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3話 漠然とした不安

「同好会を発足!?」

 虹神の言葉に目を見開いて席を立つのは彼の妹である藍。

「お兄様、何故そのような真似を?」

 綺麗に整えられた髪を振り乱し、唇をわなわなと震わせていた。

「まあ……成り行きだ」

 虹神としても不本意な流れゆえに苦笑するしかない。

 美味しいと評判のケーキを口に含んだ虹神だが、目の前の藍の取り乱しようを見ると味が今一つだった。

「そんなことよりも藍」

「そんなこと?」

「……大事なことなので後で時間を取ろうか。まず謝らせてくれ、藍の中学で起こっている事件だが全然足取りが掴めない」

 虹神は済まなさそうに頭を下げる。

 その虹神の様子が藍の怒りを下げたのだろう、目じりを下げて優しい表情を作る。

「そんなことをお気になさらずとも」

「そんなこと?」

「……ホホホ、ごめんなさい」

 つい先ほどやってしまったことをそっくり返された藍は可笑しそうに口元を隠して笑う。

「こんな調子だと、とてもではありませんがお兄様の妹だと名乗れませんわ」

「何を言ってるんだか。藍は藍であり、僕の妹だ。それは神に否定されても覆せない事実だろう?」

「いえ、お兄様が否定すれば簡単に覆されますわ」

「……」

 それは虹神を神より上だと揶揄しているのだろうか。

 冗談で返すには余りにも重い言葉ゆえに虹神はコーヒーをすする。

「私からの希望を伝えてもいいのなら、出来ればお兄様の妹よりも妻の立場を求めたいのですが」

「……断っておくが近親相姦を行った夫婦にはロクな将来が待っていないぞ?」

「良いじゃないですか。無難で楽な未来に背を向け、破滅に繋がる困難な道を進むからこそ鬼人でしょう」

「……」

 まさしくその通りであったため虹神は藍の言葉を否定できる術を知らなかった。

「しかし藍。今日もまたこうして出てきて大丈夫なのか?」

 事件はまだ解決していない。

 それどころか被害者は増える一方な事実を鑑みればこうしてお茶をすることが信じられないのである。

「ええ。事件の方は大変ですが、通常の生徒会の方が楽になりましたので」

 疲れが取り除かれているのだろう、藍の顔をよく観察すると以前より表情に艶があった。

「確か襲われている生徒の大半は中学の問題児ばかりだったよな?」

 虹神が散策している裏路地など普通の生徒は行かない。

 どちらかというと、道を踏み外した生徒がたむろする場である。

「問題を起こす生徒達が『こんなことを繰り返していれば今度は自分が襲われる』と疑心暗鬼になって大人しくしているのが私達の仕事が減っている理由――犯人は不良生徒に嫌な目に遭わされたのでしょうね」

