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WALTZ  作者: 栗栖紗那
7/20

《月下に先触れの咆哮は響き……》4

 何時から夜はこんなに長くなったのだろうか。寝付けないまま、時間はゆっくりと過ぎていく。

 寝返りをうち、時計に目をやる。二時半。布団に入ったのが二時と記憶している。起きるまでに三時間弱。

「起きるか……」

 眠れないまま時を過ごしても、苛立ちが募るばかり。いっそ寝ない方が気は楽そうだ。

 祐樹はベッドから降り、足音を忍ばせて階下へ向かう。途中、霧香の部屋を覗く。規則的な寝息が聞こえ、祐樹は苦笑。

「良く……寝れるな」

 そっと扉を閉め、今度こそ一階に向かった。買った当時こそ、新築だったが、住んでから五年になる。五年物の階段は昼間こそ気付きにくいが、夜ともなれば、大きな軋みを奏でる。なるべく霧香は起こしたくない。出来るだけ静かに階段を下りる。一階に辿り着き、そのままキッチンに向かった。

 熱帯夜という予報はなかったのだが、やけに暑い。グラスに氷を入れ、麦茶を注ぐ。一息に飲み干し、顎を伝う汗を手の甲で拭う。このところ、寝付けないなんて事はなかった。グラスにもう一度麦茶を注ぎ、場所をリビングに移す。ソファに腰を下ろし、目を閉じる。

 祐樹は自分が見知らぬ人が困っているのを見て、黙って手を差し伸べる事が出来るような、出来た人間じゃないと自分では思っている。自己中心的で、すぐに暴力に訴える人間だとも思っている。

 でも、見知らぬ他人に手を差し伸べてしまうのは、見栄というもののせいだった。他人に良く見て貰いたいという気持ちの現れ。我ながら嫌になる。

 祐樹はグラスに口を付けた。冷たい液体が喉を潤す。しかし、体にこもる熱を冷ます事も心を潤す事もない。

「はあ……」

 溜息を吐く。

 思考は移ろう。五年前のことへと。八月三日。それが妹の死んだ日だと、間違いなく言える。しかし、その死因に関して、何一つ記憶はないし、答えは得られていない。

 幾度問い、幾度失望したことだろう。

 幾度嘆き、幾度自分を恨んだことだろう。

 解は得られぬまま、五年という時は過ぎ、今ここに自分はいる。

 

 ギシ――

 

 階段が軋んだ。祐樹が金色の瞳を向けると、自身の立てた音に驚くように引っ込められる脚が見える。

「起こしたか?」

 祐樹が問い掛けると、霧香がゆっくりと階段を下り、首を横に振る。

「ううん……もともと起きてた。なかなか寝れなくて」

「そうか」

 どうやら、さっき寝ていたと思っていたのは寝た振りだったらしい。

「暑いね、今日は」

 そう言って遠慮からか祐樹の向かいに腰掛ける。服装は彼女が持参した薄桃色のパジャマだ。衣服や学校に必要なものはだいたい持って来た、ということだった。だから、鞄が重そうだったのだ。

「麦茶、飲むか?」

「うん。もらおうかな」

 祐樹はグラスに麦茶を注ぎ、霧香に手渡す。霧香が祐樹の手ごとグラスを掴む。彼女は真っすぐに祐樹の瞳を見詰め、

「できれば、さ。できればでいいんだけど……あまり一人で悩まないでほしいな。私が言えた立場じゃないかもしれないけど。ね?」

 祐樹は瞳を逸らした。視界の端、霧香が寂しそうにふっと微笑んだ。学校では決して浮かべない表情だ。

「話しよ? どうせ、寝られないんだしさ」

 霧香は祐樹の手からグラスを受け取り、口を付けた。

「おいしい」

「馬鹿。ただの麦茶だ」

 そうして、二人は夜が明けるまで話し合った。学校のこと。今読んでいる本のこと。料理のこと。友達のこと。音楽のこと。今流行りの映画について、など。話題は尽きることなく、互いが口を閉ざすことを恐れるように、ひたすらに話し続けた。

 

    †

 

 空が白み、早朝の散歩をする人が増えていく。風見は歩みを止めた。

「ここか」

 風見は蒼い屋根の家を見詰めた。表札に刻まれた苗字は新城。新城真琴の息子である祐樹の家だった。

 風見の唇が笑みを形作る。声は発さないまま、言葉を紡ぐ。

「時は過ぎた。君はもう待つばかりの人間ではない。与えられた答えに対し、自分で考え、選択をしなければならない。わかるかい? 責任は全て君自身が負うのだよ?」

 風見は更に笑みを深くし、高い足音を立てて、その場を去った。

 風見の脚が向かう先は繁華街。ショッピングモール、アクアモールだ。客用の入り口はシャッターで堅く閉ざされているので、風見は合い鍵を使い、職員用の通用門から入る。古風な鍵が幾つも付けられたキーリングを指先で回し、脚は軽快に高音を奏でる。タップダンスのような不規則な音が誰もいないアクアモールに反響する。らららだけで謳い、ある店を目指す。

