英雄語りの後日談
むかしむかしのお話です。
この世界は三つに分かれています。翼をもつ人々が暮らす、天空に位置する天界。異形の力を持つ人々の暮らす、地底に位置する魔界。そして、私達が暮らす人間界。この世界はかつては完全に分かれておりましたが、今は仲良く協力し合っています。
ですが、三世界の一つである魔界の王が三世界征服を企みました。
他の天界・人間界の人々は混乱し、怯え夜も眠れぬ日々を過ごしました。魔王の力はすさまじく、どんどん侵略の手を広げています。人間界の中にも魔界の王子に従う者たちも出てきました。
世界がこのまま堕ちようとした時、一人の少女が現れました。
彼女は天界の王の血を引く人間だったのです。彼女は仲間を引き連れ、魔王に戦いを挑みます。旅の合間に人助けも行う彼女を、いつしか人々は【勇者】と称えるようになったのです!
勇者はたくさんの人々に助け、また時には協力し合いました。様々な困難に打ち勝ち、長い長い旅の末、ついに魔界の王子の元へと辿り着いた勇者。なんと彼女は武力ではなく言葉で説得したのです。勇者を傷付けようとする魔王に対して、勇者は決して剣をふるうことはありませんでした。
勇者のその真摯的な態度に、ついに魔王も心が動かされたのです! 魔王は態度を改め、侵略を撤退しました。勇者に感化された魔王は今までの行いを反省し、破壊した大地を自らの力で修復したのです。そして、みんなの前で謝りました。
こうして、天界・人間界・魔界の三つの世界は、今まで通りの平和な日々を取り戻したのです。
* * *
「めでたしめでたし──ってか」
バタンッと、黒髪の娘が勢いよく本を閉じる。
結構大きな音がしたので、彼女の向かいに座る白銀の髪の青年が肩を震わせた。すぐさま彼は、血のように紅い瞳に非難めいた色を浮かべる。
「セリ、起きたらどうするんだ? ようやく眠ったところなのに」
「大丈夫だってば。この子たちは一度寝たら、世界がひっくり返っても起きないからさ」
セリと呼ばれた娘は、手のひらを振りながら、あっけらかんに答える。しかし、白銀の青年はまだ不服そうだ。鋭い視線を彼女に向ける。美貌の彼が怒りを露にすると多くの者たちが震え上がる。が、セリだけは別だ。彼女は全く怯んでいない。
「気にすんなって。試しに頬つっついてみる?」
「お前……」
心配そうに青年は視線をすぐ真下の揺り籠に移す。揺り籠は通常のサイズよりも大柄な物だ。それもそのはず、その中で眠るのは三人の赤子。
一人はその背中から、きらきらと輝く光の羽根が生えている。
一人はその頭に、銀の獣の耳が生えている。
一人は他の二人と違い、見た目そのままの人間の子。
三人ともスヤスヤと何事も無いかのように眠っている。確かにちょっとやそっとじゃ起きなさそうだ。健やかに眠る我が子たちをセリは慈しむように見つめる。
「な?」
セリが同意を求めてきたが何か腑に落ちない気がして、青年はあえて返事をしないでおいた。彼は未だ不機嫌らしく、眉間に皺を刻んでいる。
「神経質だなぁ。そんなんでよく魔界の王が務まりますな、フェンネル・シトロネア殿?」
「お前が大雑把過ぎるんだよ、勇者殿」
言われて、セリが笑う。
つられてフェンネルも笑う。
「この本、さ。嘘ばかりだよね」
先ほど三つ子に読み聞かせていた本をヒラヒラさせながらセリは言う。表紙に描かれるのは鎧を着た勇ましい少女と険しい顔した男の姿。対峙する二人の絵は英雄物語にふさわしい。
「まずさぁ、『長い長い旅を』って、実際そんなに長く旅してないし。たった三ヶ月でしょ?」
「そうだったな。しかし、それだと話の展開的につまらないからだろう」
