4 断る!
母子全員が黙っていると、フキが口を開く。
「お相手はサイプレス家の次期当主、ペパーミント殿です」
「誰だよ、ソイツ」
マロウが反射的に口に出す。フキがジロリとこちらを見ると、慌ててマロウは首を引っ込めた。
「ペパーミント殿は御年十七。まだ若輩ですが、技量は良い方です。魔王家の血族に招き入れる相手としては、妥当といったところでしょう」
話についていけない子供達を無視して、フキは言葉を続ける。
「すぐに、騎士団『銀の剣』の者達が護衛に来ます」
騎士団が来る。これで子供たちもようやく事態がとんでもないことに気付く。
これは冗談でも悪ふざけでも無い。
魔王直属の騎士団『銀の剣』。現在では形だけに成りつつある、人間界の騎士団とは全く違う。現役の最高峰の騎士団だ。
彼らを動かせるのは、魔界の最高権力者である魔王陛下のみ。
つまり。
「アイツの指示……なのか?」
「その通りです。私は一足先に、貴女方に報告に参ったのです」
フキの言葉を聞いても、母子は信じられなかった。
あの親馬鹿が、溺愛する愛娘との結婚話を進めているというのだ!
セリの口がパクパクと空回りする。何度も呼吸をし、ようやく喋れるようになる。
「タイムはまだ十二になったばかりじゃないか!」
「お言葉ですが、セリ様。そのくらいの年齢で嫁ぐのは、人間界でも多々あるとお聞きしましたが?」
フキの言う通りだ。一部の家庭ではまだ十五の成人の祝いを済ませる前に、親の決めた相手と結婚をするという事例は有る。
しかし、それは貴族や王族といった上流階級のみだ。
産まれてからずっと森の中で過ごしていたタイムにとって、別世界のものと考えていた。兄弟も同じらしく、困ったような顔をしていた。
「ご存知無かったのですか? この話はタイム姫がお生まれになる前から、決まっておいでですよ。それこそ、貴女と陛下が出逢う前から」
今度こそ、全員は呆気に取られる。しかし、母子の心の機敏などフキは全く無視を決め込んでいるようだ。低い声で淡々と続ける。
「王子様方、姫様は今日より魔界で暮らしていただく事になります。無論セリ様、貴女もです」
「断る!」
声を荒げてセリが怒鳴る。
「勝手に決めるな! 私やこの子達は人間界で暮らす事は、最初からフェルと約束してある!」
「そうですね。魔王様の妾として当然の配慮でした」
「妾……っ!」
ついに怒りが爆発したセリが、自分の体躯よりも大きなフキに掴み掛かる。
「母さん!」
アロエがセリの服を掴み、止めようとする。
フキの方は、大して気にも留めず、あっさりとセリに胸倉を掴まれる。しかし、動じることなく涼しい表情のままだ。
「乱暴は、お止めください」
「アンタは魔界に帰って、フェルを呼べ」
「断ります」
「いいから呼べ!」
「私は貴女に仕えている訳では有りません。故に貴女の命令は聞けません」
怒りのあまりにセリが言葉に詰まると、フキが口の端を上げる。
「ともあれ、セリ様。貴女方一家は、一度魔界に来て頂きます」
「嫌だね」
拒絶を無視してフキは尚続ける。
「タイム様のお輿入れに先駆け、貴女の王妃就任の儀も行われます」
「どういうことだ?」
「貴女も正式にシトロネア家の一員として認められます。これからは、魔王陛下の后としての自覚をお持ちになりなさい」
フキの言葉が終わると共に、周囲を赤の突風が包み込んだ。
砂煙が収まると、そこには数十匹の魔獣が立っていた。熊のようなモノ、山羊のようなモノ、馬のようなモノ……さまざまな獣たちが母子を取り囲む。
そのうちの一匹──狐に似た紅蓮の毛を持つ魔獣が一歩前に進んだ。その獣が一声鳴くと、彼の全身が炎で包まれた。
炎が消えると、魔獣が消えてバームがいた。
タイムは、いつかバームが言っていた言葉を思い出した。魔族は基本人型だが、さまざまな形態を持つ種族でもある。その一つが、獣姿になる者たちだ。
「お前のその耳は、きっと俺と同じで魔獣の血が強く出たんだろう」
そう言って彼は垂れ目を細めて笑った。
そのバームの親しみやすい雰囲気は、今は全く感じられない。
