表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
2/4

2話 同好会の結成

「瞑想、始め!」

 その言葉と同時に教室内にいた生徒が一斉に目を閉じる。

 瞑想は別に変ったことでない。

 と、いうより鬼人が九割を占める学園都市においては朝夕の瞑想はどこの学校でも普通に行われていた。

 瞑想をする理由は鬼人が持つ衝動を少しでも抑えるため。

 精神を統一することによって衝動の爆発をコントロールしようとしていた。

「……」

 虹神も例外でない。

 教室の、窓際最後尾に座っている彼も同じく目を閉じていた。

(中々手掛かりが見つからないな)

 虹神の頭を占めているのは事件の捜索状況。

 結構長い時間捜索しているのに虹神の元には大した情報が集まっていなかった。

(このまま続けていても目ぼしい成果は得られそうにない。が、代替案は見つからず、かといって諦めるなど以ての外……手詰まり感が出てきてい――)

「喝っ!」

「つっ!」

 気合いの言葉と共に肩に走る鈍い痛みに虹神は顔を顰める。

 どうやら虹神の焦りを教師は見逃さなかったらしい。

(まあ、あれこれ考えても仕方ない。何かきっかけが掴めるまで今のままでやるのが一番無難かな)

 そう結論付けた虹神はこれ以上の思索を止め、内の世界へと没頭していく。

 こうなればもう心の動揺が起きなく、事実として虹神に喝が飛ぶことはなかった。


「黙想、止め! 起立、気を付け、礼……ありがとうございました」

 瞑想が終わったら学校は終わる。

 後は生徒たちが思い思いの時間を過ごし、明日の朝にこの場所に集まるのが普通だった。

「虹神はん、珍しいなあ」

 宙を仰いでいた虹神にそう声をかけるのは隣席のクラスメイト――遠坂佑馬。

 関西出身なのか強烈な方言を扱う。

「なんだ、えびす丸?」

 その体型も顔も七福神のえびすにそっくりなため、クラスでのあだ名はえびす丸だった。

「虹神はんが喝を入れられるなんて珍しい。よっぽど心憂うことがあるんやなあと思って」

「おいおい、僕だって鬼人だ。衝動をコントロールできず、翻弄される事だってある」

 虹神自身、衝動のコントロールは上手い方だと自覚しているが、完璧だとは思っていない

 こうして妹の心悩ます出来事に対し、何もできていない自分に歯がゆい思いを覚えていた。

「虹神はんも大変やと思うけど。あんさんはクラス委員長で、このクラスの責任者やで? 万が一があったらクラス全員が困るさかいほどほどにせえよ?」

「ハハハ! 気を付けておこうか」

 えびす丸の懸念に虹神は笑い飛ばす。

 確かに虹神はこのクラスを纏める委員長。

 委員長は下校時間から登校時間までの間に、クラスメイトが事件や事故に巻き込まれた時に駆け付けなければならない立場。

 名前だけの肩書でなく、実力が備わっていなければならない責任職であった。

 対するえびす丸は何の役職も持っていないただの一般生徒。

 なのに虹神と親しいのかといえば、彼の持つ人徳の深さ。

 力の抜ける方言にノリの良い性格も相まってひょうきん者という評価をクラス内で確立していた。

「ああ、こういう時間が一番好きだ」

 他愛もない話で時間を消費するだけの間。

 頭をからっぽにし、次の行動に移るには絶好の準備期間だった。

「もう少し長話に付き合ってくれ」

「やれやれ、虹神はんは人使い荒いなあ」

 えびす丸は首を振りながらも虹神の要望に応える。

 最近の流行、女子の好み、小テストが鬱陶しい等等。

 しばらく二人の間で会話の花が咲いた。

「虹神さん! いらっしゃいますか!?」

 虹神にとって幸福を感じる時を終わらせる声。

