side4 悪役と聖剣2
閉じてしまった穢神への転送ゲートがある部屋から出て、要塞まで戻って来たトーヤの嘆きは如何ほどか。そっと彼の肩を抱いて帰って来た鏡花は、沈んだ顔で仲間たちに助けを求めた。特に長い間彼の剣の師をかっていたガロンと、付き合いが長いベルの二人に任せるようにしてトーヤを預ける。鏡花とトーヤの他にリィルの姿がなかった事で、事のあらましを理解したのだろう。誰一人として無駄口を叩く事なく、とりあえず住居エリアにトーヤを連れて行った。鏡花はというと、まだ目覚めない蘇芳の看病があるからとその場に残る。
皆を見送ってちらっと彼を見下ろせば、真っ青な顔のままながら呼吸は落ち着いており、しばらくの経過観察が必要と、鏡花は大きく息を吐いた。正直、彼が鬼の様な姿をしていた際に彼女の≪感応力≫で見た、炎に焼かれる幻影の正体が気にならないではない。それに、自分の中から≪感応力≫を使って伝わって来た鋭い声の正体や、木の枝を通して清涼な空気が流れたのも原因は不明だ。ただ、今まで鍵だと思っていた腕輪の効果ではないと思う。
そもそも、自分たちの次元から持ち込んだ唯一のモノだから重要アイテムだと思っていた腕輪だが、蘇芳のは行動制限付きだし、とうとう壊れてしまった。鏡花の場合も、蘇芳程の能力がないから気付かないだけで、もしかすると制限が掛かっているのかもしれない。だから、≪感応力≫で見れないかもと、彼女は疑わしく手首を見た。けれど―――。
「紋様……増えてる…」
リィルが一人で穢神の元に向かったのも、予定調和だとでも言うつもりか。少しだけ嫌な気分になりながら腕を下ろし、眠る蘇芳のベッド端に腰かけた鏡花は、彼の手を取って、腕輪痕として赤くなっているそこを見た。それを下ろし、ポケットから出した彼の腕輪の欠片も見る。紋様の後も見えるが、どこか熱で溶けたように表面がでこぼこしていた。これに≪感応力≫をかけてみたが、もう何も反応しない。
「まったく、忌々しいったら」
今までの行動が仕事になっているのか、このまま進んで良いものか、どこに進めば良いのか。途方に暮れて八つ当たり気味に呟いた所で、ベッドに動きがあったのを感じ、鏡花は肩越しに振り返った。
「………何がだ」
まだ体がだるいのだろう、青い顔で軽く身を起こした蘇芳が、不機嫌そうにそう言う。肘で起き上がった所で「うっ」と口元を押さえてえづくのは、二日酔いの様にも見えた。
「あら、寝起きが良いのね。……起きてくれて、安心したわ」
ぎしっと音を鳴らして立ち上がった鏡花は、ベッドサイドに置いていた水差しから水を注ぎ、コップを渡した。受け取ったそれを一気に呷ると、蘇芳は無言でさらにコップを差し出してくる。あまり急かしてはいけないように思い、鏡花は次は半分ほどに注いで、彼に睨まれた。
「心配してるのは本当よ。どこまで正気だったの、貴方」
仕方なしに残りの水を呑みこんだ蘇芳は、鏡花の困った顔に、軽く首を振った。
「詳しい事はほとんど」
「そう。腕輪、壊れてるわ。何かあったんじゃないの?」
言われてのっそりと体の向きを変え、再び寝ころんだ彼は両腕を上げて手首を見た。そこに金属の腕輪がない事を確かめるように赤い部分を撫でると、少しだけふっと微笑む。思惑が上手くいったと言わんばかりのそれに、しかしリスクが高かったのも思い出したか、鏡花を見た。
「敵と味方の被害は?」
「味方にも被害が出るってわかってる方法だったのね」
