side4 悪役と正義の仕事14
この所人目も憚らず、また使用時間など気にせず、鏡花は要塞に≪感応力≫を使い続けていた。両手を要塞内のコードに突っ込み、稼働する防衛システムやレーダーと並行して要塞内のデータの流れを探り続ける。
一昨日からほぼ徹夜を徹しての作業だが、その間、聖剣とエネルギーという単語を攫い、この要塞のエネルギー供給システムの設計図を見たり、聖剣というものに関しての記述だろう部分も見つけたには見つけたのだが理解は出来ず。よくよく式図を見ても、この要塞を造った誰かも”聖剣とは何か”はわからなかったのだろうと見えて、聖剣の浄化に対してのヒントは何も出てこない。
狂科学者であるマッドが居てくれればと滅多にない事を思い、いい加減疲れたと彼女は両手を抜いて、そのまま椅子にもたれた。その振動で目がぐらりと揺れて、気分が悪くなる。体が睡眠を欲しているとわかり、軽く目を閉じて仮眠をとった。
思いの外深く眠った後、今度は、両手首を交差させて握り、丸まった姿勢のまま背もたれに寄りかかって黙る。要塞も謎が多いが、この腕輪がSRECに渡された重要な情報末端との考えも変わっていない。これがリィルと出会った時に聖剣に反応して輝いたのも本当で、何か聖剣に関係するモノでもあると思うのだ。それで、一番敏感に、強力に、≪感応力≫が使えると思っている手に、意識を集中している。腕輪の冷たい金属が指先に温められる感覚と他、彼女にしかわからない微妙な反発力を探るように指を叩いた。
その間、彼女が視ていたのは、この腕輪がSRECの研究所でテストされている光景や、向こうの次元での出来事の事が主で、こちらの事や聖剣についてはふわりとも視えない。≪感応力≫で近しい出来事から過去へ読み取っているかと言われると、それも違う。ただ、表面に出てくる出来事の上澄みを攫っている気分だった。鏡花のイメージとしては、強固な壁を何度も鋭いナイフで突いているのだが、相手が厚すぎて全く壊される気配がない感じだ。微かに眉根を寄せて、彼女は一点集中と鋭く感覚を伸ばした。
が、突き指するように強い反発が来て思わず目を開ける。「ちっ」と舌打ちが出たのは、人差し指の爪が割れており、即座に鋭い痛みが広がったためだ。反対の手で指を強く握って痛みを誤魔化し、止血しながら、もう何度目かの感知失敗に鏡花は深く息を吐いた。
北の帝国にも要塞の文献にも、聖剣を浄化する方法など何処にもなかった今、彼女は集中が続くぎりぎりまで能力を使い続けており、そろそろ限界が近いと嘆息する。
すると、要塞内に注ぐ音から、急に雨が降り出した事に鏡花は気付いた。そんな兆候はなかったのにと不思議な気分になりながら、モニタに外の様子を映し出すと、一面、赤い空が見える。まるで長い黄昏のような光景に一瞬呆然となりながら、何が起こったのかとキーを叩こうとした彼女の背後、要塞への直通の転送ゲートがリンクした。不意をつかれて手が止まる鏡花だったが、見知った三人の姿になんだと拍子抜けし、肩を竦める。
「お帰りなさい。何かわかった?」
降り出した雨に濡れたか、ガロンは執拗に足を踏んで尻尾を振っており、トーヤは頭を左右に振った。乱暴に額を拭った彼らの誰もが、彼女の声に無言である。ただ、蘇芳はその濡れた格好のまま、先ほどまで鏡花が操作していたコントロールパネルに手をつき。
「来るぞ」
一言、言葉を落とした。鏡花が真意を尋ね返す前に、要塞内に新しい警告音が響く。もうお馴染と、微かに眉根を寄せる鏡花だったが、何とかしようと手を出す前に、ブツンと各地域の転送ゲートが初期化された。同時に、画面いっぱいに映し出される世界地図。ぽつっと、敵を示す赤い点がついた。「え?」と鏡花が瞬きした一瞬後、それはぼつ、ぼつぼつぼつと不気味な速度で全土に広がっていく。
「は?」
疑問を口にしながらも、蘇芳を押しのけるようにして鏡花は≪感応力≫を使用していた。それで赤い点が消えるわけではないとわかっていたが、せずにはおられない増殖速度だったのだ。詳細を求める彼女の意思に応じて、画面の隅に一つの映像が映し出された。唯一生き残ったラインだったらしいが、それも、空から降って来た正体不明の転移ゲートが地面に突き刺さるようにして固定された映像を映して、停止する。一瞬、≪感応力≫を切るのが遅かったか、右目の目尻に鋭い痛みを感じた。初期化された要塞の転送ゲートの代わりに、各地に聖剣と真逆のエネルギーポイントの出現を確認し、鏡花は新たにラインを形成しようと無理に感覚を伸ばす。
