side3 ちびっこと魔女。2
ちびっこ達の愛らしさを追求する回であったのに、何故かとても物々しく、生臭くなりました。一応、グロ注意を発令させていただきます。
それでは、自己責任にてお楽しみください。
「悪い子はぁ~…」
ぽんと宙に放り出されたまま、大きく怒鳴った姫は、片手を向かってくる怪獣へと向けた。
どこか強気な様子の姫だが、絶望的な状況にキョウカは甲高い悲鳴を上げる。
瞬間、姫の水面に映った影が沸騰した水のように膨れだし、水泡が重なり合って塔を形作った。
「めっ!!」
四方へぼこっと、特大に大きな影の瘤が出来、黒い糸を引いて中から人が飛び出した。
一人は女性。
彼女は怪獣へと何かを投げ、直後に姫を片腕で抱えたと思うと、天井へ逆手を掲げて飛び上がった。
短時間の内にばしゅっと音がした天井を見上げたアルルカンは、目の機能を一時的に上げる。
どうやら何か糸のようなものが張り付いているらしく、有機的な物質を確認した。
その頃には、姫を抱えた女性は、彼の隣に足音も立てずに降り立つ。
驚きすぎて息が止まったのか、キョウカの悲鳴が途絶えた。
―――――――――ぐきゃぁおぉぉぉぉん!
怪獣の悲鳴に再びそちらを向くと、怪獣は部屋を縦に遮る網にぶつかり、一時後ろへバウンドした様だ。
先ほどの女性が投げたのは網だろう。
そこに、立て続けに何かが撃ち込まれ、反動で怪獣はさらに後方へと押しやられる。
出所は、飛び出した四人の内の一人、額の中心で別れた髪型の青年の手元。
女性と同じように、カメレロン星人から近い柵上に立ち、なんと火で出来た矢を素手で掴み、放っている。
魔法に近い感覚を受け、アルルカンは一時それに引き込まれた。
「ですの~!!!」
女性に抱えられたまま、姫は宣言する。
目を丸くしていたキョウカは、火の矢が当たって爆発した怪獣方面を凝視し、爆炎の影に人影を見つけて半口を開けた。
遠いのでよくわからないが、男性で、こちらから見てわかる程の大きな傷跡を顔に持っている。
彼は水面に立ち、落ちてきた怪獣に狙いを定めていた。
――――――――――っっ!!
あまりに鋭いために、叩いた音も掠れてしまっている。
彼はサッカーボールよろしく、怪獣の顎を、半身を捻って蹴り上げた。
怪獣が悲鳴を上げることも出来ずに上体が宙へ浮くと、待ち構えていたらしい最後の一人が、横へと小さく張り出された鉄柱の真下から、両手を組んで大きく振り上げている。
顔側片方を掻き上げた短髪の男性で、彼は腕を振り下ろす瞬前、一言口が動かした。
――――――――――《消滅》せ。
蹴り上げた傷の男性がそれに気づいて水面を跳び、一息に部屋の横側の壁に着地する。
直後、力の限り殴られた怪獣は九の字に折れて脱力、盛大な水しぶきを上げて水没した。
発生した津波のようなそれに蘇芳は顔を顰め、カメレロン星人も流石に悲鳴を上げる。
水に押しやられ、再度ハイウェイが撓んだが、もはや顔色を失っているキョウカは、続いて来た頭上をゆうに超える波を茫然と眺めるだけだった。
「灯果。斬れ」
天井に逆さに立つ短髪の男が告げ、カメレロン星人の傍、富士額の青年は、腰に差した太刀を手に取る。
一瞬だけ腰を落としたと思えば、一気に太刀を横に薙いだ。
居合の型だが、それにしては集中する時間は皆無であり、その威力も津波を斬る、とんでもないモノである。
アルルカンの目にも、津波が上下にすぱっと裂かれて見えた。
斬られた上部の水の塊が、頭上を通過し、後方の壁にぶつかって水槽に落ちる。
再びハイウェイが揺れるが、弱いモノだ。
余裕ができ、彼は沈む魚影を見たが、すぐに動き出す気配もない。
改めて彼は、姫の影から生まれた四人を順に見た。
常人には不可能な壁や天井に居るどちらも、いや、この四人とも重力など感じさせずに立っている。
影響を受けない魔法もあるが、彼らの髪や服の裾は、正しく重力に引かれて垂れ下がっていた。
「の!」
成敗したりと、満足そうな顔で頷く姫。
ざばっと遅れて来た斬られた下部の残骸、飛沫を被ったこちら、DHスタッフと、他の子供達はぐったりしていた。
