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恋をするなら

年明けからやってきた島津は、その闊達な気性と、

「社長の娘で常務の姉」という立場に驕らない態度で、

あっという間に秘書課に馴染んでしまった。

そしてまた、一歩踏み出したお互いの距離感を、

いまひとつ掴みかねている桜井と実里の緩衝材ともなっている。

彼女は、当然のように実里を社員食堂に誘い、一緒にランチを囲む。

千速のいない淋しさは、この年上の女性の醸し出すアグレッシブな雰囲気に、

いつしか紛れていった――


「島津さんのご主人は、どんな方なんですか?」


実里は、ブリの照り焼きを口にしながら尋ねた。

島津は和風ハンバーグから目を上げて、にっこり微笑む。


「私、あなたのそういう所、好き。

 何をしているとか、どこに所属しているとか聞くんじゃなくて、

 その人の本質に興味を示す所とか」

「いや、何をしているのかも、どこに所属しているのかも、

 とっても気になりますけど、

 それ以上に『島津さんのご主人』がこなせる(・・・・)のは、

 どんな方なんだろうと」


うふふ、と笑った島津が目を煌めかせていった。


「遠慮のない人ね。こなせる(・・・・)とくるか。知りたい?」

「惚気たいということでしたら、遠慮なくどうぞ。

 その手の話を聞くのは慣れていますので」


実里は笑って、どうぞどうぞと手を差し出し、話を促した。


「そうねぇ。ひとことで言えば、私にとっては(アンカー)みたいな人」

「錨ですか」

「どんなに荒れた海にいても、ちゃんと私を繋ぎとめていてくれる。

 そういった、安心感を与えてくれる人、かな」


この女性の錨となれば、並大抵の器では務まらないだろう。

荒れた海に、平気で乗り出していってしまいそうなタイプだし。

実里は、周囲を圧倒するような気迫に満ちた、

運動会系の人物を何となく想像する。

島津は言葉を継いだ。


「夫はね、学者なの。経済学の」


実里は目を瞬かせた。

それはまた何とも意外な。


「……どこぞのエリートビジネスマンだったりするのかと、思ってました」

「でしょう?私も、そういった人と結婚すると思ってたわ。

 でなければ、官僚か、政治家の息子」


でもね、と島津は身を乗り出した。


「見つけちゃったの」

「……見つけた」

「そう。運命をね。

 主人とはね、大学の同期なのよ。

 入学早々の大教室講義で、たまたま近くの席に座った時に、

 『君たち、煩いです』っていきなり言われたの。

 『真面目に講義を聞く気がないなら、もっと後ろの、もっと隅で、

  他人を巻き込まない場所で生息して下さい』って。

 なにこの眼鏡野郎、って思ったんだけど」


それは、何というか……

この女王様な方に、いきなりその言い様とか、やっぱり武闘派?


「ほら、わかると思うけど、

 私も私の友人たちも、いわゆる目立つタイプで、

 ちやほやされることに慣れていたのね。

 ところが、その野暮ったい眼鏡野郎が、言いたいことだけ言って、

 すっかり私から関心を逸らしたっていうのが気に入らなくて、

 次からも、絶対彼の近くに座ったの」

「うわ」

「二か月ぐらい、その追いかけっこを続けていたかしらねぇ。

 そうしたら彼、その講義に出てこなくなっちゃったのよ。

 それがまた、癪に障った」


ぷ。実里は思わず噴き出した。


「で、構内を探し回って、彼を見つけ出して、逃げるのかって、詰め寄ったの」

「……目に浮かびます」

「そしたら、彼、何て言ったと思う?

