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獣耳娘の初恋語  作者: からくりモルモット
第3章 魔族の理
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6 僕はスグリを愛しています

 入ってきたのは、一人の老人。年は、六十代後半だろうか。ゆったりとした上質なガウンを羽織っている。ペパーミントと同じ漆黒の瞳に映る眼光は未だ衰えを見せず、逆にますます鋭さを増している。

 老人は部屋に佇むペパーミントを確認すると、眉間のしわを更に深く刻ませた。

「今日の仕事は全て終わったのだろうな」

 重圧感が溢れる声が、ペパーミントの表情を曇らせる。

「いえ、その……、まだ少し残って──」

「何をしている!」

 雷のような怒鳴り声が部屋中に響き渡る。実際、窓がビリビリと震えた。

「朝から仕事を始めていて、まだ残っているだと? ならば何故、こんな所で呆けているのだ!」

 容赦なく責め立てられ、ペパーミントは思わず顔を背けてしまう。老人はそれを見逃さなかった。

 大股でペパーミントの眼前まで近寄り、節くれだった手で彼の顎を掴んで無理やり自分の方に向けさせる。

 自分よりも頭一つ分も背が低いこの老人に、ペパーミントは恐怖を覚える。

「何故、目を逸らした? 何故だ」

「すみ、ません、父さん」

 謝罪の言葉を聞いても、老人──ジンジャーミントの怒りは収まらない。むしろ、更に苛烈なものへと変化したらしい。

「すぐに頭を下げるな! お前は誇り高いサイプレスの血を引く者だぞ」

 ペパーミントは、何も言えない。父の怒りに対する恐怖もある。だが、それだけではない。

「言いたいことが有るのなら、はっきりと言わんか。ペパーミント・サイプレス!」

 その怒号にペパーミントの目が見開く。同時に身体が小刻みに震えただす。

 ペパーミント・サイプレス。

 その名が彼を支配しようとする。彼を縛り付ける呪文だ。いつもはこれでペパーミントの意思は封じ込まれる。

 口を閉ざすペパーミントを、ジンジャーミントは忌々しげにため息を吐く。

「女にうつつを抜かす暇があるのなら、一つでも手を動かせ。お前にはその義務があるんだからな」

 ジンジャーミントは手を下すと、隅に控えていたヨモギへと視線を向ける。

「ヨモギ。お前が付いていながら何だこの様は」

「申し訳ありません」

 威圧感に怯むことなく、ヨモギは頭を下げる。

「ですが、ペパーミント様は少々お疲れの様子。ほんの少しの休息を取られた方が、仕事に携わりが出ないと思いまして」

 主を庇う少年の姿に、関心したようにジンジャーミントは呟く。

「──オレガノの教育は、正しいようだな。姉弟共に自身のすべきことをきちんと理解している」

 どこか含みのある言い回しだった。

「……どういうことでしょうか」

 ヨモギの問いかけを、ジンジャーミントは鼻で笑った。

「聞きわけが良かったということだ、あの娘は。……ペパーミント!」

 名を呼ばれ、ペパーミントはビクリと体を震わせた。冷や汗を流すその姿を、ジンジャーミントは睨んだ。

「三月以内に領主としての自覚を持て。半年以内には、お前に家督を譲る」

 ずいぶんと急な話だ。驚くペパーミントを無視して、ジンジャーミントは話を続ける。

「半年後にお前の挙式を挙げる。相手は魔王陛下のご息女、タイム様だ」

 ジンジャーミントの発言に、ペパーミントは息を飲んだ。

 結婚? 自分が? しかも、相手は魔王陛下の……?

