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失恋するまでの10日間〜ルヴァイン王国の姉妹姫による素敵な恋の物語〜  作者: ayame@アンジェリカ書籍化決定
恋を叶えるまでの10年間

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ユリウス10

 自分を見るソフィア王女の目は実に心地がいいと、満足しながらユリウスは愛しい女性と向かい合う。誰にでも見せる完璧な王太女の姿はすっかり鳴りをひそめ、自分を見返す視線に疑り深く何かを探るような色がある。カーク・ダンフィルに向けていたような簡単に押し込められる浅いものではない、取り繕うことさえ忘れた、彼女の紛うことなき本心。


 そしてそこにあるのは恐怖ではない。十年の思いが暴走してやり過ぎた感は否めないが、婚約者としての初対面の挨拶に微塵の後悔もないユリウスは、ただ微笑んで手を差し出した。呼吸を早めて、ルビーの瞳を揺らして、それでも自分のエスコートを受けて、歩く間にもちらちらとこちらを見上げる様に、気づかない振りをしながら笑みを深める。


 この婚約が破棄されることはもうない。自分が彼女の夫となることは明らかだ。


 だが、彼女が恋のひとつも知らないまま生きていくなど、彼女の幸福も願う自分としては到底受け入れられなかった。ユリウスが這わせた細くしなやかな蔦に絡め取られた彼女に、「ここにいたい」と、そう思わせたい。


 だがその前に。


「この十年間のことをお話しさせてください」


 彼女を得る対価には足りないが、己のすべてを捧げるつもりで、ユリウスは十年前の顛末を語った。さすがのソフィアも、あの伯爵家取り潰し事件の数百名にものぼる被害者たちの、その後のすべてを把握してはいなかった。


「納税の遅延申請と併せて税務管理官の派遣の要請も行なったのですが、それに先立って、気鬱の病で静養中だった兄に手紙を出しました。私がいない間のランバート家を取り仕切ってほしいと頼んだのです」


 当時家には妹のローラひとりが残されていた。派遣されてくる管理官の年齢はわからないが、男性と十四歳の未婚の娘とを二人きりで過ごさせるのはあまりに外聞が悪い。


 後継がユリウスに変更となって以降、兄とは一切の会話を交わしておらず、閉じこもった彼と顔すら合わせていなかった。兄からすれば自分は己が持っていたものを奪った憎い弟だ。体調を崩してもいる中、受け入れてもらえる自信はなかったが、とにかく頼むだけ頼んでみようと、療養先に手紙を出した。


 そして兄は——ユリウスの要請を受け、自宅に戻ってくれた。ただしユリウス宛に届いた返信には「わかった」との一言しか書かれておらず、兄の胸中を完全に察することはできなかった。


「今思えば兄が諾の返事をくれたときに、会いに戻るべきでした。お飾りではあっても私が当主だったのですから。ですが……私も怖かったのです」


 面と向かって会えば恨みをぶつけられるのではないか。そう思えば故郷に戻る足も鈍ってしまった。


 そんな状況で、再び兄と対面するのにさらに二年の月日を要することになった。


「妹がかねてより思いを交わしていた子爵家の令息に嫁ぐことになりました。まだ十六で早すぎるかとも思いましたが、兄の治療費が戻ってきたことで持参金も捻出できましたし、何よりまた不測の事態に陥って結婚が難しくなる可能性もありうるかと思うと、安定している今のうちにと考えたのです」


 十八歳になったユリウスは妹の結婚式に出席するために、二年ぶりに帰郷した。そこで彼の兄スチュアートはユリウスを——朗らかな顔つきで歓待してくれた。


「伯爵家の再興のために領地経営に精を出せたことが、兄にとって生きる活力となったようです。さらに兄は……私に頼られたことが嬉しかったと、そう言ってくれました」


 二年もの間病に苦しみ、弟妹に看病されるだけの毎日。やっと克服したと思えば後嗣から外されるという現実。大学進学の夢も絶たれ、それがすべて弟へと譲られる。まるで必要ない人間だと烙印を押されたかのような状況は、兄にとってどれほど絶望的だったか。


 父が亡くなったタイミングで発覚した巨額の借財の前に、兄もまた苦しんだのだろう。それが解決した矢先に届いた、弟からの依頼。病に伏しているわけにはいかないと取るもの取らずに戻った兄を待っていたのは、王宮から遣わされた税務管理官だった。


「実は私も長いこと勘違いしていたのですが、管理官の方は女性だったんです。兄より八歳年上の、男爵家出身の離婚歴のある方でした」


 女性ながら大学を卒業し、一度は王宮に勤めたものの、実家の圧力に負けて退職し親の言いつけで嫁いだ。だがその後二年間懐妊の兆しがなく、婚家から離縁された経歴のある女性だった。地方へ派遣される管理官は独身者が選ばれやすい。我が家に未婚の娘がいたことも考慮されて、再就職したばかりの彼女が選ばれた。たまたまファーストネームが男性でも女性でもありうる名前だったため、書面のやりとりしかしていなかったユリウスも気づかず、妹の結婚式で発覚した事実に少なからず驚いた。


「その女性の存在も、兄が快方へと向かう大いなる助けとなってくれたようです。その頃の私はいずれ時期がくれば兄に爵位を譲ってもいいと考えていたのですが、本人にあっさりと断られてしまいました。兄は彼女にプロポーズしたいとまで考えるようになっていたんです」


