side2 ジジイ、襲来。9
研究エリアにやってきた鏡花はといえば、スタッフに断って仮眠室を借りていた。
すぐに眠気が来て、多分、一時間半から二時間程度熟睡したようで、すっきりとはいかないまでも、何とか仕事を考えられる程度に頭が動いている気がする。
今一、自分やらSFの仕事やらに起こった出来事が整理できていないのだが、スタッフが撤退し、その後のログでは企業側の火災を発端に、防衛軍側が総攻撃をかけてきたようで、今後DHスタッフとして戻る場所や仕事がないとなれば、《不備》とされても仕方がない。
せっかくの仕事の機会を失ってがっかりなのは、鏡花だけでないので、次の仕事に向けて切り替えることが幹部としての貢献だろう。
ベッドから身を起こして気落ちしている彼女だが、ふと、物音が聞こえてそちらに顔を向けた。
とはいっても、カーテンで仕切られており、向こう側は見えないが、音から判断するに、誰か簡易デバイスを起動させたようだ。
息を殺して縮こまっているらしく、あまり物音はしないが、彼女もこっそり足を下ろしてカーテンの端を指で横に押した。
微かに顔を動かして、小さな隙間から様子を伺うと、蛍光灯の明かりが何かに反射された。
少し視線を逸らして、顔を出すと、つるりとした禿げ頭の老人がいる。
難しい顔で、脂汗をかいて、時折タオルで拭っている。
「何、やってるんです?」
「――――わっ!!!」
声をかけた瞬間、くわっと目を剥いて驚かれ、鏡花も身を引く。
だが、老人はすぐさま小動物のように警戒心むき出しで、デバイスを抱えて立ち上がった。
座っているせいかと思ったが立っても小柄で、鏡花は研究エリア近くがファンタジーエリアなのもあって、尋ねる。
「ドワーフ?」
「違わいっ!!」
「あ、そうなの。すみません」
年配者なのでそう言いかえると、老人は彼女を値踏みするように、下から見上げてきた。
彼女はSFエリアから本社に戻ってきたままの恰好なので、少々薄汚れており、老人の視線からそれを自覚して、ちょっと困った顔をした。
いつでも逃げれるように、半歩後ろに重心を置きつつ、片足を前に出してねめつける老人。
この状況もだが、そんな老人の行動がますます妖精じみていて、やはりファンタジーエリアから迷い込んだのではないかと彼女は思った。
どちらも黙っていると、老人は何かしら本人の中で決着がついたらしく、にやりと笑った。
「何じゃい。お前さん、《幹部》か」
「え。えぇ、《No.6“キョウカ”》だけど」
「ほぉん。なるほど、SF担当じゃな。《感応力》の」
本社ならほぼ誰でも知っている事柄を確認され、彼女は首を捻った。
どこかのお客さんだったのかと理解し、しかし今更接客用の態度にするのは遅すぎる。
まぁ、相手も気にしていない様子なので、ただ無言で頷いた。
すると、老人は歯をむき出しにして笑いの表情となり、丸っこく、小さな体を震わせて、笑い声を押し殺した。
はっきり言って、不気味以外の何物でもないし、あまり見ていても面白いものでないので、彼女は不思議そうに次を待つ。
刹那、老人は両手を天井に振り上げ、感極まったようにガッツポーズした。
「わっ」
彼女が何か悪い病気持ちを見たように半歩ずれると、老人は健康サンダルで、たたたたっ!っと彼女の前まで健脚を見せ、大いに彼女を慄かせた。
ちょっと台所に現れる、主婦の大敵を思い出したので、なおさら彼女の表情はこわばったが、爺さんは彼女の真ん前で腕組みし、精々偉そうに踏ん反り返る。
「良いところに居った! お前さん、《幹部》なら、わしに協力してくれぃっ」
「あの、…まぁ、話ぐらいは聞いてもいいけれど。貴方、一体、どこのドナタ?」
「わしゃ、《イビー:ターダス》。辺境研究所の副所長じゃ!」
今ならSFの仕事が中止になっているし、事後処理は今まで休んでいた分《蘇芳》にさせる気だし、何より暇なので彼女はカーテンを開けてベッドに腰かける。
爺さんはびしっと指を突きつけたままの姿勢を保っていたが、鏡花が特に突っ込まないし、普通に「そこ、座ってどうぞ」と言われて、物足りなさそうにパイプ椅子に座った。