彼が開口一番にそう言うならその可能性は高かったのだろうと、鏡花は「正気を疑うわ」と顔を顰めた。阿修羅族の気質を思えば何も不思議でない所が残念だが、幸いな事に自身以外は被害がなかったので鏡花は肩を竦めて、「今度、何か奢りなさいよ。高いホテルランチ」と軽く言う。
「善処する。それで、敵は?」
鏡花の言から思った以上にはならなかったと思ったのか、すぐに切り替えた蘇芳に軽い苛立ちを感じないでもなかったが、面倒になったか鏡花は素直に続けた。
「貴方のお陰で、要塞周囲の敵は全滅。一番近い転送ポイントもどさくさに紛れて破壊してたみたいね。しばらくは持つでしょうけど、もう一つ問題が…」
「トーヤか」
多分トーヤとリィルの決断が出来ていないだろうと言ったニュアンスで尋ねられたと思う。鏡花は違うと首を横に振ると、一旦深呼吸して目を伏せた。
「トーヤを倒さずに、一人で行っちゃったわ」
誰の事かわかったのだろう、一瞬驚きを浮かべた蘇芳は、次に眉根を寄せて「そうか」と頷いた。そして今度はゆっくりと体を起こすと腰かけ、自分で水を注いで呷る。
「白の剣の行方は把握しているか」
何処か頭が重いような仕草をしているが、彼は冷静に尋ね、思いつかなかった鏡花は「あ」と慌ててコントロールルームへと向かった。微かに非難するようなため息が聞こえたが、ずっと寝ていた奴に言われたくはない。≪感応力≫でさっさと検索をかけた鏡花は、奇妙な事に気がついた。
「え、何で、要塞に反応があるの?」
鏡花の呟きに、蘇芳も怪訝そうな顔をして彼女を見上げた。自分の目で確かめたくなったのか、立ち上がって歩み寄ると、鏡花と同じ様に画面を見る。確かに反応を認めて、蘇芳はざっと住居エリアに続く階段を飛び降り、トーヤを叫ぶように呼んだ。
「トーヤッ、来い!!」
仲間たちに囲まれて肩を落としていたトーヤだが、その声にはっと顔を上げ、少し待って階上へ走りだした蘇芳の後ろを追い駆けてくる。蘇芳が通り抜け、トーヤがコントロールルームまで上がってくると、困惑から顔を白くした鏡花が、両手を組んで呆然と彼を呼んだ。
「トーヤ…」
「後で!!」
もはや彼を待たずにリィルの部屋へ走っていく蘇芳を必死に追い駆け、トーヤはリィルの部屋に飛び込んだ。そこで蘇芳も、トーヤも、ぞくりと悪い予感を感じ取る。リィルの部屋の中央、白の剣が納められていた場所に浮かぶ、片割れの聖剣。この聖剣が戻って来るということは、リィルの身に何かが起こったということでもあった。蘇芳は不機嫌そうに顔を顰め、トーヤは真っ青になりながら恐る恐る白の剣に近づく。
「リィル…」
一瞬前、鏡花も二人を追い駆けてやって来て、白の剣を見てふらりと壁に寄りかかった。鏡花の見守る前で、呆然と名を呼び、トーヤは浮かぶ聖剣を手に取る。
「―――うわっ!?」
直後、トーヤの驚愕の声と共に光が溢れた。さっと反射的に顔を背ける蘇芳と、眩しさに目を閉じ、顔を庇う鏡花。光に目を細める鏡花の視界で、手首の腕輪の最後の紋様が繋がった。「え」と思う暇もあれば、彼女はさらさらと光に解けるように消えて行く腕輪の姿が見られただろう。光に照らされて、鏡花は身に纏ったまやかしが吹き飛ばされるような気分になり、途端に恐ろしく感じた。守られていた薄闇を、光が吹き飛ばしたように感じたからだ。光が溢れている間、彼女は薄く開けた目から、光の他、奇妙な光景を見た。
