。

 

 そんな純粋な疑問がふと口をついて出ていた。


「ソラタがもし私の恋人で同じ立場におかれたら、どうした?」

「死ぬ気で親を説得する」


 初日、女将さんに料理が好きか?と訊かれた時と同じくらいの即答だった。


「俺の母国では女性が働くことだってよくあった。家業じゃない仕事に就いて、男性と同じくらい稼いでくるなんて普通だった。シルフィと同じような問題を抱えている人はいっぱいいたし、そこまでいかなくても交際を親に反対されるやつらなんてざらにいたよ。――そりゃ、家事の時間を節約できるような便利な道具がいっぱいあって、移動にだってもっと時間がかからないようなところだったっていうのもあったけどさ。それでも結局は二人の気持ち次第で、親が反対してる側がどれだけ本気で親を説得して恋人を守れるか。それをしないのは結局その程度の気持ちなんじゃねぇのって俺は思う」


 言っている内容はいたって理路整然としているのに、ソラタの眉間には苛立ちのためか、皺が寄っている。

 ソラタもそれに気づいたのか、眉間をもみほぐして、口調を柔らかく変えた。


「そんだけ悩むってことは、シルフィはそいつのことが好きなんだろ。俺は別れた方がいいんじゃないかって言ったし、それは昨日の話を聞いても変わらないけど、シルフィの気持ちが一番大事で、決めるのもシルフィだ。手放したくない男なら、親を説得してほしいって言ってみたりとか、シルフィにもやりようがあるだろうし、俺が口出しするのはここまでにするよ」

「ソラタって不思議よね……」

「へ?」

「口調が軽くて、全然女の子慣れしてない料理バカなのに、たまにこうやって大人なところを見せてくる。受け止めたり、助言だってしてくれるのに押しつけがましくない。私よりも五歳年上だからなのか、異国人で各国を回ってきたからなのかは分からないけど、周りの同じ年の人よりも頼りがいがあると思うわ」

「はぁ?んなことねぇよ。これでも押しつけがましいくらいだろ」

「そんなことないわ。私が欲しいのは同情じゃなくて助言なのに、私とアサインのこと知ってる人も無難なことしか言ってくれない」

「そりゃ、無難なことしか言えねぇよ」

「どうして?」


 ソラタは苦笑して、首を傾げる私に説明してくれた。


「シルフィも、シルフィの周りのやつも、ここにずっといるだろ。俺は違う。こう言ったら身も蓋もねぇけど、俺はここの住人じゃないから、この後シルフィと恋人の間がこじれようがなんだろうが、俺に実害はねぇだろ。いつ出ていってもおかしくない身には責任がない。だから言えてる分もあるんだよ」


 途端、胸の奥が冷えた。

 無責任だと自称するソラタへの怒りではない。それどころか、その一瞬、これまで何をしていても私の中ではびこっていたアサインへの怒りエリィへの嫌悪さえ忘れていた。


 視界はただただ目の前の黒髪の青年でいっぱいになり、その姿がその場所から消えることを想像すると、喉の奥が、きゅっとしまる感覚で物を飲み込みにくくなる。


 いつの間にか定食屋の一員として馴染んでいるソラタだが、本来は旅人で、いつここから出ていったっておかしくない。

 例の賭けで、私が勝ったとき――私がここに居づらくなったときには、私を連れてここを出て面倒を見てくれると言ったくらいだ。彼はここになんの未練も残さないのだろう。

 例え、多少居心地がいいと感じても、ただそれだけ。

 いつその腰をあげていなくなってもいいくらい、彼は「ここの人間じゃない」。


 二度と会えなくなるかもしれない。


 たった五日間しかここにいなくてもこの存在感とその腕前で、私の地位が危うくなるかもしれない存在だというのに、それでもいなくなってほしくないと思ってしまうくらい、ソラタの存在感は大きくなっている。


「それはさておき、どうですか?しがない旅人に時間をもらえる?」


 私がそんなことを思っているなんて露ほども知らないソラタは私の方を覗き込んで、いつも通り屈託のない笑顔で尋ねてきた。


 私は、その顔から目を逸らし、考えこむ間もなく頷いていた。


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