 一曲謳い終えた所で脚をぴたりと止めた。高い反響音が微かに木霊した後消える。

 大仰な仕草で閉ざされたシャッターに向き直り、合い鍵を鍵穴に差し込んだ。軽い音がして解錠されると、彼はものぐさにシャッターを足で蹴り開けた。がらがらと壮絶な音を立て、店が露わになる。店名の書かれたプレートには飾り文字で星蓮とある。勿論店主はいない。それでも彼は一切構うことなく、店に足を踏み入れる。商品の陳列された棚には目もくれない。彼の姿が店の半ばに来た時、背後で唐突にシャッターが閉まる。それでも彼は足を止めない。彼の足がようやく止まったのはスタッフオンリーと書かれた扉の前。一度背後を振り返り、誰もいない事を確認する。あくまでも念の為、という風に。

 風見のしなやかな指がキーリングの中から一つの鍵を選び出す。古風で、形状は鍵というよりはペンダントのヘッドに近い、装飾的なものだ。風見が掴む部分に、他の装飾に埋もれるように三日月型の刻印がある。

「それでは、久しぶりのお目見えと行こうか?」

 一人薄く微笑み、鍵を鍵穴に差し込んだ。そして、一息に捻る。その瞬間、扉に蒼い光が走り、一連の文字を刻む。『geheimes Tor』と。笑みを深め、キーリングを内ポケットへ仕舞うと、ノブを無造作に捻り、扉を開いた。その向こう側の景色はスタッフルームではない。広大な草原が広がる場所。風見は慣れた様子で一歩を踏み込み、後ろ手に扉を閉ざした。

 風見は深呼吸をする。若草の匂いが肺に満ち、今まで肺に溜まっていた夏の都会の空気が追い出される。心地良さそうに目を細め、

「ふわぁあ……」

 大欠伸をした。誰も見ていないことを確かめ、眠い目を擦る。徹夜で歩き回っていたのだ。この所の寝不足も祟り、欠伸が止まらない。本来的に睡眠を必要とする種族ではないが、眠りを必要とする人間と同じ生活リズムで生きていた為、体は必要なくても心が欲するようになってしまった。

 草を踏み締め、清浄な空気を楽しみながら、遠くに見える不自然なビルを目指す。草原にはぽつりぽつりと家が建っているが、住民が起きている気配はない。

 風見は段々と冴えてくる頭で思考を巡らす。ヴォルナ世界系から減った魔獣。自ら調査して、検出された封力からわかった事は、召喚系の魔術に近いという事。魔封ではないらしい。という事は異世絡みとなるのは必死。これ以上の被害を減らす為と事件の拡大を防ぐ為に行動しなければならない。

 考え事をしている時は時間が経つのが早い。気付かぬ間にビルの前へ到着していた。背後を振り返る。広大な草原が広がる空間だ。背の高いビルを見上げる。この空間には似つかわしくない。この空間は世界を構成する《核》を模して造った模造核を使って存在している。もしも、その核が壊れるなんて事になったら、この空間の何もかもを巻き込んで崩壊する事になっている。

