side2 悪役たちの日常9
砂吐き警報発令中。
15歳未満の方は、逃げてください。全力で。
微かに光が差したような気がした。
物音に啓吾が目を覚ますと、周囲は真っ暗だった。
飲み過ぎで記憶を失い、そのまま眠りこんだのだろうと気が付いて、呻きながら寝返る。
周囲に人の気配がするので皆酔いつぶれたのだろうが、隣はイーサの美顔があり、少々ビビった。
人間、見慣れない顔を見ると驚き、落ち着かなくなるものだ。
特にイーサは美形と名高いエルフ族である、ダークエルフであるし、性別もどっちかわからない中性的な美人であるから、なおさらだ。
彼(毎回便宜上そう思っている)は寝入っており、啓吾が寝返ったぐらいでは起きそうになかった。
蘇芳は今日から入居であり、生活用品など皆無である。
故に、歓迎会で準備されたテーブルや食器、座布団などは鏡花やプラチナ、イーサが持ち寄ったものだろうと啓吾は予想する。
マッドはそんな洒落たことはできないし、アルルカンも人形である以上、日用品は本来必要がない。
すると、こうして各人にかけてあるブランケットも、彼女らが用意したのだろうと考え、そういえば家主の蘇芳はどうしたかと思う。
時刻はわからないが、宵は過ぎており、迷惑したのかもしれない。
横になった状態からは、誰がどこにいるものかわからないが、この狭い部屋に全員雑魚寝しているのは間違いなさそうだ。
起きて水でも拝借しようかと思った啓吾だが、背中に誰かの頭が当たった感触に、少し身じろぎした。
寝ぼけたのだろうと思った相手だが、啓吾の服を背中から握り、どうやら起きているようだと判断する。
一人心当たりがあり、啓吾は声を出した。
「どうした、鏡花」
小声でささやくと、背後の人物は彼の背中に額を寄せた。
とんっと感触が来、啓吾は次の言葉を悩む。
鏡花とは同じ大学の先輩・後輩で、よくサークルで飲みにも行っていた。
当時鏡花は男と付き合っており、現在のように職場を同じくするほどに親しい想いを寄せられてはいなかったと記憶している。
何のきっかけだったかは忘れたが、彼女が啓吾を意識したのは啓吾が大学を辞める前後の頃だ。
あからさまではないが、彼女が啓吾をどう思っているのか彼も感じ知ることが出来たが、啓吾は彼女にそういう感情を抱けない。
「ん、ちょっとね」
単に好みの問題だろうとは思うのだが、鏡花も啓吾が彼女に対してそういう気持ちになれないということも感じ取っているのだろう。
大学の時よりやや親しく接してはくるものの、まだ先輩・後輩の関係に収まっており、時折、こうして酒の力を借りて甘えてくる。
どうやっても、正直、啓吾には彼女は妹の感覚を超えることはない。
過度に女を意識させられることもあったが、その状況でも、鏡花は妹のような気持ちなのだ。
これが数年も変化していないので、啓吾は彼女の気持ちに対峙することを回避していた。
自分が彼女を泣かせてしまうだろう事は少々しんどいし、もう若いころのエネルギーなんてないおっさんだ。
「…落ち着いたのか、気持ちは」
「……うーん…」
変な空気にならないよう、啓吾は話を振った。
蘇芳の失敗に一時頭がいっぱいだった彼女だが、こうして歓迎会に参加するぐらいだから、落ち着いたのだろう。
何より、そうそう大した失敗でないのは、最初からわかっていたことだ。
はぐらかされたのがわかったらしく、また、微妙に気まずい話題に鏡花は唸る。
無理に明るい声を出したようだった。
「何だか、慣れないタイプなのよね、蘇芳って」
「まぁ、元上司だしな」
その他にも思うところはありそうだが、それを啓吾は口にしなかった。
何より、他人事に面白おかしく突っ込んではいけない。
「その、元上司っていうのが悪いのかなぁ。
私からすれば、蘇芳って私よりしっかりした“大人”に思えるから、それを教育しなおすとか無理なのよね。それに、親しくしろって言われても、困る」
鏡花の言うことも尤もだ。