「いっ…」
ぴくりと左手、中指が痙攣した。見れば、腕輪と反応するように中指先から伸びた黒い筋が彼女の手を浸食していた。流れ込んでくるプラスな気持ちとは真逆の感情と感触に、悪役を舐めるなと彼女は睨んでその進行を一時退ける。
その甲斐あってか、もう一度画面に先ほどの転移ゲートの映像が映し出された。地面に乱雑に固定されたゲート周辺では、プラズマのような目に悪い光が渦巻いており、そこから穢神の眷属が出現するのが確認できる。さらに、それらは生物の外見に似合わず、意志を持たないかのように、鏡花の、もっといえば聖剣のエネルギーに単純反応する様子まで≪感応力≫で読めた。最後のカメラが壊される瞬間、鏡花も≪感応力≫を切る。痛み、浸食してくる中指の不気味なそれをぶちんと強制的に解除して、彼女は渋い顔をしている蘇芳を見た。
「どういう事? 穢神は蘇ったの?」
「恐らく」
迷いなく頷いた蘇芳から、外からみた穢神の様子を聞いた。それは巨大な戦艦だったらしく、悠然と空を泳いでいたと言う。あの黒星陣よりは幾分か小さい程度と言うのだから、空は真っ暗だっただろう。その話を聞いた後、鏡花は先ほどの、聖剣エネルギーに反応して向かってくる穢神の眷属を思い出していた。何処かで見た光景とそれは重なる。ゼウスから≪感応力≫で見た、穢神が出現した時のイメージだと、鏡花は顔を曇らせた。
「時間も、ないだなんて…」
鏡花自身も能力の使用による疲労からボロボロで、強烈な危機感を感じる。約束をしたのだと、気合いを入れなおそうとするものの、何の手も浮かばないという現状も見えて吐き気がした。聖剣を一つにする方法を話した時の、リィルの痛々しい笑顔が浮かぶ。ぐっと唇を噛んだ鏡花は蘇芳を見上げて、「お願い、リィルには…」と続けようとし、彼女が既にこちらに居た事に気付いて口を噤んだ。
彼女の目はとても澄んで、まるで温かい庭で微笑んでいるようにも見える。けれど、鏡花の青白い顔を映す彼女もまた、同じ様な顔色であるのに気付かないわけはない。不自然な程に静かな彼女の目を見て、鏡花は駆け寄った。佇む彼女の手を取る。冷たい。温めるように両手で包むが、こちらの体温まで奪われそうだ。
「バカな事、考えないでちょうだいね」
やおら真剣な顔をして、鏡花はリィルに釘を刺した。まだリィルやトーヤに黙っている事だが、この要塞には片道だけの、穢神へ直接繋がるゲートがある。そこを使い、代々の聖剣の主たちは戦いに赴いたらしい。いくら文献で研究しているリィルでも、その場所が何処にあるかまでは知らないだろう。万が一、彼女が思いつめて先走らないよう、鏡花の私情でそこを封じているのだ。蘇芳も良い顔はしなかったが、今はまだ、鏡花は封印を解こうとは思っていなかった。
そんな折、要塞周辺に多数の気配をレーダーが感知し、一時、鏡花はリィルの傍を離れて、状況を確認している蘇芳たちへと歩み寄る。ゼウスが『敵、二時方向より接近』と発言し、全員がその姿を確認しようと外へ出た。
「周囲の生命エネルギーにも反応する様だけれど、これは間違いなく、聖剣のエネルギーを目当てに集まっているわね」
先程使用した≪感応力≫からの判断で、鏡花はその場の全員に伝える。遠く、しかし見える範囲に、巨大な黒い影がわらわらと集まって来ていた。普段の野良モンスターや北の帝国、南の魔族の姿ではなく、それは、モニタ越しにも見た穢神の眷属と知れる。一度対峙したガロンやゼウス、リィル、鏡花が見た時よりもっと数が多い。
「なぁ、スオウ。こんなヤバい状況なんだし、聖剣の穢れを清める方法なんて探していられねぇよ。聖剣の主たちは、どうやって穢神を封印してきたのか、教えてくれ」
目測でも圧倒的数と思われる敵を前にしてトーヤは口を開き、それに鏡花はびくりと彼を振り返った。一瞬、ちらりと蘇芳と視線が合った気がするが、鏡花が何か反応を起こす前に彼は「黙っていた事だが」と口を開く。即座に「待って!!」と鏡花は彼の口を塞ごうとし、逆に手を取られて後ろ手に捻りあげられた。
「お、おい…スオウ!?」
慌てる周囲と反対に、静かな怒気さえ纏って彼は鏡花の腕にさらに力を込め、鏡花は悲鳴を上げた。
