side2 ジジイ、襲来。4
「どぉう、けええぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇっ!!!」
切羽詰まった雄たけびを上げる啓吾に、幹部控室奥の、給湯室に入る余裕などない。
一番入口に近い、鏡までもが何故か設置してある洗面台が目につき、飛びついた。
鏡の中をうっとりと眺め、洗面台前を独占していた竜人を弾き飛ばし、啓吾は蛇口を全開にして水を流した。
同僚の目の前だというのに、恥じらいもなく黒装束を脱ぎ捨て、ためらいもなくざぶざぶ浸ける。
上半身は裸。
下半身はズボンをはいているが、これも今すぐ水に浸けて洗い流したいのが本音である。
「畜生、畜生…あの、漂白野郎!!」
周囲に水しぶきが飛び、他の幹部からブーイングされるが、啓吾は今それどころではない。
戦隊ヒーローズとの対戦後、何とか《瞬加速》にて大急ぎ本社に引き返したわけだが、彼の努力空しく、もはや白粉が吹いていた表面を見ており、絶望感がぬぐえない。
水につけて思いきり擦ってみるが、水は真っ黒になった。
漂白が始まっている。
「…No.8?」
伺うように無表情のイーサが覗いてくるが、それどころでない。
必死に部分洗いを繰り返す啓吾に、突き飛ばされて不機嫌層な竜人も覗いてきた。
三百ぐらいは文句を言いたい顔をしているが、啓吾の必死さを見て、とりあえず黙っている様子だった。
「それは、なんだ」
「かけられたんだよ、ブルーに!! ハイター!!」
嫌々聞いてきた竜人に、啓吾は吠えた。
ざばっと制服をあげるが、黒の抜けたそれは、緑に変色している。
「ちっくしょうー!!」
ばしゃんっ。
さらに制服を浸けた。
10分後。
黒いシックな制服は、えげつない攻撃を受けた形のまま、くっきりと。
元の黒い生地とのコントラスト最悪な、まばらなピンクの水玉へと変色していた。
その隣では、死んだ魚の目をした啓吾が、それから視線をそらしている。
彼の太腿は、洗っていないので、さらに著明にまだらピンクが浮いており、何だか、汚い。
悪役は格好つけてなんぼである。
故に、もちろんコスチュームも特注。
独自のデザイナーがおり、啓吾の制服もその一つ。
全身に刺繍を施した恐ろしく手間のかかったモノである。
それを、よりによって、まだらピンクへ。
幹部たちが痛ましそうに啓吾を眺める中、空気を読まない大声が響いた。
「頼もぉうっ!!」
そうしてばんっとドアを開けたはいいが、やってきた小柄な爺さんはそれから素早く扉の影に隠れると、左右確認をした。
右にいったかと思えば、ぐいっと顔を左に向ける。
ぎょろ目と視線が合い、若干身を引いたプラチナ以外に、彼の視線に反応するものはない。
一瞬だけイーサの後ろ姿に驚いたような仕草を見せた爺さんは、しかし振り返った彼(便宜上)を見るとほっと息を吐いた。
天敵が留守なことを確認して、ずんずん室内に入ってくる。
相変わらずの健康サンダルが床をぺたぺた、きゅっきゅっと音を立てた。
面倒なので誰も止めないし、突っ込み担当のシュートランスは、死んだ目である。
「ふんっ。 責任者はどこじゃい」
相変わらず偉そうな態度だが、先ほどの挙動不審を見ているせいか、威圧感は皆無だった。
やはり面倒なことを避けるため、No.7《イーサ》、No.9《プラチナ》、No.5《竜人》、No.10《アルルカン》らは、一瞬の迷いなく、死んだ目をする《シュートランス》を指した。
通常であれば。
間違いなく啓吾はみんなに突っ込みかえし、そうして不機嫌なまま、爺さんをたたき出す、最高の役割を引き受けてくれたに違いないのだが、今は半分死んでおり、その異様な雰囲気と、前回とのギャップに爺さんもまた、嫌な顔をした。
『本当に、コレか?』と無言で振り返ってジェスチャーをするが、竜人は威厳たっぷりに、ゆっくりと頷く。
一見筋骨隆々のリザードマンに見える竜人のその態度に勇気づけられ、爺さんは洗面台前で動かなくなっている啓吾の前に来た。
