side3 悪役と保護者2
黒い背景の中、天井を見上げる男が一人。
洒落たスーツと伊達眼鏡に、ひょろりとした印象が否めない、薄い身体。
へらへらと浮かべた表情は大衆の中で見れば特に違和感のないものだが、この場で見れば異様である。
模型を置くコレクションボックスの塔に体重を預け、腕を組むようにして彼が眺めているのは黒い箱。
その中では、強烈に輝く赤褐色や静かに瞬く青灰、転がるように跳ねる四つの光の粒、紫暗色の宝石、赤黒い霧の塊、緑の閃光、揺らぎうねる赤と青の線が、何の法則もなくランダムに飛び交っている。
最新映画のCMを見るような、お手軽な快の笑みが浮かぶ彼は、その背後に蠢いた影に笑みを吊り上げた。
くるっと振り返り、歓迎の意を示すように両手を広げる。
「ようこそ、《異界》の王。それとも、《魔王》、と呼んだ方がいいか」
黒い背景でもわかる、動きのある闇。
影から湧き出すように現れたのは、硬質な銀髪に、紫の輝く眼。
その印象深い紫の両眼は高い位置にあり、視線を下ろすと黒地に紫ラインの服が見て取れる。
かなりの長身の男。
2M近くあるので、黒スーツの伊達男は、彼、魔王を見上げるしかない。
見た目はかなり若くて、顔立ちも額・鼻筋の堀がはっきりした顔だ。
男性モデルにあるような、その麗しい顔を険しく歪めて、一言。
「何が望みだ」
「異界には何も望んでいないよ。お宅のお子さんが来たのも、不可抗力。
何せ、色々なモノが流れ着く場所だからね」
魔王の用件自体は予想がついていたので、きちんと冤罪だと告げておく。
この魔王との接触は初めてで、むこうの世界の情報は未知のモノが多いが、世界を統べる神同士、色々とわかる事もある。
特に今回、暗黒神の居る世界に向かう流れに乗ってきたのは《魔女》であり、魔王の娘は彼女らについてきただけ、なのだから。
そこいらの事情も分かってはいるらしい魔王が黙り込む。
険しい顔に変化はないが、仮にも他人の家、どういう風に対処しようか迷っているようだ。
随分良識があると、逆に感心した。
スーツ姿の男、DH社《No.1 暗黒神》も特に彼に興味はないので、歓迎のポーズをしつつも半分無視している。
世界の格はそこを統べる神のランクに反映する。
やはり会ったことはないも、有名なのが《覇王》。
元々《波》と戦うために造られた、最強の盾と矛を持つ、神々の中でもトップクラスの神である。
それが何の原因か誤作動を起こして分裂し、その欠片が《魔王》となって世界を管理しているのが、今居る彼の魔王の住まい。
欠片とはいえ、その中でも第二位と力ある魔王であり、実は、暗黒神とほぼ同等の力の持ち主なので、関係を拗らせると色々とアレなのだが、暗黒神には興味がわかないのである。
「だからこそ《紫暗の魔王》も、《緋色の魔女》も《龍緋玉の守護》も、《門の魔女》も《共鳴》も全て受け入れている。子供のお迎えを邪魔なんかしないさ。
そっちも僕の邪魔をしようとしなければ、全く関係がない」
道理であるし、暗黒神の言い分に嘘はない。
それもまたわかっているのか、銀髪の魔王は苦々しく告げた。
「《波》の気配がする。そちらこそ、こちらを巻き込みかねない」
「あぁ、アレ。けれど、《覇王》は撃退できたわけだろうに、怯え過ぎじゃないの」
《世界》間の常識となっているが、《世界》から生まれた《神》は、その身を狙う《波》の存在を知っており、常に捕食される危険に備えている。
もちろん《暗黒神》である彼も良い心地はしないが、もう一つの常識として、《波》はそれが対応する《世界》のみしか狙わないというのがあり、今回の《波》は、違う、のだ。
ここの《世界の神》である暗黒神自身がそう感じるのだから、違う、と断言できる。
これは感覚としか言いようがない。
「《魔女》や他の要因が関与して、だ。
《我々》の中でも珍しいケースで、《波》が完全に《消滅》えたかはわからない」
「用心深いね。だからこその、《覇王》の世界なのか」
茶化せば、思いの外、厳しい視線が返ってきた。