「……そうか」

 襲われた生徒は問題児ばかり。

 しかも生徒会や風紀委員といった委員会に迷惑をかける面々。

 虹神は何か思うところがあるのか目を瞑って頷いた。

「事件の件はこれで終わりです。さあお兄様、何故同好会など作ったのですか!?」

「それは……成り行きだ」

「私も入れて下さい!」

「生徒会長である藍が同好会に? もし二つを上手いこと両立できるなら別だが、藍だと、生徒会を蹴ってでも同好会に来るだろう?」

「当然です! お兄様に付く害虫共は捨て置けません!」

「そう言うから僕は駄目だと断るんだ……」

 本業を投げ出して副業に力を入れるなど本末転倒。

 虹神としては絶対に許可できなかった。

「さて、もう良い時間だな」

 なおも続けようとした藍の弁を遮った虹神は立ち上がる。

「もうそろそろ同好会に参加しないと橙が壊される。焔は手加減しないからな」

 今頃橙はエリート学園仕込みの特訓を受けている。

 効果は絶大だが、その分体を壊しやすい欠点もある。

 同好会の会長として、橙が壊されるのを虹神は防がなければならなかった。

「それじゃあ藍。体に気を付けろよ。兄を心配させるような真似は慎んでくれ」

 そう言い残してその場を後にする虹神。

 残された藍は幽鬼を連想させる表情で。

「お兄様、お兄様、お兄様兄様兄様兄様兄様兄様兄様兄様兄様兄様兄様……」

 と、何時までも呟いていた。


 虹神を代表とする同好会が発足して二週間。

 橙にとってはさぞかし極楽の日々を送っているだろうと思われたが、彼女が待っていたのは地獄だった。

 場所はグラウンド。

 動きやすい服装である橙と焔が降り、そして制服姿の黄泉が本を読まされていた。

「橙! 何時まで腕立て伏せをやってるの! 早く千回終わらせなさい!」

「ひ、ひえ~」

 突っ伏した状態での橙に飛ぶ容赦なき焔の叱責。

「ち、橙ちゃんがんば……」

 焔の傍らで黄泉が握り拳を作って健気に応援している。

 黄泉も当初は橙と同じメニューをこなさせていたが、虹神のストップが入った。

「黄泉は不味い。肉体労働よりこちらの方が彼女にとってプラスだ」

 虹神のそんな言葉と共に分厚い本数冊を手渡された黄泉。

「あ、ありがとうございます」

 黄泉からすれば頭脳系の方が得意だったため虹神にお礼の言葉を述べた。

「よ、黄泉ちゃん……助けて」

 あまりの辛さに手を伸ばして救いを求める橙。

「甘えるな! それでもあんたは鬼人なの!? 百回追加!」

 しかし、橙に届けられたのは女神の祝福でなく、獄卒の責めだった。

「胸にばかり栄養を集めて! 少しは全身に分け与えなさい!」

「……」

 普段なら血相を変えて反抗する橙だったが、この時ばかりは焔に対する恐怖で唇を噛み締めるだけ、しかし、目だけは怒りを保っていた。

「へえ、良い表情をするじゃない。その時の怒り、忘れちゃだめよ」

 橙の睨み付けに焔は満足覚える。

「何故怒るのか、何が気に入らないのか……怒りの感情の根源を突き止めなさい、そこを自覚すればあんたは私に近づけるわよ」

 にんまりと笑った彼女は嬉しそうだった。

「千九十八、千九十九……千百!」

 橙が百面相を浮かべながらも腕立て伏せをやり切った時、三人に近づく一つの影があった。

「大分絞られているな、橙」

「虹神先輩」

 橙がパッと顔を明るくする。

 そこには苦笑を浮かべる虹神の姿があった。

「あら、虹神君。収穫はあったの?」

「聞くな、焔。それよりもそろそろ良い時刻だ、大事を取って二人を帰らせたらどうだ?」

「せめて基礎練習――グラウンド百週が残っているのだけど」

「神威学園の中でもエリートしか施されない訓練内容を普通の高校に通う生徒に強要するな。いずれはやってもらうにしても今は抑えろ」

「私は数日で基礎練習はおろか個別トレーニングもこなせたわよ」

「だからお前と一般鬼人を一緒にするなと」

 不満を口にした焔に虹神は呆れを含んだ叱責で応えた。

「ほら、橙。立てるか?」

 虹神は橙に近寄ってそう尋ねるが。

「……申し訳ありません。無理です、膝どころか全身が笑っています」

 橙は腕立てだけでなく腹筋や背筋、スクワットといったトレーニングを鬼人版でこなしていた。

 その内容の壮絶さといえば、橙は鼻歌交じりで新宿から八王子まで踏破できる体力を鑑みればお分かり頂けるだろう。

「やれやれ、仕方ないな」

 虹神は溜息を一つ吐いた後に橙の体に触れる。

 すると橙は一瞬震えた後、何事もなく立ち上がった。