だが、そんな状況下でも、《灯果》と呼ばれた彼とその仲間達は、彼らの紅一点が姫をハイウェイに下ろすと、彼女の面前に揃って頭を垂れた。
「ありがと、ですの!」
「勿体ないお言葉でございます、姫君」
にこにこと微笑む姫に、恐らくリーダー格である、短髪の男性が四人を代表して返答する。
状況的にこの四人は、魔王の娘である姫のお付きなのだろう。
通常は姫の影に潜っているためか、全く気配がない。
彼らの戦闘レベルはDH基準でA~A+とアルルカンは推定した。
ほっと緊張が解けた空気が流れ、べしゃっとカメレロン星人が座り込む。
彼はとっくにカーゴから手を離し、やっと立っている状況だったようだ。
代わりにゆっくりと闘気を治める蘇芳が、カーゴが振動で倒れないよう支えていたらしい。
どんな筋力であろう。
「…姫ちゃんのね、《えすぴー》なの…」
蘇芳の腕の中でぐったりとしたレオンが、解説するように小さくつぶやいた。
それに目を向ける蘇芳は冷静そのものであったが、単に表情に出ないだけかもしれない。
返答するように軽く頷き、彼は小さく口を開いた。
「無事か」
「うん。僕、疲れたよ、赤魔神。ぐったりする…」
蘇芳に返事をし、レオンは彼の肩にそのまま持たれて、ぐずついた。
子供一人が動くには、まだまだ狭いだろう彼の肩で、落ちないように蘇芳は支える。
アルルカンも抱きかかえたミューの存在を思い出し彼女を見ると、後頭部だけでも猫のように髪の毛を逆立たせていた。
「みゅ、ぅ」
無表情だが、驚きに固まっているミューの顔が振り返る。
アルルカンを見上げて来、彼もキリキリと歯車の音と共に彼女を見返した。
無表情同士だが、ある意味情感たっぷりなミューと違い、アルルカンの情感は変化していなかった。
それに気が付いたのだろうミューも、彼からぽてりと下りると、すっかり灰になっているキョウカと、彼女に抱きしめられてぐったりしているアルファの隣に転がった。
「みゃあっ」
薄闇の中、落ち着かなく指を動かしているのは、マッド。
この研究エリアの、一応の、代表者。
あまりの落ち着きの無さに、同室に居るイビー爺さんもちらちら気になる視線を送るが、マッドには全く通じていなかった。
そんな彼は両腕で自身を抱きしめ、ぐるぐると回り続けている。
つい先ほどからだ。
「ああ、ぁあぁぁぁん、ゾクゾクするーーーーぅ、ひっ、ひひひひっ…!!」
通常の事とはいえ、全く脈絡なく、話が通じなさそうな、思考がぶっ飛んでいる印象を受けるため、下手に突っ込みも出来ず、イビーはぶらぶらさせた足から、ぺいっとサンダルを脱ぎ散らかした。
仕方なしに、キャスター椅子の上に胡坐をかく。
無作為に机に乗った紙束を一枚だけ残して落とし、それにグレイス嬢・改の構想を書き込み始めた。
何度か使ったのか、先端が丸く潰れた鉛筆を立てて目測している先は、グレイス嬢のストーンとしたドラム様の概容。
何故か照明を落としているマッドの研究室で、薄闇と同化している銀の丸太が、鉛筆の芯と同じ色に染まっていた。
「ほぉん…」
こんなゴミだらけの部屋を器用に回っていたマッドだが、イビー爺さんが本格的に紙に落書きし始めた頃には、床に転がり始めた。
時々「うっ、ひゃひゃひゃひゃ…っ」と痙攣を起こしているが、まぁ、イビーの知った事じゃない。
鉛筆を舐めながら、興に乗ったかガリガリ書き始めたイビー爺だが、何度目か目測に鉛筆を立てた際、視界がぶれた。
「ほん?」
老化のせいで目が見えにくくなっているのかと目を擦るが、グレイス嬢の銀の色は、飴細工のように歪む。
思わず鉛筆を視界から退かし、老眼鏡を外した彼だが、微かであるものの、彼女のラインが砂嵐のように乱れているのを確認した。
単なる機械だと思っていただけに驚き、イビー爺さんは水揚げされた魚さながらに跳ねるマッドの上に飛び降りた。
「おい、青二才!」
「げふぅ…っ!!?」
地蔵を落とされた衝撃に、マッドは口から唾液か何か吐いて、びくりと一度硬直する。
生理現象か、かはっと微かに呼吸を始める彼を、遠慮なくイビー爺さんは転がして仰向けにした。
老眼鏡を額に上げながら、グレイス嬢を指す。
「ありゃ、何じゃ!!」
