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失恋するまでの10日間〜ルヴァイン王国の姉妹姫による素敵な恋の物語〜  作者: ayame@アンジェリカ書籍化決定
失恋するまでの10日間

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エステル9

 そのまま季節は過ぎ、無事大学を卒業したソフィアにそろそろ王配の選定をという声が大きくなり始めた矢先、南の領地で魔獣暴走(スタンピード)が発生した。


 国宝たる聖剣が輝きを増し、そして聖剣は、英雄に准騎士カーク・ダンフィルを選んだ。


 准騎士が英雄に選定されるのは異例のこと。しかしカークはあと二ヶ月で成人し、正騎士への昇格も間違いなしと言われていた逸材だ。聖剣の選択は騎士団内でも好意的に受け止められていた。


 魔獣討伐に待ったなしの状況で、即座に英雄に出動してもらうために、前倒しでカークの正騎士の叙任式が開かれることになった。この日はさすがのエステルもドレス姿で列席した。


 正騎士の叙任式では、国王陛下から剣を賜ることになっている。カークの場合、それに加えて聖剣の貸与式も同時に行われることになった。本来であれば国王が執り行うべき一連の儀式は、この日、王太女であるソフィアに委ねられた。魔獣暴走(スタンピード)の発生の知らせに急遽立ち上げられた対策本部の長にソフィアが任命されたことを受けての、こちらも異例の抜擢だった。


 グレーの准騎士の隊服から、ダークグリーンの正騎士のそれへと衣装を変えたカークは、ソフィアから騎士の剣を受け取り、続けて聖剣を授けられた。


 まばゆい光をまとわせた聖剣が鞘ごとカークの手に渡った途端、聖剣の光が彼自身をも取り巻いた。立ち上る光は、聖剣を手渡すソフィアにも降り注ぐ。


 カークは聖剣を受け取ったその手で、すぐさま鞘からそれを引き抜いた。再び跪き、柄の部分をソフィアへと向け、剣先を自身の胸へと当てる。


 正騎士に許される、剣を捧げる儀式だと、誰もが理解するのと同時に目を見張った。ただの騎士の剣ではない、国宝である聖剣を、王太女であるソフィアに捧げたのだ。


 剣を捧げる儀式は、何も正騎士の叙勲の際に行わなければならないものではない。騎士自身がこの人のためにと決めたとき、自由に誓うことが許されている。捧げられる相手は生涯にひとりきり。


 その貴重な機会を、カークは英雄として立ったこの場で、ソフィアを相手に選んで捧げた。


「ルヴァイン王国王立騎士団正騎士、カーク・ダンフィルは、この剣をソフィア王太女殿下に捧げます。生涯に渡り貴女様に忠誠を誓い、貴女様の剣として誇り高く戦います」


 彼の熱意を汲んだかのように聖剣の光が一際大きく揺らめいた。カークから立ち上る光は、そのままソフィアの身体も包み込んだ。一対の荘厳な彫刻(レリーフ)のごとき光景に、その場にいたすべての者が万雷の拍手でもって祝福した。


「あなたの剣と忠誠を受け取ります。カーク・ダンフィル卿、この国難にはあなたの力が必要です。そして必ずやその忠誠を携えたまま、再び私の元に戻ってくるよう、命じます」


 ソフィアの呼吸が珍しく震えていたことを、すぐ傍にいたエステルだけが気づいていた。


 聖剣は魔獣を斬ることができる唯一の剣。故にカークが身を投じる戦いの場所は、魔獣が蠢く最前線だ。誰よりも前に立ち、誰よりも多く剣を振るわねばならない彼には、誰よりも危険な任務が課されるということ。


 それを命じねばらない姉の心の痛みはいかほどか。ただ立っているだけの役割で許されたエステルですら、身が裂かれそうなほど辛いのに。


 慌ただしく出立の準備がなされる騎士団の修練所へ、叙任式が終わってすぐに駆け出さずにはいられなかった。慣れない長い裾のドレスと、履き慣れないヒール靴が煩わしかった。けれど着替える間も惜しいのだ。なぜならカークたちはすぐに城を発ってしまう。


 父王から与えられた黒馬の最終の手入れをしていたカークを見つけるのに、それほど時間はかからなかった。


「カーク!」

「エステル……様っ」


 驚く彼に駆け寄り、軽く息を整える。彼の空色の瞳がふと細められた。まるで何か眩しいものを見ているかのような、見たことのない表情だった。


「カーク、その……」


 こんなときになって、まともな言葉が出てこない。ここを旅立てば魔獣を殲滅するまで帰ってこられない。いくら聖剣に選ばれた英雄だからといって、彼が無事である保証はないのだ。


