side3 悪役と保護者4
人が目で追える範囲、最速まで上げてアルルカンは怪獣エリアを走っていた。
つい最近来訪したような奇妙さが沸き起こるも、何度か足を運んだ経験があるせいだろう。
タンっと床を蹴って三角跳びの要領で速度を稼ぐと、目的地までさほど遠いと感じなかった。
また、周囲に変化があるわけでもない。
エリアの出入り口で待機しているはずのスタッフの姿がない事が、ここの唯一の異常である。
具体的な話は不明だが、竜人も認める緊急事態らしく、概容を知っているらしい鏡花と蘇芳が主として行動を起こしていた。
アルルカンがここへ来たのも、蘇芳に頼まれての事だ。
実は鏡花は反対をしたのだが、各所に対応するために彼女らが動くとなれば、至急行動でき、少なくとも生きて戻れるだけの実力がある幹部が必要で、その場ではアルルカンだけだったというのがある。
竜人が子供達四人を抱え、尻尾に乗せ、ノシノシと歩いていく横で、慌てる鏡花に冷厳な目を向けた蘇芳が問うたのだ―――『お前が行くか?』、と。
面白い程息を止めた鏡花だが、彼女の実力はランクE。
走る速度はごく一般、飛び抜けた怪力や体力があるわけでも、武術に優れたり、魔法が使えるわけでもない。
DH社では危険地域の派遣もあるため、下っ端戦闘員として研修を受ける分一般人よりは行動できるだろうが、文字通り妖異幻怪が跋扈するこの会社で、彼女の戦闘面の実力は極低い。
さらに目的地である怪獣エリアも、常時でさえランクD以上のスタッフ同伴が義務付けられている場所である。
慄いた彼女を誰が責められようか。
鏡花と違い、上記条件に該当する蘇芳も異常を確認しにエリアへ行くべき人材であるが、その異常内容に見当が付かないアルルカンがスタッフの誘導を行うより、きちんと説明できる彼が各所に回る方が有効である。
蘇芳に問われ、すぐさま把握した彼女は、道理がわからぬ程取り乱した事、危険地区に行きたくないという自身の願望をも自覚し、それも相まってとても気まずい自己嫌悪の顔をした。
隠すように俯いた彼女は、次に申し訳なさそうにアルルカンを見上げる。
『行ってくれるか』という無言の問い掛けに、アルルカンはキリキリと歯車を鳴らせながら、舞台役者の様に、綺麗な礼をしてみせたのだった。
元々自動人形で感情の幅が薄いアルルカンである。
適所適材と特に不満も疑念もなかったのだが、鏡花は責任を感じたらしく、彼女には珍しい事で《感応力》を限界近くまで解放し、社内の連絡・統制を引き受けていた。
幹部でありながら受付嬢を兼用と親しみやすい彼女は、職業病に罹る前の新入社員が多い下っ端部門の《No.8》と同じく、社内で顔が広いのも幸いし、ほとんどの部門に連絡は渡った様だ。
唯一、幹部間の連絡は《No.3》以上の存在を知らぬ彼女で、代わって職務経験が長い《No.8》を代理として頼み込んでおり、上位幹部はともかくも、3より下の幹部達には連絡が入っている。
先ほどの回想での傍ら、アルルカンは目的地前でデバイスから通信を受けた。
蘇芳である。
向こう側から漏れる音で、彼がエフェクト班――《物語》の進行や社内状況を把握するためのオペレイター統制がある――と共にいる事がわかった。
『こちら、《No.11》。目的地内に《飼育》エリアスタッフのIDを確認。また、身元不明の反応を数点把握している。
《No.10》、目的地最奥・上階へのエレベーターだが、そこが今回の異変の発生地だったと俺は思っている。だが、状況は変わった。十分に用心して欲しい』
「《No.10》、了解。
―――教エてホシいノダが、《異変》トハ、何なノダ? 聞きソビレてしまッテな…」
『正直、俺も何と答えていいかわからん。接触したモノを糧に、増殖しようとすると言えば良いのか…見た目は青い、人の目と甲羅を持つ軟体生物―――であるが、最終的にソウなるだけで、感染してから変化し終えるまでは、元の形を保っている。
うっかり壁に手を着けば感染するやも知れない』
「ホう、興味深イナ。感知可能ナもノナノか?」
『感染してしまえば、はっきりわかるのだろう……もっとも、手遅れ、だが』
「存在しナイ、といウ事カ。成程、早ク戻る」
