side4 悪役と聖剣
見覚えのある学生食堂で、鏡花は座っていた。内部から入り口に向かって右手側は南向きの大きな窓で、そこからの日差しは温かく、こうして空いた講義の暇つぶしには丁度良い溜まり場になっているのだ。各自思い思いに過ごして、携帯したゲーム機で遊んだり、単に友達と話したり、ケータイ片手にコミュニケーションをとったりしている。
鏡花はぼんやりしていたらしく、はっとして足元のバッグを手に取った。確か、次の授業で宿題を当てられる事になっているのだ。そう鞄から取り出したのは、懐かしの大学ノートと教科書、それから辞書で、鏡花は一瞬混乱する。大学に入ってからは宿題で当てられるなどと言う事はなかったし、レポート続きで図書館を利用しているので辞書なんて重い物を持ち運びする事もなかったはずなのに、何故、持っているのか。それもトートバックを取ったはずなのに、何故高校時代の黒い合皮の鞄を持っているのだろうか。
記憶の混乱か、つい不安になって周囲を見渡すと、今度は見覚えのない学校の教室の一角に座っている事を知った。先程まで学生食堂にいたのは間違いないのに、どうなっているんだと首をめぐらせると、周囲と同じセーラー服を彼女もまた身につけていることに気付く。
ぎょっとしてスカートの端を掴むと、肩からさらりと髪が落ちた。自前の黒じゃない、少し色を抜いた茶髪で、髪質が自分のモノと全然違う。「何これ!?」と叫びそうになって半立ちになった鏡花に声をかける学生が一人。
『”___”、今日一緒に帰ろうぜ』
「いいよ」
「誰?」と尋ねたはずの鏡花の口は、全く別の言葉を紡いだ。ここで、なんだ夢かと彼女は思いつく。じゃなければ全く説明のつかない事の連続で、思考が追いつかない。呆然とする鏡花の意思を置いておいて、体は勝手に声をかけてきた彼と手を繋いだ。
恋人らしき仕草にどっかのドラマの影響かもと、自分の想像力に感心した鏡花だったが、次にはその手が硬く大きな感触に変わったのに気付いて、びくりと隣を見た。まず黒いマントと、その間から覗き見える黒い服が目に入る。視界も、先程まで学生程度にあった自身の背は、いつのまにかもっと小さく、隣の手を繋いだ人物を見上げる程になっていた。
『おい、どうした』
その声がよくよく知っている声で、鏡花は懐かしさと切なさで、思わず涙目になってしまう。見上げたそれは、やっぱり兄貴分のシュートランスのモノで、鏡花は泣くのを堪えながら笑みを作った。
夢だとわかっている状況でも、心証を良くしようと健気に頑張る自身を理解してしまう。やっぱり、この人が好きだ。もはや普段の目の高さとは違う事などどうでもよく、それより繋いだ手を放したくなくてぎゅっと握る。大きすぎて握りきれないのは、自身の手が子供の手になっているからだ。一体なぜと思うよりも、呆れながらもこちらを見てくれる事が嬉しくて、鏡花は自分の状況を忘れた。
―――啓吾。
「シュートランス」
鏡花の気持ちに連動したのか、甲高い子供特有の声が彼を呼んだ。『なんだ』と返してくれる声は、どこか面倒くさそうなのに、気持ちが上気する。顔を隠す様に前を向いて。
―――何でもない。
「忘れた」
鏡花の気持ちに沿ったのだろうか、子供の声も何処かご機嫌で、『変な奴』との返事にもふっと笑みが浮かんでしまう。
自然と笑みが浮かんでしまう鏡花は、この時、忘れないでほしいと、そっと脳裏に浮かんだ言葉にドキリとした。今の言葉は、自分のモノではないと感じてしまったのだ。
そこでまた今の状況が分からなくなってしまう。夢は深層心理の現れだと思っていたが、今さっきの言葉は自分の声ではなかった。むしろ、自分の声に重なるように、一緒に聞こえていた子供の声だ。
『忘れないで』とはと、彼女は手掛かりになる何かを探そうともう一度隣を見上げようとしたが、一体いつの間にやら、彼の手を放してしまっている。当然、隣に人影がなくなっており、鏡花はがっかりするよりも混乱した。
