1話 二人の後輩
「こ、来ないで!」
ある夕暮れ。
桜の花も散り、代わって若葉が木を彩り始める季節。
繁華街の裏手にある路地で二人の、ブレザーを着た女子生徒が男たちに囲まれていた。
二人の女子生徒の服装は緑が入ったブレザーに明るいチェック柄のスカート。
白いブラウスに赤いネクタイ全てが光沢を放っており、新品だということが分かる。
「ど、どうしよう……橙ちゃん」
栗色のふわふわヘアーを持つ女子生徒はもう一人の女子生徒の裏で震えている。
小さな体に潤んだつぶらな瞳、柔らかそうな赤い唇を持つその女子生徒を一言で表すならお姫様。
穢れも傷も知らず、大切に育てられてきたことが一目でわかった。
「落ち着きなさい黄泉! 私達は簡雍学園の生徒よ! あんた達それが分かっているの!?」
橙と呼ばれた女子生徒は強気な声で鼓舞する。
ショートカットに勝気な瞳、威勢な声音は美少年という形容が似合う。
ただ一点、これでもかと強調する胸が無ければの話だが。
「ハハハ! 簡雍学園の生徒か!」
取り囲んでいた男の内の一人が笑う。
「が、お嬢ちゃん達はこの学園都市に来て日が浅いんだろう?」
「っ」
図星をさされた橙の瞳が揺らぐ。
「怖いよお……」
橙の動揺を感じ取ってしまったのだろう、黄泉は髪が揺れる程震え始めた。
「そうよ! その通りよ!」
橙は自身の豊かな胸を右手で押さえながら。
「それでも私はあんた達より強い! 何故なら私は鬼人だから!」
鬼人。
橙は耳慣れない言葉を口にした。
鬼人というのは人を越えた人をさす。
火を吐く、戦車を持ち上げる、ミサイルを撃たれても死なない。
化け物でないと説明できない人間を鬼人と呼んだ。
「じゃあ、勝負しようぜ橙とやら」
リーダー格らしい男が笑う。
「もし俺が勝ったらそのでかい胸を自由にさせてくれよな」
「なあ!?」
己の胸を指さされて顔を真っ赤にする橙。
橙にとって自分の大きな胸はコンプレックスだった。
「後悔させてやるわ!
そして橙はそう叫ぶや否や笑った男めがけて殴りかかる。
数メートルの距離を一瞬で潰した速度のまま拳を放つ橙。
常人ならば反応すら出来ず攻撃を受けただろう。
しかし。
「まだまだ甘ちゃんだな」
男は余裕たっぷりの表情で橙の手を掴み、後方に投げ飛ばした。
「きゃあ!?」
壁に激突する橙。
肺の空気をすべて吐き出してしまい、胸が大きく上下する。
「橙ちゃん!」
慌てて黄泉が橙へ駆け寄ろうとするが、別の男がそれを阻み抱え込む。
「いや! 離して!」
黄泉は髪を振りかざしながら抵抗する。
彼女も鬼人。しかし、黄泉を拘束するその手は微動だにしなかった。
「黄泉ちゃんは俺の相手をしてほしいなぁ」
黄泉を抱えている男が笑う。
「本当に柔らかい体だ、赤ん坊を抱いているようだぜ」
「よ、黄泉……」
黄泉の叫びを聞いて立ち上がる橙。
目は死んでいないようだったが体はガクガクと震えていた。
数も質も男の方が上。
このまま二人は男達に蹂躙されるかに思えた、が。
「――お取込み中悪いけど、少し聞いていいかな?」
心底呆れたその呟き声が全員の耳朶を打った時、暗がりから一人の少年が現れた。
身長は橙たちより頭一つ分高い程度。
一般と比べると小柄で華奢な体躯なのに目が大きいため庇護欲をそそられる。
中学生、下手すれば小学生と見間違われても仕方ない程少年は幼い容姿をしていた。
「僕の名は虹神円一。妹が通う中学校の生徒が襲われる一連の事件の情報召集をしているんだ。最新の事件はこの周辺で起こったのだけど、君達は何か知っているかな?」
虹神円一と名乗った少年は流暢な言葉で説明した。
「そんなもん知らねえよ! だから失せろ!」
乱暴な言葉で答えられた虹神。
しかし、彼はその場から動こうとしない。
「ふむ、そうか。だったら次の事項に移ろうか。僕は簡雍学園の生徒で、その二人もまた同じ。同じ学園に通う生徒の危機を見逃すわけにはいかないから、大人しく二人を渡してほしい。」
暗がりで良く見えなかったが、注意深く見ると少年の服装は橙たちと同じ簡雍学園生の制服、そして左腰に刀を携えていた。
ただし、こちらの制服は少々くたびれているので、橙たちより長い期間在籍しているのだろう。
「僕としても情報収集に戻りたいから、益を考えて互いに退こう、ね?」
最後に軽く笑う。
万人を蕩けさせる天使の笑みだったが、時と場所が一致していなかった。
「ふざけてんのか!」
男達の敵意が上がる。
「戦うのか……」
降伏する意思はないと知った少年は溜息を吐く。
「やれやれ、軽く眠ってもらうよ」
そう呟くや否や少年の姿が消える。
次に気づいたのは最も少年の近くにいた男が吹っ飛ばされてからだった。
「ぐえっ」
轟音と共に沈黙する男。
橙の攻撃を難なく捉え躱した彼等でさえ見えなかった攻撃。
その一瞬で格付けが決定した。
一対三なのに優位に立っているのは少年。
男達は少しずつ後ろに下がっていた。
「断っておくけど数で来るなら僕もこれを使わせてもらうよ」
