11 しかし、あまり時間は無いぞ
「本日の魔王様の左頬には、それはそれは見事な紅の花が咲いておりました」
──魔王城に勤務するある青年の証言。
「いよう! 今日は一段と男前でありますなぁ、我らが魔王陛下」
魔王フェンネルの機嫌とは裏腹に、陽気な声が執務室に響き渡った。燃えるような赤い髪をなびかせ、意気揚々とバームがノックも無く入って来たのだ。
「何の用だ?」
ムスッとした声で、フェンネルは旧友でもある自分の片腕の男を迎え入れた。その様子がますます彼のツボを刺激させたのか、バームは口元を押さえて笑いをこらえている。
「噂の的である陛下の頬に咲いた花を見ようと思いましてね。……ククク、これはまた見事ですなぁ!」
言い切ったら堪えきれなくなったらしく、バームはついに遠慮無しに笑い飛ばす。その笑い声が癪に障り、フェンネルは手にしていた羽ペンをバームに向かってダーツの如く投げつけた。
バームは笑いながら、器用にそれを回避する。ペンはバームのすぐ後ろのドアに、突き刺さった。
「アーハハハ! 相変わらず下っ手だな!」
「うるさい! 本当に何しに来たんだ、お前は」
ついにフェンネルが怒鳴り散らした。しかし、バームの笑いは止まらない。涙まで流して腹を抱えている。
ますますフェンネルの顔に怒りの色が濃く表れ始める。
「すまんすまん。お前の顔を見に来たのは建前で……いや、本当本当」
さすがにマズイと思ったのか、バームが真剣な表情をして言う。
「提案するが、セリらのシトロネア名入れの式は、もうしばらく先に見送った方がいいんじゃないか?」
「──理由は?」
「んー、まぁ簡単に言っちまうと時間不足。ぶっちゃけ、勉学が追いついていない」
ドアに刺さったペンを引き抜き、それをフェンネルの元に軽く放り投げながら、バームは言った。フェンネルは、それを利き手で受け取る。
「子供達の態度が悪いのか?」
「いや、そんな事はない。まぁ、マロウは時たまサボったりもするが、熱心だ。だが、やっぱり量が量だ。多すぎる」
三つ子は十二年間、セリが教育した。しかし、それは人間界の一般市民が生活する上での知識で有り、魔界の──それも王族の物とは雲泥の差がある。
文化、文字の違い。礼儀作法。魔界の歴史。魔力の使い方、簡易魔法の術式。
子供たちにかなりの無理を強いている。だが、それでも妥協は出来ない。子供たちは次代の魔王候補者なのだから。
「このままだと、遅かれ早かれ体力気力が燃え尽きちまう」
「……そうか」
「あと、タイムが──」
「タイムがどうかしたのか!」
座っていた椅子を倒さんばかりの勢いで、フェンネルは立ち上がる。幸い、がっしりとした重い椅子だった為、倒れる事は無かったが。
その心配のあまり必死さも漂う声音に、思わずバームは吹き出した。
「笑ってないで、タイムがどうしたか話せ!」
「まぁ、落ち着けって……」
「俺は十分落ち着いている!」
興奮のあまり、フェンネルは拳で机を叩いた。その衝撃で、机の上に積まれていた書類が床に舞い落ちる。
どこが落ち着いてるんだ? この親バカめ、などと思いつつ、バームが口を開く。
「以前報告した通り、ずっと部屋にこもったままだ。食事もろくに取らない」
「やはりちゃんと話をしなくては駄目だ。すまないが、俺は今からタイムの部屋に──」
今にも執務室から飛び出し、タイムの元へと走っていきそうなフェンネルをバームは制す。
「最後まで聞け。まぁ、最近は俺が仕事の合間に会いに行ってる訳よ。食事もその時……無理やりだがな、口に入れさしてる。娘を心配するお前の気持ちも分かる。だがな、タイムの心情も察してやれよ」
ゆっくりとフェンネルは椅子に腰掛ける。そして、顔を下にそむけ両手で表情を隠す。
「続けてくれ」
いかにも、鎮痛そうな声だ。少し同情しつつ、バームは話を続ける。
「もう少し、養生させた方がいいな。──つっても、心の方のな。まだお前の顔なんざ見たくも無い心境だろう」
フェンネルの肩が震える。それを気付いていないフリをして、バームは続ける。
「何も一年や二年も先延ばしにしろとは言わない。……そうだな、予定よりも二ヶ月。それくらい先に延ばせられないか?」
「……出来る、限りそうしよう」
「あぁ。婚礼の儀までには、何とか立ち直させてみせるさ。それまでは、お前はセリの説得をしててくれ」
フェンネルは何も言わない。この件に対して、フェンネルが口を挟めない理由をバームは知っている。知っているからこそ、この親友の苦悩が手に取るように伝わる。
だが、それとこれとは別物だ。
「とりあえず、お前はしばらくの間は絶対にタイムに会いに行くなよ」
「何故だっ」
