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獣耳娘の初恋語  作者: からくりモルモット
第10章 剣士
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24 きみを信じるよ

 呆けたままのタイムに、剣士が近づいてきた。

「大丈夫か?」

 剣士は膝を折り、タイムに目線を合わせる。

「……だい、じょうぶ」

 ようやく出せた声はかすれていた。同時に張り付いたままだった涙がこぼれ落ちた。一度堰を切れば、後はもう次から次へと流れ落ちる。

 そんなタイムの手を、剣士はそっと握る。

「大丈夫。もう怖い奴らは追い払ったから」

「ひっう……で、でも、また……」

 彼らは報復にやってくるのではないのか? そう思ったタイムの考えを読みとったのか、剣士が答えた。

「私の方が強いから大丈夫だ。そこまでの気概を持つような奴ならば最初からこちらに手出しはしないさ」

 強い者に従う。それが魔界の掟。

 彼らも魔界の者であるのならば、そのことを骨身染みているはずだ。

 多人数で闇打ちにくることも無いだろう。現に複数の攻撃を、剣士はあっさりといなしたのだから。

 剣士はタイムが落ち着くまで手を握っていてくれた。繋いだ手のぬくもりが、徐々にタイムに平静さを取り戻してくれる。

「あの、ありがとう。助けてくれて……」

 涙は完全に引いたが、泣き過ぎて喉が痛む。からからとした声に、剣士は薄く笑う。腰元のパックバックから縦長の水筒を取り出し、タイムに手渡す。

「飲みなさい。大丈夫。私がまだ口を付けていないから」

「でも……」

「子供が遠慮することはない。もし気兼ねるのならば、きみが大人になった時に同じことを別の誰かにすればいい」

 そう言って、剣士は水筒の口を開く。恐る恐るタイムはそれを受け取り、一口だけ含む。

 水は冷えてはいなかったが、火照ったタイムの体を冷ますには充分であった。熱くなった咥内に水が流れ込む。彼女の精神はともあれ、体は水分を求めていたらしい。気付けば、水筒の中は空になっていた。

 飲み干してしまったことに罪悪感が芽生える。タイムが謝罪の言葉を述べる前に、剣士が口を開いた。

「気にするな。泣いている子供を見捨てておくことなど、私には出来ないからな」

 そこまで言われると、謝る方が失礼な気がしてくる。少しだけ考えて、タイムはもう一度礼を言った。

「ありがとう」

 喉が潤ったおかげで、声が普段のものになっていた。

「どういたしまして。それよりも一体きみみたいな子供がどうしてこの通りを歩いていたんだ?」

「服を、古着屋さんに売ろうと思って」

 手提げ鞄を剣士の前に掲げる。鞄の隙間から覗く布地に、剣士は得心がいった様相を見せた。

「なるほど。きみは道を間違えたんだな」

「え? ここって服飾通りじゃ……」

「ここは酒煙通り。子供が通る道じゃない」

 ──なんだと?

 自分は確かに看板を見て進んでいたはず。そう主張しようとしたが、タイムは口をつぐんだ。

 今の状況でそれを言っても説得力など無いからだ。これではヨモギが自分を馬鹿にしていたことを否定できない。

 どうして自分はいつもこうなのか。情けない気持ちが胸に込みあがってくる。周囲の薄暗さが、今のタイムの心境によく似合う。

 剣士はそんなタイムに優しく話しかける。

「古着屋まで案内してあげよう。ここから裏道を使えばすぐだから」

「いいの?」

 すでに色々と助けてもらっているのに、さらに頼ってしまうのは悪い気がした。

「構わないさ。乗りかかった船だ。それに、私も服をいくつかみつくろうとしていたところだったからさ」

 後半はどう見ても、タイムに対する気遣いにしか思えなかった。

 結局タイムは剣士の好意に甘えることにした。先ほどのように絡まれたりしたくはない。

「でも、きみみたいな顔した子供が出歩くのは良くない。いくら男の子とは言え、ここ数日は不逞な輩がうろつくからね」

 一応は自警団がいるのだが、彼らの手でも有り余っている現状だ。

「この街で嫌な思いをさせる者を一人でもいさせたくないんだ」

 剣士はよほどこの街を愛しているのだろう。語る言葉がそう感じ取れるほどに熱心なものであった。

「だから、すまない。私が謝ってもしょうがないと思うが、きみに怖い思いをさせてしまったことを悪く思うよ」

「うん、びっくりしたけれどもう大丈夫。わた──ボクもこの街のこと好きだから……えーと」

 そう言えば、まだ剣士の名前を聞いていなかった。その旨を告げると、剣士は少し沈黙してから「リーベス」と名乗る。

「本当にリーベスがいてくれたから良かったよ」

 もし、あの場にリーベスが訪れなかったら。考えただけでも身の毛がよだつ。

「あぁ。そうだな」

 少し複雑そうな含みをリーベスは見せた。

「どうしたの?」

「……なんでもないさ」

 何だかリーベスが寂しそうに見えて、タイムはそれ以上追及はしなかった。

 裏道は入り組んでおり、地元民しか知らないような細道を泳ぐようにリーベスは進む。タイムもそれに付いていくので精一杯だ。もう一度一人で通れと言われても、不可能でしかないだろう。