「そんな事はある訳ないけどね」

 核は厳重な管理区域に置かれていて、日に何度も点検されている。

 草原に突如として現れたような、不自然極まりない建造物を今一度見上げ、そして、荘重な面構えの扉に触れた。

『個人承認……情報一致。立ち入りを許可します』

 何も書かれてなかったプレートに紅い文字が走った。そして、風見の視界が反転した。目まぐるしく景色が移り変わり、最後に一つの場所に到達した。

 風見はぐらぐらする頭を押さえ、辺りを見回す。

「これはこれは……しょっちゅう外出を言いつけられる局員は大変だね」

 風見が立つのはだだっ広い円形の部屋。壁に書架が置かれ、溢れた書物は床に平積みだ。

「お久しぶりですね、風見殿」

 名を呼ばれ、風見は声の方へ向き直る。部屋の中央に、取り残されたようにぽつんと存在するのは飴色に光る机だ。

「いきなり局長室か……久しぶり、茜」

 椅子ではなく机に腰掛けるのは妙齢の女性。ダークブラウンの髪に菫色の瞳。唇には微かな笑みを湛えている。名前は日本人だが、外見はそう見えない。

「直々にお出ましとは珍しい事もあるものです。勿論、重要な話ですよね? ああ、その前に珈琲でも飲みませんか? 私も寝不足なので」

「お願いするよ」

 風見が笑みと共に頷くと彼女は指を弾いた。快音一つ。

「失礼しますぅ」

 入って来たのは局員の一人。風見も見知った顔だ。

「やあ、深雪」

「ひゃあっ、先輩ッ!」

 何の気なしに通った大学の後輩で、今は【ルナ】の立派な局員。ある事件をきっかけに巻き込んでしまったのだが、彼女は進んでこの世界に足を踏み入れた。ショートにした髪と大きな目は彼女の性格を何一つ象徴しない。快活そうに見える外見だが、その内面は思慮深く、局長秘書として公認されている。また、医療方面に優れた魔封師ということもあり、何かしらの作戦任務に同行する事も多い。多忙な身だ。

「久しぶりだね」

「はい、十年ぶりですかぁ?」

「……そんなに経ったのか。という事は、二分の一還暦を祝すべき?」

「けっこうです、先輩」

 深雪はにっこりと笑って首を振り、茜に向き直る。

「ところで、何かご用でしたかぁ?」

「珈琲を二つ。それと、しばらく立ち入り禁止にして下さい」

「わかりましたぁ」

 ちなみに、語尾が伸びるのが彼女の癖だ。風見は相変わらずだな、と苦笑して、一礼してから部屋を出る深雪を見送る。

「私とは十五年ぶりですけどね……」

「あはははは……」

 茜は子供のように脚をぶらぶらとさせ、風見を見る。風見も乾いた笑いを漏らした後、すぐに笑いを納め、彼女に視線を返し、

「研究所から報告は来たかい?」

「昨日。所長直々に」

 風見の問いにすぐさま答えが返る。風見は顎にしなやかな指を添え、

「なら、話は早い。どう思う?」

「……どう思う、と仰られましても。即答はしかねます」

「判断がつかない、と?」

「雅殿に訊いてはいけないのですか? 彼ならわかると思うのですが」

「彼によれば、異世絡み」

 茜の顔が厳しくなる。彼女が口を開きかけたところで深雪が現れる。

「どうぞぉ」

 差し出されたマグカップを受け取り、さっそく口を付ける。

「ブラックとは気が利くね?」

「へ?」

「ん?」

「あちゃー……」

 一瞬、間の抜けた顔をした後、深雪は額に手を当てた。

「すいません、きょくちょぉ。ミルクが二倍入ってしまったみたいで」

「構いませんよ。甘いものが飲みたかった所ですし」

「でも、すいません。いつもはブラックなのに」

「気になさらず」

 茜はにっこりと笑い、珈琲に口を付ける。風見がミルクの方を飲めばいいのだろうが、茜はすでに口を付けているから、交換するという考えはないようだ。風見はそのままブラックを飲む。

「では、失礼しましたぁ」

 深雪が一礼して出て行く。彼女の気配が完全に遠ざかるのを待ってから、茜が口を開いた。

「だとすれば、こちらも警戒態勢をとらなければならないのですが」

「だけど、異世そのものに動きはない、と」

 風見がどこか揶揄するように言う。

「その通りです。ですから、無闇に動いて刺激はしたくありません」

 菫色の瞳が風見を見据える。風見も笑みを含んだ視線を向け、

「では、僕が動く。それなら問題ない」

「多々あるように思えますが……しかし、お願いします」

 深々と頭を下げる茜へ風見は肩を竦めてみせる。

「言われるまでもなく、だよ」

「ところで、用件はそれだけでしたか?」

「そのつもりだったけど?」

「では、こちらからお願いしましょうか……」

「高くしとくよ?」

「それは結構です。綾香さんの事はくれぐれもお願いします」

 茜が真摯な瞳で風見を見る。風見は軽く肩を竦め、

「何。今すぐどうこうという話ではないだろう? ソラトも今はいない。警戒する事もないと思うよ」

「それでも一応、です」

「わかってるよ。勿論任せて」

「お願いします」

 先程よりもさらに深く頭を下げる。

「それにしても、彼らは面倒な道を選んだものだね……」

「あなたのお陰でしょうに。ていうか、あなたが言っていい台詞じゃありません」

「発端は、ね……まあいい。ご馳走様。僕はそろそろ帰るよ」

「ええ、お気を付けて」

 茜の言葉が終わると同時、全ての景色が反転した。本棚と机の姿が崩れ、辺りは草原へ戻る。

「全く……せわしないんだから……」

 そう言いながら、早急に風見を追い出したのかがはっきりわかっていたので、怒る事はない。机の上に座った茜の背後。細い体で山積みになった書類を隠していたのが風見には見えていたのだ。

「色々と忙しいものだねぇ……」

 独白し、風見は空間に現れた扉に身を滑り込ませる。

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