「ほら、着替えてこい。僕はゆっくり行く」

「はい! 分かりました!」

 橙は敬礼を取った後、更衣室へ走っていく。

「で、ではまた後で……」

 その橙に続いて黄泉も、後ろを何度も振り返りながらついていった。

「焔はどうする?」

 後に残った焔にそう問いかけると。

「私は残って訓練していくわ。だから放っておいて大丈夫よ」

「ん、了解」

 焔が軽く手を挙げたので虹神はそれ以上聞かず、橙達が走り去った方向へ歩を進め始めた。


 橙と黄泉に合流した虹神は三人で歩いていた。

 橙の体からは制汗スプレーを多量に吹きかけたのか強すぎる臭いが虹神の鼻をつく。

 顔を顰めたくなった虹神だが、橙の女心を考えて普段通りに接した。

「凄いですねえ、この回復技は」

 制服姿に着替えた橙は腕を大きく回しながら感嘆の声を上げる。

 胸がそれだけ盛り上がり、主張をしてくるが橙はまったく気にしていない。

 虹神は別の意味でも普通を保たなければならなかった。

「第二段階……鬼人というのはこういう特殊能力も扱えるんだ」

 鬼人は何も怪力を誇ったり巨大化したりするだけでない。

 空を飛んだり炎を出したり、今のように回復する術も扱えた。

「何故私には使えないんです?」

「正確にはまだ扱えない。何故なら橙はまだ第一段階だから」

 膂力が上がったり鬼へと変貌したりする怒りは第一段階と定義される。

 例を挙げると、第一段階が負けそうになった盤をひっくり返す力だとすれば、第二段階はその状況から如何に逆転しようか考える力。

 第一段階は熱しやすく冷めやすい特徴を持っていた。

「完膚無きに叩きのめされるのも第二段階へ上がる一つの手段だな。まあ、その場合、第二段階へ上がったとしても言うことを聞かないので一概に良いとは言えないが」

 絶望を知るには手っ取り早く現実を見せれば良い。

 鬼人から人へ戻ることもあるので有効な手段だが、デメリットとして自分勝手な鬼人が生まれやすかった。

「橙はまだ第一段階で成長の余地がある。限界に辿り着くまでしばらくはお預けだ」

「……はーい」

 橙は納得してなかったが、尊敬する虹神がそう言うのなら従うしかない。

 渋々ながらも引き下がった。

「あの……じゃあ私は?」

「黄泉もまだ成長の余地がある。が、残念ながら黄泉の怒りを引き出す方法は僕も焔も不得手なんだ。正直言うと黄泉は別の同好会に入ってほしいんだけど」

「それは絶対嫌です!」

 珍しく黄泉が語尾を荒げた。

「虹神先輩や橙ちゃんと離れるなんて以ての外です! そうなるぐらいなら死にます!」

「へえ……」

 虹神は驚くかと思いきや、意外にも不敵に笑う。

「まあ、その感情があるのなら心配しなくてもいいだろう。安心しろ、必ず君も第二段階へ上がれる時が来る。しかし……」

 と、ここで虹神は遠い目をして。

「それが幸か不幸かは分からない。いや、不幸だろう。平穏に暮らすなら人に戻るべきなのだから」

 鬼人に感情の制御など出来ない。

 ふとした拍子にタガが外れ、周囲に甚大な被害をまき散らす。

 虹神自身、次の瞬間には橙や黄泉を殺している可能性があった。

「すまん、湿っぽくなってしまったな」

 場の空気の変化に気付いた虹神は苦笑する。

「さて、もう寮に着いた。明日も学校があるから早く寝て遅刻をしないように」

「あの、虹神先輩はどうするのですか?」

「黄泉か。僕は少し野暮用がある。なあに、君達にとっては縁の薄い内容だ。このことに心を煩わせることなく、疲れを取ることに専念してほしい」

「でも……」

 黄泉は虹神がこれから夜の街へ繰り出すことに不安を覚えているようだ。

 いくら管理された学園都市とはいえそこに住む者は常識無視の鬼人達。

 夜になれば、いくら表通りとはいえ虹神の様な強い鬼人がいなければ黄泉の様な弱い鬼人は歩けない。

 ありえないにしても、一抹の不安が黄泉の心中にあった。

「黄泉ちゃーん。虹神先輩を困らせちゃだめだよー」

 橙が虹神の援護をする。

「それよりも早く戻ろうよー。私はもう死にそうー!」

 焔のしごきもあり、橙は結構限界に近いらしい。

 寮に着いた途端タコのようにぐでんぐでんとなっていた。

「安心しろ黄泉。裏通りとか危険な場所に行かない」

 橙の能天気な声に虹神ははにかみながら。

「そんなに心配なら約束しようか? ほら、指切りげんまん」

 虹神は右手の小指を黄泉に突き出した。

「っ、子供じゃありません!」

 黄泉は瞬間的にそう反発するも。

「けど、やっておきます」

 顔を赤くしながら己の小指を虹神に絡ませる。