というか、本当に彼の右眼が鈍い光を放っている。
「この《世界》は、まだ《波》に見つかっていない、な?」
「―――――――――――そう。まぁ、未経験者なのは認めるよ。
今の所生き残ったのは、《覇王》ぐらいだとも、聞き及んでいるしね」
「《波》がどういった方法で《世界》を見つけるのか、また襲ってくるのかは不明だ。
けれど、《その時》が来れば、もはや遅い。――――――《遊んで》いる暇はなくなるぞ、《混濁》の」
厳しい顔で意味深に告げる魔王に、初めて暗黒神はまともに目を向けた。
伊達眼鏡の向こうから、人の形に擬態した闇が、同じく異界の闇を見据える。
あくまで先ほどと同じ、軽い口調で暗黒神は告げた。
「参ったなぁ…。どこまで知っているの、《覇王》様?」
「《この世界の理》ならば、《情報》を読めば事足りる」
「――――――なるほど。最強の盾、ねぇ…」
各神の特性はそれぞれ。
《覇王》は対波用の《世界》であると知ってはいたが、それが他の世界さえも読める構造にあるのかと暗黒神は皮肉った。
ありとあらゆる理を読めるというのは、シンプルでいて強みである。
「そんな《覇王》が何故、《誤作動》を起こしたのか興味が尽きない……
が、そちらさんこそ、単純にお子さんを迎えに来たわけじゃなさそうだ」
暗黒神の琴線に触れる《遊び》の内容から外れてしまえば、彼自身も魔王相手に険悪な態度を取らない。
元の調子を取り戻した彼は、そうして魔王を促した。
魔王を見て、暗黒神の領域に自ら入って緊張しているのかと考えていたが、元々争う理由もないし、同等の力を持つ神同士で事を構える面倒を両者とも忌諱している。
お互い似通った属性を持っているのもあり、理性的な風を装っていても本性に戻ればどうかなど、簡単に共感できた。
唯一違う点といえば、この魔王には、家族があるという事だろうか。
それがどういう意味があるのか、暗黒神はわからないが。
険しい顔を崩さない美麗な魔王は、促され、影に隠れるようにして持っていた大振り、いや、巨大な剣を取り出した。
斬馬刀と言っても良いような、長身の魔王をして余る、巨剣。
単純にそれ程度の重さの物を持ち上げろと言われれば、いくら優男風を装っている暗黒神でも、楽々指先で弾くことが出来るだろう。
けれど、その巨剣の存在を把握した途端、びりっと暗黒神は感電したように髪を、擬態している服の端を、逆立たせた。
思わず、人の擬態が壊れそうになる衝撃に、顔の半分が元に戻ってしまったのではないかとすら思う。
魔王だけでは感じなかった、物凄い圧力に思わず涎が垂れ、乱暴に拭った。
「――――――《覇王》っ!!!!」
目前の魔王の、大元となった《神》の化身である。
彼の魔王と同等の暗黒神であるので、さらに上位が出現し、その存在の差異に慄いた。
「取引を、しないか」
静かに、右眼をギラギラとさせた魔王が呟く。
強大な存在である《覇王》の化身にばかり目が行ってしまうが、その声で暗黒神は魔王の存在も思い出した。
これ見よがしに巨剣を抜いたと思えば、魔王は小刻みに震えている。
彼の足元では紫色の淡い光線が何かしらの魔法陣を描いており、恐らくそれでその巨剣を召喚したものと思われた。
次の瞬間には、暗黒神が慄く程のソレを、魔王も簡単には操れないという事だとすぐに理解する。
脅威を前にして、暗黒神も多少の興味が湧いた。続きを待つ。
「仮に、《世界》に侵入してきた《波》が本来のソレと違うとしても、追い出す事に反対はないだろう? さらには、《消滅》す事さえも」
「若輩に《波》退治でも見せてくれるって訳か。良いねっ。確かに、自分としても有難いよ。―――で?」
「―――――――――《混濁》の《遊び》に、俺の世界《蒼鎖の大地》及び《意思の統べる混沌》への干渉を一切禁ず」
魔王の居る《蒼鎖の大地》はまだいいとして、別世界である《意思の統べる混沌》までもとはどういうことか。
また、暗黒神が何よりも優先する《遊び》に関してとは、とても強力な縛りである。