一瞬、なぜ、洗面台の前でこんなにも無気力になっているのかと疑問が浮かんだが、大問題を抱えている彼は、それも些細な事と割り切って啓吾にびしっと指を突きつける。
「おい、そこの、…《まだらピンク》!!」
ぴくり。
啓吾の仰け反った顎が一瞬動いたようだった。
目ざとく見つけて、爺さんは彼の説得を開始することを決めた。
一方で、同幹部たちはそろそろと自分の机の上のモノをあらかた片付け始める。
今のは、明らかに―――。
「おい、聞いておるのか、《まだら》! いや、《ピンク》!!」
ぴく。びくんっ。
まるで、人造人間が強力な電圧を入れられるように。
その不気味な反応にようやっと気が付いて、爺さんは指を指した姿勢のまま、啓吾をいぶかしんで見上げた。
ゆらりと、彼が体を前に持ってきたのは、それと同時だったと思う。
けれど、半分白目の啓吾の眼光を目の当たりにして、爺さんもカエルのように固まったので、それ以上言葉は続かなかった。
「……あぁ?」
完全チンピラの声音で啓吾は言う。
その顔は、自虐的に歪み、これ以上ない程迫力があった。
「………」
思わず瞬きしてしまう爺さん。
だが、啓吾は目の前にいる爺さんに何の疑問も顔に浮かべず、ただ薄笑いしており、話が通じるかわからない状態だ。
視線が合わないのを爺さんは感じていたが、その虚空を見る啓吾の目には、確かに土星リングの禿げ頭。
「…その、な。研究所の…」
恐る恐る話を切り出した爺さんだったが、啓吾は薄笑いを止めない。
むしろ、声に反応して、顔の位置はそのまま、眼球だけが、ぐるんと下を向いた。
単純な身長差であるのだが、その目の動く速さに、呪いをかける悪霊のような雰囲気が出ている。
「…け、研究所の、…」
さらに脂汗をかきながら、頑張って口を動かす爺さん。
けれど。
へらっ。
恍惚とした顔で微笑まれ、一瞬にして怖気が走り、豆を呑み込んだように口を噤んだ。
数秒後。
「ふん、ふんっ!! また来るわいっ!!」
来たとき同様、大きな音を立ててドアを蹴破られる。
被害者Gさんが、再び幹部室から出ていく声がきこえていた。
DH業務と潜入中の企業のモノと、午前様の仕事が続くと流石に体力も限界に達し、ついうとうとし始め、鏡花は画面を前に突っ伏した。
デスクが冷たくて、熱した頭には気持ちが良い。
さらに、どこからともなく声が聞こえるような気分にまでなってしまう。
「あ――――――…」
幻聴が聞こえると頭の片隅に残った理性が告げ、単なる惰性で声を出させているのがわかるぐらい、グロッキーだ。
蘇芳のいない分のフォローの仕事が重なり、続いて主人公機のレベルアップのためと、企業に不信感を抱かせないように戦闘にも出て。
これがまた予想外に長引いたりすると、こうやって詰め込むしかなくなるわけだ。
長々と考えていると、頭のぼんやりに理性が気づかなくなり、彼女はPCをつけたまま気絶した。
目を開けると、半透明な世界が広がっていた。
これはますます過労だと鏡花が思った瞬間、その見ている風景がいつものツイン部屋でないことに気が付く。
寝呆けて《感応力》でも使ったのだろう。
自我意識がどこにあるのか、体なのか機械なのか、こういう現象は初めてで、彼女は混乱した。
臨死体験なんぞしたこともないが、どういう状況か判断できないというのは、彼女にとっても恐怖を感じる。
しかもまだノンレム睡眠状態なのか、頭は起きているのに体が動かせるような気配がまったくなかった。
恐怖に脂汗が出てくる気がして、彼女は顔をしかめた。つもりだ。
「―――て、だ―――そん――――」
「あそ―――を、しく―――」
そういえば、先ほどから声が聞こえているのだが、誰だろうか。
何かしら体に戻るヒントになるならと、雑音程度のそれに彼女は集中する。
声は二つ。
低い声と高い声だが、どちらも男性。
声のトーンから聞こえるそれは、切羽詰まった様子はないが、穏やかでもない。
―――キュイン。
彼女が集中すると、変な音がした。
瞬間、ピントが合う。