着ている物だってそうだ。いつものような砕けた格好では無い。装飾の少ない黒地の物々しい衣装を着こんでいる。普段は露出している二の腕も、すっぽりと覆われている。
唯一飾り付けられているガルバナム家の紋章を映した橙のブルーチが、彼の胸元で鈍い光を放つ。
一度だけ彼から見せてもらった騎士団の制服だ。
張り詰めた厳しい顔つきのまま、バームはタイム達の前でひざまずく。
「お迎えに参りました」
いつもの態度からは想像も出来ない、恭しい様子でバームは言った。
「急な事で申し訳有りません。王宮までの護衛は我々が行わせていただきます」
「フェルは、アイツは……本気で……」
言葉に詰まるセリの顔を、バームが見上げた。
バームの紅蓮の瞳。セリの漆黒の瞳。
静かな、重い沈黙。
言葉ではなく、彼はその瞳で語っているようだった。
やがて、セリの体から力抜けたように感じた。恐らく彼女は、理解してしまったのだろう。
口を開けば、無駄話しかしないバーム。その彼が、あえて何も語らない。
目の前にいる彼は、自分と夫の共通の友人のバームではない。魔王陛下の忠実な下僕、レモン・バーム・ガルバナムだということに。
「バーム、どうしてだよ!」
マロウが声を張り上げる。幼い彼は、まだ納得がいかない様子だ。
「何で、いつもと違うんだよ! いつものバームらしくねぇよ!」
怒りと混乱からか、マロウの口調は荒い。
「どうせ、父さんのわがままなんだろ? 俺らを魔界に連れて行きたがってたし……」
実際に、先日父が家を訪問した際、何度も何度も魔界で共に暮らすことを勧めた。母子はそれを拒否した。今の生活で満足していたからだ。
家族と離れて暮らす父の気持ちも、少し分かる。だが、それとこれとは話が別だ。なにぶん、全てが急すぎる。
「何で止めないんだよ! 誰も! バームだって、いつもは父さんのわがままは無視するじゃないか! 何で今日は、今日に限って素直に聞いてるんだよ!」
勝気なマロウが、流れる涙を隠さずに叫ぶ。
バームはそれを見ても、何も言わない。表情一つ変えない。
ああ、この人は本当に魔王の部下なんだ、とタイムは思う。
彼は決して、絶対なる魔王陛下を裏切らない。
ふざけてばかりいるけど、いざという時は決して情に流されず、冷静にフェンネルの命令に従う。
バームのこんな一面を、タイムは知りたくはなかった。悔しく、思う。
「何で黙ってんだよ、バーム!」
「マロウ王子、お戯れはそこまでにして頂きたい」
バームの服に掴みかかって泣くマロウを、フキが止めに入る。
きっ、とマロウはフキを睨み付ける。憎い敵を見るような目で。
「お前には聞いてねぇよ、フキ!」
「落ち着いててください。ここでガルバナム殿を問い詰めている無駄な時間は有りませんよ」
「じゃあどうしろってんだよ!?」
「──魔界へ行こう」
予想外の人物からの発言に、マロウは目を見開く。
「フキさんの言うとおり、ここでバームに聞いても、きっとバームは何も言ってくれないよ。それだったら、魔界に行って、直接父さんに事情を聞いた方が早いと……思うんだ、僕は」
自分一人に視線が集中されたせいで、アロエの声の後半部分は極端に小さくなる。言うだけ言うと、気弱な弟は再び母の背中に隠れる。
「その通りです、アロエ王子。分かりましたか? マロウ王子」
嫌味のように、フキは言う。
マロウは返事をするのを拒否し、そっぽを向く。完全にフキに敵意を抱いたらしい。
「では、セリ様もタイム姫も宜しいでしょうか?」
「……う」
タイムの口から、声にならない音が出る。
何を言えばいいのだろう。
確かに、アロエの言う通りに魔界へ行った方が父の考えが分かるだろう。
だけど。
確かめたくない。聞きたくない。
父の声で、自分の結婚話が本当の事だと聞きたくない。
だけど。それでも。
タイムはゆっくり頷いた。きっと今、声を出したら逃げたくなると思ったからだ。
まだ、涙は流したくない。
「セリ様。姫様方は分かって下さったようです」
「あぁ、……分かったよ」
強く、下唇を噛む。
そして、あくまでも冷静を装った声色でセリは言う。
「行くよ、魔界へ」
【続】