 始めにリーベスが言った通り、そうほどなくして明るい通りに出る。数歩も歩けば古着屋の看板が見えた。

「ありがとう!」

「どういたしまして」

 黒い塗料で染められた木扉を開くと、様々な色合いの服が店内をずらりと並んでいた。くすんだものから、見るからに新品な物まで本当に様々だ。服だけではなく、靴や帽子まで棚に陳列されている。

 物珍しく視線を這わせていると、店奥から声をかけられた。

「いらっしゃい」

 恐らく店主なのであろう、腰の曲がった老婆が服の間からすり抜けてきた。黒に近い緋色のフードは老婆の全身を包み、一見すれば布の塊が蠢いているようにも見えた。

 老婆は最初にタイムの顔を見、次にリーベスの顔を見てため息を吐いた。

「なんだい、お前か」

「ご無沙汰しております」

「全くだ。家には顔だししてないんだろう、その様子じゃあ。あの酒煙通りの安宿でも使ってるんだろう。悪趣味な枯れた薔薇の看板を掲げたところ」

「……すみません」

 どうやらリーベスと老婆は知り合いのようだった。老婆はシワにまみれた顔を歪ませて言った。

「まぁ、お前さんにも考えがあるなら仕方ないけどね。ワシはアンタをただの客として扱うまでさ」

 言いたいことを言い終えたらしく、老婆の視線はタイムへと映る。

「アンタは新顔だね。用件は何だい?」

 商売人にしては尊大な物言いだった。タイムは若干気後れしながらも、手提げ袋を差し出した。

「あの、これを売りたいんだけど……」

 老婆は手提げ袋を受け取ると、棒切れのような腕で中をその中を弄る。

「ほう、なかなかいい布を使ってるねぇ」

 取りだされたパジャマを舐めるように眺め、首を傾げる。

「お前さん、これをどこで手に入れたんだい?」

 その声には、何やら疑惑めいた含みがあった。素直に答えてよいものかタイムが迷っている間に、老婆は言葉を続ける。

「これは女物だ。しかも良いところのお嬢さんが着るような物。それを、何で坊っちゃんみたいな男の子が手にしているだろうねぇ」

 そこまで言われて、ようやく老婆に言葉の裏に気付く。彼女はタイムが盗みをしたと思っているのだろう。

 慌ててタイムは弁解する。

「そ、それはその……姉の物なんです! お屋敷に嫁いだ、姉の」

 嘘を吐くと言う後ろめたさから、タイムは思わず敬語を使う。

「お前さんのお姉さんはずいぶんと小柄なんだねぇ。まるで今の坊っちゃんと同じ体型のような」

「姉はちっちゃいんです! で、でも最近大きくなったから、これをボクに送って来たんですよ。ボク男の子なのに、姉はおっちょこちょいだから!あ、あはは……」

 すごく苦しい嘘だ。見破られない方がおかしいくらい不自然な話だ。

 フード越しから送られる、老婆の鋭い視線にタイムは身を強張らせる。

 やがて、老婆はため息を吐いた。

「全く。どうしてうちはワケ有りな客ばかり集うのかねぇ」

 パジャマを丁寧に畳み、店内奥へと消えてゆく。とりあえずは納得してもらえた様子だった。

 安堵の息を漏らすタイムの肩が、背後から掴まれた。

「ひゃっ!」

「あ。す、すまない」

 リーベスだった。タイムの驚きようが想定外だったのだろう、申し訳ない表情を見せていた。

「こっちこそごめん。どうしたの?」

 タイムの問いかけに、リーベスは声を潜めた。

「あの服、本当にきみのお姉さんの物なのか?」

「え……?」

 まさかリーベスの方にも疑われるとは思わなかった。それだけ先ほどのタイムの挙動が不自然だったのだろう。

「なぁ、教えてくれ。頼む」

 切羽詰まったようなリーベスの声音に、タイムは悩む。

 嘘を吐き通すのは、正直後ろめたい。が、だからといって本当のことを話すのはマズイ。そんなことをしたら、ヨモギにまで責が及んでしまう。

 しかし、タイムをここまで助けてくれた恩人を騙すのも、タイムは嫌だった。

 考えた末、タイムは答えた。

「あれは、間違いなくボクのものだよ。盗んできてなんか、いない」

 嘘は、言っていない。

「信じられないかも知れないけれど、本当だよ」

「…………分かった。きみを信じるよ」

「本当?」

 リーベスは頷いた。


  【続】

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