何故知っているのかとい疑問は、情報を一手に扱うエフェクト班の解析だろうと呑み込んだ。
アルルカンは蘇芳へ告げて、IDで目的地、《レヴィアタンの水槽》の扉を開く。
少なくともエリアスタッフは居るようだから、彼を保護し、異変の検討や場所の封鎖を速め、最悪、レヴィアタンや設備ごと、《No.1》の力で消し去ってしまうのかもしれない。
そこまで大掛かりな《暗黒神》の力の顕現は見た事がないが、不可能でないのは理解している。
知れるのは魔法力のみだが、それが桁違い、いや比べるのも烏滸がましい程の存在感なのだ。
今回の被害想定は分野外なので想像出来ないが、被害を最小に食い止める努力は時間との勝負である。
「プシュッ」と開いた扉の先を魔法力も含めて観察するアルルカンだが、急に受音した声には、思わず気が移ってしまった。
「ぃやあぁぁぁぁっ、ほおぉぉぉぉぉぉぉうぅぅっ、《No.10》ぇんっ!!」
「《No.4》………何故、此処ニ?」
バイオ学よりも機械学への興味――というか、人体を機械的に改造か?――が強い《No.4 マッド=マスクイア》は、常日頃彼の研究エリアから出てくることは少ない。
出たとしても仕事の関係か、好き勝手して良い死体が減って、次の候補を探す時ぐらいだ。
少なくともアルルカンは、彼の存在をそう評価している。
それが好き勝手してはいけない、それも純粋に飼育という生を続ける形を取っているこのエリアで、彼の姿を見るのは予想外だ。
それに先ほどの蘇芳からの報告では、幹部IDの存在はなかった。
神出鬼没が常の彼だが、魔法力も使われているID情報を眩ませることは難しい。
平常時、IDの存在に重きは置いていないので、緊急事態発令前にここに居たのか……いや、そうであったとしても、緊急令後に人数確認が行われているし、移動してきたとしても出入り口はアルルカン方面のみで、もう一方は感染源とされ、通ったら即死である。
「《No.4》…ソチらハ、IDヲドうしタ」
「あ? っはっはぁ~! そぉんな、警ぇい、戒ぁぃしないで、よ~ぉう~ぅ。IDは持ってんよぉ? くふふふふふ。さっきまで、僕のぉ、一部、だったけどねぃっ」
「………」
どうにも判断に困るアルルカンと、見せびらかすようにIDを摘まんでぺらぺら振っているマッド。
事態が進展しないので、とりあえず彼を放置し、アルルカンは他の人物らを確認した。
ぽかんとしているエリアスタッフ、カメレロン星人。
それから、青い髪と目の大柄な男性に、その隣に寄り添う、顔を隠す外套を羽織った赤髪の女性。
顔は見えないのだが、目をやった瞬間、彼女と視線が合ったと感じた。
赤髪の女性は、手に持った錫杖を一度床に突く。
ぽぉんっと音が響いて、アルルカンは足を一歩踏み出していた。
動きに合わせて、レヴィアタンの水槽の出入り口が閉じる。
「………《緋色の魔女》」
「……お会いできて光栄だわ、《緑の魔女》」
自然と口から言葉が出、彼女も応えるように軽く腰を屈めて、貴族の礼を取った。
彼女が顔を上げる一瞬、とろりとした紅い目が光る。
この光をどこかで見たと思った。
青い目の奥に、隠れるようにして鈍く流れる様を。
アルルカンが記憶の一旦に触れて固まったと見た《緋色の魔女》は、シャラッと装飾を鳴らして錫杖を前に掲げた。
「…私達の子を助けてくれた。貴方に一つ、《代償》を返しましょう。私の《代償》として」
「――――――っ、レイナ!?」
彼女の行動を訝しみながらも見守るスタンスを取っていた青い髪の男性が、魔女の《代償》という言葉に過敏に反応して声を荒げる。
それに全く反応を返さず、《魔女》は軽く錫杖を振って見せた。
床を突いた時と同じく、音が響き渡るように鳴る。
直後、諦めた男性が片手で眉間を押さえるのと、アルルカンの記憶の靄が晴れるのが同時に起こった。
―――――――――生きる気配のない、閑散としたセピアの部屋。
―――――――――常に零れていく記憶の存在を知り、喪失感に苛まれ、終わりを願った創造主。
―――――――――《世界》を支える《魔女》の役目を、次に引き渡さなければならない。迷った彼が目に止めたのは、作りかけの…
「………私ガ、《次代》ニ、選ばレタ? 記憶ヲ留めル、《補佐》デナく?」
