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あの女は紅いランボルギーニカウンタックを欲していた。

作者: 虫松
掲載日:2026/04/18

鏡を見るたびに、生え際は後退し、腹は前へ出てくる。身長はどうにもならず、体型は「明日から痩せよう」という言葉だけが何年も生き延びている。

昔から、女に好かれた記憶がない。


告白する前に振られ、社会人になれば「いい人だよね」で終わるか、最初から恋愛の土俵にすら上げてもらえない。俺はずっと、“選ばれない側”にいた。


そんな俺の前に、あの女は現れた。

赤い口紅がやけに似合う女だった。

服も言葉も視線も、「自分は特別だ」と知っている女のそれだった。


住む世界が違うと一目で分かった。

それでも、仕事帰りの雑談から、なぜか会話が続いた。

彼女は俺を一通り眺めて、鼻で笑った。


「あなたには無理でしょ」


何が、とは言わない。だが俺には分かった。

顔、体型、年収、人生。全部ひっくるめての「無理」だ。


俺は苦笑いするしかなかった。


彼女はスマホに赤い車の画像を映し出す。


「これ、誕生日にプレゼントしてくれたら、付き合うの考えてもいいわ」


条件付きの誘惑。いや、誘惑ですらない。ただの取引。

普通なら笑って流す。だが俺は否定しなかった。


一生懸命に死ぬほど働けば、届くんじゃないか。

顔で負け、体型で負け、自信でも負け続けてきた俺に残されたもの。

それは、働くことだけだった。


時間を売れば金になる。金を積めば、夢に近づく。

紅いランボルギーニ・カウンタック。


それは車じゃない。俺が“選ばれる側”に行くための象徴だった。

その日から、俺は三つの仕事を掛け持ちした。


朝はコンビニの裏口で段ボールを運び、昼は建設現場で汗を流し、夜は居酒屋で皿を洗う。どれも誇れる仕事じゃない。ただ体力を削って金に換えるだけの作業だ。

それでも、不思議と苦しくなかった。


欲しいものが、はっきりしていたからだ。


紅いカウンタック。そのために働く。

数字を数え、ゼロの多さに目が眩みながらも、「足りない」だけだと自分に言い聞かせる。


居酒屋には、酒癖の悪い女がいた。

営業中から酒を飲み、客に暴言を吐き、営業後には泣き崩れる。

「ごめん」と繰り返す彼女に、俺は缶コーヒーを渡すだけだった。


「優しいね」


その一言で、少しだけ救われる。

俺は思った。この女は孤独なんだ。俺なら救えるんじゃないか。


だが本当は、俺が救われたがっていただけだった。


昼の職場には、泣き上戸の女がいた。

昼休みに缶チューハイを一本飲み、夢の話をして泣く。


「やろうと思えばできる」と言いながら、何も変えない。


俺はただ相槌を打つ。

彼女にとって、俺はただの“耳”だった。

それでも、俺はその役を手放せなかった。


話を聞いている間、俺は必要な存在だったからだ。


夜の職場には、推しに人生を捧げる女がいた。

借金まみれでも笑いながら、「この人がいるから生きていける」と言う。

現実が辛すぎて、別の場所に意味を作った人間の目だった。


俺は何も言えなかった。

俺だって同じだ。カウンタックに意味を預けている。

違うのは、彼女が金を使って壊れていき、俺が金を集めて壊れそうになっていることだけだった。


さらに、静かに壊れた女にも出会った。


「生きる意味が分からない」


そう淡々と言う彼女は、何も求めていなかった。それが一番怖かった。

俺には、馬鹿みたいな夢があった。だからまだ生きていられた。

彼女には、それがなかった。


誰も誰かを救えない。できるのは、隣にいることだけだと知った。

それでも俺は働き続けた。

あの女の「無理でしょ」という言葉が、背中を押し続けていたからだ。


久しぶりに、あの女から連絡が来た。

カフェで再会した彼女は、何も変わっていなかった。


「で、まだ?」


カウンタックのことだ。

彼女は俺の話を聞かない。必要なのは結果だけ。持っているか、持っていないか。

そのとき、はっきり分かった。


俺が欲しかったのは、この女じゃない。

この女に認められる自分だった。

カウンタックは、そのための道具だった。


俺は席を立った。

初めて、自分から。


それから、体が言うことをきかなくなった。

膝が軋み、腰が重い。数字も思うように増えない。税金、保険、生活費。削れるところは、もうない。


ある夜、計算していて気づいた。

どうやっても届かない。

努力が足りないんじゃない。最初から無理だった。

怒りも悲しみもなかった。ただ、空だった。


帰り道、模型屋に入った。そこで見つけた。

紅いランボルギーニ・カウンタック。

縮尺、1/1000。

値段は現実的だった。


俺はそれを買った。


家で箱を開け、黙々と組み立てる。小さなパーツが形になるたびに、心が静まっていく。完成したそれは、小さくて安くて本物じゃない。


それでも、確かに紅かった。

達成感ではない。納得感だった。


挿絵(By みてみん)


夢を手放したわけじゃない。夢を、自分の器に合わせただけだ。

それは敗北じゃない。生き残りだった。


しばらくして、あの女が結婚したと聞いた。相手は何処かの国の王子だという噂だった。怒りも悔しさもなかった。ただ納得した。


彼女は、欲しがる女だった。より高く、より派手な場所へ行く。

俺はそこにいなかった。それだけだ。


世界は公平じゃない。

努力が報われるとは限らない。

それを、静かに受け入れた。


机の上には、千分の一のカウンタック。


俺はそれを棚に置き、婚活アプリをインストールした。

期待はしない。王子にもならない。ランボルギーニも出てこない。


ただ、誰かと夕飯を食べて、愚痴を言い合って、笑えたらいい。

プロフィールには正直に書いた。盛らない。嘘をつかない。

無理なものは無理だ。

でも、無理じゃないものもある。


今日を生きること。誰かと話すこと。小さな夢を、小さく叶えること。

それらを欲しがっていい。

そう思えた。

紅いランボルギーニ・カウンタックは、もう欲しがらない。

でも、紅い何かを欲しがっていた自分は、否定しない。

あれがなければ、ここまで来なかった。


俺は立ち上がる。

明日も働く。

でも、もう追い立てられない。


人生を理解した男は、静かに前へ進む。

千分の一の夢を背に、ちょうどいい速度で。



現代小説【あの女は紅いランボルギーニカウンタックを欲していた。】



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