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獣耳娘の初恋語  作者: からくりモルモット
第10章 剣士
24/26

23 おやおや、可哀想に

控え目ですが、暴力描写があります。

「ほれほれ、どいたどいた!」

 怒声と共に荷馬車がこちらに突っ込んできた。かなり乱暴な動作で行者が手綱を振るう。馬の嘶き声と共に、人々は散り散りになる。

 タイムもすぐさま避けた……ヨモギと反対方向に。

 砂煙を上げて荷馬車は通りの一つへと爆走してゆく。荷車の音が遠ざかった時には、もう遅かった。

「……ヨモギ?」

 辺りを見渡しても口うるさい悪友の姿は無かった。目の前にいるのは見知らぬ大人たち。みんなタイムのことを気付く様子もなく、散策を楽しんでいる。

 ──どうしよう。

 タイムは困る。こういう場合、下手に動かずにいれば大体何とかなるだろう。

 しかし、タイムは欲を出してしまった。

「今の内に古着屋さんに行けば、ヨモギをビックリさせられるかも」

 服飾通りを辿れば、きっと目的の店にたどり着けるはずだ。すぐに用件を済まして戻れば、きっと大丈夫だ。そうだ、そうに決まっている。

「私だって、それぐらいは出来るもん」

 自分の成功を妄信した時点で、タイムの行動は始まっていた。服飾通り目指して歩を進める。

 通りに入ると、途端に周囲が暗くなる。建物の背が、日差しを遮っているからだ。薄暗い道をタイムは恐る恐ると歩く。

 店通りを幾つも通り過ぎるが、目的の古着屋はなかなか見当たらない。それどころか、進めば進むほどに闇は濃くなってゆく。比例して、アルコールの香りがタイムの鼻を刺激する。

 通常の人よりもタイムは鼻が利く。利き過ぎるほどにだ。なので、自然と顔をしかめてしまう。それが、悪かった。

「おい、嬢ちゃん。俺の顔がそんなにひどいってーのか?」

「え」

 突然話しかけられ、タイムは立ち止る。目の前には巨漢の男がいた。男は焦げ茶色の鱗を立てながら、タイムに向かって顔を近づける。彼の口から漂う酒の匂いに、タイムは眉をひそめてしまった。

 すると、男はニヤついた表情を一変させた。

「あーん? 何だその顔は。そんなに俺が気にくわねぇってか?」

 酒臭い息を吐きつける男から逃れようと、タイムは後ずさる……が、何かが背中にぶつかった。その衝撃にタイムの帽子が落ちる。

 驚き振り返れば、そこにも屈強な男たちがいた。

「へ、へへへ。そりゃ兄貴のつ、面は極悪だ、だからな」

「ちっがいねぇ、違いねぇ。お前のその泥色の鱗肌が悪い」

「あと、牙もなぁん。ちゃんと牙磨けよっておっとっつぁんに言わなかったのかなぁん」

 いつの間にかタイムの周囲を人相の悪い男たちが囲んでいた。後ずさろうにも、すでに退路は無い。

「おやおや、可哀想に。すっかり怯えてますぜぇ、この子。可愛いお耳がペタンとしてらぁ」

 長い青の舌を這いずらせながら、長身の男は言った。

 それに答えるように、虎頭の男が笑う。

「へ、へへへへ! な、泣いちゃう、か? な、泣いちゃうの、か?」

「変っ態だな、変態だな。お前は昔から女の子の泣き顔が好きだもんな」

 盛り上がる男たちとは対照的に、タイムの体温はみるみると下がってゆく。背中にじっとりとした汗を流しながら、タイムはこの場から逃げる手段を考える。

 男たちが隙を見せた瞬間に、彼らの隙間を通って駆ければ逃げられるかも知れない。足の速さには自信がある。

 そうだ、それが一番確実な方法だ。男たちは酔っている様子だ。隙を付くなんて容易いことだ。

 しかし──しかし、タイムの足は動かなかった。

 まるで地面に縫い付けられてしまったかのように、足は言うことを聞かない。それなのに、がたがたと小刻みに震えている。膝を崩さないのが奇跡に思えるほどに。

 ──こわい。

 恐怖がタイムの体を支配していた。

 このように絡まれること事態が初めてなのだ。男たちはそんなタイムを弱った獲物でも見るような目で見降ろしてくる。

「どうするなぁん、兄者?」

 全身が水のように透き通っている男が、最初にタイムに絡んだ男に問いかけた。

「この子、貰ってくのかなぁん?」

「そうだな……。俺が優しい男だっつーのは知って貰いたいしな」

 よくわからないが、男が言っていることは自分に危害を加えることだ。

 逃げなければ、逃げなければきっと恐ろしい目に合わされる!

 頭の中で警告が絶えず発せられる。

 ──逃げろ、逃げろ! 逃げなくては駄目だ! 早く、速く、迅く!

 そんなこと分かってる。分かり切っている! でも、駄目なのだ。体が、足が動かない。

 そのくせ呼吸だけは速く繰り返される。過剰なほどに吸い込まれる空気は、タイムの思考能力を緩く奪ってゆく。

 男たちの笑い声が聞こえる。げらげら、げらげらと下品に声を立てて。笑う。嗤う。それがタイムを追い詰める。思考を奪う。恐怖の鎖となって全身を縛る。

 怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い……!

