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獣耳娘の初恋語  作者: からくりモルモット
第7章 サイプレス邸にて
17/26

16 うん、約束するよ

 サイプレス家の使用人達の朝は早い。

 まだ夜も明けない時間に、ほとんどの使用人は起床する。日が昇り始める頃には、全員が仕事を開始していた。

 タイムに与えられた仕事──薔薇園の世話も勿論同じだ。最初の頃は頭がぼんやりとしていたが、数日もすれば身体が慣れた。今では起こされることなく、自然と規定の時間に目覚めることが出来る。

 仕事の方も、最初はオレガノの指示に従うことしか出来なかった。が、繰り返すうちに頭に入った。手際良く仕事を進め、オレガノに誉められたのは昨日のことだ。

 タイムが一番最初に任された仕事は、薔薇の水やりである。はっきり言ってしまえば、彼女は水やりを舐めていた。実際にやってみてそんな余裕はいっぺんに吹き飛んだ。

 聞いたところによるとサイプレス家の薔薇園はかなり有名なものらしく、敷地の半分以上の土地が使われているという。それに合わせて水汲み場も数十か所ほどに設置させられているのだが、それよりも花壇の数が多すぎる。

 何度も何度もじょうろに水を汲んでは、薔薇にまくという作業を地道に繰り返すことになる。日の出から始まり、昼間過ぎてにようやく終了するという状態だ。

「こ、これで最後」

 兄弟の中で体力に一番自信があると自負しているタイムも、さすがに疲れを覚えてしまう。

 自分に割り当てられた最後の花壇に水をかけると、その場に座り込んでしまった。肩で息をしながら、花壇に目をやる。

 水滴が真紅の薔薇の花びらに吸い込まれ、陽の光りにより、まるで虹のように輝く。

 綺麗だな。

 タイムはそう思う。

 しばらく眺めていると、前方からゆったりとした歩調でオレガノがやって来た。

「おぉ。そっちは終わったのかい」

 声をかけられ、タイムは慌てて立ち上がる。

「うん、ちょうど終わったとこだよ」

 腹に力を込めて、タイムは無理やり元気な声を出した。

「次は肥料まきだよね。ぼく、倉庫から取って来るよ」

 額から滴る汗をぬぐわずにそう言うタイムを、オレガノは声を上げて笑った。

「いいや、先に休憩だ。肥料まきは腹ごしらえをしてからだな」

「はーい」

 タイムはオレガノからじょうろを受け取り物置場に置きに行く。その間に、オレガノは東屋で昼食の準備をしてくれた。タイムが戻って来ると、石造りのテーブルの上にはお茶とサンドイッチが広げられていた。

 オレガノはタイムを待っていてくれてたらしく、昼食に手をつけていなかった。タイムが彼の対面側の椅子に腰かけると、彼は水で濡らした手ぬぐいを手渡してくれた。

「ありがとう!」

 お礼を言い、タイムは手ぬぐいで手を拭く。白地の布が土の汚れで茶色になってしまった。帰ったらちゃんと洗わなくては、とタイムは思った。

「だいぶ仕事に慣れたようだな」

 お茶をすすりながらオレガノが言った。

「最初ヨモギがお前さんを連れて来た時は不安に思ったが、杞憂だったようだな」

「不安?」

 サンドイッチを頬張りながら、タイムは上目づかいでオレガノを見上げた。オレガノは自身の日に焼けた右腕を左手で軽く叩きながら白い歯を見せる。

「仕事に根を上げないかってことだ。今のところ、お前さんが一番根性があるぞ」

 今まで何人かが手伝いに入ったが、誰もが半月も持たなかったらしい。ある者は体力が続かず、ある者は虫に怯え、またある者はこんな地味な仕事は嫌だと捨て台詞を吐いて逃亡したという。

 一昔前は庭師が大勢いたのだが、ある時を境に皆別の土地に移ってしまったとオレガノは言う。

「なんで皆いなくなっちゃったの?」

 タイムが訊ねると、オレガノは顔を曇らせた。

「良くも悪くも変わってしまったということだよ。皆、その変化が耐え難かっただけだ」

 そう答えるオレガノは、どこか寂しそうに見えた。聞いてはいけないことを聞いてしまったような気がして、タイムはうつむいた。

 きっと何か辛いことがあったんだろう。

 湿っぽくなってしまった空気を壊したのはオレガノだった。

「まぁ体力仕事もあとわずかの間だ。もう少ししたら、ここの薔薇は全部枯れてしまう」

「え、どうして」

 周りを見渡せば、一面の薔薇。

 とても華やかで、まだまだしばらくは咲き誇る事が出来そうなのに。

 オレガノも薔薇園に目を向けながら、語りだす。

「ここの薔薇はこの領地の、サイプレス家の管轄する土地を潤す役割があるのさ」

 魔石と同じ効果が、ここの薔薇にあるそうだ。ある一定の時期になると、薔薇は自身に籠った魔力を土地に向かって放出する。そのように改良を重ねてきた特製の薔薇なのだ。魔法を使わずに手間暇かけて世話するのは、魔術の一環として必要だからだという。

