3 何で、アンタがここにいるんだ?
細く長く伸びた木の枝が、少女の柔らかな白銀の髪を捉える。
少女は枝から髪を解放させようとするが、なかなか上手くいかない。それどころか、余計に複雑に絡み合ってしまう。
「あぁ、もうっ」
「何だよ、タイム。またかよ」
先頭を進んでいたマロウが、振り向いて言う。少々、うんざりしたかのような声だ。
「だって、勝手に絡まってくんだもん」
タイムの髪をきつく結っていたはずの三つ編みが、少しほどけてしまっている。出かける前はあれほど綺麗に整っていたのに、今では無残な状態だ。
「タイムは、猫毛、だもんね……」
後ろから青い顔をしたアロエが、ヨロヨロとやって来る。息も乱れがちだ。手にした木苺の入ったバスケットを、まるで重石のように重々しく運んでいる。
「アロエ、もうちょっと体力つけろよ」
マロウのその声を聞くと、アロエはその場に座り込む。
「けっこう……体力、ついたん……だけどな……。はぁー」
次から次に溢れ出す汗を、アロエは首にかけてあったタオルで拭う。だが、その内に拭うのが面倒になったのか、拭うのを止め、顔を下に向き肩で息をする。
その様子をじっと見ていたマロウが、イライラした口調で言う。
「これぐらいの距離でへばるなよ」
その言葉にアロエではなく、タイムが反論する。
「マロウは羽根を使って飛んでるじゃんか。それじゃあ、疲れるわけないでしょ。ずるっこしてるクセに」
「あーのーなー。低く、しかもゆっくり飛ぶのはな、すっげぇ疲れるんだぞ。お前らがトロトロ歩いてるから、俺もうヘロヘロ」
喋っている内容のわりには、結構余裕そうな口ぶりで、マロウは反論する。
「だったら、歩けばいいじゃん!」
「やだ。その方が疲れる」
キッパリと、マロウが即答した。
タイムの手が、怒りで震え始める。マロウはといえば、そんなタイムの様子をおもしろそうに観察している。例の、意地の悪い顔で。
「二人とも、止めようよぉ……」
このまま傍観していたら、また二人がケンカを始めそうだ。そう判断したのだろう、ゆるゆるとアロエは立ち上がる。
「ね、もう行こうよ。僕、もう大丈夫だから。それにだいぶ遅くなったから、お母さんがきっと心配してるよ」
「怒ってるの間違いなんじゃない?」
マロウとタイムが同時に発言する。
反論の言葉が見つからなかったのか、アロエは黙ってしまった。
「貸して、アロエ。私がそっちの分も持つよ」
どう言うと、タイムはアロエのバスケットを手にする。アロエは逡巡するような表情を見せたが、やがて素直に頷いた。
「ごめん、タイム」
「気にしないで」
両手にそれぞれ木苺入りのバスケットを持ち、タイムは歩きだす。踏みならされていない獣道だが、彼女は難なく進んでゆく。
「さすが体力バカ」
「うるっさい!」
からかいの言葉を言い放つマロウに向かって、タイムは突進する。マロウはすぐさま背中の羽根を羽ばたかせ、草木生い茂る森の中を飛んでゆく。
「待ってよ、二人とも」
ふらつきながらアロエは兄姉の後を追う。
* * *
そんなこんなで森を抜け、家の近くに着いた時には、タイムの三つ編みはすっかりほどけていた。
「髪、切っちゃえば? そんなんなるんだったら」
マロウがタイムの頭をまじまじと見ながら、提案する。
「絶対にイヤ」
キッパリと、タイムはその提案を却下する。
その返答に、マロウは不思議なモノを見たような顔になる。
「お前の性格的には、短い方がいいんじゃないの? 朝、いちいち結んだりしなくていいしさ」
実際、朝の風景でタイムが髪を上手く結えず、一人で地団駄を踏んでいる場面が多々ある。
「でも、嫌なの。私は長い方がいいの!」
強く、タイムは言い切る。
「あっそう」
珍しくマロウがつっかかる事がなく、この話題は終了した。
いや、他に関心事が向いたと言った方が正しいのかもしれない。
三つ子の視線は、自分達の家の前に立つ男性に注がれている。
深い闇色の髪に褐色の肌。するどい紫色の瞳。その右目は視力を補うため、片眼鏡がかけられている。白と黒で統一された服が、彼の鋭さをより際立てている。
魔界王付魔術部隊『銀の盾』の隊長であり、筆頭魔術師でもある、フキ・クランベリーだ。