「いいえ。その言葉は正しくない。貴方は《魔女》と共にある、《魔女》と同じ存在」
自分が作られた記憶はあるが、その目的がはっきりとしないのは以前からだ。
はっきりと目的を示す記憶を取り戻したと思えば、赤髪の魔女は否定を示し、そっと錫杖をアルルカンの目に向ける。
「貴方こそが、《魔女》の家。彼は、今もそこに居る」
アルルカンの、魔法陣が刻み込まれたエメラルドの目。
その魔法陣を通して彼の《魔女》は記憶を得、失っているという。
孤独を恐れた彼の《魔女》の意識は眠り、アルルカンと同化することによって世界を見聞きし、役割を果たしている、と。
でなければアルルカンも、常に自分が何者か、何をしているのか、そういった記憶を一切持てないのだと彼女は語った。
「私は、貴方の役割の記憶を返した。《代償》は、《門の魔女》の願い」
伏せた目で落ち着いて話される事柄に、アルルカンは一時、郷愁とでも言われるだろう感情の揺れを感じた。
その揺れが思いの外強く、ぼんやりとしてしまうアルルカン。
だが外野はすぐさま動きだし、特に、頭を抱えるようにしていた青い男性が、赤髪の魔女の両肩を掴み、慣れた動作でくるりと自身に向き合わせた。
ひょいっと動かされる動作に、無表情が崩れない魔女を見ているとシュールである。
「レイナさん、その《代償》は…」
「―――《絶対幸運圏》」
男性の、感情を押し殺し過ぎて逆に全面に出ている低い声に、魔女は伏せた目、無表情を欠片も崩さず告げた。
瞬間、男性のデコピンが魔女に炸裂するが、首が後ろに「がくっ」と動く間も彼女の無表情は崩れない。
ただ、不満そうな空気が流れる。
彼女の変化に機敏に覚る男性は、「説教は後にします」と鋭く睨んだ。
微かに魔女が伏せた目を水面へと下げる。
「……《魔女》殿ハ、何故此処ニ?」
「《流れ》を正す為」
簡潔に答えた魔女を見て、アルルカンはキリリと首を傾げた。
微かに自分のルーツを知ったわけだが、アルルカンは完全に《魔女》というわけでなく、彼女の言葉から何かわかるわけでもない。
ともかくここで何か異変が起きるのだろう事だけ理解し、エリアスタッフとマッドを見た。
「避難指示ガ出テイる。地上へ戻ルベキだ」
「あーぁ、うん、聞いた、聞いたよ。《No.6》からぁ。
んでもまぁ、僕ぅは、ひひっ…ちょーーーっと此処に居ないといけないんだよねぃ」
「幹部もいるし、俺もそろそろ帰……ええぇぇぇえぇっ!?」
アルルカンの言に、二者共それぞれの反応を示す。
前者は拒否、後者は同意と驚愕。
アルルカンは理由を求めるよう、キリと顔をマッドへ向けた。
彼はへらへらした笑みを崩さず、肩を竦めて両手を軽く広げて参ったとジェスチャーする。
「そっちの君とぉ、《No.10》はあぁ、……くひっ、拠点に戻ってぇも困らないよぉ~ぅ。ひゃひゃひゃ…っ」
何がおかしいのか、腹を押さえて笑い出した。
マッドの調子が普段通りとわかり、アルルカンはキリリと顔をエリアスタッフに向け、自身と戻るよう軽く促す。
視線を受けたスタッフは嬉々として身を翻し、アルルカンがやってきたドア側へとスキップしていった。
赤毛の魔女は、揺蕩う水面と同じく静かに立ち、その隣には彼女が動くまで留まる気配を見せる男性が傍に控え、二人から距離を取ってよれた白衣を纏うマッドが高笑いしているのみだ。
「後ヲ任せテイいノダロうカ…」
「あぁ、大ぁい丈ぉ夫っ!! 《No.6》にはぁ、伝えているしねぇ~……っへっへっへ!!」
「………ウむ…」
普段通りであるがゆえに、色々と不安も残るのだが、各部署と連絡を取り、今やDH社内全体に《感応力》をかけて統制している彼女が良いと言えば良いのだろう。
マッドもアレで優秀であるのだし、今までDH社の危機の際にはまともに働いている。
その事実に頼ろうと、アルルカンは一度視線を向けて、エリアスタッフを追って退出した。
「ひゃひゃひゃ…っ!!」と大笑いしていたマッドは、アルルカンが退室した瞬間、ピタリと笑いを止め、傾げた首のまま魔女と隣の男性を見た。
異常者染みた動きに男性の方は微かに目を細めるが、まだ脅威でないと踏んでいるらしく、それ以外に反応はない。
「君ぃ、《魔ぁ女》なんだぁろ?