 それらの情報が一つに合わさり、やがて不穏な想像が彼の頭に浮かんだ。

「父さん、もしかしてスグリに……」

 息子の問いかけに、父はフンッと鼻から息を吐いた。

「あぁ、そうだ。存在が邪魔だと、あの小娘に伝えた」

 吐き捨てるような、その言葉。

 一瞬でペパーミントの頭に血が昇る。父に詰め寄り、声を荒げた。

「どうしてそのような真似をしたのですか!」

 初めて父目掛けてを怒鳴った。普段の彼なら想像できないことだ。凄まじい形相をしていたのだろう、傍らのヨモギが暴走する主を宥めることすら忘れて、目を見開いていた。

 しかし、ジンジャーミントはそんなペパーミイントの反抗を歯牙にもかけていない様子だ。逆に、激怒する息子を冷たい目で見つめる。

「あんな小娘にたぶらかせおって。お前は立場を分かっているのか?」

「僕はスグリを愛しています。伴侶とする相手も彼女と決めています!」

 怒りはペパーミントの心の内をも曝け出す。

「勝手なことをしないでください!」

「くだらん」

 ジンジャーミントは一蹴する。

「お前がどう言おうが、これはもう昔から決まっていたことだ。前魔王陛下との約束なのだ」

 この婚約話は、過去のジンジャーミントの働きを認めた前魔王が彼に与えた報酬だという。ジンジャーミントの子に、魔王家に連なる血筋の者を与えると。

 ペパーミントの誕生よりも昔の話だ。

「分かっているだろう。これは名誉あることなのだ」

 魔力が弱まっているサイプレス家にとって、高魔力の者がその血族に連なる。願ってもない話だ。

「ペパーミント。お前は確かに母に似て、儂よりもはるかに強い魔力を持っている。だが、それだけでは足りんのだ」

 魔王の娘と交じり、さらに高い魔力を持つ者を。かつての栄光を取り戻すために。

 シンジャーミントはそう言った。

「確かにオレガノの娘は剣の腕が立つ。気立ても良い。だが、それだけだ」

 一族に加えるのには、圧倒的に魔力が無い。

「そんなことで、スグリを……彼女をここから追い出したのですか?」

 呆然とした口調でも嘆くように、ペパーミントは父に問う。

 そんなことで、彼女の心を傷つけたのですか?

 父はそれを聞き、烈火の如く怒り出す。

「『そんなこと』だと? お前には分からないのか!」

 魔力を持たぬ者は、この魔界では弱者だ。力無きものは淘汰され、新たな強者が権力を持つ。

 そして、サイプレスの一族は弱者になりかけていた。ジンジャーミントの働きで、多少は持ち直したとはいえ、それはほんのわずかなものだ。油断をすれば、あっという間に転がり落ちていくだろう。

 魔王家の力を取りこめさえすれば、また強者に戻れる。父はそう信じているようだった。

 だが、その未来に個人の意思はない。

「父さん、僕は──」

「何を言おうが、無駄だ。この婚約は契約されているものだ。前魔王陛下によって成されたもの」

 契約とは、呪術だ。魔法によって強制された約束事だ。

 たとえペパーミントが拒んでも、破棄することは出来ない。前魔王陛下亡き後でそれが出来るのは、現魔王陛下ただ一人くらいだろう。

「式までに気持ちの整理をしておくように」

 その間に心変わりするだろう。まるでそう断言するかのようにジンジャーミントはそう言う。

 返事の出来ないペパーミントを残し、彼は部屋から出て言った。

「ペパーミント様、その」

 ヨモギがおずおずと話しかけてきた。今の話は彼にとっても酷なものだろう。最愛の姉が出奔した原因は、自分の主だったから。

 そう思うと耐えきれず、ペパーミントは頭を下げた。

「すまない、ヨモギ」

「頭を上げてください。貴方が悪いわけでは、無いのですから」

 冷静なヨモギも、さすがに同様しているようだ。喋りにうろたえが見える。その姿が、痛々しい。

「何か冷たい物を持ってきましょう。そうすればきっと、落ち着かれますから」

「……あぁ、頼むよ」

 一礼をすると、ヨモギは退室して行った。

 彼の気遣いが有難かった。同時に、年下の従者に気を遣わせたことをペパーミントは申し訳なく思う。

「スグリ……」

 サイプレス家のことを考えるのならば、父の言う通りに従うことが正しいのだろう。だが、ペパーミントはどうしても納得出来なかった。

 スグリは、ペパーミントが初めて自分で手に入れた大切な人だ。自分の意思で、彼女と共に幸福になろうと思ったのだ。

 半年という短い期間で彼女の事を忘れられるのなら、とっくに忘れている。

「忘れられるわけないじゃないか!」

 ペパーミントは叫ぶ。

 がんじがらめになった鎖を、どう解くのか分からない。

 それが苦しくて、悔しくて彼はその場で項垂れた。


   * * *


 魔界の第一王女、タイム・シトロネア。

 ヨモギはそれを頭の中で何度も繰り返す。

 噂で聞いた、魔王様の最愛の娘。魔王様の子でありながら、母や兄弟と共に人間界で暮らす娘。

 この娘の為ならば、魔王様はどんな悪政だって実行するだろう、と。そんな笑い話がまことしやかに囁かれている。

「そいつの、せいで」

 姉は追い出され、主は追い詰められ、共に苦しんでいる。

 愛娘の嫁入りに口を出さないとなると、王女自身の思惟もいくぶんか存在するのだろう。この婚姻に乗り気なのかもしれない。

 ヨモギの脳裏に浮かぶ王女像は、ひどくわがままな姿だ。何もかもが思いのまま。望めばどんな願いも叶えてもらえる。

 恐らく彼女もジンジャーミントと同じ思考なのだろう。血族の魔力を強固するためならば、個人の意思なぞ考慮しない。

 きっとそうに決まっている。

「許さない」

 ヨモギの黒い感情の矛先は、王女一人に向けられた。

 少年の心に初めて生まれた、暗く醜くモノ。

 それは、憎しみの心。


     【続】

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