 周囲には出発の準備に勤しむ大勢の騎士たちの姿があった。今回の討伐隊に参加するのはカークだけではない。騎士たちの剣で魔獣を絶命させることはできなくとも、足止めにはなる。カークが魔獣にとどめを刺しやすいよう、彼らもまた剣を振るう。


 けれど騎士たちとカークの違いは明確だ。彼らは休むことが許されるし、失礼な言い方をすれば逃げることも断ることもできる。けれどカークにはそれが許されない。聖剣の持ち主である彼はこの重責から(のが)れられない。仮に彼が剣を手放すことが許されるとするなら——それは命を散らしたときだけだ。


 その事実に今更ながらに気づいて、エステルは息が止まりそうだった。喉が塞がれてかけらの声も出せない。


 思わず俯いた先に彼が腰に穿いた聖剣が映り、その存在が——憎いと思ってしまった。


(なぜカークでなければならなかったの。なぜ彼を選んだのよ……っ!)


 ルヴァイン王国の姫として、決して抱いてはならない思い。国を守る聖剣に楯突く声をあげるなど、許されることではないとわかっていながら、渦巻く思いを制御することができない。


 目の前にある聖剣を奪って、地面に叩きつけてやりたい衝動に駆られた。魔獣の暴走から我々を守ってくれる唯一無二の剣を。カークが、エステルが恋する彼が、姉に捧げたその剣を。


 言葉を失ったエステルの頭に、ふと温かな気配が降りてきた。カークの手がエステルの頭をぽんぽん、と撫でていた。


「どうやら俺は、すごく運がいいみたいです」


 彼の手が作る影の先で、空色の瞳が揺れた気がした。逆光になってよく見えない。


「万が一の奇跡を願ってはいたけど、まさか英雄になれるなんて考えてもいなかった。これで俺の夢が叶うかもしれないと思うと……心から嬉しいんだ」


 そして彼は——大きく破顔した。


「だからエステル、俺を笑顔で見送ってほしい」


 何度も見上げた彼の表情の中に、懐かしい景色が見えた気がした。城中の庭という庭を探検して走り回ったあの頃。カークはいつもエステルを後ろを追いかけてきてくれた。


 いつの間にか彼は自分を追い越し、そしてずっと先まで走り抜けようとしている。


(あぁ、そうか……)


 いつかのカークの言葉を思い出す。万が一の奇跡を起こすために騎士になるのだと、そう言った。王女の隣に並び立つために武功を上げたいのだと、そのために彼女に剣を捧げたいのだと。


 最後の願いはすでに叶った。聖剣は姉ソフィアに捧げられ、ソフィアもまた彼の忠誠を受け取った。


 次にカークが願うのは——姉ソフィアの隣に立ち、彼女が導く国ごと、真の意味で守れる存在になること。


 英雄という肩書きは、彼にとって奇跡を起こせる唯一無二の力だ。子爵家という身分では不可能だった彼の夢を、その肩書きが叶えてくれる。


「……わかった」


 今理解したのではない、ずっと前からわかっていたこと。


 彼は姉を愛し、姉もまた彼のことを慕っている。


 エステルは込み上げる思いに蓋をして、唇の端を吊り上げた。


「絶対無事に帰ってきてね、約束よ」

「……あぁ」


 カークの手が伸びて、またエステルの頭を撫でる。幼い子どもにするようなこの行為が、なぜか今は恨めしい。


 けれどこの手は、ソフィアでなくエステルだけに向けられるものだった。彼が無事凱旋し、その褒賞で姉の婚約者に据えられたら、もう与えられることもなくなるだろう。


 これが最後になるかもしれない、彼の手。自分は今、うまく笑えているだろうか。


 カークと別れ、城のバルコニーから旅立つ騎士団を見送る。最前列で黒馬に跨る彼と聖剣が一際輝いているのを、皆が熱狂的に讃えている。


 隣では姉が凛とした表情で見送りに臨んでいた。彼女の胸中には何があるのだろう。自分の隣に並び立つために、奇跡を起こして英雄となった彼のことを、誇らしく思っているのだろうか。


 エステルの思いを他所に、カークは旅立っていった。そして、二年という長き月日に渡り、国の英雄であり続けた。



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