25 人が多いからだからな
「話はまとまったかえ?」
老婆が戻って来た。左手には小さな布袋を持って。
「はら、これが代金さね」
布袋をタイムに差し出す。
タイムは受け取って中身を確認する。そこに入っていた貨幣は思ったよりも少なかった。具体的には、オレガノから受け取った給金にホンの少し水増しした程度だ。
「これだけ?」
不満気に言うタイムに、老婆は説明する。
「物が良過ぎるんだよ。あんなお貴族の子供しか着れない服は相応の値段を付けたところで売れりゃしないからねぇ。買い叩かせてもらったよ」
「そう、なんだ……」
これではとてもヨモギに返す分には足りない。落ち込むタイムに、老婆は冷たく言い放つ。
「悪いね、坊っちゃん。こっちも商売なんだよ」
ゴネればもっと金額は釣り上ったかもしれない。しかし、そんな選択肢はタイムの頭の中には無い。
素直に受け入れざるしかないのだ。これが、商売なのだと無理やり納得させて。
「ありがとう……」
「まいどあり。……で、アンタは何が入り用かい?」
老婆の興味はリーベスに移っていた。
「あぁ、ちょっと服を何点か欲しいのだが」
リーベスはちらちらとタイムに視線を送っていた。どうやら心配している様子だ。
それに気付き、タイムは無理やり笑って見せる。
「大丈夫! ボク、そろそろ帰るね」
「え、でも道に迷わないか?」
「通り道一本じゃないか。迷う方がおかしいだろ、アンタ」
呆れ顔の老婆に、つい先ほどの出来事は伏せておこうとタイムは心に誓う。
気恥ずかしさから頬を熱くしながら、タイムは言う。
「一緒に来た子と広場ではぐれちゃったから、きっと今頃怒ってると思うし」
「なッ! どうしてそれを先に言わない。きみを心配してるに決まっているだろう」
声を荒げるリーベスにタイムは思わず肩をすくねる。
「ご、ごめん。すぐに古着屋によって帰ればいいかなって思ってさ……」
「謝るのなら、私ではなくその子に言うんだな。全く。行こう。一緒にその子を探してあげるから」
「いいよ、大丈夫だって。リーベスはまだ買い物終わってないんでしょう?」
さすがにこれ以上、リーベスに甘えるのは気後れする。今回は固辞させてもらおうと、タイムは頑として首を縦に振らない。
「それに、広場までなら帰れるよ。だから心配しないで」
「そうそう。アンタはこの子の母親かってんだ」
有難いことに老婆もタイムに加勢してくれた。まぁ、老婆の思惑は客を逃すものかという商売人としての私情の可能性もあるのだが。
さすがに二人に止められたことが功があったのか、最終的にリーベスが折れた。
「迷ったらすぐに戻って来るんだよ。いくらきみが男の子でも、気軽に冒険に出るにはまだ早すぎるんだからな」
最後までリーベスはタイムの身を案じていた。
それに頷き、タイムは外に出ようとしてあることに気付いた。くるりと振りかえり、リーベスらに問う。
「あの、何でボクがすぐ男の子だって気付けたの?」
正しくはタイムは女なのだから、女の子だと勘違いされるのは分かる。何より、タイムの顔立ちだけ見れば、造作が整った美少女なのだから。だからこそ、裏路地の男たちは一目でタイムを女だと思い込んだ。
なのに、目の前にいる二人はすぐさまタイムを男だと判断した。
タイムの問いに答えたのは老婆であった。
「坊っちゃんの来ているシャツ。サイプレス邸で支給されているものだろう? あそこはボタンが男女によって違うんだ」
女なら赤いボタン。男なら青のボタン。老若問わずに昔からそれで固定されている。
「だから、すぐに分かったんだよ、ワシはね」
老婆の返答に納得がいって、今度こそタイムは店を出た。
* * *
