もちろん、デートだろう
こういう場所では、食事が供されるまでにそれほど時間がかからない。
軽くヘコむ山科と首を傾げる実里の前に、注文の品が置かれる。
『あんなこと』は一旦実里の中で棚上げされた。
鯖の味噌煮と牡蠣フライを、それぞれを半分に分け合う。
「……美味しい!」
鯖の味噌煮をひと口食べて、実里は口元を綻ばせた。
臭みがなく、しっかりと味がしみこんでいるのに身はほっくりと柔らかい。
山科は得意そうに「そうだろう」と胸を張った。
それから、揚げたての牡蠣フライもジューシーだった。
少し濃い目の味付けにご飯が進む。
美味しいものを食べると、元気が出てくる。
手に負えないように思えた問題も、
どうにかなりそうな、どうにか出来そうな気がしてくる。
そういう気持ちになる事が大事だ。
どうにか出来そうだと思えたならば、
それは、どうにか「する」ことが出来るということだ。
私は大丈夫だ。
昨日はふいを突かれて、防戦一方だったけれど、常務め。
そうそう簡単に実里様が堕ちると思うなよ。
こっちは生活がかかっているのだ。
ふん、と鼻息荒く宙を睨み付ける実里は、
視線を感じて横を向き、やけに真剣な山科の瞳にぶつかった。
口にした牡蠣フライを飲み込むと尋ねる。
「何?」
「――何か、あった?」
実里は目を瞬かせた。
この男は、人様の心の機微を読むような事には、まるっきり無関心ではなかったか?
「何で?」
「待ち合わせ場所にいたときから、エンジンがかかりきっていない感じだった。
で、鯖味噌で回転数が若干上がって、その牡蠣フライで全開になった」
「……お腹が空いていたからよ」
「ふぅん」
山科は、まるっきり信じていない顔で、
でもそれ以上追求することなく箸を動かしている。
実里はくすりと笑った。
「稔こそ、何かあった?
昔のアンタは、周囲の人間にまるっきり無関心だったし、無配慮だった」
「それを言うなら、市松だって俺に全く無関心だった。
いや、違うな。無関心ではなかった。
絶対踏み込ませない線が、俺の前にはきっちり引かれていたから」
「……気のせいよ」
稔は私が思っていたほど、鈍くなかったということだ。
「あの頃には、気付いてなかったよ」
ちらりと視線を飛ばすと、鯖味噌を頬張りながら山科が肩を竦めた。
「考えてみれば、ってこと。
仲が悪かったわけじゃないのに、市松には何故か近寄り難い雰囲気があった。
あの最後のセリフがあって、ああそうか、線を引かれていたんだって理解した」
「その、思わせぶりな『あんなこと』とか『最後のセリフ』とか、
ぼかされると気になるんですけど」
「気にしろよ。そうすれば、嫌でも俺の事考えるだろ」
「……何だそれ」
山科はニヤリと笑うと、牡蠣フライにとりかかった。
「ほら、あったかいうちに食べろよ。箸が止まってる。冷めるぞ」
実里は、おかずを口に詰め込みながら、忙しく考えていた。
この男に何を言ってしまったというのだろう?
思い出せないってことは、
ワタシ的には大して重要な意味を持つ言葉じゃなかったはず。
でも、稔がこれだけこだわるってことは、
結構本音に近いことを言ってしまったのだろう。
――酔っていたんだっけ?
うーむ。
食事が済むとせっかく浅草に来たのだから、と浅草寺に参拝することにした。
実里は、本堂の前で香炉の煙を盛大に浴びた。
「どっか悪いとこあるのか?」
「悪いとこっていうか、最近、悪い『気』を呼び寄せてる気がして。
浄化してるのよ、浄化」
笑う山科を従えて、本堂でお参りを済ませると、おみくじを引くことにした。
「……どういうこと?」
実里の手元でおみくじが風にはためいた。
――『凶』 願望 叶い難し
くくくと笑い、小吉のおみくじを見せびらかしながら山科が言った。
「ここ、『凶』の割合が多いんだってさ」
「知ってたなら止めなさいよっ!」
「いや、止める間もなく凄い意気込みで引いてただろう?
