side2 ジジイ、襲来。5
「ん? ん、んーー…」
ぱちぱちとキーボードを叩くNo.4《マッド》の姿は、今は彼の研究室にあった。
それでも彼の大好きな解剖だったり、改造だったり、いかに効率よく人を捌くかの研究でなかったりして、あまり面白くないことをしているのだが、いくら狂科学者とはいえ、働かなければ居場所もないし、研究資金、生命維持のための金銭を得ることはできない。
むしろ、完全な個人の趣味的研究なので、これが実用的になることはまずないし、かといって研究費用は莫大だしで、狂科学者という職業も楽ではないのだ。
というわけで、マッドはお仕事であるDH業務を今はやっているところだった。
彼は怪獣研究や改造以外にも、DH社の自己防御システムを作り上げている。
無茶苦茶やるこの会社が、人造人間作ろうとしてすんごいエネルギーを使ったとしてもパワーダウンしないのは、スマートグリッドをフルに活用した彼のエネルギー管理とコントロールの御陰。
また、《感応力》という機械と自分の感覚を限りなく近づける能力を持ってしても情報リークをさせない、鉄壁ファイヤウォールを制作、改造、バージョンアップをしているのも彼だ。
だが、先日、彼にとっては面白くないことが起きた。
「だぁれか、ねー。だぁれか、なー」
即興で変な鼻歌を歌いながら、へらへらとバッググラウンドを散策する。
時々、趣味で取っている《献体リストにいれたい人間》の行動ログが自動的にMOに記録されるので、機嫌がいつまでも悪くなるということはないのだが。
「あるぅ日いぃぃぃぃ…冷凍庫の中あぁぁぁ~…、死体があぁぁ~、あぁったあぁぁぁ~~…」
そうなったら素敵だなと頭の片隅で思いながら、時折笑い声を響かせてマッドはプログラムに深く潜っていく。
部屋の電気をつけていないのは、気分だ。
薄暗い中、PCの画面と何かよくわからないケーブルの所々が光り、瓶底メガネを反射していた。
かび臭く、研究資料と仕事のものと、食べたコンビニ弁当の殻が散乱する、彼の城。
こんなところに来るのは余程の馬鹿か、暇人か、仕方なく来る職員と幹部ぐらい。
「あれ、結構、多いねぇ」
ふへへっと笑えば、マッドの言った通り、ドアがノックされる。
居留守を使うにも、彼がここにいることは、研究室前のDH社共同の研究員の生活エリアに居る職員たちには知れ渡っているから無理だ。
特に返事をしなくても、大体、ここに用があるものは勝手に入ってくる。
そうなれば、彼のモノ。
間違って劇薬とか飲ませて、はい、献体。
「イイねぇっ! 実験材料ぅ、ひゃっほーぅ!!」
常にぶっ飛んだ思考で、マッドのテンションは上がる。
だが、ドアを開けたのは意外なことに彼を天敵扱いする、イビー:ターダスだった。
禿げ頭に、向こう側の生活エリアから清浄な光(蛍光灯だ)が入り、マッドは苦しげに呻く。
演技でなく本気なのは、いつまでも暗闇の中で電子の光を見続けたことが要因だろう。
「なぁに、イビーさぁん…暇なぁら、余所ぉ当たってよーぉ」
流石のマッドだが、この頑固爺を献体にしようとは思わなかった。
解体しても口が動きそうだし、何より、きっと改造している間中、マッドのやり方に口をはさむに違いない。
死体なら黙っているほうがいいのだ。
死体は口を利かないのだが、マッドの思考は狂っているため、理性は突っ込んでこない。
「ふんっ! 副所長が来たのじゃぞ。もてなせ、もてなせっ」
「なぁに。実は、寂しんぼー?」
嫌々顔を上げると、もう、マッドの研究室唯一の机から、大事な資料をずらして、床に落とした。
そうして、どっかり椅子に座ると、ばんばん机を叩いて茶を催促する。
大事な資料だが、もう埃だらけの床のゴミたちに混じり、怒る気にもならず、マッドは嫌々立ち上がった。
フケが飛ぶ頭をがりがり掻きながら、適当に流しにつけてあった(多分汚れている)カップを出すと、水で洗いもせずに机に置き、そこらへんに転がっていた封をしたフラスコの鮮やかな黄色と試験管の中の青い液体を注いだ。
「はい、どぉぞぉ」
「ふん」
周囲を見渡して驚いた顔をしていた爺さんは、暗くて色が判別できていないのか、出来上がることろを見ていなかったのか、緑色の、明らかに飲料用でないそれを飲んだ。
そして、吐いた。
「なぁんじゃ、これはぁぁつ!!」
吐いた緑色がべしゃっと机に乗る。
なぜか、暗闇でわかる蛍光色を放ち始めた。
マッドはそんなことに気にもならないのか、適当に椅子を引っ張ってくると、転がっていたフラスコ、こちらはピンクをぐいっと飲み干す。
「んでぇ~?」
「お、おまっ……なんじゃ、これは」
「そこのぉ、フラスコと試験管の中身混ぜたやつぅ…」
なんてことないようにマッドがいい、爺さんは怪物でも見るようにマッドを見た。
だが、マッドも平気な顔してピンクの液体を飲んだことで、可哀想なモノを見る目になった。
そうして、先ほどの緑が余程強烈だったのか、服の裾で舌を擦って「えー」とか言っている。
「化け物か、貴様…」
「イビーさんよりは、ひゃーひゃひゃひゃ、…まともなつもりぃ」
「………まぁ、いいわい。変なのが集まるのが、道理じゃ」
へらへらしているマッドが、椅子まで用意してまともに話を聞く姿勢なのを感じたか、それともこの数日で突っ込む気力がないのか、爺さんは言う。
飲んでしまったピンクの液体の副作用か、余計に笑い声を響かせるようになったマッドに、何を相談しようとしようというのか、爺さんの気がしれないが、彼は真剣に声を潜めた。
「研究所の、例のモノのことじゃ」
「例のモノぉ? 例のモノって、………きゃはっ、あの、キメラ?
