村祭り
一頻りの驟雨があって、強い日差しは相変わらずだが、田面を渡ってくる風が涼しさを感じさせる。一面に広がる田圃に稲苗が一斉にゆれて、縁側に腰を下ろした麗奈の眼にやさしく映る。騒がしい蝉の声に混じって、遠く祭囃子が聞こえてくる。「来やしないよ・・来る訳ない・・・でも、もしかして・・・」洗い立てで糊の利いた浴衣を伸ばしながら、ため息をついた。もう何度目だろうか。一弥との別れは突然だった。蔵前に住んでいる一弥と一緒に、お洒落な浴衣を買った。あれはもう一年前。
十八の時、設計の専門学校に入り、一年先輩の一弥と出逢った。お互い一目ぼれで、たちまち親しく付き合うようになり、誰一人知らぬものもない、恋人同士だった。一弥が手縫いでブラウスを作ってくれたこともある。男の不器用な手で縫ったものだから、ヘンな格好だったが、とても嬉しかった。今もタンスの奥に大事にしまってある。三度目の食事の時、唇を奪われ、身体を許した。逢うといつも抱かれてしまう。それがたまらなく嬉しかった。
一弥は二十歳になると大坂の大学に編入した。岩手と大坂。幸い花巻から大坂まで飛行機便があり、麗奈は月に2、3度大坂へ通っていた。大学を卒業した一弥は、岩手に帰らず東京で働くという。どうして私のいる岩手へ帰らないの。岩手だって私の働いているような設計事務所だってある。そりゃぁさ、たまに一弥のアパートを尋ねて、買い物をしたり、色んなとこ連れて行ってもらったり、食事をしたりするの楽しいよ。だけど私はずうっと一緒にいたい。だから帰ってきて欲しい。何度そういっても一弥は、はっきりした返事をくれない。丁度一年前、とうとう私は、岩手に帰ってこないんだったら別れてと言ってしまった。あの日、一弥は別れの時、新幹線の窓越しに、こぶしを握り片手を振り上げる仕草をした。あれは何だったのだろう。意地を張ってそれから一度も連絡をとっていない。こんなに好きで好きでたまらないのに・・一弥も手紙ひとつよこさない。東京に好きな女でも出来たんだろうか。あいつ、内気で不器用なくせに強引なところがあるから・・・
夕日が田圃を照らし、蝉の声も蜩に変わった。いつしか祭囃子が華やかに、盆踊りの曲調になって、ひどく胸騒ぎがする。やっぱり行って見よう。あれほど大好きな盆踊り。一弥が隣村から来るかもしれない。可能性は殆どないが、一弥の近況を、噂ばなしでもいい、僅かでも拾いたい。赤い鼻緒の駒下駄、朝顔を散らした可愛い浴衣。そうだ、一弥の好きな黒髪をアップにしてみようか。ルージュは彼が嫌いだからグロスだけにしよう。下着はつけないほうがいいのかな。来るはずもない一弥。でも万々一逢えるかも知れない。なんとなく麗奈はウキウキした気分で家をでた。祭りの行われる鎮守の森はすぐそばだ。
麗奈が神社に着いたとき、祭りは最高潮に達していた。高い櫓の周りには何重もの人の輪ができ、みんな夢中に踊りを舞っている。眼をこらして人ごみをみる。やはり一弥は来ていない。どうして。どうして来てくれないの。こんなに、こんなに逢いたいのに。ああ、一弥。一弥。・・・・麗奈の目に一杯の涙があふれてくる。しゃくりあげてしまいそうになる。あのやさしい腕に抱かれたい。口付けしたい。・・・・・・
立ち尽くす麗奈。何時しか日もとっぷりと暮れ、星が全天に輝き、盆踊りも終わりを告げようとしている。村の青年たちが、次々声を掛けてくる。スレンダーな長身。グラマラスな肢体。長い黒髪と真っ白な肌、愛くるしい面差し。麗奈ちゃん、一杯付き合わないか?お前一弥と別れたんだろ?うるさい!バカ!あたしには一弥しかいない!泣きながらふと見ると、神社前の暗がりの階段に白い浴衣を着た長身の男が佇んでいる。ドキンとする。か、か、一弥・・・一弥が来ている!男が立ち上がった。こちらの方へゆっくり歩いてくる。心臓が飛び出しそうになる。夢にまでみたあの顔。あの眼差し。男の眼に一杯涙が浮かんでいる。ものをも言わず、二人は抱き合う。すぐに唇がふさがれる。「だ、大好き。麗奈。逢いたかった」麗奈はただ泣くだけ・・・・