 見知らぬ街が、路地が、雑踏が、この場の全てが恐れの対象になる。

 体の震えは止まらない。

 頭の中で助けを求める。父に、母に、兄弟に、バームに、ペパーミントに、オレガノに、ヨモギに。

 だが、声にならない叫びは誰の耳にも届かない。

「まぁ、とりあえず一緒に来いや嬢ちゃん」

 男が手を伸ばしてきた、その時だった。

「その子供から離れろ」

 凛とした声が、辺りに響いた。

 鬱蒼とした路地裏の空気とは真逆の凛々しい声音に、それが何者かの声であるとすぐには把握出来なかった。

 ぎこちないながら、タイムは声の出所に顔を向ける。

 剣士だった。細身の体に灰色の外套を纏っている。腰に下げた剣の柄を握り、今でもすぐにでも抜刀しそうな雰囲気を発していた。

 しかし、男たちは怯まない。剣士の体躯が自分たちよりも華奢だったからだろう。彼らは鼻で笑いながら、剣士に声をかける。

「なんだぁ、兄ちゃん。こっちは取りこみ中なんだよ」

「そ、そうだ、ぞ。こ、これはきょ、教育だ」

 剣士もまた怯まない。一歩足を踏み出す。

「無っ謀だな、無謀だな。優男は大人しく花でも愛でてな」

 魚のような目をした男が、ニヤニヤと笑いながら剣士目掛けて拳を振るう。鋭い疾風をまとい、拳は無慈悲にも剣士の顔面を強打した──かに思えた。

「え?」

 間の抜けた声を発したのは、男だった。他の者たちもあんぐりと口を開いて固まっている。タイムも同じだった。

 拳は確かに振るわれた。しかし、剣士はそれを受け止めたのだ。握ったままの、剣の柄で。

 剣は別に特別な物では無さそうだった。魔剣の類でも無い。ただの細剣だ。それなのに、筋肉質の男の腕がそれ以上に進まない。

「さて、これでそちらが手を出してきたという名分が立った」

 澄んだ声が路地に響く。先ほどまで見て見ぬふりを決め込んでいた通行人らも足を止めていた。

 注目を集めても、剣士は動揺する素振りを見せない。それどころか、フードの下から覗く剣士の口元は笑みを浮かべていた。

「手を出したのならば、手を出されても構わないだろう? 先に言っておくが、人数の分があるため私は加減をせんからな!」

 一喝と共に剣士は手首を回す。回転する剣先が、男の顔を切り裂いた。

「うがぁああああ!」

 両手で顔を覆い、崩れ落ちる男。それに剣士は容赦なく剣の鞘を突き付けた。狙いは彼のうなじ部分。鈍い打撃音と共に男は完全に地面に倒れ伏した。

「や、野郎!」

 仲間がやられたことが着火となったのだろう。怒りに満ちた表情で残りの悪漢たちが剣士目掛けて飛びこむ。

 虎頭の男が繰り出した一撃を剣士は受け流し、長い下を鞭のようにしならせた男には細剣で切り込み、飛びかかろうとする透けた肌の男には足払いをしかける。

 一呼吸の間に、剣士はタイムの元へと辿り着いた。

「怪我は?」

 先ほどとは打って変わって優しげな声音だった。その豹変ぶりに、タイムは体を強張らせる。

 それを見て、剣士の口元が悔しげに歪む。

「可哀想に。よほど怖い目に合わされたんだね」

「怖い目に会うのはテメェの方だ!」

 兄貴と呼ばれた男が、両手を組んでそのまま剣士の脳天目掛けて振りおろす! しかし、拳は誰もいない地面を砕いただけだった。

 剣士はすでにタイムを抱え、男から三歩ほど離れた位置に移動していた。剣士は声を張り上げる。

「この場で退くというのならば、これ以上は深追いはしない。どうする?」

 慈悲から来た提案なのだろう。しかし、それは却って男の神経を逆なでする。

「馬鹿にしやがってえぇぇえぇえぇぇぇぇぇぇぇ!」

 絶叫を共に男は剣士に突っ込んできた。目を血走らせ、さながら怒り狂った獣のように。

「愚かな」

 ため息と共に剣士が動いた。タイムをその場に残して。

 例えるのならば剣士はまさに旋風であった。

 踏み込みと共に、剣士は一閃を放つ。剣戟は確実に男の腹を裂いた。

 うめき声を上げ、男はその場に落ちた。腹を押さえる両腕の隙間から、血がにじみ出ている。剣士は細剣を一振りし、男の血を払う。

「すぐに治療せぬと化膿するぞ。どうする?」

「ぐ……くそ。お前ら、引くぞ」

 男の号令と共に仲間たちは彼を支える。虎頭の男は、最初に気絶した男を肩で抱える。

 彼らは振り向きもせず、路地裏奥けと消え去って行った。

 それを合図に野次馬と化していた通行人たちもそれぞれ動き出す。通りは先ほどまでと同じ陰鬱なものに戻される。後に残されていたのは男たちの血痕ぐらいであった。


  【続】

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