「あとさぁ、この本の書き方だと私がまるで『世界を救う』為に勇者になったみたいな感じじゃん」
「本当の理由だと格好がつかないからだろう。何を言ってるんだ、お前は」
いつだったかセリに『何故、勇者になったか』と訊ねたところ、ごく当たり前のようにこう答えられたのだ。
『そんなん、暇だったし。暴れたかったからに決まっているだろ』
それを聞いた時はコイツが本当に勇者の称号を得ていいのかと魔王フェンネルは頭を抱えたものだ。彼の側近の一人はその豪快な理由に大爆笑していたが。
フェンネルの細かいツッコミを無視して、セリは更に本の内容を突く。
「だいたい、そんなにアイツら……特に天界の人らだけど、そんなに大騒ぎしてなかったし。すんごいのんびりしてたぞ」
魔王討伐道中で天界に立ち寄ったことがあったのだ。彼らは魔王に対して『まだ若いからそういう時期もあるよねー』のスタンスだった。ほぼ全員がこれなのだ。寛容通り越して鈍感ではないだろうかとセリは容赦なくツッコミを入れる。
「そんな事を言うなら物語終盤の場面。あそこそ嘘だらけだろう」
「ハァ? どこが」
「俺が何か喋ろうとした途端、容赦なく鉄拳を喰らわしてくれたじゃないか、何が涙ながらの説得だ。泣いたのは俺の方だろうが」
「何を言う。この本の通り剣は一回も振るってないぞ」
「……お前は本ッ当に魔界の生まれでないのが不思議だな」
力あるものが正義を主義とする魔界。なぜ、全く無関係のこの娘がその気質を引き継いでいるのか。常々フェンネルは疑問を抱いている。彼女の強さを知る魔族たちが自分たちと同じ種族でないことを惜しむ声も実際にフェンネルの耳に届いていた。だからこそ、この現状が許されているのだが……というよりも大歓迎されているのだが。
「ともかく……まさかあの事が本にされるとは思わなかった」
少し恥じ入りながらフェンネルは呟く。セリも手元の本を見つめて苦笑する。
「てか、アンタももっと早くに気付きなよ。だって格好のネタでしょ。今時、本気で世界征服を宣言するなんてさ。それに後日談まで書かれなかったことに感謝すべきじゃないのかい、旦那様?」
からかうようにセリが言えば、フェンネルは頬を染めた。武力主義の魔界の王、かつて世界征服を企んだ野心家。彼の肩書は物騒なものだが、その実態は純情な青年なのだ。
侵略を行った起因も人間界で命を落とした彼の父の弔い合戦であった。頑なに父の死因を隠す人間界の代表者たちに怒りと不信感を抱いたのがきっかけであったのだ。だがしかし、その死因というのが若い女性をナンパしようとして足を滑らせて階段から落下するという、実子に伝えづらい内容であったため伏せられていたという心遣いであったのだった。最終決戦時に以上のことを伝えたときの姿はセリの脳内に未だ焼き付いている。頭を抱えてその場にうずくまる魔王の姿。泣くべきか怒るべきか脱力するべきか、表情筋が混乱していたのが哀れであった。自身の父の女好きな性格は把握していたため、真相を信じてくれたのは幸いだったが。
当時を思い返すと、目の前の夫がより愛おしく感じる。自分よりも強いヤツを殴りに行くつもりだったが、彼の人となりを知るにつれて好意を抱くようになったのだった。人生何があるのか分からないものだ。
無言で夫を見つめていると、気まずさからか目をそらされた。そして照れているのか、ますます顔を赤らめる。そんな可愛らしい夫を観察するのはハッキリ言って楽しい。が、拗ねられると後々面倒なので、妻としてフォローも忘れてはならない。
「けれど、私らが知り合ったキッカケになったワケだし。そのおかげで、この子らが産まれたワケだし」
「それは……そうだな」