「――うん、これで良し。それじゃあ、また明日。良い夢を見ろよ、黄泉そして橙」

 終わった虹神は晴れやかな笑みを浮かべながら元来た道を戻り始めた。


 踵を返した虹神はグラウンドへと戻る。

 往復の時間は大体一時間程度。

 その間ずっと目前の人物はトレーニングを続けてきたのだろう。

「二千……二千一、二千二」

 蒸気を発散させながら腕立て伏せをしている焔の姿があった。

「よくやるなあ、焔」

 塀に腰かけた虹神は感嘆の吐息を漏らす。

「一般論になるが、疲れを残すべきではないぞ?」

 時刻はもう二十時を回っている。

 神威学園伝統の早朝訓練のことを鑑みると、そろそろ戻って休むべきだった。

「そうね、その時間まで一人訓練した後に早朝練習をすると丁度いいと思わない?」

 たっぷり八時間近く体を動かした後に休むもなく練習。

 聞いている方が疲れる内容である。

「それに虹神君こそどうなの? こんなところで油を売っている暇があるなら休んで英気を養うべきよ。ただでさえクラス委員長の責任と仕事量は大きいんだからね?」

「安心しろ、最近は減っている」

「うん?」

「クラス委員長の方針が変更されたんだ。トラブルがあった際、最初に連絡を入れるべきは所属する組織へ。やむを得ない場合のみクラス委員長が出るという風にね」

 以前は些細な事でも虹神達クラス委員長へ報告がいっていた。

 しかし、方針の変更によってクラス委員長の仕事が激減。

 こうして毎日のように情報収集を行っても有り余る時間と体力が虹神にあった。

「名目上はクラス委員長の仕事を減らすため。だが、実際は鬼人達の管理を減らしたいのだろう……駄目だ、愚痴が口をついて出る」

「アハハ、君でも悪態をつくことがあるんだ」

 虹神の言葉に焔はひとしきり笑った後、深刻そうな口調で。

「けど、学園都市の首脳は何を考えているのでしょうね」

 風紀委員が中立を押し出すようになり、クラス委員長がその役割を他へ移し始めた。

 噂によると他の委員会でも同様の動きが出ているらしい。

「考えられる理由としては、鬼人達に自由を与え始めた――つまり次の段階へ向かわしていることだな」

 社会に災厄をもたらす鬼人の数も減り、この学園都市も日本も安定してきた。

「虹神君、気付いているかしら? 最近いやに大人の鬼人を学園都市内で多く見ない?」

「それは僕も思う。トラブルが起きたと一報が入ったので現場に駆けつけると、大人の鬼人が関わっていたという件も一つや二つでない」

「……」

 自由を与えて何をしようとしているのか。

 ポジティブに考えるなら自立を促し、更なる社会参加を目論んでいる。

 ネガティブに考えるなら自分達の管理を大本の一つから細かい複数の組織へと移し、更なる制約を加えることである。

「こう言っては何だけど、大人の鬼人相手は分が悪いわよ」

 焔も虹神も同世代に限れば上位に入れるだけの力も経験もある。

 が、それはあくまで同世代での話。

 鬼人という概念が認められた初期の激動を生き抜いてきた前世代の鬼人に勝てると楽観できるほど焔はポジティブでなかった。

「気味が悪いわね」

 虹神と焔が感じているのは未知に対する恐怖。

 すなわち変化の先にある明確なヴィジョンが見えてこないがゆえの不安だった。

「――どうやら疲れているようだな」

 虹神は首を振る。

「少なくとも僕は、方針が変わったから、大人の鬼人が現れたからといって衝動を抑えることはないし、出来ない」

「っ! その通りだわ。ごめんなさい虹神君、私はどうかしていたようね」

 焔は夢から醒めたように頬で手を叩いて。

「風紀委員を辞めたショックを未だに引きずっていたようね。障害が現れたから不安になるなんて私らしくない。誰であろうが、何であろうが私は心の赴くままやらせてもらうわ」

「元気になったのなら何より。ただ、今日はもう帰って休め。がむしゃらに特訓をするのも良いが、今の君には逆効果でしかない」

 虹神の見立てでは、焔は風紀委員会を辞めたことによる解放感を全て体の酷使に充てている。

「どうせなら次の休日に二人でどこか行くか? 少なくとも君の気を晴らすことは出来るぞ?」

「アハハ。それってデートのお誘い?」

「部長と副部長のミーティングだ」

 焔のからかいに虹神は憮然とした表情で答えた。

展開によっては焔ENDとなりそうです。

その場合、ラスボスとして藍が立ち塞がりますが。

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