―――なに、ここ…。
夢見心地が消えてしまうと、今の自分の状況が掴めず、恐怖が湧き起こる。心の均衡が崩れたのか、もはや周囲に景色はなく、ただ真っ暗な中に一人だけで立っている状況だった。ざわっと背後、いや右手側か、いやいや前方か、どこかはっきりわからないが、何かの気配を感じる。真夜中に山に入ったというのか、何も見えないのに風か何かで木々がざわめき、その暗闇から何か脅威が飛び出して来そうな気配だ。一気に怖くなって、鏡花はなるべく体を動かさないように、ゆっくり、ゆっくりと周囲を見回した。けれど、闇、暗闇ばかり。
夢なら覚めてと念じながら居ると、ふと上からの明りに気付く。自分の周囲がスポットライトを当てられたように明るく、影が出来たのに気付いて顔を上げると、煌々と、遠く天の上で月が輝いていた。光源があった事で、恐怖が幾分か薄れると、そこに鈴の音が響いた。
――――――シャンッ
咄嗟に振り返る鏡花は、そこに人が立っているのに気付き、ぎょっと半歩下がる。月明かりでぼうっと白く浮かび上がる面長の顔と細い目、黒く長い前髪を纏めて後ろ毛と一緒に縛り、赤い袴に白装束という典型的な巫女姿の、鏡花と同じぐらい、いや少し小さい女性が居て、彼女の方をじっと見つめていたからだ。一体いつの間にと思うのと、あまりにも接点がなさすぎる登場人物に鏡花はびくりとする。
――――――シャンッ
もう一度鈴が鳴ったと思えば、巫女姿の女性の髪飾りに鈴がついており、彼女は長い榊の枝を纏めるのにも鈴をつけていて、それも鳴っていた。鈴の音に、手にした榊にピンと来て、鏡花は恐る恐る彼女に声をかけようと近づくと、彼女をしかと見据えていた巫女が口を開いた。
『闇が恐ろしいか』
落ち着いた低めの声だった。声をかけられ鏡花の足は止まる。
『畏れる心も大切ではあるが、私たちには全てを隠す闇も必要なのだ。片方あれば良いというモノではない』
何かを諭されているとはわかったが、鏡花が答えに窮していると、彼女。
『荒ぶる神なれど、慈しみ深い神でもある。恐ろしき悪神であるが、秘密を守り癒す善神でもある。そうした二面性を持つ神であるが故に、巫女は二つの力を持たねばならぬ。
光の器であり、闇の器。人であり、人でないもの。澱に身を浸しながら、澱を払う力を持つ』
言いながら巫女は鏡花に近づいた。とんっと額を突かれ、鏡花が少し後ろへ揺らぐと、その静かな眼差しのまま続ける。
『覚悟が出来たら、おいで。お前に真実を教えてやろう』
一方的に言われて、混乱に眉根を寄せた鏡花は、そこまで聞いて、後ろ足の踵がどこにも着いていない事を感じて慌てて前に重心をかけようとした。けれど、巫女がさらに、水滴の付いた榊を顔にぶつけてきて戻れず、ずるっと足を踏み外して落ちた。
「ぎゃああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!!」
暗闇に落ちる浮遊感に逆らうように両手を伸ばし、「あぁぁぁぁぁっ」と悲鳴の続きを叫んだ鏡花は、指先をどこかにぶつけて、その痛みで飛び起きた。
はっとして周囲を見れば、ぎょっとした姿勢で固まるガロンやルル達を見る。ゼウスだけが冷静に「おはようございます、キョーカ」と言って来て、鏡花は訳がわからずしどろもどろした。
「ふぅむ。起きたか。調子はどうだ、キョーカ」
ガロンが重々しく言えば、先程の痴態に頭を抱えながらも鏡花は記憶を思い返して唸った。
「穢神の眷属は―――?」
「スオウのお陰で、ここの周囲は居なくなった。再びやってくるかもしれんが、要塞のレーダーには映っていないようだ」
「良かったですわ。ところで、蘇芳は――」
「まだ気付いていない。隣だ」