「ぅえっ、えっ、えっ…」と咳き込んでいたマッドは、それを何度か繰り返そうとして、待ちきれなかったイビー爺さんに襟首を揺すられて目を開けた。
酸欠と揺すられて頭の血がどうにかなってしまいそうな、青白い顔をした彼だが、その目がはっきりしてくると、顔色をさらに変えた。
「《グレイス》…?」
よれよれの風体で横たわり、上体はイビー爺に襟元を掴まれているから起きていられるマッドだが、普段の彼と違い、その目は濁らず、澄んだ蒼を湛えて、知性が見えた。
電灯スイッチの様にコロコロ雰囲気を変えるマッドであるが、イビー爺さんも、その若者らしい顔にぎょっとして手を離す。
「あだっ!?」
強かに後頭部を強打したマッドが悲鳴を上げたが、それにさらにぎょっとしたのはイビー爺だ。
普段のマッドであれば、ごんと打っても「きゃっは!」と笑い声を上げるに決まっているのだから。
思わず手放した両手を見て、何かに感染していないか、汚れがないかをチェックしてしまうイビーである。
代わってマッドは、打った後頭部を両手で押さえて蹲ったかと思えば、次にはそろそろと肘をついて上体を起こした。
痛みに涙ぐむ視界が映すのは、先ほど顔を向けさせられたDH社の守護神、《グレイス:リリー》。
彼女は、銀色のタンク型をした美しい機械なのだが、『ビビビ…』と微かな音を響かせ、確かにモザイクのように歪んでいた。
「《グレイス》…何故…?」
エンガチョな顔をしたイビーを後ろに、マッドはそう呟いて彼女の方に手を伸ばした。
ここ数日研究室で自堕落に過ごしていたせいで、マッドの顔は無精ひげだらけだが、狂人の呈をした濁り目がなくなった今、彼は呆然とした単なる若者にしか見えない。
伸び放題でだらしないが美しい金髪に、澄んだ蒼の瞳が眼鏡の奥で輝く。
表情もどこか幼くなった彼は、距離はあるというのに、這いずって彼女の元へ寄った。
「な、何をしとるんじゃ、貴様」
恐る恐る声をかけるイビー爺を無視し、彼は躊躇うように彼女の銀の表面に指を伸ばす。
その動きに合わせて、歪み始めた銀色が一度、彼の指を避けた。
「…あっ」
恋人に拒絶されたと悲しみを浮かべたマッドだが、むくれながらも再度伸ばした指先にその銀色が触れて、笑みを浮かべた。
それはそれは、幸せそうな笑み。
見てしまったイビー爺は、信じられずに顎を外した。
「何じゃ貴様、別人か?」
本気で呟いたイビー爺さんだが、さもありなん。
こんな顔のマッドを見た人物など、居るはずない。
だって、彼はまともそうだが、狂人だ。
イビー爺さんが知っているだけで、もう両手を超える人間を殺し、改造している。
現在その類の情報が入らないのは、彼が狂気を押さえるために何か薬を服用しているからだと聞いた。
「……あ、ぁ……あぁ、《グレイス》…っ!!」
「…ほ!?」
感極まったマッドの声。
彼の指先は、次第に丸太様から形を変えていく、銀色の何かに巻きつかれている。
思わず身構えるイビー爺さんの目の前で、銀色に絡まっていたマッドの指が落ちた。
ぶちょっとした音の後、ぽんと床を何かが跳ね、捻じ切られたマッドの指跡からどろっと血が流れ出す。
がたっとイビー爺が後ろに下がったが、彼が驚いたのはマッドの指がもげたからではない。
そんな状況にあり彼が、目の前の白衣の若者が、歓喜に大粒の涙を流しているからだ。
痛みのせいでないのは、表情を見ればわかる。
彼は、笑っている。
「ひっ…ぃ…」
狂人だキチガイだと思っていても、これ程とは思っていなかったイビー爺は慄き、だがマッドの変化にある意味納得できた。
まとも、ではない。やはり彼は狂人だ。
動揺して声を出せず、イビーはごくりと喉を鳴らした。
そんな彼が見守る中、マッドの指に絡み、次々に落としていく銀色の何かは、タンクの形を止め、次第にマッドの体を覆っていく。
ぺっとりとしたゴム糊を頭から被ったような銀色の塊を見て、イビー爺は嫌な予感を感じた。
こう、エグい、ホラーな展開を考えると、この塊はーー…。
――――――ぐちゃ…っ、どろぉ…
「………」
ちらりと目線を下に、足元まで流れてきた黒い液体を確認する。