今度は道に迷うことは無かった。何故なら、店を出て十歩ほど歩いたところでヨモギと合流出来たのだから。
「どこ行ってたんだよ!」
これまでにないほどの剣幕でヨモギはまくし立てた。弁解する余地も与えないほど、彼は矢継ぎ早にタイムを責める。
「確かにあんな荷馬車が突っ込んでくるとは思わなかったさ。だけどな、はぐれたのなら、何でその場でじっとしていないんだよ! 僕はてっきりお前が誰かに連れ去られたと思って心ぱ──」
そこまで言ってヨモギは黙り込む。中途半端なところで途切れた言葉に、タイムは首を傾げる。
「しんぱ?」
ひょっとして、彼はタイムのことを心配してくれたのだろうか。
よくよく見てみれば、ヨモギの髪は汗で額に張り付いていた。頬は上気させ、息遣いも荒い。
視線を足元へと移せば、彼の靴は泥まみれになっていた。今朝まで、そんな汚れなど無かったのに。
何か胸に込み上げてくるものがあって、タイムは思わず彼の口にした。
「ヨモギ……」
「う、うるさい! ほら、お前行きたい店があるんだろ! 早く行かないと閉まっちまうだろうが!」
怒鳴り散らすヨモギの声は完全に上擦っていた。ヨモギの頬が全力疾走によるものとは違うもので赤みが増していることにタイムは気付く。
そういえば初めてサイプレス邸に迷い込んだ時も、ヨモギはタイムのことを心配してくれていた。
──そうだ。いつだってヨモギは私のことを気にしてくれていたんだ。
そのことに気付くと、今までの彼の言動が違って見えた。意地悪からくるのものではなく、彼女の身を案じている言動だということに。
思わず笑ってしまうと、ヨモギはますます顔を赤らめる。
「な、何だよ! お前本当に反省してるのか?」
表情は怒ってはいるが、その声音に照れがあった。ようやくタイムは彼の真意に見抜けた。
「うん、本当にごめんね。ヨモギ」
素直に頭を下げる。
「勝手に移動してごめんなさい。もうこんなことしないから」
「な、あ、わ、分かればいいんだ……」
いつも通りに反発してくると思っていたのだろう。タイムの態度に、ヨモギはあからさまに困惑していた。
そんなヨモギに向かって、タイムは微笑みかけた。
「あのさ、私が行きたい店なんだけどさ」
やりたかったことはもう済ましてある。でも、今、別に行きたいところが出来た。
「おいしいお菓子のお店に行きたい」
ダメかな? と小首を傾げれば、ヨモギは顔をそっぽ向けた。
「……分かった。ついて来い。絶対に離れるなよ」
「じゃあ、手を繋ごうよ。人が多いし。──はい」
そう言ってタイムは右手を差し出す。ヨモギからは差し出してこない。
──あれ? ひょっとして本当に怒っていたのかな……。
恐る恐るとタイムがヨモギの顔を見れば、彼はもう火でも出そうなぐらいに赤くなっていた。顔から流れる汗もまた、滝のように絶えず溢れかえっている。
「ヨモギ、ひょっとして熱でもあるの?」
心配するタイムの右手を、ヨモギが掴んだ。
「……………………人が多いからだからな」
「う、うん」
「またはぐれないためだからな! 分かったな!」
念を押すように強くヨモギは言う。タイム勢いに呑まれてとりあえず頷く。
「分かったら、いい。行くぞ」
そう言って、ヨモギは歩きだした。タイムもそれに続く。ヨモギの歩む速度は、何故か普段のものよりも速いものだった。
とりあえず彼は自分のことを本当に嫌っているわけではなさそうだ。タイムはそれを悟り、嬉しく思う。
友達と一緒に手を繋いで歩く。
それがこんなにも楽しいものだとは思わなかった。
二人は知らない。先ほどのやり取りの一部始終を一部の通行人らが微笑ましいものを見るような目で見守っていたことを。
【続】