 教室のドアが開くと同時に目を爛々と光らせた女子生徒が立っていた。

「来てしまったか……」

「アハハ、虹神はんも大変やなあ。ほな、これでわても失礼します」

 えびす丸が去ると同時に女子生徒――高塚橙が虹神の前に立つ。

 よく見るとドアのところから黄泉が覗き見ていた。

「虹神さん! 今日こそお願いします! 一緒に同好会を立ち上げましょう!」

「た、立ち上げましょう……」

 橙の快活の良い言葉の後ろに遠慮がちな黄泉の言葉が続いた。

「断る、僕は忙しいんだ。これ以上負担を増やすな」

 そう言うや否や虹神は窓から外へ身を投げる。

 通常なら飛び降り自殺、大怪我間違いなしだが鬼人にそれは当てはまらない。

「よっと」

 何事もなく着地し、全速力で校門へと駆け出す。

「私は諦めませんよ~! 絶対に同好会を作って虹神先輩を代表しますからね~!」

 虹神の背中に投げつけられる橙の言葉。

 強い拒否を受けながらも橙はまだ続けるつもりだった。


「ウフフフフフ、そんなことがありましたの」

「ああ、これで一週間ずっとだ。本当に橙の執念深さは脱帽だよ」

「困った顔のお兄様も素敵ですわね」

「藍、言うじゃないか」

 虹神の話に笑顔を浮かべながら聞いているのは虹神の妹――葉崎藍。

 生徒が次々に意識不明となっている上間中学の生徒会長だった。

 虹神の姿はある喫茶店にあった。

 表通りに面した壁が全てガラス張り。

 椅子や机もアンティークに凝った洒落た店だった。

「やれやれ、こんなことになるのなら助けなければ良かったと時折考えるが、見逃すのは僕自身が許さない……まあ、向こうが諦めるまで逃げ続けるさ」

 虹神はコーヒーを軽く口に含む。

 砂糖もミルクも入れていないブラックの方がコーヒーの香りが楽しめるという理由である。

「説得は出来ないのでしょうか? お兄様の現状を説明すれば諦めてくれるかと思います」

「ハハハ、それで納得してくれるなら彼女は鬼人じゃない。あの様子だったら何が何でも同好会を立ち上げて僕をその代表に据えるだろうね」

 興味の薄い内容だったら鬼人でも言葉を尽くせば引き下がることもある。

 が、橙は興味が薄いどころかそれに全てを乗せている節がある。

 ああなった鬼人は絶対に諦めないだろう。

「……その身に刻ませてやれば良いのでは? 手足の一本二本吹き飛ばせば退くかと思います」

「そんな怖いことを言うな藍。橙は鬼人になりたての無邪気な後輩だ、興味が他に移るまでの根競べだ」

「んもう、甘すぎますお兄様。もう少し非情になっても良いのに」

「怒るな怒るな」

 藍が頬っぺたを膨らませて不満を表現したので虹神は苦笑して彼女の頭を撫でた。

「しかし、藍よ。よくこんな時間が取れたな。普通なら寝る暇もないぐらい忙しいはずだが」

 虹神は藍が約束通りにここへ来たことを褒める。

 原因が分からず、現在進行形で続いている怪事件。

 生徒会はもちろんのこと委員会クラスでさえ非常事態体勢なはずである。

「フフフ。このために時間をこじ開けましたの。これぐらいは認めてもらっても罰はありませんわ」

 藍は茶目っ気を含んだ笑みを見せる。

「藍……」

 藍の見た目はいつも通りだが、注視するとうっすらと化粧の跡が見える。

 恐らく兄である虹神に疲れた姿は見せまいと化粧を施してきたのだろう。

「藍、無理はするな。休みたい時は休んでくれ」

 そんな藍に虹神は強い口調で忠告する。

「もし藍が倒れたら僕はどうなるだろう? 恐らく僕の中の鬼が暴れ回る。藍をこうまで苦しめた世界を、犯人を、そして何も出来なかった自分自身を破壊する。藍、お願いだから僕を人のままでいさせてくれ」