フェンネルは再び立ち上がり、抗議の声を出す。人差し指を振りながら、バームはもの凄く不自然な程のバカ丁寧な口調で説明を始める。
「分からないのか? タイムはお前が無理やり婚約を決めたと思っているんだぞ」
「それは、俺の指示じゃないっ! あれは──」
「でも、タイム……セリや他の子供等はそうは思っていない。そうだろ?」
「それは──」
声に出して、フェンネルはその考えを否定しようとする。だが、否定しきれない。立場上とはいえ、高圧的な態度で妻子に接したのだ。確実に彼女らに悪印象を与えてしまったはずだ。
後ろめたさからか、フェンネルは、視線をバームから外す。
バームは自分から視線が外れた事で、内心ホッとする。──何とか、バレずに済むかもしれない。
「まぁ、そんな訳だ。分かったな」
「あ、あぁ」
渋々とフェンネルが了解した。
ニヤリとバームが笑う。その笑いが、どこか安心しきったようなモノがあったのだが、落ち込んだフェンネルは気付かなかった。
バームはそっとフェンネルの様子をうかがう。彼は完全に打ちのめされたらしく、心底途方に暮れた顔をしていた。それが左頬の平手の跡に、妙に合わさってしていた為、バームは又も噴出した。
「何故、笑う」
フェンネルが睨み付けた。聞かなくても、バームが笑った理由は何となく見当がついているらしい。声が恨みがましいものになっている。
ここで上手く誤魔化しの言葉を吐けないのが、バームという男だ。目元に涙を浮かべながら、彼は言う。
とてつもなく、意地悪な声で。
「もう少し、じゃじゃ馬の手綱を上手く引いた方が良くね? まぁ、お前が尻に敷かれるのが好きなら、俺は何も言わんが」
「うるさい……」
「ひょっとして、お前さん。そういう趣味があるのか?」
赤くなって静かに怒っているフェンネルが面白くて、つい余計な一言を言ってしまった。
魔王城に稲妻が落ちた。
* * *
「阿呆」
黒こげになったバームを、フキは一蹴した。バームは情けない表情を前面に押し出し、同情を求めた。
「ひでーなぁ、親友だろ? ここは、優しく慰めてくれや」
「ふむ、頭を冷やした方がいいだろうか。凍てつくほどに冷たい水をくれてやろう」
そう言うフキの周囲に魔力が漂い始めた。ただでさえ低い魔界の気温が、さらに下がった。どこからかヒタヒタと水音が聞こえ始める。
「……スミマセン、俺が悪かったです」
両手を挙げ、バームは克服の意を示す。
鼻で笑い、声を潜めてフキが訊く。
「上手くいったか?」
答えるバームも小声で返す。先ほどとは、打って変わって真剣な顔つきで。
「まぁな。タイムの部屋に入ることは、強く禁じておいた」
それを聞き、フキの顔が満足そうな表情に変わる。そしてそのまま、薄暗い廊下を歩き出す。その横にバームも続く。
魔界は人界ほど陽の光が強くない。そのため、常時肌寒い。今日は特に風も強く、窓がカタカタと音を立てていた。
鋭い風音に紛れるように、ため息混じりにフキは言う。
「しかし、あまり時間は無いぞ。アレで誤魔化しきれるのも、そうそう長くは持つまい」
「そうだな。持って半月がいい所じゃね」
「私はそれよりも短いと思うが」
「賭けるか?」
返事の代わりに、冷ややかな視線がバームに向けられた。バームは慌てて片手を挙げる。フキには冗談が聞かないというのは分かっているが、ついついふざけてしまう。
「悪い、今の無し。一昨日言った通り、俺の部下から信用出来る奴を何人か探索に向かわした。表向きは抜き打ちの領地視察としといてな」
そう言いながらバームはフキに一枚の書類を手渡す。フェンネルの署名入りの指令書だ。それを見て、満足そうにフキは頷く。
「私は、引き続き姫様のお部屋の捜索を続ける」
「おいおい、無駄だろ。あれ以上探しても何も見つかりゃしねぇって」
少々呆れ気味なバームの意見を、フキは首を横に振った。
「どんな手段を使ったにしろ、魔法の痕跡は必ず残る。手がかりはあるはずだ。……全く母子揃って手間ばかりかけさせる」
「すまねぇ」
「お前が謝ることはないだろう」
二人の横を硬質な肌をした侍女が一人、駆け抜けていく。挨拶もそこそこに走り続けるところを見ると、よほど急な用事なのだろう。よくある風景なので特に気にもならない。だが、彼女が手にしている物が、二人に強い違和感を与えた。
堪らず、フキが侍女を呼び止める。
「おい、そこの娘」
「ハイ」
元気よく、侍女がこちらに振り返る。その藍色の尖った爪で握っているのは、子供用の椅子。
「何でそんな物持って、廊下を戦力疾走してるんだい?」
ひょっとして侍女間借り物競争? と、おどけながら尋ねるバームに、彼女は笑いながら答えた。
「昨晩、王子様方が椅子を叩き壊されてしまいまして。予備の椅子をお持ちしているんです」
【続】