どうやら焦点があっておらず、半透明な景色に見えていただけだと気が付いた。
こうも彼女の意志に素早く反応してくれるなら、慣れた自分の搭乗機である漆黒機かもしれない。
楽観的に考えたが、焦点のあった景色をみて、それは霧散した。
普通の廊下で、あの巨大な機体が入れるスペースでないのがわかったからだ。
どうやら鏡花は斜め上から、二人の男を見ているようだった。
つむじが見える。
一人はブロンドで、一人は硬そうな黒髪。
背は黒髪の方が大きく、印象としては蘇芳と同じぐらいだ。
キュイ、キュイン。
もっとよく見ようとして、カメラの焦点が切り替わる。
そう、カメラだ。
防犯カメラが今の彼女の目だった。
変な場所で、変な状態で眠ったせいだろうか。
《感応力》の暴走なぞ一度もなかったが、今後は気を付けるべきかもしれない。
何よりも、まずは体に戻ることが先決だ。
二人の男性は、企業の制服でなかったが、それにも鏡花は違和感を覚えた。
アングルが変わっているせいでわかりにくいが、見ている場所は企業の廊下である。
ある意味滅多に人通りのない、部署間の連絡路だ。
怪しいことこの上ない。
まさか、主人公サイドの防衛軍が潜入してきたのかと鏡花はさらにズームを加え、音声録音を開始しておく。
「出力を制限―――を、提――た。あとは、―――――しか…」
「随分、弱――、―者。今回の仕掛―――ん」
会話の他に、大きな機械音が聞こえる。
どこか排気パイプでもあるのだろうか。
防犯カメラから見える位置には何もないのだが、見渡すようにカメラを動かせば、彼らに防衛プログラムが反応していると警戒されるかもしれない。
鏡花は聞こえにくいログを放置して、そっと彼らを観察し続けた。
何を言っているのかわからないが、もう少しで顔が見えそうだ。
ブロンドの髪の男性が肩をすくめた。
どこかで見たような仕草だが、こういうボディランゲージは似たものが多いので一時置いておく。
「辺――の研―――長、イ―――――か?」
「―騒なモノ、用―――てくれちゃって、困っ―――。使―――と」
わからない会話って面白くないなと思う一方、防衛軍にしては、ひっかかるワードが出てこないし、二人とも潜伏に来ているというよりは、仕事帰りな雰囲気だ。
企業に視察のお客様の予定はなかったはずだし、清掃員には見えない。
一体何者なのかと思ったところで、やっと一人がこちらを向いた。
けれど、斜め下を見下ろすアングル。
はっきりとは無理だ。
見える口元は一文字に引き結んだ唇で、ますます蘇芳みたいな仏頂面の人物と連想された。
それに、顎のラインはどちらかというと厳つく、渋みというか凄みというか、見目麗しいアイドルではなく、工事現場の若い人のような印象。
誰?
疑問が先ほどから渦巻いているが、答えは出ない。
他のDHスタッフも居るはすだし、放置していいかと気を抜いた瞬間、その黒髪の人物が軽く顎を上げたのに気が付いた。
大きな舌打ちに口が動く瞬間、何か大きなものが振られる。
咄嗟の恐怖に鏡花は目を閉じていた。
感応力の強制終了に、体が弾き飛ばされる感覚。
もう一方で、ガグンッと大きな圧縮音とプラスチックが壊れる音が入ってきた。
「痛っ」
逃げ切れなかった能力の残滓が軽い痛みとなって、鏡花の目に流れる。
びくりと体が動くと、彼女はようやっと悪夢から覚めた。
身を起こして左右を見渡すと意識を失う前の状態そのままだ。
一瞬浮かせかけた腰を落として、鏡花はキャスター椅子にぐたりと寄りかかった。
それから長く長く息を吐き出す。
「何なの、今の」
心臓がどきどきしていて、夢から覚めた感覚が頭を支配している。
彼女の能力は戦闘ランクと同様、幹部中最下位だ。
通常使っている分にも随分精神を集中しないと発動しないのだが、あんなに自分の意志通りにできたと感じられたのは初めてだ。
だからだろうか、余計に先ほどの体験は夢だなと彼女は即座に判断し、遠目に部屋の鍵を確認してベッドにもぐりこんだ。
きっと疲れているのだ。