 虹神の言葉は冗談ではない。

 もし藍に何かあれば、虹神はその事実を冷静に受け止められる自信がない。

 彼の中で眠っている鬼が目覚めて暴れ回り、その果てには自身をも食い破ってしまうだろう。

「お兄様……」

 虹神の強い訴えに藍は目頭を潤ませる。

 藍が死ぬときは虹神も死ぬという一蓮托生に近い言葉に彼女は胸の奥が燃え上がる情熱に襲われた。

「ねえお兄様。隣に座ってよろしいかしら」

「ああ、別に構わんぞ」

 虹神の許可を得た藍は席を立って彼の隣に移動する。

「お兄様……」

 そして自身の小さな頭を虹神の肩に乗せた。

「お、おい藍?」

「お兄様、動かないで下さい」

 藍の行動に動揺した虹神だがそれを彼女が抑える。

「お兄様、私は疲れているようです。なのでしばらくこのままでよろしいでしょうか?」

 そう告げた藍はその細い目をそっと閉じた。

「まあ、仕方ないな」

 こうなってしまっては起こすのも無粋。

 肩に心地よい重みを感じながらしばらく時を潰そうかと考えた矢先。

「あ、あの! 虹神先輩……橙を助けてください!」

 息咳き切った黄泉が喫茶店の中へ飛び込んで虹神へ助けを求めた。

「因縁をつけられて困っています! だからお願いします!」

 その小さな体を上下させた様子から全速力で走ってきたのだろう。

「予想通り事件に巻き込まれたか」

 虹神は舌打ちを一つして藍を起こす。

「悪い、藍。急用が出来た。お金を置いておくから出る際に払ってくれ」

 そう言い残した虹神は黄泉を急かして出て行った。

「……」

 残された藍は出て行った虹神の無事を祈るかと思いきや。

「あの害虫共。私のお兄様を奪っていきましたね?」

 その表情は先ほどまで虹神に向けていた笑顔と全く違う。

 それこそガラス越しに見た通行人の顔が引き攣るほど鬼の形相をしていた。


「だから悪かったと謝っているでしょう!」

「全然誠意が足りねえんだよ! 何だ俺にぶつかってきておいてその態度は!?」

 怒鳴り合う橙ともう一人の男。

 男の服にはソフトクリームらしき白い物がべったりとついている様子から、橙が男の方にぶつかってしまったのだと推測する。

「ちょっと済まない。一人は連れなんだ、通してくれるとありがたい」

 野次馬の中をかき分けて虹神は進む。

 周囲には結構な人が集まっていたが、騒動の渦中にいる人物の知り合いだと知ると皆快く道を開けてくれた。

「あ、先輩!」

 虹神の姿を認めた橙がパッと目を輝かせると。

「なんだ? もしかしてこいつの連れか?」

 男は訝しげな視線を向けた。

「虹神先輩! この男って酷いんですよ!」

「橙、話は後で聞くから後ろに下がっていてほしい。そして、僕の名は虹神円一。僕の後輩が失礼なことをしたね。その服のクリーニング代を払おう」

 クラス委員長として場数を踏んでいる虹神は冷静な態度で接する、が。

「ふざけるんじゃねえ。この服はな、親分からもらった大事なものだ、そんなクリーニング代程度で引き下がれるわけがないだろう」

「うん?」

 男の言葉に虹神の声のトーンが下がる。

「まあ、詳しい内容については別の場所で話そうか」

 男は首をあちらに向けてついてくるよう促す。

「……橙、君はもう帰れ。後は僕が対応する」

「何言ってんだ? 当事者なんだから来るべきだろう?」

 男が橙を帰らせることに難色を示すが。

「良いから帰れ。そして今後この件で突かれようとも一切相手をするな、もしくは僕に連絡しろ」

 虹神は橙の背中を黄泉に向けて強めに押し出した。

「あの、虹神先輩……」

 黄泉の下に辿り着いた橙は振り返り、男と対峙している虹神を見る。

「橙ちゃん、行きましょう」

「でも……」

「ここは先輩に任せて私達は後ろに下がりましょう」

 黄泉に促された橙は渋々ながらも後方の目立たない位置に移動する。

 虹神としてはこの場から去ってほしかったが、視界から消えただけ良しとする。

「さて、僕としては君と共に場所を変えることはない。クリーニング代で済まないのならここで風紀委員が来るまで待とうか」

「約束に遅れちまうだろうが」

「それについては連絡を入れるべきだ。何せ今回の件は不可抗力なのだから君の友人も理解を示してくれる」

 虹神は言葉こそ丁寧だが、その口調は断固たる決意に溢れている。

 男は思い通りに事が運ばない事実に苛立ちを覚え始めていた。

「はいはい、風紀委員の到着よ」

 そうこうしている内に黒い腕章を付けた女子生徒が割り込んできた。

 長身のスレンダーな体型に合うポニーテール。