一瞬で視界が緑から黒になったかと思うと、再び白が見える。一面の花畑だと気付いて視線を上げれば、今度は青空の青。それが左から右へ黒を引っ張って来たと思えば、ぐるんっと星が流れて、舗装もされていない獣道らしき闇色へ。所々水たまりがあるか、鈍色の反射が見えて、ぐっと顔を上げられると、爛々と輝く金の目が愉快そうに覗き込んでいた。その視界の端に映るのは、赤い燃えるような髪の色。
それもまた光に押し流される。ホワイトボードにびっしり書き込んであった文字を一瞬で消しさる気持ちよさの後、後転させられて前後不覚になり、今度は仕事疲れでやつれたOLの姿が見えた。共感ももてそうな彼女の髪は脱色されたマロンで、それに注視していると、もっと薄い茶色へと変化し、その髪の持ち主である女の子は微笑みを浮かべながら、彼氏らしき男の子の手を取って走っていく。
―――ちょ、ちょっと待って。
心中で鏡花は大混乱だ。まるで走馬灯のように、誰の彼の人生のページが流れて行く。これが聖剣でも持っていたら、イベントらしき現在、多少の違和感があれど納得できただろう。けれど、何だ、この滅茶苦茶な具合のシーンの数々は。出鱈目に継ぎ接ぎされた映像を見送って、鏡花は脳内のキャパが越えた。
SFで漆黒機を使う時でさえ、これほどの情報を扱いはしない。まだまだ、ぐりんぐりんと続く映像を眺めながら、鏡花は頭が沸騰して倒れ込んだ。光から目を逸らしたはずなのに、それでも使ってもいない≪感応力≫が勝手に暴走し出して、出てきた人物の、趣味だとか日課だとか嫌だった記憶だとか、要らない情報も流れてくる。終わらないジェットコースターに乗っている気分で頭を抱えた鏡花は、収まって来た映像の最後にようやく聖剣を見つけてほっとしたような、がっかりしたような気分になった。
―――まだ、続くの!?
≪感応力≫は使いすぎると、自分の記憶なのか他人の記憶なのかわからなくなる。今現在でも、うっかり他人の趣味が自分のではないかと感じてしまうぐらいに、強烈に記憶に植え付けられた所だ。最近よくよく能力が暴走するなと鏡花は不安に思いながら、最後だと思ってそれを見た。
一方、トーヤは光の中で、リィルの姿を見たように思う。それでさらにぎゅっと白の剣を握れば、彼女の鼓動がまだ残っているかのように、微かにだが、とくんっという音を感じた。リィルは生きていると理由なく思えて、トーヤはその剣先を天井へと向ける。それに合わせて、右手の籠手になっていた赤の剣も形を変え、白の剣と交わるようにしてさらに強い光を放った。耐えられず目を細めると、トーヤの背後で、ばたっと大きな音がする。光が収まるのを待って背後の音に振り返れば、鏡花が床に蹲るようにしていた。
「キョーカ?」
今度は何なんだとトーヤは困って蘇芳を見る。彼は即座に鏡花の傍に膝をつくと、何事か声をかけて首を傾げた。それよりも彼は、トーヤの手に持つ物の方が気になるらしく、「それは」と口を開く。問われてそろりと白の剣を握った右手を見れば、赤の剣である籠手も消え、白の剣でも赤の剣でもない一振りの剣がある。きっとこれが、とトーヤは蘇芳に頷いた。
「元々の聖剣なんだと思う。……スオウ、協力してくれ。俺、リィルを助けたい」
ぎゅっと強く剣を握り、蘇芳を振り返るトーヤに、彼は少しだけ口の端を上げて目を細めた。頼もしく微笑んだとトーヤには見えて、何故だかやれるような気がしてくる。そんな二人がアイコンタクトを取っている数秒の間に、鏡花は何とか立ち上がる事が出来るようになった。まだガンガンと痛む額を押さえながら、一つ分かった事があるので片手を上げて意識を向けさせる。