思わず瞠目した暗黒神は、笑いを抑える様にニヤニヤと顔を歪めた後、困った風に肩を竦めた。
「元より自分にそのつもりはない。
けれど、自分だけじゃあ、《混濁》の契約としては成り立たないと思うんだがね」
「――――――問題ない。《世界記》での誓約となる」
魔王が重ねた言葉に、暗黒神は再度吹き出し、笑い声を上げた。
「《預言書》は、《覇王》が持っていたのかっ!!」
各《世界》の理が記されると、神々の間で囁かれていた《世界記》。
人間の言う都市伝説的な存在だが、目の前の魔王が冗談を言う訳でもなく、片手に巨剣、さらに乱れるビジョンのように片手に本を出されれば、彼も信じないはずがない。
なるほど、《最強の盾と矛》である。
「あっはぁ! それならば、問題ない。
―――《暗黒神》は、《混濁の遊戯》とし、《覇王》と確約しよう」
「――――――《紫暗の魔王》とし、《蒼鎖の大地》より《混沌の遊戯》へ、盟約を」
二人がそれぞれに言葉を重ねると、それらは彼らの前でふわりと光の粒子となり、上下に引き延ばされながら霧散する。
次には、銀髪の魔王の手に在る本が勝手に開き、ばらばらとページが進められた。
辞書以上にページのあるそれが速いスピードで捲られた後、最後の外装が閉じられる。
魔王は己が身に目に見えぬ《情報》としての契約の証を見、暗黒神はバチっと音を立てて首輪のような痣を受けたのを感じた。
「くっぅっぅっ。自分にコレなら……」
含み笑いを失敗した暗黒神が、伊達眼鏡の奥でさらに目を細める。
《遊び》は、当然、遊んでくれる相手がいなければ成り立たない。
暗黒神は満足そうに、魔王、その手に持つ本を見た。
各《世界》共通の理で結んだ約束事は、それを破れば相応に罰が下る。
破ったという話は聞かないが、体験する者が存在しないというのが答えだろう。
これで、暗黒神の住む世界、《混濁の遊戯》は遊び場を二つ失った事になる。
「―――盟約は成った。恐らく、以降、貴様と会う機会はないだろう」
「そう、お願いしたいねぇ。《覇王》なんて物騒なのは」
そうして暗黒神は手にもった黒い箱を覗いた。
その中には先ほど眺めていた光源は減り、赤黒い霧状と、ランダムに揺らぐ赤と青の線が重なる事なく揺蕩っている。
僅かな時間瞬いた緑の閃光は、ある意味、暗黒神の意図したモノであるが、それと別に収穫があり、彼は上機嫌であった。
用はないとばかりに、早速黒い箱へ意識を向け出した暗黒神。
対面していた銀髪の魔王も何事か行い、片手に持った本を仕舞った。
暗黒神はそれで終わりなのだが、魔王にはまだすべきことが残っている。
唯でさえ身に余る存在の召喚を行いながらであり、既に体力の半分を失った彼は、息を切らしながら手に持った巨剣を構えなおした。
巨剣を支える両手は震え出しており、上手く目標を定められないのが本当の所である。
魔王自身の守護の及ぶ範囲から外れた娘を探して辿り着いた此処。
《世界》を《情報》と《エネルギー》で見る特性上、《混濁の遊戯》と呼ばれる世界の在り様はすぐに理解した彼だが、世界の持つ業ともいえる厄介な点も発見した。
この世界は、比較的異界と接触が取れる特性を持つが、管理する《神》の価値観は利己的で、その為に《神》より下位の存在が悲惨な目に遭う事もしばしば。
彼らが及ぼす《遊び》の影響は、自己の世界に留まらず、異界にも手が伸びるのだ。
例え、魔王が暗黒神と同位の存在だとしても、魔王の配下やその娘など、関わりあえば無事に済むはずもない。
それを恐れての、今回の盟約である。
魔王の妻は常日頃口にしている様に、彼を極度の心配性だと評するだろうが。
家族の顔を思い浮かべた魔王は、緊張に強張る顔を一瞬だけ緩めた。
実の所、手に持つ巨剣を使用した経験はなく、召喚しただけで氷を削るようにガリガリと、早急に体力を奪われるとは思っていなかった魔王である。
もう少し保つと踏んでいたが、倒れる前に事を成さねばならないだろうと気合いを入れなおした。
「………元は断つ。後は、頼むぞ」
―――――――――《緋色の魔女》