「話ぐらいは聞くとは言ったけれど、私、戦闘ランクEだから、そんなに期待しないでほしいんだけど」
一応の注釈はして、鏡花は爺さんに向き直った。
爺さんはといえば、もう全て解決したかのように満足そうにしていたが、それがさらに鏡花には心配になる。
名前を聞いた瞬間、啓吾が言っていた爺さんだと気が付いたが、単に面白そうな人物だというのが感想であり、副所長という肩書が何だか嘘みたいに思える。
面倒事を持っていないと良いけれど、と思った鏡花に、爺さんはデバイスをずいっと押し付けた。
「面倒な説明は、大凡、省くっ。さぁ、《感応力》かけてくれいっ」
「大凡っていうか、まったく説明してないじゃない。とにかく、《見れ》ばいいのね?」
「ほうじゃ」
さぁさぁと急かされ、彼女は言われるままに《感応力》を使う。
ぼんやり青い光が彼女の手とデバイスとを結んだかと思うと、彼女は不思議そうな顔をした。
「大して情報量ないみたいだけれど。何、これ」
「当然じゃ。憎っくき、《SREC》めが、ほとんど持って行ったからな」
「《SREC》…?」
何だか物騒な会社名に、鏡花は眉根を寄せた。
歯ぎしりするぐらいに悔しそうな爺さんは、大きく鼻から息を吐き、怒り狂う猪のような顔をして、何度か地団駄する。
感情と行動とが直結している人だなと、どこかぼんやり鏡花が見ていると、続けた。
「お前さんは知っとるかな。わしの研究所が襲われた件を」
「…え、えー…と、心当たりは……ないわね」
「ふむ。まぁ、SFは異次元派遣の回数も機会も多いからな。まぁ、よかろ」
それから、爺さんはこれまでの経緯を話した。
話す度に腹立たしい感情を思い出すらしく、唸りながらで聞き取りにくい事この上ないが。
曰く、本社より資金停止が通達された事に危機感を持ち、研究中止したある機具を再開発に踏み切った事。
重い腰を上げて研究を進め、それが完成間近とか思っていたら、SRECと思わしき集団が襲撃してきた事。
防戦しつつ、重要な設計図や研究成果をまとめた情報を保護しようとしたが遅く、デバイスはすっからかんで、要するに、秘密裏に進めていた兵器開発情報が漏れたかもしれないという、どうしようもない結果で。
「で、本社に来たのは、SRECに交渉するよう持ち込むため?」
「違わいっ。あの、SRECを叩ぁき潰ぅす為じゃっ!」
「いや、無理でしょ、それは」
「ほっ!?」
心底驚いた顔をする爺さんに、鏡花はため息を吐いた。
心なしか頭痛までする気分で、こめかみを押さえて。
「協定違反な雰囲気はあるけれど、それ、SRECだっていう確実な証拠がないんじゃないの。
何より、SRECも大きな会社だし、DH本社だからと言って武力でも経済力でも潰すことは無理でしょう。あっちのスタッフ、戦闘ランクBがざらに居るのよ?」
言いながら鏡花は、SFの仕事とは別に、本社で啓吾を助太刀に行った時のことを思い出していた。
なまっちょろい風体の《勇者》とか、見た目に反してランクB+だ。
ファート君と同じか、シグウィル様にも並ぶ化け物なのである。
なのに、こちら悪役は正義の味方にやられるために存在する、繊細なスタッフなのである。
一部、蘇芳やら噂のNo.2やら規格外も居るが、それはあくまで一部。
「う、うぬぬぬぬぬ」
「まぁ、情報が盗まれたなら特許の申請とかで、本社で色々問題になるかもしれないけれど。
悪役用の華々しい武器とか、デザイン変えればSRECが使っていてもわからないし。
そういうパクられるのはザラにあるから、今度から気を付けるしかないんじゃないの?」
自称天才の爺さんに、「裁判沙汰まで持って行って戦うかもしれないけれど、次のを早々に考えた方が良いのではないか」と鏡花は促した。
正論に悔しそうに唸る爺さんだが、まだまだ納得いかないように、鏡花に能力を使うよう促した。
「そうそう、諦めきれるもんでもないわいっ。
それより、残ったのは、それだけなんじゃ。何かもっとわかることはないのか?」