「あー…おめでとうトーヤ。どうやら聖剣の封印が解けた様よ。ちょっと、それ、見せてくれる?」
「あ、あぁ。大丈夫か、キョーカ」
眉根の寄って苦しそうな彼女の顔を見て、トーヤが恐る恐る剣を差し出した。それに片手を差し出して≪感応力≫をかけた鏡花は、聖剣の台座にそれを突き刺す様トーヤに言った。素直に従ったトーヤは、再び台座から光が溢れたのを見る。
「うわっ!?」
それは台座からびっと一直線に走ると、コントロールルーム方向へと光を放ちながら広がっていった。さっと過ぎ去ってしまってから、数秒後。以前にあった地震のような振動に要塞が包まれ、トーヤは慌てて聖剣を引き抜いたが、揺れは収まらない。蘇芳は泰然と周囲を見、鏡花は「ふっふっふっふ」と何か企むように笑った。訝しげな蘇芳とトーヤの視線を受けて、揺れが収まると鏡花はコントロールルームに戻るよう二人に指示する。
「何なんだよ…」
「聖剣の封印が解けて、この要塞の秘密を思い出せたのよ。面白いものを見せてあげるわ、トーヤ」
まだ頭痛がするように額に片手を当てているものの、ふてぶてしくにやりと笑い、鏡花はいの一番にコントロールルームに戻り、揺れを心配して階下から出てきたガロン達に大丈夫だと声をかけた。それからどっかりとコントロールパネル前に座ると、ぐっと手を組んで伸びをし、首を回す。
「空の旅はお好き?」
「え?」
トーヤが尋ね返す頃にはもう、鏡花はコントロールパネルに手を置いて≪感応力≫を使っていた。しゅんっと伸びてくるコードが鏡花の腕を取り巻き、蠢く。愛機である漆黒機の起動する時と同じく、鏡花は意識を集中した。彼女の、「動け」との合図に、要塞は応える。
「やはり、ここは戦艦か」
低い蘇芳の声を拾い、トーヤは目を丸くして「何だ、それ」と尋ねていた。蘇芳が言うには、どうも地上要塞としては使わないだろう機能やら機関やらが多数存在しており、それが今までどうやっても起動できなかったのだと言う。ずっと彼が演算を続けていたのはそういう理由だった。
「何よ、気付いていたなら教えてくれても良いでしょう」
「全貌を把握できるお前は知っていると思っていた」
コントロールパネル前の鏡花が呆れたように返して来て、蘇芳は言い切る。それに「そんなに万能じゃないの、私も」と鏡花は肩を竦めた。要塞外のカメラからの映像は、要塞の外容をパキンパキンと落としながら、折り畳んでいた翼を広げ、鋭いシャープなフォルムを取り戻しつつある飛行艇が映っている。鏡花は軽口を叩きながらも、全システムが動くかどうか、飛べるかどうかの確認を作業用ロボやプログラムに通達、調整を始めていた。
「私も、今知ってびっくりよ。聖剣が封印されていたら、きっとわからなかったでしょうね」
話しながら鏡花は画面に映るグリーンの文字にチェックを入れ、不安要素のある機関のテスト結果にも目を通す。ぱっぱっと変わっていく画面を目で必死に追っていると、蘇芳がコントロールパネルの半分、サブシステム部分を担当しようと隣に座った。
「動かすのは、私に任せて。貴方は迎撃を頼んでも良い?」
「妥当だな」
体を使うように機械を動かせる鏡花は、避けるのは得意でも、瞬間的にこちらから攻撃したり、シューティングは苦手である。変わって、動体視力や攻撃の勘が良い彼は自信があるのかそう言い、彼女はほっとして任せる事にした。
「システム、オールグリーン。……いつでも飛べるわよ、トーヤ」
にこりと少し悪い顔で振り返った鏡花に、トーヤは目を丸くして、けれど、覚悟したように一つ頷いた。