目的
ククルは目を疑った。
人は本来、身体を引き裂かれるほどの傷を負うと死ぬ。それが彼女の常識だった。
だが目の前にある人間は、その常識をあっさりと撃ち砕いた。
「……そこの君……なんで…シヴ君の隣にいる……の?」
「……シヴの仲間だから…」
「違う!なぜ僕じゃなくて君なんだ!?シヴ君、どうして?どうしてどうしてどうして?ねえどうして僕じゃだめなの?ねえ!!!」
俺はククルの手首をとっさに掴んだ。
「あいつは今関わると危ない。突っ切るぞ」
「え……うわぁっ!」
掴んだ手をしっかりと握りしめ、俺はキアランに背を向けて走り出した。
キアランの〈絶対的侵入〉は、一時的に効果が切れている。やつと離れるなら今だ。
「シヴならあれくらい簡単に倒せるんじゃないの!?」
「記憶が戻ったら確実に倒せる。今の俺は、転生者が糧とする負の感情がキアランより弱い。とにかく、あいつとの戦闘は避けよう」
俺たちは草木をかき分けながら、全力で森の中を駆け抜けた。
背後を一瞥すると、そこには未だ狂気に顔を歪ませたキアランの姿が。身体に大きな穴が開いているにもかかわらず、その勢いは変わらない。
こうしてみると、転生者が人間離れしていることが痛いほど分かる。
自分も、凄まじい負の感情を持ち合わせている。だが、記憶がない以上、まだ他の転生者に及ばないのだ。
「……?」
突如、謎の寒気がした。
何気なく空を見上げると、小さな黒い鳥が羽ばたいた。
なんだ、ただの鳥か…。
しばらくすると、キアランの姿はなくなっていた。
「…うまく巻けたみたいだな」
「あいつの目的は何?」
「俺と一緒に世界を変えたいらしい」
「変えるって?」
「やつはこの世界を転生者が支配する世界にしようとしている。千五百年前の世界のようにな」
かつてこの世界が転生者に支配されていたことは、誰もが知っている事実。知らない者はいないと言っても、過言ではない。
キアランは自分を苦しめた人類に復讐するため、混沌の時代をもう一度蘇らそうとしている。
だがそんなことはさせてはいけない。また、俺たちのような悪魔を生んでしまう。
キアランは目的のために俺を必要としている。だが俺はそんなことをしたいと思っていない。
「……声……?」
ふと耳を澄ますと、かすかな人の声と気配がした。俺たちはいつの間にか、街のすぐ近くまで来ていたのだ。
茂みをかき分けると、目の前に巨大な灰色の壁が見えた。
「なんだあれ……!?」
俺は初めて見るその光景に、思わず驚愕した。
かべは円の様な形をしており、壁の奥には背の高い建物がいくつか見える。どうやら中は街のようだ。
壁の周りには、壁を囲むように広く川が流れている。
その川には橋が架かっており、橋の先には巨大な門がある。どうやらそこから中に入ることができるらしい。
たくさんの人間が橋を渡り、門の中に入っていく様子が伺えた。服装から見て、旅人や商人だろう
「なんだ、ここ?」
「私の家があるよ」
「は」
「ここは国なの。私と結婚しそうになった王子が治めてる国。私の家もあるよ」
「地図を見たときに気付けなかったのか……中に入ってもバレないか?」
「たぶんバレる…」
仕方ない……と、俺は首に巻いていた布を取り、できるだけ顔が隠れるように、ククルの頭に被せた。
「これでバレないだろ」
その布は、いつも自分の首の痣を隠すために纏っていたものだ。
「いいの?そっちが転生者ってばれちゃう」
「それはよくない」
「ダメじゃん」
俺は、後ろで束ねた長い髪を首に巻いてみせた。
「俺はククルほど顔を知られてない。前に来た追っ手も全て倒したから、首を隠せば問題ないだろう」
「でも…もしバレたら……」
「そのときは戦う。普通の人間ごとき、敵じゃない」
「…大丈夫…かな…」
珍しく不安そうだ。
「心配なら家に帰ってもいい」
「もう家になんか帰らないもん!ずっとシヴの味方になるって決めたもん」
「結局そうなのか」
「そうだよ!ていうか反応が薄い!」
ククルが俺の前に立つ。そして明るい笑顔でいった。
「ようこそ!マルダングール王国へ!」
*
黒い鳥が頭上を羽ばたく。
「がはっ、げほっげほっ」
僕は立ち止まり、大量の血を勢いよく吐いた。足下の地面が赤色に染まる。
貫かれた腹は緑の光を帯び、少しずつ再生を始めている。
鳥は徐々にこちらに近づき、肩にとまってきた。
脳内に直接声が聞こえた。
声の内容を理解するのに、さほど時間はかからなかった。
「もう帰ってこいというのか。それにしてもシヴ君……君の力はそんなものじゃないはずだよ」
僕は踵を返す。
その姿を、鳥は赤く濁った眼で静かに見守る。
「やっぱりあの女のせいだ。君は人間の温かさを感じつつある」
鳥に手を触れると、鳥は瞬く間に巨大化し、人一人が乗れるほどの大きさになった。僕がまたがると、瞬く間に飛び立った。
「君は優しくなってはいけない。人間を信じてはいけない。幸せになってはいけない。だから今度こそ」
引きつった笑みを浮かべ、僕はある場所へ向かった。
「君の幸せ、全部壊してあげる」