「んー…じゃあ、もう少し集中してみるけど…」
ランクEの鏡花の能力は低い。
今でも十分頑張っている状況なのだが、殊勝に頼まれて彼女はさらに目を閉じて指先に神経を集中させた。
さらに青い光がデバイスを輝かせ、爺さんも固唾を飲んで見守っている。
真っ暗な視界に、鏡花はさらに眉根を寄せた。単に目を閉じているだけだから、何が見えるというわけでもないのだが。
「…あれ?」
力む顔面が、不意に崩れ、鏡花は思わず声を出していた。
真っ暗な視界に、変なものが見えた気がして、一度目を開ける。
「ほぉん?」と爺さんが茫然と見上げてきたが、彼女は構わずもう一度目を閉じた。
もう一度、力む。
「何か…設計図? …あ、これ、どっかで…」
変な円陣と文字、注釈される殴り書きのような、乱雑で複雑な専門用語。
それから、限りなくデフォルトされた鳥のような外縁の図形。
それが閃いて、次にはものすごい数式と文字の羅列が、目の前に川があるかのように流れてくる。
意味は一つもわからないが、目を開けても彼女の前に数式と文字の羅列が流れていた。
驚いて爺さんに視線を寄越すが、彼は先ほどと同様に、鏡花が何をしているのかわからない顔で見上げてくるばかり。
「ちょ、イビーさん。これ、何?」
「ほぉん?」
鏡花が慄いた顔で羅列を指すが、振り向いたイビーは一度そこを目を細めてよく眺め、ぽかんとした。
まるで何もないかのような振る舞いに、鏡花は怯えるようにして、また流れる羅列を指す。
腕を動かして、その流れまで表現して、彼に助けを求めた。
「イビーさん、変な記号とか見えるんだけど。ほら、そこっ。ていうか、ここっ。
こう、左から右に流れて行って……怖い」
「ほぉん。お前さんの《感応力》じゃろうなぁ。
で、SRECめの卑劣な侵入経路や、確たる証拠の類を探してくれい」
「呑気に言わないでよ。私、こんな能力の使い方、知らないわよ。ちょ、返す、これ」
急いでイビーにデバイスを押し付け、鏡花は頭を振った。
次に恐る恐る目を開けると、文字の羅列はすっかりなくなっている。
心底ほっとしていると、イビーが不満気にデバイスをたたみ、腕を組んだ。
「役に立たんな、お前さん」
「ランクEだもの。当たり前でしょ」
戦闘ランクも高くて、無駄に仕事もできて、何考えているかわからない、完璧な悪役のシグウィル様には足元にも及びませんよ。
むしろ、普通が一番。
既に悪役派遣会社なんて、頓珍漢な会社にいることは棚に上げて、鏡花は思う。
イビーはやはり不満そうだったが、鏡花が親身になって話を聞いたことが功をなしたか、それ以上は望まない様子だった。
「何ていうか…そういうの得意なのは、《マッド》じゃないの?」
「あやつに頼むのは、いけ好かんっ」
「好き嫌い激しいのは、仕事にならないわよ…って、何だか、外が…」
まだ日勤の勤務時間のためか、人の居る騒がしさはあったが、それがひどくなったようだ。
仮眠室のドアを開けようと、ベッドから立ち上がる鏡花。
これからどうしたものか頭を悩ませるイビーも、彼女の行動を何気なく見守っていたが、ドアを開けようとした瞬間に、伸びてきた腕に鏡花が外へ引きずりこまれるのを見て、全身に怖気が立ったように顎を落とした。
「っ、きゃあああぁぁぁぁぁぁっ!?」
フェードアウトする彼女の悲鳴に、イビーはぎょっとしてデバイスを抱え、数歩下がる。
同時に、仮眠室内に風が吹いた。
黒く、意志を持った風は、イビーめがけてやってくるかのようだ。
それをほぼ勘で避け、イビーは別のドアに走る。
と、その前にまた黒い風が入り込んだ。
一瞬の攻防。
勝利を収めたのは、黒い風、もとい《シュートランス》姿の啓吾。
「見つけたぞぉ、ジジイ~…」
唖然とするイビーの首根っこを摑まえ、凄みを増した声音で告げる啓吾は、完全な悪役。
鏡花が見ていれば、わけもなくときめくこと請け合いだが、残念なことに、彼女は今、蘇芳の腕の中で鼻と口を片手で覆われ、意識を奪われかけている所であった。