 目は大きく開き、そのハキハキとした口調から自信に満ち溢れていることが容易に想像できた。

「お、おいあの女子生徒って」

「ああ間違いない。神威学園の生徒だ」

 野次馬が現れた風紀委員の制服を見て騒めく。

 赤と黒のブレザーにひざ下までのホワイトスカートといった制服は神威学園しかない。

 その学園は特定指定校、戦闘に特化させたカリキュラムを組んでいた。

「で、何があったの? ……って、虹神君!? 変なところで会うわね」

 どうやら女子生徒と虹神は面識があるらしい。

「本当にな、ここまで続くと気味が悪い……まあ、世間話は後にしようか」

 まず口を開いたのは虹神。

「僕が彼の服を汚してしまったんだ。全面的に僕が悪いからクリーニング代も払うし、約束に遅れたのなら僕からも謝ると提案しているのだけど受け入れてくれない」

「おい! 嘘をつくなよ!?」

 虹神は何もしておらず、本当に罪に問われるべきは後ろにいる橙である。

「僕だろうが後ろの彼女だろうが君にとってはどうでも良いだろう。大切なのはその汚れた服を元通りにするかだと推測するが」

「やれやれ……虹神君は本当に損な役回りを引き受けるわね。で、どうする? 謝罪と賠償を受けて終わる?」

 彼女は虹神の案で事を進めるらしい。

 依怙贔屓に見えなくはないが、これぐらいは許してもいいだろうと思う。

 そして仲裁人の風紀委員がそう提示した以上、男は文句を言いながらも従うかと思いきや。

「……ふざけやがって」

 男は犬が唸るような怒りに満ちた声を漏らす。

「偽善者め、そうやって誰かを庇う自分に酔っているんだろう? 罪を引き受けるというのは相手に劣等感を与え、優越感を覚えるに有効な手段だからな」

「……」

 男の様子がおかしい。

 先ほどまでは怒ってはいたが感情と利害からくる浅はかな代物だったが、今のは彼の心の闇からくる感情。

 それを察してか虹神は沈黙し、来るべき時に備え始めた。

「警告しておくけど、鬼化なんてしたらしばらく入院生活よ」

 風紀委員がそう警告するが、男は戸惑うそぶりすら見せなかった。

「ぐ……お……お」

 男はカッと目を見開き、前進から蒸気を発し始める。

 筋肉が膨張し、体も巨大化していく。

 もはや男の姿はない。

 あるのは二メートルに達するであろう巨大な体を持つ鬼の姿があった。


 男――凪月竜也にはよくできる兄がいた。

 勉強もできてスポーツは万能、ルックスも良い非の打ち所がない兄だった。

 その兄は弟である竜也の面倒を良く見、彼が何かしでかしたら代わりに謝るのが常だった。

 何も悪くないのに頭を下げる兄。

 竜也はそんな兄を聖人君子だと尊敬していたが、ある日に漏らした兄の言葉が彼の中にある兄の姿を壊す。

「どうして不出来な弟の尻拭いをするのか?」

 友人からの問いかけに兄は意地悪く笑って。

「馬鹿な弟を護る兄……理想の兄貴だと思わないかい?」

 その言葉を竜也は隠れた場所で聞いてしまっていた。

 思い当たる節があった。

 兄が周囲から人望があるのは己の存在があるからだと。

 皆から尊敬されたいがために己を庇う。

 謝罪の言葉もよくよく思い返してみれば、己の非に対する謝罪でなく、己がこんなに馬鹿だから許してやってほしいという旨の内容でなかったか?

「……俺は兄に騙されていた」

 兄は己のことなどどうでも良い、単に見栄のために護っていた。

 そう思い当たった瞬間、竜也は兄とその友達を殺し、鬼人と成り果てた。


「許さねえ……絶対に許さねえ……」

 鬼の口から洩れる怨嗟。

 その形相は獄卒という表現が最も的確だった。

「やれやれ、鬼化しちゃったか」

 大多数が恐怖と混乱に支配される中、落ち着きを保っている少数派の一人である風紀委員が頭をかく。

「どうする? 今の風紀委員の方針従うと、私が出来るのは周囲に被害が広がらないよう警告するだけだけど?」

「また傍観か……中立といえば聞こえはいいが、責任放棄の間違いじゃないか? 周りに警告する労力を眼前の鬼退治に振り分けた方が効率が良い」

 鬼化すると変わること。

 パワーや特殊能力が増強されるのは当然だが、何よりも厄介なのは死ななくなることである。

 例え首と胴体を切断しようが体を粉々に粉砕しようが鬼は死なない。

 欠片が集まって元の形に戻り、攻撃を仕掛けてくるのである。

「責任放棄と言われても返す言葉がないわ。昔のように風紀委員は積極的に関わるべきなのよ。けど、虹神君のために一応鎮静剤を渡しておこうか? これを打てば戦闘が大分優位に進むわよ」