虹神は軽く手を上げて腰を見せる姿勢を取る。
「……お前! 金棒持ちか!?」
そして虹神の腰に下げている刀を確認したリーダー格の男は驚愕する。
この学園都市は自分の身は自分で守るのが基本なため武器の携帯も許されている。
しかし、衝動によって行動する鬼人にとって戦い方を限定する武器や武術との相性は悪く、大半は弱体化するので大抵の鬼人は武器など持たず徒手空拳で戦う。
だが、戦い方を限定されることによってその戦闘力が大幅に上がる鬼人がいることも事実。
そういった鬼人を皆は畏怖を込めてこう呼んだ――金棒持ちと。
「ハッタリか否かを試しても構わないよ」
虹神円一は殺気を保ちながら笑った。
「「「……」」」
リーダー格だけでなく他の男も虹神の名に一歩下がる。
金棒持ちは相当恐ろしい存在らしい。
「――退くぞ!」
少しの逡巡の後リーダー格の男は命令する。
他の男も異存はなかったのか、気絶した仲間を抱えて一目散に逃げ出した。
「立てるか?」
静寂の中、いつの間にか座り込んでいた橙と黄泉に虹神は問う。
「あ、はい!」
橙は顔を震わせて正気に返り。
「な、何とか」
黄泉は少し震えていたが問題なく立ち上がった。
「散々な目に遭ったようだね。で、これからどうする? 僕としては君達を安全な場所へと案内したいんだが」
「そ、それはこちらからよろしくお願いします!」
「うん、分かった。じゃあ僕についてきて欲しい」
橙の答えを聞いた虹神は一つ頷き、出口に向かって歩き始めた。
「あの、助けてくれてありがとうございます、虹神先輩。私の名は高塚橙、橙って呼んでください。そして」
「榊原黄泉と言います、黄泉とお願いします。そして私からもお礼を言います。本当にありがとうございました」
深々と黄泉は頭を下げ、橙もつられて習った。
「気にしなくて良い。同じ簡雍学園生なんだ。助けて当然だろ」
対する虹神はヒラヒラと手を振るだけで恩着せがましくする様子など微塵にも見せない。
「格好良い……」
そのさっぱりした態度に橙と黄泉は虹神に好感を持った。
「えっと、虹神先輩は上間中学で起こっている事件を捜索しているのですか?」
「うん、その通り。最新の現場がこの周辺だったから、目撃者を捜しているところ」
話題を繋げようとした黄泉は虹神がここに来た理由を確認する。
彼女にとって中身はどうでも良い。ただ、虹神ともっと話したかった。
「あの、すでに学校や風紀委員が動いています。なのに何故独自で?」
生徒が何人も意識不明となる事態はすでに一学生で負えるレベルじゃない
学校で、更にその上の学園都市レベルで対策してもおかしくなかった。
「ハハハ。手に負えなさそうだから、事件が大きすぎるから……そんな理由で引き下がれるのは鬼人じゃない」
虹神はカラカラと笑いながら続ける。
「君達もそうだろう? 橙はそこの黄泉がいくら止めようともこんな場所に来たと推測するが?」
「う……」
図星をさされた橙が思わず顔を引きつらせる。
「そして黄泉は橙がどんなに帰れといっても聞かなかったんじゃないかな?」
「はう……」
黄泉までも顔を両手で隠し、虹神の推理が正解だと教えた。
「ま、そういうものだ。人に止められたから、法に触れるから。言葉で説明できる理由で納得して進むことはあっても引き下がることなどありえないのが僕達鬼人だろ?」
鬼人の宿命というべきか。
その先に困難が待っていようとも死ぬしかない未来があろうとも一歩踏み出さずにはいられない。
止めるなら力づく。心身ともに叩き伏せ、その身に敗北を刻み付けるしか鬼人に言うことを聞かせる手段はなかった。
「無駄だと思うが僕は先輩だから、後輩として忠告しておこう。今度からこんな治安の悪い場所には来ない方が良い。君達の故郷では鬼人など滅多にいないが、この学園都市は鬼人を育て上げる一大施設だ、鬼人が当たり前の場所だよ」
鬼人の割合など外の世界では千人若しくは万人に一人だが、この学園都市は全人口数の内九割が鬼人。
橙や黄泉などか弱い生徒に過ぎないのである。
「もうそろそろ出口だな」
そして虹神は二人を安全な場所へ先導する。
絶体絶命の窮地から救ってくれた恩人の背中。
橙と黄泉はその後ろ姿が途方も無く大きく見えた。
「ここまで来たらもう大丈夫だろう」
活気がある通りに出る直前、虹神は振り返ってそう告げる。
「それじゃあ、元気でね。僕は情報収取をしないと」
そう言い残した虹神は立ち止まる。
橙や黄泉を助けたのは虹神の目的ではない。
なるべく早く目的――事件の情報収集活動に戻りたかった。
どうやらここでお別れのつもりらしい。
「ありがとうございました!」
橙は礼儀正しく、お辞儀をして礼を述べる。
前かがみになったため、その豊満な胸が強調されるポーズになったが橙本人は気付いていなかった。
「ま、まあ気にするな」
虹神が動揺したのはその胸のせいじゃないと願いたい。
踵を返した虹神は雑踏の中へと消えていく。
虹神の姿が見えなくなるまで二人はずっと彼の後姿を眺めていた。