side3 ちびっこと魔女。4
《魔族》の目からは些か遅いスピードで走り去るカーゴを横目に、リーダー格の短髪の男が他三人を順に見る。
視線を返したのは、紅一点と傷の男。
富士額の青年、灯果は他のメンバーの気配を感じているようだが、小さく揺らぐ水面から目を離すことはなかった。
彼の目線の先、この巨大水槽部屋を横断するハイウェイ、その入り口側から次々と青いモノが這い上がってきているのだ。
「《灯果》、どう見る」
「……触れた瞬間から、《情報》が書き換えられている。
《魔力》や事象そのものへの干渉は不可の様だが、物体への干渉速度は、ほぼ一瞬」
静かに無駄なく話す灯果。
《魔王》の配下である《魔族》は、魔王同様、世界を《情報》と《エネルギー》として見る。
自身の得物を変えられた彼は、その変化の瞬間を情報の書き換えとして見ていた。
例えばノートに《鋼の剣》と書かれた文字が、《鋼》から《軟体》に、《剣》から《カタツムリ》に、消しゴムで消されて新たに文字を書き直されたように。
彼は、その書き換えられるスピードと変化するモノの不可解さに、思い入れのある刀を手放していた。
「アレは、何だ」
「………該当情報なし」
「さもありなん。我らが王の世界とは違うからな」
短髪の男は軽く頷くと、次には胸元にある装飾を外し、小さな宝石の細工、金属の弱い部分を指で折り取った。
親指と人差し指で摘まむ程度の大きさのそれを、灯果に、紅一点に投げ渡す。
「《アラクネ》は二つ、《灯果》は三つだ。使用を許可する」
受け取ったのを確かめるように手を開くそこに、アメジストの欠片がある。
アメジストは彼らが王の《魔力》の結晶であり、魔力が足りない彼らにはドーピングとなる。
アラクネと呼ばれた女性は少しだけ誇らしげに微笑し、無表情な灯果も手の平から感じる《魔力》の強さに目を細めた。
「事象への干渉が難しいならば、我ら、《影の者》には有利だろう。
が、灯果。万が一の時は、《レィダーヴ》に頼れ」
短髪の男が告げると、顔に傷のある男が軽く微笑んだ。
レィダーヴと呼ばれた彼は、瞬間、床を蹴りやる。
すると再び魔法陣が展開し、ハイウェイをコーティングするように黒い影が走った。
それはカタツムリを弾くことはなかったが、浸食してくる情報の書き換えを阻止し、足場を確保する。
「《ハーヴェイ》。崩壊魔術の使用は?」
「“崩壊魔術”が使えるのは、ヴィーヴ様と…現時点では姫君のみだ。
俺が扱えるのは“崩”程度。油断できん」
魔族の中でも、姫の父親である魔王に仕える“影のモノ”が使うことの出来る崩壊魔術。
影という特性上、光にかき消されるように対象を崩壊させる、なかなか物騒な魔術である。
これは、術式が存在の情報を片っ端から消し去っていく、ある意味力技であるので、魔王に近しい上位者でない限り使える者はいない。
姫の護衛である彼らもまた上位者であるが、それを持ってしても困難な代物であった。
「だが、感染さえしなければ問題ない。《消滅》せ」
「「「応」」」
走り出したカーゴの内部は、走行中に発生した風で乱れに乱れ、長い髪を二つ結びしている姫や、一つに纏めているアルファとミューを難儀させていた。
蘇芳も、男性にしてはやや長いざんばらであり、時折不快そうに目を細めて顔を拭う。
周囲は、先ほど沈んだレヴィアタンの影は見えず、入室した当初聞こえた、クジラの様な鳴き声もない。
ただ車の走る音だけが反響し、漣の余韻でハイウェイがガタっと揺れるだけだ。
後方を見たアルルカンは、タイミング良く、ハイウェイに黒い影が走ったのを見た。
何事かと思えば、ハイウェイが黒い何かでコーティングされ、鈍く輝いているのが見える。
何かしらの魔法要素を感じるあたり、先ほどのSPの誰かの魔法なのだろう。
どういう効果があるかは不明だが、彼らのさらに先、入り口付近に這い上がってきている青い何かの下に黒い霧が発生して、ハイウェイに沈み込もうとする悪しき気配を掃っている。
そう、悪しき気配としか言いようがない。
入室した当初は気にならなかった部屋の雰囲気だが、アルルカンが今感じるのは“見られている”という感覚だ。
何か存在感のある大きなものが居て、それに覗き込まれているような心持ちだった。