ひゃふっ、それとも、ロボの方ぅ?」
「ええい、話を聞かんかっ!! 機械は機械じゃが、ロボはやめたんじゃっ!!」
「へ~ぇ」と相槌を打つマッドに、爺さんはさらに深刻そうに言った。
その顔には、大切にしていた宝物を取られたような、変な寂しさがある。
それでもマッドには関係ないし、やおら狂ったように笑っているので、場が締まらない。
「ひぃーっひっひっひ、…んでぇ、前のぉ件は、口を閉じろって事?」
「ほうじゃ。貴様が口をはさむと、碌なことにならんっ」
「ひゃひゃひゃ…それぇ、イビーさんに、そっくりかーぇすよっ」
げらげら笑い転げてはみ出していたハードカバーの本の角に当たり、マッドは一瞬声を止めた。
ちょっと痛かったらしく固まり、それを見てやっと爺さんが意地悪そうに笑った。
「代わりに、お前さんが好きそうなネタを持ってきてやったわい」
「…ひひひ…何?」
「おっと、そうそう簡単に渡されると思うなよ…何せ、これは、SRECの…」
爺さんがそういって、懐から何かを取り出そうとするが、勿体ぶってゆっくりと行動する。
マッドはそんな些細なことは全然気にしないのだが、そんな折、二人の裏取引の場に水が差された。
ふぁんっ!!
火災報知器の、耳に残る大きな音。
思わず爺さんが手を止めると、瞬間、マッドは椅子を蹴飛ばして立ち上がった。
「な、なんじゃ…」
驚いて研究室を見渡す爺さんだが、研究室自体に異変はない。
むしろ外の生活区から悲鳴が上がった。
また、マッドもやおら真剣な雰囲気になり、無言で放置したままだったPCに飛びついている。
マッドは人が変わったかのように、高速でキーを叩いていた。
爺さんがいたことなど忘れたかのような豹変ぶりに、爺さんも彼の後ろを伺う。
「何じゃ、どうしたっ」
大声で話しかけるが、黒い画面にひたすら文字や魔法陣の形成を書き込んでいるマッドは無視するかのように気にもかけない。
そういう表情をする研究者は、自身の仕事に没頭している時だとすぐさまに理解した爺さんは、自分の頭の中にある知識をもとに、彼の作業の意味を調べた。
「ファイヤウォールか、何かか?」
「当たり。んでもって、本社に張っている特別仕様」
「ほぉう。かの悪名高き、《グレイス:リリー》か」
腐っても研究員である爺さんも、マッドがなぜ幹部をしているのか、その大きな功績と噂を聞いていた。
蛇の道は蛇ということで、一般が知らないところもある程度。
《グレイス:リリー》は、マッドが最高傑作とする管理システムである。
マッドは紛れもなく天才であり、それは歯がゆいが爺さんも認めていた。
後ろから盗み見ても別段マッドが何も言わないのを良いことに、じっくり眺めさせてもらった。
「おんや?」
しばし堪能した後、爺さんは不思議そうに声を上げる。
鋭い目つきでプログラムをたたき出しているマッドに物言いたそうに顔を向けた。
何せそれは、外部からの攻撃に対して反撃どころか、防御も十分にできていないように感じたからだ。
現にマッドも凶悪な笑顔を浮かべており、何だか悔しそうな顔をしている。
「…うー…」
しばらく画面とマッドを見たり、後ろに下がって地団駄踏んでいた爺さんだが、耐えきれなくなったらしい。
もはや爺さんの存在を忘れて没頭するマッドの横で喚いた。
「見ちゃおれんわっ。この、若造めっ」
「イビーさん、触るな。てか、邪魔したら、殺す」
何台か繋げてあるPCのキーを触ろうとした爺さんに、画面から一向に目を離さず、マッドが言う。
真顔で、しかも本気の殺意があった。
途端に押し黙り、ぴたりと動きを止めた爺さんだが、その顔は不満そうに歪んでいる。
それから数分も経ったか、それまでまんじりと暗い部屋でマッドを伺っていた爺さんだが、突如彼がだんっとPC台を殴りつけた。
「っ、あああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ―――――――――――、クソぉっ!!」
半狂乱に髪を振り乱し、ぶちっと髪をむしる。
彼の手に何本も綺麗な金髪があったが、暗闇で、その行動で、不気味以外の何物でもない。
「ひっ」と息を飲んだ爺さんだったが、今気が付いたかのようにぎろりとマッドに見られて、さらに顔を青くした。
「あ? あぁ…まぁだ、居たんだぁねぇ、イビーさぁん…」
そう独白したマッドの顔は、先ほどPCを猛烈な勢いで叩いていた理知的な若者ではなくて、暗い深淵を覗く目をしていた。
瞳孔が開いているのかもしれない。
爺さんはころころ変わるマッドにさらに青い顔して、慎重に頷いた。
「ねぇ…頼みがあるんだけどぉ。ちょっと、異次元ワープの調子、見てきてくんなぁい?」
こくこくこく。
「あ、っりがとーぅ。…じゃ、よろしく、…くくく、ひゃーひゃっひゃひゃ!!」
突如として両手を抱えて爆笑し始めたマッドを残し、爺さんは転がるように、真っ暗な、どこまでも真っ暗な本社の廊下を疾走する。
二度目の本社、パワーダウン。
けれど、それを爺さんが知る由もない。
マッドは暗い画面の中、《SREC》の文字に唇を噛み破った。