例の、『不機嫌のフキ殿』だ。
彼は魔王家に代々仕えるクランベリー家の当主で、極度の人種主義者という事で有名だ。要するに、魔界以外の二世界の人々を嫌っている。
自分の仕える主の子供らにですら、露骨に偏見の目を向けている。ましてや、その子供達の母親である人間のセリには、かなり差別的な発言をする事も少なくは無い。
そのフキが人間界──しかも自分達の家に前にいるのだ。
「何で、フキさんがこんな所にいるんだ?」
「知らねぇよ。あの人、俺らの事嫌ってるくせに」
「うーん……。バームが急な用事で来れないから、その代わりなのかな」
三つ子のささやきが聞こえたのか、フキがこちらをじろりと見る。眉間はいつもより更に険しく、視線は絶対零度の冷たさ。
そんな視線を浴び、真冬のような寒さを三つ子らは感じた。
「私に何か? 王子様方と姫様」
ゆっくりと、フキは三つ子に近づく。彼が一歩ずつ近づくごとに、まるで気温が下がったかのような錯覚に陥る。
まだ幼い子供達にとって、彼は古の間獣よりも恐ろしく見えた。
あと一歩、という所までフキが近づいた時、アロエがついに堪えきれなくなった。涙が両目から、ポロポロと落ち始めていた。
「何を泣く事があるのです? アロエ王子」
それが、とどめだった。
「う……うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁん!!」
アロエの絶叫に近い泣き声が、森中に響き渡る。
「ア、アロエ。大丈夫、大丈夫だからっ」
「おいおい、泣くなよ」
アロエをなだめる二人の目にも、涙が浮かんでいる。
「どうしたんだ!」
家の扉が思い切りよく開き、中からセリが出てくる。片手にお玉を持っている所を見ると、慌てて台所から飛び出して来たらしい。
セリは三つ子の前に立っているフキに気付くと、あからさまに動揺の色が顔に浮かぶ。
「何で、アンタがここにいるんだ?」
驚きつつも、セリは素早く三つ子とフキの間に割り込む。フキの絶対零度の視線から、我が子を守る為だ。子供たちはすぐさま母にすがりついた。
フキの方はというと、やっかいそうな顔でアロエを見つめていた。やがてため息をこぼして、セリに視線を向ける。
「少々甘やかし過ぎではないでしょうか? 十二にもなってこのような様では」
「で、何か用? まさかわざわざイヤミを言うために来たわけじゃないでしょ、バームじゃあるまいし」
セリは強い眼光を湛えながらフキを睨み付ける。
「フェル──魔王陛下の個人的な伝令だったら、ガルバナム殿に任されているはずですが」
セリの目付きにも、眉一つ動かさずにフキは答える。
「ええ、『個人的な伝令』でしたらね」
「どういう意味?」
含みの有る言い回しに、セリが問う。
フキは笑う。失笑だ。冷たい、下等な者を嘲笑うかのような。
母の体が震えていることにタイムは気付いた。背中に、じわりと嫌な汗が流れる。
「そういう、下らない用件では、私はこんな場には来ませんよ。お解りでしょう、セリ様」
嫌味がたっぷり混じったフキの言葉。その中には、はっきりと侮蔑の感情がとって見える。
「貴女の仰るようにガルバナム殿が来ても良かったのですが、彼は支度に時間がかかりましてね。だから、私が先に来たのです」
支度? 先に?
話の意図が見えない。タイムは精一杯頭を働かすが、何も分からない。それがさらに不安を煽る。
「だから、用件は何? そこまで言うくらいなら、さぞかし大事な大事なお話なんでしょう?」
セリの問いかけに、フキは淡々と告げる。
「魔王陛下フェンネル・シトロネアが長女、タイム姫の婚礼の儀を半年後に執り行われます」
「なっ……」
その、あまりに唐突な内容にセリは言葉を失い、マロウとアロエは思わず同時にタイムを見る。当のタイムは、何を言われたか理解出来ない程の衝撃を受けた。
婚礼って……、結婚って意味、だよね。
誰が? 私?
え?
「えぇぇぇぇぇぇ!」
理解すると同時に、驚きの声が口から飛び出す。
何で何で何で!?
混乱してしまい、頭の中がぐちゃぐちゃにかき回される。
何かの悪い冗談では無いのか?
【続】