「いつまで、私情を挟むつもりだ。お前が聖剣の主を猫可愛がりして自己満足する時間は、当に過ぎたわっ」
痛みで呻く彼女を冷たく見下ろし、怒りを露わにする蘇芳。感情を抑えたつもりだったのだろう彼だが、最後に声が上擦った。手加減はしているのだろうが、感情を示すようにさらにぐっと上体を抑えつけられ、鏡花は耐え、彼は続ける。
「赤の剣の主、トーヤ。黙っていた事だが、この要塞には穢神へ直接転送できるゲートが存在する。だが、そのゲートを使用する為には、お前たち聖剣の主にしてもらわねばならない事がある」
「やめて」と鏡花は呻いた。だが、それを黙止し、蘇芳は恐怖さえ感じる鋭い視線をトーヤへと向ける。
「聖剣を清める事が出来ない場合、唯一、力を一つにする例外がある。二本の聖剣を、片方の主へと引き渡す事……つまり、お前とリィルの両者が戦い、どちらかが勝利する事だっ!!」
蘇芳が言いきってしまうと、くたりと鏡花が脱力した。捕えられた罪人のように顔を伏せ、肩を震わせて、どうやら泣いているようだ。通夜のような雰囲気に、周囲の誰も、何も言う事が出来ないでいたが、リィルだけが蘇芳の手に触れ「もう放してあげて」と鏡花を解放させた。彼女の傍にしゃがむリィルに、鏡花は顔を上げられないでいると、リィルが「ありがとう、鏡花」とそっと告げてきた。はっと顔を上げる泣き顔の鏡花に、リィルも涙ぐみながら「覚悟してたの」と微笑む。絶句する鏡花と同様、トーヤも静かにリィルを振り返った。
「リィルは………知ってたんだな。こんな運命が待ちうけてるって」
「ごめんなさい、トーヤ」
視線を合わせられずに俯くリィルに、トーヤも「そりゃあ、こんな事言えるわけねぇよな」と暗く笑った。
「謝るのは、オレの方だよ。ずっと苦しんできたのは、リィルの方だろ」
トーヤが無理に笑うと、ベルが泣くのを堪えるように口元を抑え、クルリや、あの強気なルルさえも「何よそれ!」と怒鳴りながら泣いている。困惑するガロンに、ぶわっと尻尾を膨らませたネ=ギルナ、ロボットだけあって沈黙して佇んでいるゼウスを余所に、蘇芳は至極冷静に続けた。
「これを伝えるのが、俺のやるべき役目。この後どうするかは、聖剣の主自身が決めるしかない」
蘇芳に言われ、鏡花も押さえていた額を離して息を整える。彼の言う通り、ただ遠ざけるでなく、彼らがきちんと選べるように話す事が大切だったのだが、すっかり参っていた様だ。
鏡花が少し持ち直してきたのを見たか、次に彼は、トーヤの目をしかと見ながら、「俺は、赤の剣の主であるお前の意思に従う」とはっきり宣言した。
「キョウカ」
「悪かったわよ。ゲートを解放するわ。…私だって、リィルの意思を尊重するつもりなんですからねっ」
促され、鏡花は≪感応力≫で要塞の最深部、穢神への転送ゲートを解放する。けれど、最後の悪あがきと鏡花はリィルに苦笑して見せた。
「残された時間もほとんどないけど、少しの間だけなら、時間を稼げると思うの。私の聖剣の主―――貴女の選択を受け入れるわ。だから、貴女の心のままに行動して」
「キョーカ……ありがとう」
「どういたしまして」
微笑むリィルに微笑み返し、鏡花は今まで要塞の謎を解くために使用していた≪感応力≫を、SFの仕事の時同様、防衛システムへとリンクさせた。途端、鏡花の両腕、両足に機械的な光線が走る。転送されてきたのは、まだ起動していない防衛ロボットの組立パーツ。足底部分には噴射口、背には排熱板と浮力を得るための翼、両手には暇な時間を見つけて改良していた光線銃を持ち、最後にフルカバーのヘルメットを被る。常に使用している漆黒機を自然とイメージしてしまうのか、とても良く似たミニチュア版のそれに、蘇芳も「くっ」と笑った。
他のメンバーは急に変形した鏡花にぽかんとしていたが、ガロンが「よくはわからんが」と困惑しながらも槍を手にし、胸を張る。
「時間を稼ぐというのなら、ワシも手伝おう。この要塞は守らねばならん」
「あ、あたしも! 魔法で蹴散らしてやるわっ」
魔法を使うための杖を振り回しながら、ルルも声を上げた。ルルが行くならとクルリも小さく頷き、ベルもまた弓を構えてにこりとする。
ゼウスは「私は最上位ロボットです」と防衛するために、眷属が集まって来ている南の広場へと移動を開始した。