とろけそうな笑みを浮かべながら、フェンネルは三つ子の頬を一人ずつ優しく撫でる。せっかくの美形が形無しだ。それぐらいに自分の子供たちが可愛いのだろう。それはもちろん、セリだって同じだ。
何だか、胸の奥から暖かい気持ちが沸き上がってくる。
わくわく、に似た感情だ。
この子たちには、どんな未来が待っているんだろう? そう思うと自分の頬が緩くなっていくのが分かる。
「なぁ、名前決めたか?」
「ん……。今、考え中。フェルは?」
「あぁ、俺も。なかなか難しいものだな」
セリの同じ気持ちだった。いくつか候補は考えていたのだが、産まれた我が子らの顔を見たら急に悩み始めてしまった。自分たちが付けた名を、子供たちは生涯付き合ってゆくのだ。
そう思うと、責任重大だ。
自分たちの親も同じように悩んだのだろうか。……今はもう、どちらも確かめようがないが。
「なぁ、セリ」
「んあい?」
急に話しかけられ、セリは間の抜けた返事を返した。隣に座るフェンネルを見れば、この上なく真剣な表情を浮かべていた。
「考え直す気は無いのか?」
「何を? ちゃんと主語使えよ、分かんないだろ」
フェンネルが「何を」聞いているのか、本当はセリは割っている。が、あえてはぐらかした。長くため息を吐いて、フェンネルは言う。
「子供たちもお前も。一緒に魔界で暮らす気は無いのか?」
「無い」
少しの間も無くハッキリと言われ、フェンネルは肩をガックリと落とす。
「何度言われても考え直す気はないよ。私はこの子たちと一緒にここに残る」
「ならば、俺も残る!」
「アホか! お前、魔王だろうが! お前を引き留めたら私が怒られるだろうが!」
「それなら、二日に一度! 魔界で一緒に暮らそう!」
「そんなしょっちゅう二つの世界を行き来したら、子供らの身体に影響が出るだろうがッ」
交流はあるとはいえ、三世界を行き来するのはまだまだ気軽なものではない。権力者やその部下が政治的な話し合いを行うために界渡りを行えるのみだ。そして、その方法は魔力などを強く消費する。強い精神力を持つセリですら、魔界を通うのが気力消耗したのだ。それをまだ生まれて間もない赤子が行えば……考えるまでもない。
二人の言い合いに驚いたのか、赤子の一人が泣き出した。人間の外見の子だ。
烈火の如くではなく、軽くぐずりだしたと言った方がいいかもしれない。
「セリ……」
「あぁ、もうっ。フェルも悪いんだろうが」
二人は小声で言い合う。が、意識は子供に向かっていた。
セリは、慣れない手つきで、泣いた赤子をあやし始める。フェンネルは赤子に視線を合わせ、猫なで声で宥める。
新米母の少々危なっかしい手つきに、フェンネルは内心ひやひやしていた。だが、赤子の方は母親の体温に安心したのか、すやすやと眠りに落ちていった。
その寝顔を移す黒の瞳には、穏やかな光が灯っていた。今の彼女はどこからどう見ても母親の表情をしていた。かつての彼女を知る者がその姿を見たら、きっと驚いただろう。過去のセリは「じゃじゃ馬を通り越してガキ大将」となどと称されていたからだ。
「ま、大丈夫だから。しばらくは、私にまかせてくれないか?」
セリの言葉にフェンネルはしばらく黙っていたが、やがてゆっくりと頷いた。
「ただし、無理はするなよ。何か有ったらすぐ呼べ。飛んで行くから」
「お前なら、ホントに秒で飛んで来そうだなぁ」
その様子を想像してしまい、セリは思わず吹き出してしまう。その笑い声がとても楽しげなものだったから、フェンネルもつられて笑みを浮かべた。
さわさわと、暖かな風が部屋を通り抜ける。
──そして、それから十二年の歳月が流れた。
【英雄語りの後日談・了】