 鬼の力は感情によって左右される。

 すなわち心の動揺を抑えれば鬼も弱体化するのである。

「止めておく。鎮静剤を受け取ると焔の立場が苦しくなる」

 が、本来鎮静剤は外来の鬼が襲撃してきた等、国が治安を守るためやむなく使用する劇薬。

 そんな代物を虹神に貸すと、優遇したとして焔が罰せられる可能性があった。

「問題ない、勝てる」

 鬼化した者を元に戻すのは二通り。

 一つは鬼化してしまった原因を取り除くこと。

 この場合、虹神が大人しく彼に殺されれば鬼は消える。

 が、それは虹神が受け入れられないのでもう一つの方法。

「しばらく刀を使ってこなかったからな。いい練習になりそうだ」

 心を折る。

 己の望みは叶えられないと悟るまで徹底的に打ちのめすことである。

「来い、ただの鬼」

 虹神は傲然と言い放つ。

「お前が如何に浅はかなのかを魂に刻み込んでやろう」


「さて、観戦といこうかしら」

 一歩離れた場所に立つ風紀委員――焔は周囲の安全を確保した後視線を鬼へ向ける。

「大きさは普通、特殊能力が無ければ一山いくらの雑魚ね」

 己が見上げる程の高さを誇る鬼を見た焔の言葉。

 その筋骨隆々な二の腕は焔の胴体ほどあるのに全然動揺していなかった。

「――っし!」

 一歩で数メートルの距離を潰した虹神は刀を一閃、鬼の首を取る。

「何度見ても速いわね」

 焔は虹神の抜刀速度に口笛を吹く。

 柄に手をかけたと思ったら鬼の首を切っていた。

 動体視力に自信のある自分でさえ、そうとしか認識できない速さ。

 間近なら、それこそ何が起こったのか分からず、それで戦闘は終わっていただろう。

「けど、これで終わりじゃないのよね」

 首を切った虹神に勝利の色はない。

 何故ならまだ戦闘は終わっていないのである。

「アハハハハハ!! いてえ! いてえよ! アハハハハハ!」

 切った首はケタケタと笑ったかと思うと霧となって四散し、気付けば鬼の首を元の位置に納まっていた。

「これがあるのよねえ」

 鬼となった鬼人に致命傷などない。

 心が折れるまで延々と戦い続けなければならない。

 対する鬼化していない虹神には致命傷がある。

 その腕の薙ぎ払いに巻き込まれてしまえば最悪命を落とす可能性もあった。

「冷静ね」

 鬼の攻撃は大ぶりながらもその速さは洒落にならず、例えるならプロボクサーが放つジャブの速度で攻撃してきていた。

 その全てを紙一重で躱す虹神。

 場数を踏んできたのか、肌を掠ろうとも動揺を浮かべなかった。

 当然ながら虹神は打撃を躱して終わりでない、おおよそ二発のうち一発の割合で飛んできた腕を切り落としている。

「ぐ……ギャアアアア!!」

 鬼は不死身だが痛覚がないわけでない。

 虹神が腕を切り落とすたびに鬼は顔を顰めていた。

「――ようやく話を聞ける状態になったな」

 攻撃を続けてきた虹神は刀を鞘に戻す。

「あら? もう説得に入っちゃうの?」

 焔の眼から見ればまだ鬼の闘志は消えていない。

 もし焔ならその闘志が消えるまで攻撃を止めなかった。

「まあ、虹神君はクラス委員長だから交渉ごとは得意よね」

 風紀委員なら腕力でねじ伏せれば終わりだが、クラス委員長はそういかない。

 禍根を残さないため、場を丸く収める説得技術は必須だった。


「君が僕の対応、後輩の罪を被ったことの何が気に入らなかったのか僕は知る由もない」

 話していないから知らなくて当然である。

「が、これだけは言える。僕には橙と藍を窮地から救えるだけの力があった。だから助けた……それだけのことだ」

 虹神にとって人助けに深い理由はない。

 苦しんでいる人を救える力を持っているのならそれを使う、ないのなら救わない。

 理想論者よりかは現実主義者に近い思想の持ち主である。

「力があったから救ったか……ハハハ、何だその偽善者は?」

 案の定鬼と化した竜也は笑う。

「だったらよう……お前は自分が死ねば誰かを助けると言われると死ぬのか? 助けることによって更なる地獄が待っていようとも人を助けるのか?」

 笑うといっても凶悪極まりない笑みだが、虹神を嘲っているのは誰しも理解できた。

「理屈じゃないだろ?」

 虹神は何を言っているんだと言わんばかりの表情で続ける。

「助ける、助けないはその時の状況によって決めるが、根本的には僕の心が決める。何しろ人助けは僕が鬼人となった原因に直結しているからね。君も鬼人……だから分かるだろ? 例え己の身が破滅しようともその選択を強要する衝動――魂の叫びには抗えない」

「!?」

 虹神の言葉に竜也は電流に貫かれたかの如き衝撃を受けた。

 虹神の気持ちは痛いほど分かる。

 兄から聞かされた真実の言葉、聞かなかったことにすれば今までの平穏が待っていた。

 聞かなかった事にはできなくとも話し合うなり喧嘩するなりといった方法もあった。

 なのに何故それらを選ばずに殺した?