 『その労力を講義に向けた方が、よっぽど建設的です。

  君は僕に何を求めているんですか?』よ」


島津は、ぱくりとハンバーグを口にして、微笑んだ。


「そう言われて、我に返ったの。私、何してるんだろうって。

 で、彼に聞いてみた。

 『私、何をしてるのかしら?』って。

 そしたら彼、『それを僕に聞くんですか』って呆れたように笑ったの。

 その笑顔を見て、ようやく理由がわかったわ。

 私にちっとも関心を示さない、しかも全くタイプですらない、

 その浮世離れした雰囲気の眼鏡野郎を、

 私はどういったわけか、振り向かせたかったらしいのよ。

 これを運命と言わずして何と言う?」

「確かに」


実里はクスクス笑って頷いた。


「それから、お付き合いするまで、山あり谷あり。

 付き合ってからも、結婚するまで、山あり谷あり」

「何となく、想像出来ますが……」

「まぁでも、私に言えるのは、

 自分が本当に欲しいものを手にしたなら、

 簡単に手放しちゃいけないってことよ。

 代わりなんて、そうそう見つかるはずないんだから。

 代用品はあくまでも代用品でしかないし、所詮本物には敵わないもの」

「実感こもってますね」


島津が、ふふ、と笑った。


「代用品を押し付けられそうになったことも、あったのよ。

 色々大人の事情でね。

 でも、足掻けばどうにかなるものよ。

 一緒に足掻いてくれる人がいれば尚更」


成程。

その眼鏡野郎には、この女性(ひと)が見込んだだけの甲斐性があった、

ということだ。

島津が蕩けるような表情をして言う。


「――息子がね、いるの。

 今、中学生なんだけど、主人そっくりな。

 ああ、あの人は、こんな風に大人になっていったのかしら、

 って思いながら育ててる。

 出会う前の、私が知らないあの人を見ているみたいで、ワクワクするの」

「……ご馳走様デス」


実里は手で顔を扇いだ。

いやいや、瑞穂の千速に対する囲い込みっぷりも凄いと思っていたけれど、

執着系がここにもひとり。


「恋をするなら」


島津が、艶やかに微笑みながら言った。


「恋をするなら、そういう恋をしなくちゃ。

 中途半端な想いじゃ、中途半端なものしか手に入らない」


実里は目を伏せた。

心を探られているような――そんな気がして。


「必死になって掴んだものだから、その尊さがわかるの。

 お膳立てされたものだったら、例えそれが同じものだったとしても、

 ここまで大事に出来たかどうかわからない」


しかし次の瞬間、空気がふっと緩んだ。


「でもねー、主人は『何でこうなった?』って首を捻っているのかも。

 小学生の娘もひとりいるんだけど、その子に向かってこう言うの。

 『君は見た目もですが、中身も瑠莉さんみたいで、

  僕にはどう扱っていいかわかりません』って。

 まるで私が扱い辛いみたいじゃない。失礼しちゃうわよね?」


今、私はそのご主人の気持ちが、少しわかるような気がしていますが、何か?

実里は、は、は、と笑いながら、付け合せのお浸しに箸を伸ばした。


「何でこの人をって思っても、理性や理屈じゃないところで、

 どうしようもなく強烈に惹かれることって、きっとあるんでしょうね」

「何だか、よくわかっているみたいな言い方ね」


実里は肩を竦めて言った。


「目の前で、ずっと見てきましたから。

 加藤さんはのんびり構えている間に、あっという間に森さんに外堀を埋められて、

 掻っ攫われていきましたけど、

 『何だってあんな俺様に』って憤慨しながらも、

 最終的にその手を掴んだのは、加藤さん自身です」

「あら。他人事なんだ」

「はい?」

「いいえ、独り言。

 ……瑞穂クンの結婚式は、今週末だったかしら?」


島津は何やら企んだ風にニンマリ笑って、その話題を切り上げた。

――その日の夕刻。


「……それで、式は何を着ていくの?」


その接続詞は、どこから繋がっているんでしょう?

話題にしたランチから、既に五時間は経ってますけど。

実里は、そう思いつつ顔を上げる。

隣のデスクで、島津は帰り仕度をしながら、実里に問いかけていた。

部屋の奥の桜井が、こちらに視線を向けたのを感じる。


「振袖です」

「素敵。着物は華やかでいいわ。でも、お仕度が大変ね。

 常務。同じ結婚式に出席するのだから、送り迎えしてあげたら?

 振袖じゃ、大変だもの」


このお姉様は何を勝手にっ!

実里は慌てて声を上げた。


「――あのっ!

 受付をお願いされているので、集合時間も早いですし、

 二次会の幹事も引き受けていて、帰りも遅くなりますから……」


当然、会社絡みで社長も招待されているはずだ。

わざわざ、桜井と一緒の所を見せつけて、

トラブルの種を蒔くようなことは――


「あら。

 男なんて、パソコン一台持たせておけば、

 時間なんてどうとでも潰せるものよ。ねぇ?」


島津の視線は実里を通り越して、桜井に向けられている。


「もちろんだ」


桜井がそう同意して、実里の方を面白そうに眺めた。


「言われなくても、声を掛けようと思っていた」


島津はにっこり頷いて付け加えた。


「……というわけで、遠慮しないでいいのよ」


そのセリフ、あなたが口にするんですか……

口元を引き攣らせる実里に、桜井がニヤリと笑って言った。


「そうだ、遠慮するな」


 * * *


そして、実里は。

千速からぐいと押し付けるように手渡された白い薔薇のブーケと、

引き出物を手にして、桜井の前に立った。


「お待たせしました」


引き出物を実里の手から取り上げると、

桜井は、当然のように実里の手を取る。


「いや。気にするな」


ホテルのロビーを手を引かれ、ゆっくり歩きながら、

実里は桜井の横顔を見上げた。

振袖の、自分に合わせられた歩調。


――恋をするなら。


白い薔薇のブーケは、今もまだ、芳しい香りを放っている。

終始微笑み、涙ひとつ見せなかった美しい花嫁と、

その傍らに、誇らしげに立つ花婿。

お互いを得た幸福に、お互いを照らし合っているかのような。


――恋をするなら、想いを全てかけて。


「……あんなにわかりやすい瑞穂は、初めてだったな。

 嬉しそうで、得意気で」

「ようやく手に入れた花嫁ですから。

 勝どきの声を上げなかったのが不思議なくらいです」


実里はくす、と笑う。


「加藤さんも綺麗でした。内側から光が差しているみたいで」


手にしたブーケを眺めながらそう言うと、

桜井が、ぼそりと呟いた。 


「……お前も綺麗だ」

「へ?」


実里は、口を開いて桜井を見上げた。

桜井の頬が少し赤い気がするのは、気のせいではなさそうだ。

繋がれた手に、ぐ、と力が込められる。


「……その、なんだ。

 振袖は『人形度』が上がる、というか」

「……何言っちゃってるんですか」


――恋をするなら、やっぱりこの男性(ひと)とがいい。


桜井が、実里の傍らに立ち続けたことに気付いた社長の、

もの問いた気な視線など、今は忘れて。

実里は、少し大きくなった桜井の歩幅に合わせて、足を速めた。


「自分で言って、自分で照れないで下さい」

「俺はっ!照れてなど、いない」

「このくらい平気な顔で口にできないと、ラテンの路線は無理です」


――この人男性(ひと)と。

終わりの向こうの、始まりを掴みたい。






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