明るい場所ならばねずみ色の古い靴下が、液体を吸って一度暖かく、そして冷たくなった。
それが何かと気が付いた彼は、一気に体が震え出したのに気が付く。
がががとなるのは、自分の歯軋りだと気が付いたときには、彼はマッドの研究室から腰を抜かして飛び出していた。
震える手で何かしらの打開策、本社でスタッフが使うデバイスから何処かしらに連絡しようとイビーの手は動く。
ほとんど本能に近い動きをしていた彼は、そこで隣に立つ人物に気が付いた。
「ど…な…なん…!?」
見上げれば、研究エリアに似つかわしくない、爬虫類の肌。象のような太い足には大きな爪があり、さらに太く立派な尻尾の先がちらっと動く。
頭部はつるりと楕円で、先割れの下がちろちろ動く舌は、鱗に覆われた裂けた大口から出ていた。
見るからにファンタジーの《リザードマン》であるのに、着ている服はゆったりとした布の礼衣。
リザードマンは一度石でも見るかのようにイビー爺を見て、次には舌を出したり引っ込めたりしながらマッドの研究室に入って行った。
「な…《No.5》…」
それが幹部である、《竜人》だと気が付き、イビー爺は完全に腰を抜かして脱力した。
無我夢中で飛び出してきた場所を見れば、中途半端に吸った血が付き、そして竜人の尻尾に擦り延ばされて掠れた、物々しい跡だけが残っている。
見ればぶるりと身が震えたイビー爺だが、次の瞬間、「待て待て待て待て!」と竜人と同じく研究室に飛び込んだ。
果たしてそこには、何が居たか。
先ほどまでは地味な苔色だった竜人は、金色に輝き、仄かに当たりを照らしている。
けれど足元は血のたまりが広がり、それの上に立つ竜人も一種異様であった。
その反対側には、銀色の塊でなく、赤黒くなった何かがあり、光を避けるように縮こまっていた。
まるで肉の塊のようなそれだが、表面は角ばっているというのか、無機質的である。
「それは、何じゃ…」
血を浴びた銀色とも違う、黒っぽい、動く塊。
研究者としての根性か、険しい顔で問うと、金色の竜人がやっとこちらをみた。
「《No.4 マッド=マスクイア》だ」
「馬鹿を言うな! 青二才なら、銀の物体に潰されたわい!!」
事象を整理してしまうと頭が冴えるのか、そう言ってイビー爺は竜人の言葉を否定した。
だが、金色の、明らかに魔法要素を使っている竜人は、あまり興味がなさそうに、しかし、一応幹部の義務としてか、イビー爺さんの質問に答える気になったようだ。
「間違いなく、《マッド=マスクイア》だ。奴も人ではあるが、それと同時に特異な存在でもある」
「死んどるのか、それは…」
「いや。生きている。こういう存在だ」
金色の光を放つ竜人は、そう言って片手を向けた。
淡い光が周囲を照らす中、手を向けられた赤黒い物体は光を嫌って動く。
「我は《同胞》の頼みで来た。でなければ、人などに手を貸そうとは思わん。
《No.4》、貴様も“貸し”だ。早く我に返るが良い」
さらに一歩近づいた竜人。
赤黒い物体はもごもごと影を探して身を引いていたが、部屋の隅角に来ると諦めたのか震えた。
ぶるりぶるりと震える毎に、何個もブロックを重ねたような表面は溶けだして滑らかになる。
元のマッドの背丈を超えた大きさになったゲル状の物質は、ぬっと動いて竜人の方を見た。
「ぶわっ…!?」
先ほどから石か何かを見る表情の竜人はともかく、一緒に見てしまったイビー爺は悲鳴を上げて顔を歪めた。
赤黒い物体の、丁度振り返った部分に、目と鼻と口が黒く爛れて虚無となり、その周囲が赤く炎症を起こしたような、マッドの顔があった。
それも、赤黒いゲル状物体の中からぬっと出てきた、壊れた人とわかる部分。
嫌悪に顔を歪めるイビーと、石を眺めるような竜人に、その顔は声を発した。
「…ぅあ…つ、…があぁぁ…きぃー…ぇうぅー…」
「うむ。よくわかっているようだな。ならば“貸し”を今返せ。
我が《同胞》に手助けせよ、《マッド=マスクイア》」
そうして手を下げた竜人に、一度だけこくりと頷くような仕草をした赤黒いゲル状物体。
イビー爺はもはやついていけず、竜人の尻尾に捕まったまま、がたがたと身を震わせていた。