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獣耳娘の初恋語  作者: からくりモルモット
第8章 芽生え
18/26

17 やりたいことって?

 パラリパラリと、淡い真珠のような小さな白い石が薔薇に降り注がれる。

 ばらまきながら、祈る。美しい薔薇でありますように。

 それが呪文だ。

 途端に石は弾け、粉々になる。粉砕された粒は淡い光となって薔薇を包み込む。すると、まるで薔薇が喜んでいるかの如く、その紅い色を更に深く染める。

 この肥料は、特別に調合された魔石の欠片だ。オレガノ達が何年も試行を続けて出来た物である。

 タイムは仕事の中で、この肥料をまく作業が一番好きだ。

 昔、絵本で読んだ魔法使いになったような気分を味わえるからだ。

 そう考えたら気分が高揚し、歌を口ずさむ。即興で作った、でたらめな歌。

 ついうっかり、タイムは前を見ずに歩いていた。その結果──。

「うわぁ!」

「うきゃっ」

 ぶつかった勢いで、タイムは尻もちをつく。その衝撃で、袋から肥料が周囲に飛び散った。

「いてて……」

 タイムが状況を把握するより先に、ぶつかった相手がタイムの手を取る。

「すまない。ついぼんやりとしてて……」

 本当に、心底反省しているような声だった。同時に、聞いたことのある声だった。

 じっとタイムを覗き込む、彼の瞳は星のない夜空のように黒い。その色に見覚えがあった。

 向こうもタイムの顔が記憶があったらしく、少しはにかむように笑った。

「クミンくん、だったよね」

「そうだよ。えーと」

 記憶を探り、タイムは青年の名を口にした。

「ペパーミント……さま」

 初日にヨモギに叱られたこともついでに思い出した。目上の人には敬語を使え、と。

 とってつけたようになってしまった『さま』に、タイムは失敗したかなと耳を伏せた。恐る恐るとペパーミントの顔を見れば、彼は特に気にした様子はなかった。

「なんだか、僕はいつもキミを痛い目に合わせてばかりだね」

 タイムの手を取り、彼女を立たせてくれながらペパーミントは問う。

「久しぶりだね。仕事はもう慣れたかい?」

「うん、ばっちり……」

 彼に手を触れられた瞬間、タイムの心臓が跳ね上がった。鼓動の速さは収まることなく、むしろ全力疾走をした後の時のように高鳴っている。

 不思議なことに両頬が火照った感触もある。自分の体に一体何が起きたのか分からず、タイムは戸惑う。

 それともう一つ。なんとなくタイムは突っかかりを覚えたのだ。何かもう一つ、ペパーミントに対して情報があったような気がするのだ。

 それも、とても重大な。

 ペパーミント。サイプレス家の跡取り、次期領主。

 ──ここの当主さまの息子さん。お優しそうな方でしょう。

 違う。もっと前に、別の誰かから聞いた覚えがある。

 サイプレス……。

 ──お相手はサイプレス家の次期当主、ペパーミント殿です。

「あああああ!」

 思い出したのと同時に、タイムはその場で卒倒しそうになった。

 そうだ、そうだった!

 この青年が、自分の婚約者!

「ど、どうしたんだい、クミンくん」

 タイムの叫びに驚いた表情をペパーミントは見せる。

「どうしたんだ、顔色が悪いよ。ひょっとして、怪我でも──」

「ななな、なんでもないよっ」

 口調がすっかり元に戻っているが、タイムは気付かない。

 ペパーミントはまだ不安そうな顔をしている。まさか目の前にいるのが、貴方の婚約者ですと名乗りを上げる訳にもいかない。

「そのっ、こないだに続いて今日も失礼なことしちゃって、ごめんなさいと思っただけ、です!」

 思いつくままに適当な理由述べた。我ながら苦しい嘘だ。だが、ある意味で効果はあったようだ。ペパーミントは苦いような表情を浮かべていた。

「そんなに緊張しなくてもいいよ。僕は、父さんみたいに威厳も何も無いから」

 どこか吐き捨てるような口調だった。

 気まずい思いになって、タイムは慌てて別の話題を切り出した。

「あの、ヨモギは元気?」

 口に出してから、後悔した。今、タイムはヨモギの家に住まわせてもらっている。なので毎日顔を合わせているのだ。この質問は明らかにおかしい。

 一人で顔を青くさせるタイムを見て、ペパーミントは吹き出した。

「うん、元気だよ。ちゃんと仕事しろーって、僕を追いかけまわすくらいに」

「え? 追いかけ……そ、そうなんだ、良かった! うん」

 深く追求されないうつに話を切り替えなくては。そう思うのだが、またおかしなことを口にしてしまいそうだ。頭が回るアロエや悪知恵が働くマロウを、タイムは羨ましく思った。

 ああでもないこうでもないと頭を抱えるタイムを、微笑ましい目でペパーミントは見る。

「ふふ、キミたちは本当に仲がいいね」

「そ、そんなことないよ」

 先ほどオレガノにも同じようなことを言われたばっかりだ。どうして自分たちがそんな風に見えるのか、タイムは心底不思議に思う。

「ヨモギもね、最近はキミの話ばかりするんだよ。例えば、皿洗いが苦手で洗うたびに食器を割っている、とか」

 あくまで優しく微笑みながら、悪意の欠片などまったく無くペパーミントは言った。

「とても元気で口うるさい。いつも走り回っていて、静かにしているのは食事の時だけとも聞いたよ」

 タイムは体が今度は恥ずかしさからで熱くなる。同時に心の中でヨモギに対して恨み節をぶつける。

 ヨモギめ! よりにもよって、そんなことを話すなんて!