であるためか、根本的な悪しき気配の出所など、皆目見当もつかない。
レヴィアタンを隔離する魔法が壊れたのも、急に暴れ出したのも、あの、青いカタツムリのようなモノが関係しているのだろうか。
次いで前方に顔を向ければ、やおら真剣な表情で避難通路をチェックするキョウカとエリアスタッフが見えた。
アルルカンと彼らの間、そわそわしている子供達の中でも姫は、父親の部下が留まっているせいもあって、事ある毎に後ろを気にしている。
「の~…」
姫の護衛が持っていた太刀を変化させた所から考えるに、あの青いカタツムリに触れると、同じようなモノに変化するのだろう。
それが変化魔法のようなモノであればアルルカンにも理解できるが、あの時、馴染みある魔法要素の変化はなかった。
触れると変化するならば物理攻撃などできようはずもないし、魔法でもないなら食い止めるのは難しい。
だが、姫の護衛の魔法ではそれに対抗できるらしいのが、下のハイウェイを見て思われる。
単純に魔力を量るならば、姫がこの場に居る誰よりも強いのは事実なのだが、総合的に戦闘力の高い蘇芳や、彼女の護衛と同等に考えるのは無理だろう。
そして困った事に、アルルカン自身もランクCであり、どちらかというと対人用のちょっとした魔法やら、機械としての頑丈さや素早さといった物理方面に特化している。
大掛かりな魔法関係の事態であるが、これといって出来そうなことはなかった。
キョウカが呼びかけている援軍は、出来るならば《竜人》や《イーサ:ヘルマ》など、魔法に特化している者が良い。
状況を整理していた所で、脱出口に着いたらしく、スピードが落ちた。
「ちょっと待っていて。キーを開けるから」
半ば無理やり急停車したカーゴから、エンジンを付けたまま飛び降り、エリアスタッフが扉横のテンプルに飛びつく。
吸盤のついた指はやりにくいだろうに、四本ある指の一本でカバーを弾き、番号を叩いた。
するとその隣に掌紋板が出現し、彼はばっと手を付ける。
――――――!?
一息置いて固まったエリアスタッフに、幹部達は顔を見合わせた。
「まさか…開かないの?」
こういう非常時によくある、普段のコードキーがエラーを起こして認証されないのではという悪い予感がする。
険しい顔をしたキョウカから手渡されたデバイスを、アルルカンは受け取った。
エリアスタッフに次いでキョウカがひらりと降りる。
彼女の《感応力》ならば、エラーがあったとしてもこじ開けることが出来るだろう。
「ねぇ、ちょっと退いて…」
エリアスタッフの肩に手を置いて、キョウカ。
彼女が左手を掌紋板に置き、促すように軽く手に力を入れると、スタッフの体がぐらりと傾いだ。
「…キョ……カ…」
―――――――――!?
多分、彼女の名前を呼んだのだろうエリアスタッフは、そのまま床に転がって、即座に体が円状に歪んだ。
それが何か分かった彼女は、顔色を無くし、咄嗟に触った右手の手首を押さえる。
「―-っ」
刹那、カーゴから飛び降りる蘇芳。
彼は手刀を作り、そのまま彼女の腕に狙いを定める。
「来ないでっ!!!!」
鋭く叩き付けられる言葉に、彼女に触れるか触れないかといった所で、蘇芳の手は止まった。
彼が躊躇した次の瞬間。
キョウカの右手甲に、あの、青いカタツムリにあったのと同じ、人の目が見開かれる。
自分がどういった状況にあるか正しく理解したキョウカは、青いカタツムリと化すエリアスタッフの横で、自分の右手にある目と見つめ合った。
痛みはないのか。
その一瞬の視線の交差後。
ただ茫然とする彼女の腕に、肩に、片頬に―――…
目が、見開かれる。
「い、…あ、……きゃあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!!!!」
一気に許容量を超えた恐怖は、彼女の口から叫び出た。
手首を押さえつけた格好のまま、彼女は崩れ落ちる。
恐らく、彼女の感染が広がる前に手を切り落とすつもりだったのだろう蘇芳の手は、彼が言う《闘気》を纏っていたが、蹲る彼女の姿に、彼は手を下げた。
手遅れ、という言葉が浮かぶ。
その後のキョウカは手を押さえたまま蹲っており、そうして悲鳴の次には、何かしらぶつぶつと呟き始めていた。