 最も愚かで最も破滅的な選択を何故した?

 決まってる、許せなかったからだ。

 兄の様な偽善者の存在を許すと竜也自身が消えてなくなってしまいそうだったからだ。

「だから僕が退くことはない」

 硬直している竜也を現実に戻すために虹神は声を張り上げて。

「戦いに決着をつけるのは僕が死ぬかそれとも君が諦めるか……君のプライドを傷つけることになるけど、君程度の鬼なら二人を護れることが出来る」

「……」

 虹神の宣言に竜也は何も答えない。

 そのままたっぷり一分が経過した頃、竜也は鬼から人へと戻る。

「お前は偽善者じゃねえ」

 言葉少なく竜也はそう口にする。

「だからお前と戦う理由はない……じゃあな、クリーニング代は要らねえよ、別の服を着る」

 そう言い残した竜也は雑踏の中へと消えて行った。

「これが同好会の誘いを断る理由だ、橙、そして黄泉」

 虹神は振り返らずに橙と黄泉に尋ねる。

「僕は君達二人を護れる力がない。妹が通う学校の事件の他にも僕はクラス委員長だ、とてもじゃないがそこまで手が回らない」

 クラス委員長はクラスメイトがトラブルに巻き込まれれば、その現場に介入しなければならない義務がある。

 その義務は最優先なため、橙や黄泉が危機に陥っているにも拘らず、そちらを優先させなければならない最悪の事態も考えられた。

「だから諦めろ。誰か他の、頼れる先輩と組め」

「……」

 大人しげな黄泉はおろか、橙も沈黙している。

 虹神は二人との間にあった関係は終わりだと考える。

 明日から日常が始まるだろうと虹神は一息を吐いたが。

「分かったわ、私――時風焔が入ってあげる」

「はあ!?」

 意外な伏兵、焔がそう提案した。

「私と君の二人がいれば半人前が二人いても対応できるでしょ?」

「それはそうだが……」

 虹神はまだ動揺から回復していないのか、口調がしどろもどろ。

 その隙をついて焔が言葉を重ねていく。

「前々から風紀委員を辞めたいと考えていたのよ。こんな傍観を強要する方針に私は賛成できない。うん、丁度良い。気心の知れた虹神君がいるなら私も踏ん切りがついたわ」

「性急過ぎじゃないか? もし風紀委員の方針が元に戻ったら後悔すると思う――」

「焔先輩! ありがとうございます!」

 当然ながらこの千載一遇のチャンスを見逃す橙ではない。

「やりましょう! 焔先輩と虹神先輩がいれば最高の同好会が出来ます!」

 虹神の話などそっちのけ、ハイテンションで事を進めていく。

「あら、本当に活きの良い後輩ね。将来が楽しみだわ」

 焔は橙が気に入ったのか笑みを浮かべて喜んでいた。

「とは言ってもなあ……」

 虹神はあくまで慎重論を崩さない。

 そんな彼を籠絡させるべく、ついに黄泉が動いた。

「あの、先輩……」

 ちょいちょいと虹神の服の裾を引っ張る黄泉。

 彼女は潤んだ眼差しを向けながら。

「私達を助けてください。この学園都市において頼りになるのは虹神先輩と焔先輩だけなんです」

「……」

 その真摯な言葉は虹神の心の琴線に触れたようだ。

 目を見開いた虹神はそのまま閉口した。

「……分かったよ」

 虹神は全てを諦めたかのような口調で降参を宣言する。

「僕の負けだ。君達の希望通り、同好会を作ろうか」

「わーい! やった!」

 虹神の言葉に喜びを爆発させる橙。

 望みが叶った嬉しさのあまり黄泉を振り回す。

「フッフッフ、橙。風紀委員仕込みの訓練にどこまで耐え切れるのかなあ?」

 幸か不幸か。

 焔の呟いた不穏な言葉は橙に耳に入らなかった。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