「違うのかい?」

 ペパーミントが訊いてくる。

「…………………………違うくない」

 認めたくない。認めたくないのだが、本当のことなのでタイムは肯定するしかない。渋い顔をするタイムとは対照的にペパーミントは朗らかに笑う。

「本当にヨモギはキミのこと好きみたいだよ。あの子があんな風に人の話すること、あまりないからさ」

「ち、違うよ絶対! むしろその逆だって!」

 力いっぱい否定するタイムに、ペパーミントは意外そうな顔をする。

「そんなことないと思うよ?」

「僕の失敗談をそうやって言いふらしてるんでしょ? ヨモギはボクの事を嫌ってるんだってば、絶対!」

 ぜいぜいと肩で息をしながら、タイムは力説する。しかし、ペパーミントは小首を傾げた。

「そんなことないと思うよ。第一、あの子が本当にキミのことを嫌いなら、キミの名前すら口にしないと思うよ」

 あの子は一歩引いた感覚でしか、他人と接しないから。

 どこか悲しそうに、ペパーミントはそう言う。

 オレガノも言っていた。

 ──自分の子ながら、少々愛想が足らん。

「だから、きっと君のことは嫌いじゃないよ。むしろ、その逆だと僕は思うよ」

 ペパーミントは嘘をついている様子はない。それでもまだ、タイムは信じられなかった。

「でも、ボクにキツイことを言うし、時々露骨に無視するし」

 ボソボソと悪あがきのように呟く。タイムが何よりも腹が立っていたのは、無視されたことだ。今朝だって、朝の挨拶をこっちはしたのに向こうはしてこなかった。

 あぁそれは、とペパーミントが代わりに答える。

「きっとヨモギも戸惑っているんだよ。あの子も初めてなんだろうね。同じ年頃の友達が出来たのは」

 だから、君が心配する事はないよ、とペパーミントは優しく語る。そして、同時に寂しく笑う。

「本当は、僕の仕事をヨモギに手伝って貰うのはいけないんだろうね」

「え、なんで?」

 オレガノも自分も、多分ヨモギ自身も一番ヨモギに合っている仕事だと思っているから、タイムは疑問に思う。

 ペパーミントは、少し気まずそうな顔をする。

「本当は、君達みたいな同じ年頃の子達に囲まれて、一緒に遊んだり、力を合わせて仕事をしたり、時には喧嘩をしたり、それで仲直りをしたり……。そういう出来事を経験させてあげた方がいいと思うんだ。……それは、僕達みたいに大人になったら、絶対に経験出来なくなってしまう事だから」

 なんとなくその言葉はタイム自身にも向けられているような気がした。

 人里離れた森の奥深く。そこでタイムたち親子は暮らしていた。たまに父やバームが訪ねてくるぐらいで、他人と会うことはほぼ無かった。その暮らしが恋しいかと問われれば嘘になる。

 身内以外の他者と接することの楽しさをタイムは知ってしまったから。

 ヨモギとも言い争いはするが、それはじゃれ合いのようなものなのだろう。なんだかんだ言いつつも、彼と会話することを楽しんでいる自分をタイムは自覚した。

 だが、だからと言って素直にまることは難しい。

「ボクはやっぱり違うと思う……」

 そんな悪態をタイムは口にする。そんな彼女を見つめるペパーミントの瞳は穏やかで、タイムの心中なぞお見通しといった様子だ。

 なんだかそれが悔しくて、タイムは少し意地悪したくなる。

「ペパーミントさま」

「ん、なんだい?」

 膝を折って視線を合わせてくれる彼に、タイムは自身の口の端を釣り上げる。

「今って仕事の時間なんじゃないの?」

「あー……」

 ペパーミントの目が宙を泳ぐ。先ほどとは違い、声も何処か上ずりだす。

「その……。ちょっと休憩がてら、ね」

「ふーん」

 視線を泳がす彼を、タイムはじっと見つめる。しばしの沈黙の後に、ペパーミントは肩を落とした。

「抜け出して、来たんだ……」

 嘘が付けない性格らしい。

「いいの? ヨモギ、怒ってそうだけど」

 先ほどの「追いかけまわすほどにヨモギは元気」の情報元はここからかとタイムは悟る。

「あぁ、多分、いや、きっと怒ってる。参ったな」

 自分が原因なのに、ペパーミントは頭を抱える。その狼狽ぶりに、タイムは思い切り吹き出す。

「そ、そこまで笑わなくても」

 顔を青ざめたままでペパーミントは言う。

「いや、僕が悪いのは分かってる。けど、どうしてもやりたいことがあって……」

 しどろもどろにペパーミントは語尾を弱める。見るからに途方に暮れた様子だ。

 彼が哀れに思えて、タイムは問いかけた。

「やりたいことって?」

「それは……」

 右手を拳の形にして口元に当て、ペパーミントは瞳を泳がせて何やら思案する仕草を見せる。

 タイムは彼の言葉を静かに待つ。いや、声をかけられなかった。考え込むペパーミントの姿を無意識に見とれていたからだ。

 やがて、ペパーミントは口を開いた。

「ねぇ、キミ。よければ一つ、頼まれてくれないか?」

 内緒話をするように、ペパーミントがささやく。

 頬に熱が昇るのを感じながら、タイムは黙って頷く。すると、ペパーミントは安堵したような表情を浮かべた。

「頼む。──彼女を、スグリを探すのを手伝って欲しい」

 憂いのある声で彼はそう言うと、自分より年下のタイムに向かって懇願するかのように頭を下げた。


  【続】

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