何を言っているのかアルルカンは聞こえなかったが、近くにいた蘇芳には聞こえたようだ。
キョウカから弱いながらも魔法要素が動いたあたり、彼女の最後の《感応力》かもしれない。
「――――――…《アルルカン》、別の脱出口を。この扉の向こうが、……コレの、発生源、…だ」
低く、獣が唸るように静かに告げた蘇芳に、アルルカンは他に口を挟むこともできずにデバイスを起動させた。
煉獄から噴き出た炎のような、とても恐ろしい声と、岩となったように微動だにしない彼の後姿に、子供達は動けない。
キョウカの悲鳴を聞いたことも、子供達を泣き出させもせず沈黙する一因だろう。
発生源が分かったものの、デバイスの検索の他、後ろを見れば、姫の護衛が対応しているも、下の水槽の水が次々と青いカタツムリに変化しているのが見え、そちらに移動するのも絶望的である。
蘇芳の《闘気》で吹き飛ばすにしても、数というか、量が多い。
「…ぅ、ううぅ…ア、《アルルカン》…」
声をかけられ下を向くと、目から大きな涙をこぼしながらレオンが見上げていた。
顔がくしゃくしゃで、彼がとても怖がっているのが見て取れ、慰み程度に頭を撫でる。
くしゃりと髪を押さえるだけで、彼の涙は一粒、二粒と頬を零れ落ちていった。
泣くのを我慢するような泣き方だなと感じていると、逆側の足にミューがしがみ付いてくる。
下衣が湿ったのを感じ、彼女もまた怯えているのを実感した。
「《アルルカン》、お願い、助けて…」
一頻り撫でて貰い、濡れるところがない程ぐしょぐしょになった顔で、レオンはアルルカンを見上げた。
青い目が充血して、赤くなっている。
こんな幼子が危険に曝されており、どうにも対処できない自分たちにも彼は苛立ちを感じたが、今の所の最善は、どうにかして後ろの青いカタツムリの波を突破することである。
蘇芳が吹き飛ばし、自身の魔法やら“閃光の掌”を使えば、多少は出来るだろうか。
「みゅっ…」
ミューも彼の下衣を引っ張って見上げてきた。
彼女も目が赤いと思えば、よく見ると、青い瞳の中に赤い色が浮かんでいる。
とろりと揺れる赤が、くるりと一回りするとアルルカンは眩暈を感じた。
「《アルルカン》、お願い……リセットして…お姉さん、死んじゃうよぅ…」
「みゅぅ…み…みゅう…」
両サイドの青い目に、赤いとろりとした光が浮かんでいる。
それがまた一回りして、アルルカンは体の自由を奪われた気がした。
コレ、は、何だ?
赤い光の中、ずっしりとした圧力を感じた。
悪しき気配とは違うとはわかるも、見ている者を畏怖させるような圧迫感である。
それが子供の中からするというのも奇妙な話だが、確かに感じた。
一時、目の奥の魔法陣が乱れる程の魔法要素を感じる。
「オ前達、は…」
「ぼ、僕ね…《魔女》なの。ミューちゃんと二人で一人前……なの…」
「……み。…《開門の魔女》…なの…」
レオンがちらとミューを見ると、彼女が“みゅ”以外のまともな言葉を発した。
しくしくと泣きながらレオンも。
「僕は、《閉門の魔女》なの……でも、僕たちはリセットできないの…」
だからね、助けて、《緑の魔女》。
「何ヲ、言っテイるんダ?」
創造主に“自動人形”として作られた記憶はあるが、《魔女》になどなった記憶はない。
青でなく、赤でなく、混じり合った瞳に見つめられアルルカンは身動ぎした。
「アルルカンは、《緑の魔女》だもん。ミューちゃんが言ったもん」
レオンが確認するようにミューを見れば、彼女は「みゅ」と頷いた。
とろりと彼らの目の光が回る。
―――アルルカン。
気に入ってくれたかい?
そう、その目。綺麗なエメラルドだろう?
細工もね、時間をかけたんだ。
何せ、その目は、私のと同じ色。
身代わりにするようで申し訳ないがね。受け取ってくれないか、私の名。
「「《時忘れ》」」
瞬間、アルルカンとミューの声が重なる。
創造主と過ごした、生気のない、清閑な空間の意味を、今ここで理解する。
過ぎた時を忘れ、時を戻る魔女。
だが、創造主もまた、アルルカンと同じ男性体であったと、黒に染まる意識の片隅で考えた。
主ヨ、どウヤラ私は、使命以外ノホトんドの記憶ヲ隠サレた事を思イ出しタヨウだ。