言われて横を向けば、鏡花と同じ様にリキュア機能のあるベッドに横たわっている彼の姿があった。角も緑の肌も無くなって、見慣れていた灰髪のざんばらに、少しオークの混じる白い肌の彼。姿ががらっと変わったためか、ガロン達も難しい顔で彼を眺めている。そっちが元ですと言えない鏡花は、リキュア機能で治った頬を撫でて傷の無い事を確認し、それだけでもほっとした。
傷がない事を確かめてから、そろそろとベッドから降りた彼女は、幾分かマシになった体の慣らしに蘇芳のデータをチェックする。極度の過労との診断と、深く眠っている様子にため息を吐いて、「彼は大丈夫です」とガロン達に告げる。
「ところで、リィルとトーヤは?」
それにガロンは横に首を振った。どうやら要塞内に居ないようだと知り、鏡花はリィル達が逃げたのではと希望を持ったものの、確証は持てぬと≪感応力≫を使う。そこで、穢神への転送ゲートの使用と、そのゲートに続く広場に生体反応を見つけて青ざめた。
「誰か、居るわ。見てくる―――っ!!」
「お、おいっ」
起き上がって早々、鏡花は駆け出した。後からガロンの制止する声も聞こえたが、鏡花はコントロールルームを飛び出し、リィルの部屋から、聖剣の台座の奥のゲートを解放するとそこに身を滑らせる。一度聖剣の主が通った後のため、罠も守護者も一時停止しており、彼女はすんなりとそこを通り抜けた。
「―――リィル!?」
トーヤとリィルで戦った場合、正攻法でならトーヤが強い。≪感応力≫で感知できたのは一人。ということは、必然的に戦いに負けた方と考えるのが自然だろう。聖剣を相手に奪われて、例え死にかけだろうとも、生きていれば要塞の回復機能でなんとかなると、鏡花は叫ぶようにして入室した。
「っう、うん…」
鏡花の悲鳴によってか、倒れていた人物が唸る。そのこげ茶の髪を見て、鏡花は驚きに目を見開いて駆け寄った。滑り転ぶようにして傍に膝を着いた鏡花は、件の人物を抱え起こしながら声を大にする。
「トーヤ!?」
慌ててうつ伏せから仰向けにし、大きな傷がない事を確認。口元に手をやっても呼吸も正常だし、鏡花が抱き抱えて膝に頭を乗せた辺りでトーヤも次第に目を開けた。
「ちょっと、大丈夫なの!?」
「キョーカ? ……あれ、リィルは…?」
倒れた時にでもぶつけたか、痛むらしい頭を抱えてトーヤは身を起こす。今一状況を把握していないぼんやりとした間がトーヤに流れた後、彼ははっとして鏡花を振り返った。
「そうだ、リィルは!? 俺、死んだはず…」
「ちょ、ちょっと、落ちついて。まず、何があったのか、話して」
混乱する二人だったが、鏡花の言にトーヤは少し考えるようにして話し出した。
「俺、リィルが来たら、聖剣をあげるつもりだったんだ。何回か打ち合いをして、リィルも十分に強いって思ったから…だから、安心して俺を殺せって、それで…。なんで生きてるんだ?」
そこまで言って、トーヤは恐る恐る確認するように右手を見た。そして、愕然と顔を歪める。トーヤの右腕にある、赤い籠手の姿を取っている聖剣を見て、鏡花も彼が何を言いたいのかが分かった。リィルはトーヤの聖剣を盗らずに、一人で穢神への転送ゲートを使ったのだ。
ぶるりとトーヤが震えたかと思うと、徐に立ち上がって転送ゲートに走っていく。鏡花が止める間もなくゲート前に着くと、無理矢理こじ開けようと殴りつけた。
「トーヤ…」
「嘘だろう!? だって、聖剣一本じゃどうしようもないって、言ったじゃないか……っ」
ガンガンと力任せに殴りつけるも、一度きり、一方通行のゲートは沈黙して動かない。トーヤの拳は殴りつけるたびに血が滲んで、飛んでいる。鏡花は慌てて立ち上がった。
「ちっくしょうっ。何で…何でだよ……リィルーーッ!!」
「やめなさいっ」
吠えてさらに我武者羅になるトーヤを羽交い締めするように鏡花が動く。無理矢理片腕に抱きついて彼を止めると、そのままトーヤは涙を堪えるようにして下を向いた。ぽたり、ぽたりと床に何かが落ちるのを、彼の気持ちを慮って見ないようにすると、鏡花は彼の背を押して要塞に戻るように促した。