 貧乏伯爵家とはいえ当主の嫁ともなれば、それなりなものが求められる。離婚歴があり、かつ子どもが産めぬ可能性があるとなれば、社交界でひどく後ろ指を刺されることになるだろう。自分も事情持ちであるし、彼女をそんな目に合わせたくないと願った兄は、このまま伯爵家当主の補佐としてこの家で雇ってほしいのだと弟に頭を下げた。ユリウスが二つ返事で了承したのは言うまでもない。


「実直な管理官だった彼女は、その後も一管理官として任務を果たし、任期を終えてから職場を退職しました。今はランバート伯爵家当主の兄嫁として、二人で領地を切り盛りしてくれています」


 これがこの十年の間にあったランバート家の物語だ。語り終えた後で、ユリウスは「あぁそうでした、もうひとつありました」と付け加えた。


「妹が結婚する直前に、父の遺体を故郷に帰してやることができました」


 旅先で事故に遭い、身元不明のまま一度は現地で埋葬された父の棺を輸送することすら、当時の自分たちには難しかった。約二年ぶりに自宅へと戻ることができた父は今、最愛の妻の隣で眠っている。兄嫁や嫁いだ妹が定期的に花を供えてくれていると、兄から報告を受けている。


「すべて貴女が成し遂げられたことです、ソフィア様」


 婚約者の手を取り見つめれば、彼女はルビーの瞳を数度瞬かせ、「それは違うわ」と唇を震わせた。


「ユリウス殿は勘違いをしているわ。ランバート家が受けた補償は法に則った当然のものであって、私が特別に与えたわけではないもの。あなたの家が再興されて、お兄様方や妹さんが幸せに暮らせているのはとても喜ばしいことよ。でも、そこまで盛り返すことができたのは、あなたたち家族の努力があったからよ」


 言い切ったソフィア王女は、合点がいったかのように肩の力を抜いた。いつもの王太女に相応しい賢い表情が戻る。


「あなたは私に恩義を感じてくれていたのね。だから、私の婚約者がいない状況で手を上げてくれたということでしょう?」

「違います」


 この先をソフィアと共に過ごし、彼女に従うと決めた。彼女が白を黒と言えば自分もそうだと追随し、なんなら白を黒く染めることにまで手を尽す。


 だがこの思いを歪めることだけは、たとえ彼女であっても許せなかった。


「私の思いは、恩義などという言葉で簡単に飾れるものではありません。この際正直に言いますが、この国がどうなろうと大して興味もありません」


 未来の王配として決して口にしてはならぬ気持ちを告白すれば、ソフィア王女はまたしても目を丸くした。


「ですが、貴女が国を思い、民を導くというなら、私も共にありましょう。貴女の望みを叶えることが私の喜びなのです。だからソフィア様」


 取った手を握りしめ強く引けば、彼女は実に簡単にユリウスの胸元に倒れ込んだ。


 白い腕の先の、自分よりもはるかに細い身体を囲い込む。


「ユリウス殿、何をっ」

「どうかこれからも思うままに生きてください。貴女がしたいことを好きなだけ背負ってください。疲れ切って倒れてしまった先には必ず私がいます。いつでもこうして受け止めて、抱きしめて差し上げます。また立ち上がりたくなるように」


 カーク・ダンフィルでは駄目なのだ。仮にあの騎士がソフィア王女の隣に立ったとして、彼女のために戦い、命を散らすくらいのことはするだろう。自分は無茶をしてもソフィア王女には無茶をさせたくないと、そう動く。


 だが生まれながらの王太女である彼女が、心からそんなことを望むはずがないのだ。自分がしたことを、救った大勢の人を、特別なことではないと言い切る彼女が。


 ソフィアを王太女足らしめる考え方は、もはや彼女の血肉となってこの細い身体を作り上げていた。だとすればすぐ傍にある者の役目は、彼女を囲って守ることではなく、全力で走り切った後に倒れ込める先の存在になること。


 この腕の中でなら何も取り繕わず、仮面を脱いだまま休めると、疲れを癒す彼女の止まり木となること——。


「貴女が守るべきものの中に、この先私は入れなくて結構です。私の命は、貴女が自由に使っていただいて構わないものですから」


 捧げるのではない、預けるのだ。彼女の半身となって、身も心もひとつとなること。それこそが十年かけて自分が目指した場所だった。エステル王女やカーク・ダンフィルのように、十年前の十六だった自分のように、彼女に守られる存在ではもういられない。


「ただし、貴女を傷つけるような輩がいれば、それが英雄であろうと他国であろうと、全力で潰しにかかります。それだけはお許しください」


 ユリウスの胸の中で細い身体がぴくりと揺れた。彼女を覆い尽くす蔦は、決してきりきりと縛りつけるものではない。その小さな手でもってしても簡単に引き千切れる程度の、脆いものだ。


 怖ければ、逃げたければ押しのければいいのだ。ユリウスの気持ちは本物だが、力には細心の注意を払って加減していた。


 だがソフィアは彼の胸を押し除けはしなかった。むしろゆるゆるとその尊い手が自分の背へと回される。


 ユリウスはこの十年で一番の笑みを浮かべた。


「おわかりですか、これが恋するということですよ。いつか貴女からもその思いを返してもらえるよう、全力で口説いてみせます。——どうか、お覚悟を」


 誰よりも優秀な男は、さらに十年かけてこの日の言葉を現実にしてみせる——。




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