僕ぉくを、くくく…どぉーうにか、ひふっ…すぅる、つぅも、りいぃぃぃぃぃぃぃ?」
言動の可笑しいマッドが《魔女》を見ているためか、流石に心配になったらしい男性が軽く剣に手をかけ、前に出た。
どうするつもりかとマッドは問うが、逆にこっちがどうにかされそうだと感じたのは、第三者が居ればわかっただろう。
それを横目でニヤニヤと眺め、マッドは続ける。
「君も、《異界》出身でっしょぉ? 《此処》じゃあ、ないね」
ニタニタと、唇を吊り上げて嗤うマッドに、魔女は微かに視線を彼へ移した。
「―――《審判者》でなく、《魔女》として、《流れ》を正す為に」
「うぅん?」
表情が変わるわけでも、何か大きく動作があるわけでも、ましてや言葉だって囁くような彼女に、マッドも流石に表情をぽんと消して眺める。
しばし上半身毎捻るようにして思考した彼は、狂人の笑みを消して納得いかないように、水槽上のハイウェイにある落下防止の柵に寄りかかった。
軽く足を組む様子は、先ほどの不安定な様子でなく、年相応の落ち着きを持った一般男性だ。
「実を言うと、僕も《神》から全部聞いた訳じゃないんだけれど―――すると…何?
《魔女》ってのは、《波》を呼ぶんじゃないの?」
「《魔女》は、《世界》のバランスをとるモノ。
《波》と《世界》の行く末を見守るモノが、《審判者》―――貴方のような」
伏せがちな彼女の、落ち着いた赤い目がマッドを捉える。
一瞬きょとんとした彼は、さらに困ったように眉根を寄せた。
「僕が、《審判者》?
確かに結末は見たよ。真実に気が付いた僕らが手を出せない、社会を管理する《マザー》に、《人質》ごと隠れちゃった《神》様とか、僕を取り込もうとしていた《波》とか。
途中から、自分が《ナノマシン》になったのか、《ナノマシン》が《自分》になったのかわからなくなったし、リーダーに落とし前つけてもらって、《神》様と《波》の争いで世界が《ナノマシン》だらけのボロボロになったから、《終わり》だと思ったわけなんだけれど………」
柵に寄りかかったまま、ぺらぺらと思考を整理するように話を振ってきたマッドだが、途中から判断に困ったのか口が閉じた。
タバコの煙を吐くように、後ろ手に柵を握り、顔を天井に向けて、大きく深呼吸する。
「ねぇ、《魔女》さん。僕の《世界》は終わったんだよね?」
何処か気の弱い様子で、縋るように問いかけるマッド。
眼鏡越しの彼の目は、社内で見る狂人じみたものでなく、元々の彼、《マッド=マスクイア》の理知的な目であった。
雰囲気が変化したのに驚いたのは、魔女の付き人の男性で、魔女はそれにも動じた様子なく、無表情で淡々と答えた。
「――――――《世界》とは、《神》を含めた、その世界の森羅万象。
貴方もまた、《世界》を構成する一部」
「ははっ…何だ、それぇ……」
魔女の言葉に、マッドは笑った。
疲れた老人に似た動作をした彼は、力なく笑いながら、次第に語尾が間延びしていく。
「あはっ、はっ、……はぁ……なぁんだよ、それえぇぃ…」
憤りや悲しみといったわかりやすいモノでなく、様々に混ざり、捉えどころのない雰囲気に、魔女の護衛が剣を抜いた。
危機的状況であっても、《魔女》として必要な行動しかしない仕事モードの彼女は、その場を滅多に動かない。
わかっているだけに彼の行動は素早く、目の前のマッドを敵として判断し、構えた。
笑いながら顔を覆い、嘆くように身を震わせ、次第に狂気を帯びるマッドは、爪を立てるようにして自身の顔面を握ると軽く顔を上げた。
指の間から、夏空の様な空色の瞳が、底知れない蒼を湛えて輝いている。
「―――――――――あの野郎、まだ、生きてんのか…」
ぼそりと小さく、けれどはっきり聞こえた彼の呟きは、強い殺気に溢れていた。