ほら。おみくじ結ぶとこにも『凶だけ結んでください』って書いてある」
「ほんとだよ……」
やっぱり、思い過ごしじゃなくて、悪いモノを呼び寄せているのかも。
常務とか常務とか常務とかっ。
凶のおみくじを結ぶ実里を眺めながら、慰めるように山科が言う。
「凶ってそれ以上悪くならないってことだから、
これから良くなるってことだろう?」
「稔は何て書いてあったの?」
「そうだな。願望は『にわかには叶い難し、待て』だってさ。
待ち人は『既に来る』――結構当たってるかもな」
「やめてよ」
実里はため息をついて、その場を後にした。
二人で仲見世のお土産屋をひやかしながら歩く。
「こっちに出てきてだいぶ経つけど、この界隈に足を踏み入れたのは初めてだなぁ」
実里が珍しそうに、きょろきょろしながら呟く。
「……デートの定番だと思うけど」
「ケンカ売ってるわけ?」
実里は人形焼を買い、稔と分け合いながら食べ歩いた。
「じゃあ、水上バスに乗ったこともない?」
「ないねぇ……」
「乗ってみる?すぐそこが発着場」
二人は隅田川を下るコースに乗り込んだ。
沢山の橋の下を潜り抜けながら、水上バスは進む。
両岸から迫るビル群。
頭上ぎりぎりに迫る橋。
実里はガラス張りの窓の外の風景をぼんやり眺める。
故郷の、穏やかな光にあふれた海を思い出す。
「おーい、市松。戻って来い」
隣に座った山科が、彷徨っていた実里の意識を呼び戻した。
「どこ行ってた」
実里は山科を振り返って、小さく微笑んだ。
「私の枷でもあり、支えでもある場所、かな」
「隣に俺を置いておいてぼんやりするとか、学生時代から市松しかいなかった」
山科が苦笑する。
「皆、アンタをもてはやしすぎてたのよ」
実里はふん、と言い放った。
「ところで、今日は食事だけのために呼び出したんじゃないんでしょ?
何か、話があったんじゃないの?」
例えば『あんなこと』とか『最後のセリフ』とかに関する。
「普通にデートのつもりだったんだけど」
「……はあぁっ!?」
「休日に男と二人で食事して、観光スポット回るのってデートだろ?」
実里は体の向きを変え、山科ににっこり笑って対峙した。
「その『男』が、どんな位置付けかにもよるのではない?」
山科も、にっこり微笑む。
「学生時代の『友人』から、一歩抜け出した『男』」
「いやいやいやいや。抜け出してませんから」
「抜け出したよ。昔の俺にだったら、市松は誘われても出てこなかった」
だろ?というように、顔を覗き込まれ、実里はぐ、と詰まった。
昨日といい、今日といい、一体何が起きているんだろう?
っていうか、学習しよう自分。
餌付けされて、その後の展開が自分の手に負えなくなるパターン。
香炉の煙ごときじゃ、浄化できないほどの悪い「気」が出ているんだろうか?
『凶』だったし……
実里は目を閉じ、眉間を人差し指でこすりながら呟く。
「ダメダメ。俺様な男共のために、美しいワタシの顔にシワを刻むなんて……」
「……『共』なわけね」
山科は聞きとがめて呟く。
「……聞こえない聞こえない」
実里の逃げに、くくく、と笑って山科は言った。
「まあ、いいや。今日が市松にとってどんな意味合いでも。
俺にとっては、まずは手始めに、ってとこだったから」
「いや、続きはないから」
日の出桟橋に着いて、船を降りる。
後半、周りの景色全く目に入りませんでしたが、何か。
日の出駅からゆりかもめに乗って、新橋まで出ることにする。
「あのさ、私が最後に言ったセリフって何?」
「教えてやらない。もう少し悩めよ」
山科は楽しそうに、一蹴した。
それから、実里を見下ろして、
「俺をこんな風に変えたんだから、責任とれよな」
と笑った。
「それは、きっと何かの間違い……」
「じゃ、ないから」
駅に着いて、改札の前で別れる。
「そんな初々しいデートいつしたっけ?」と千速にぼやいたのは大分前だ。
これは、まさしく『初々しいデート』そのものではないか。
何をやってるんだ、私は。
らしくなく、稔の呼び出しを口実に考えることから「逃げ」をうった罰か?
――今日の夕飯もしっかり「美味しい物」食べて、気分を上げていこう。
ずるずると澱む前に。
「市松っ!」
呼び止められて、振り向いた。
「電話番号登録しておけよ。
それから、番号確認してから電話に出ろよ。不用心だろ」
――全くだ。