「そうなんだ」

「今年はお前さんが手伝ってくれて助かったぞ。去年までは、ヨモギたちも手伝ってくれたんだが今年は無理だったからなぁ」

「えぇ! なんで?」

 答えが返って来る前に、タイムは思いついてしまった。

「もしかして、さっきの話の『地味な仕事』とか言ったのヨモギなの?」

 いかにも彼なら言いそうな台詞だ。

 一人鼻息を荒くする彼女に、オレガノは片手を振り否定する。

「違う違う。ヨモギは領主の跡取り息子の仕事の手伝いに回されたんだぞ」

 そっちもそっちでかなり大変で重要な仕事らしい。それだけでも手一杯なのに、更に自分の仕事まで手伝わせる気がオレガノには無いようだ。

「親としても思うのだが、あいつはこんな肉体労働より、机にはりついた仕事の方が合っているような気がしての」

 確かにヨモギはどちらかというと、頭脳派だとタイムは思う。汗水垂らして土いじりをするより、書類作成などの仕事をしている姿のほうが想像しやすい。

 だが、それでも。

「それでも少しくらい自分から手伝ってくれても、罰は当たらないと思うけどなぁ」

 拳を握り、力説するタイムの頭を、オレガノの硬くて大きな手がそっと撫でる。

 そして、しみじみと言う。

「ヨモギは良い友達に恵まれたもんだ」

 友達という単語に、タイムは息を飲んだ。その反応にオレガノは首を傾げた。

「違うのかね?」

「いや、その。ボク、ヨモギとそんなに仲良くないし」

 ヨモギとは会話というよりも喧嘩している時間のほうが長い。傍から見ればとても仲が良い風には見えないだろう。

 第一、二人は友達というものよりも共犯者という言葉のが近い。しかし、さすがにそれは口外出来ない。

 言葉に詰まっているタイムに、オレガノはため息を吐いた。

「気にしんどいてくれ。わしもアレは自分の子ながら、少々愛想が足らんと思っておっての」

 どうやら勘違いされてしまったようだ。慌ててタイムは首を振った。

「違うよ。そうじゃなくて、その……」

 少し考えて、タイムは言葉を繋いだ。

「あの、ボク『友達』っていうの。今までいなくて」

 オレガノが目を丸くした。

「まさか」

「ずっと兄弟だけだったから。一緒にふざけたりするのって」

 人里離れた森の中で、タイムは自分と同年代の子供は兄弟しか知らない。たまに魔界へ連れられても、自分より一回りも二回りも年上の人しか周りにはいなかった。その環境を当たり前だと思っていたし、疑問に思ったこともなかった。

「だから、……多分ボクの最初の友達ってのは、ヨモギだと思う、けど」

 言いながら、顔が少しずつ熱くなる。照れくさいような、くすぐったいような、そんな温かいような感情。気分は悪くなく、むしろその逆だ。

 そして、思う。

 こんな事、絶対ヨモギには言うもんか。

 タイムの言葉を黙って聞いていたオレガノは、ゆっくりと立ち上がる。

「そろそろ仕事の続きをするかの」

 椅子の端に置いてあった皮袋の一つをタイムに手渡す。

「肥料をまいてってくれるか。さっきと同じように、ここを中心にしてわしは右回り。お前さんは左回りだ」

「うん!」

 くるりと向きを変え、タイムは東屋から駆け出す──が。

「クミン!」

 オレガノが止めた。

 何だろう?

 タイムはその場で足を止め、振り返る。

 オレガノは真剣に、何処か寂しげな眼差しでタイムを見ていた。そして、懇願するように言った。

「頼む。ヨモギとは、ずっといい友になっておくれ。この先も、ずっとだ。──どうか……」

 ワシらのようには、ならんでおくれ。

 最後のまるで囁くように小さな呟きも、タイムの獣の耳にはちゃんと届いた。恐らく彼は聞かれてないと思って呟いたのだろう。その言葉に含まれる、悲痛と後悔の響き。

 じっくりとオレガノの言葉を噛み締めて、タイムは頷いた。

「うん、約束するよ」

 タイムの答えを聞くと、オレガノはありがとうと、心底嬉しそうに告げた。

 その顔は先ほどまでの陰りは消え去り、いつもと同じ明るいものだった。


  【続】

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