いくら年が近いだろうとはいえ、派遣先の元上司が後輩の立場になったなら気まずい。
それも派遣された先を潰したのはDHだ。
それでも蘇芳は受け入れ、DHや鏡花を恨む様子はないのも、彼女が委縮する一因かもしれない。
そこで彼が生活するために鏡花が手伝えることでもあれば、彼女はそれを罪滅ぼしと考えることもできたが、DH就職に当たり、彼を世話したのはNo.1である。
また、蘇芳自身も自分の生計をさっさと計画立ててしまっていた。
そこら辺、大変自立しており、心強い。
「まぁ、何とかなるさ。俺とお前みたいに、大学時代からの付き合いだって今はそう関係ないだろ」
しっかり社会人として節度を保っていると評価して言った啓吾だが、背中の服を掴む感覚が強くなった。
不思議に思って、啓吾。
「どうした?」
少し身を起こして振り返ろうとした啓吾に、鏡花はたまらず抱きついた。
肘をついて上体を浮かせた状態で固まった啓吾に、彼女はさらに密接してくる。
少し涙声が聞こえて、啓吾は地雷を踏んだとわかった。
もしかすると、ここで決定的な判決を下すことになるかもしれず、その予感に啓吾は押し黙った。
腹をくくるには、まだ様子をみたほうがいい。
「関係、…なくないよ」
押し付けられる胸の感触に、いよいよ逃げ場がなくなる気がした啓吾だが、それと同時に消え行くように言われた言葉の重さに慄く。
鏡花は酔っているのだろう。
何せ、他人の家。
それも恐らく鏡花に好意を寄せる男の。
彼女が蘇芳に気づいていないはずはなく、だからこそ避けている面もあるのだから。
「おい、鏡花」
「関係なく、ない……私、…」
背中に濡れた感触。
一瞬強く抱きつかれたかと思うと、脱力していく彼女の腕。
何とか声をかけたはいいが、啓吾は動けないでいた。
今、この瞬間に誰か起きて、場の空気が変わればいいとさえ思う。
緊張に唾液を嚥下する音も、大きく聞こえた。
一頻り彼女が涙を拭う音が聞こえていたが、次には腕が啓吾から離れた。
後ろの彼女を見るには勇気がいるが、啓吾は向きを変える。
刹那伸びる、鏡花の腕。
「―――っ!?」
上顎に痛いぐらいの衝撃と、酒の臭い。
啓吾自身の乾いた唇に合わさった、グロスのついた彼女の気持ち。
反射的に薄めにした視界では、泣き晴らした、だが、そのせいでまた変に色気のある彼女の表情が見える。
彼女もまた、薄く目を開けており、その奥に言葉で示すよりもさらに傷ついた彼女が見えた。
鏡花に対して申し訳なく思い、それでもそういう対象に見れない自分にも不思議に思いながら、けれど、啓吾も打ちのめされていた。
しばしの沈黙。
先に離れたのはやはり鏡花で、固まる啓吾に自虐的に微笑んだ。
「先輩が、好き」
正念場だった。
無意識に顔を歪める啓吾。
唇に慣れないグロスがあり、それが邪魔で無意識に舐める。
ほんの少し、鏡花が憧憬にも似た目をしたが、そのあとで啓吾の態度や気持ちを思い出したのだろう、目に涙があふれてきた。
啓吾の心拍数は上がりっぱなしで、興奮はするが、それが彼女の好意に応えられるかというと違う。
酔った勢いに任せて彼女を頂くことも、ぶっちゃけ男なのでできないことはないが、それは刹那的なものだ。
ちょっと冷静になれと、啓吾は心中で自分に怒鳴りつける。
何より、ここは、蘇芳の部屋だ。皆も居る。
「悪ぃ…」
やっとの思いで言えたのは、それだけだ。
鏡花はカッとして眉を吊り上げたが、息を止めて耐え、次には長く吐いて言った。
「ごめん、啓吾」
そうして目尻を拭うと、次に顔を上げた時には泣きあと以外はわからない、鏡花の《キョウカ》としての顔がそこにあった。
それを見ただけでほっとする自分に、啓吾は少々嫌気がさす。
「風に当たってくるから、先に寝ていて」
引き留めるのも違う気がして、啓吾は座ったまま頷いた。
鏡花はそっと立ち上がると、玄関を開けてさっさと出て行く。
隙間から夜の生ぬるい風が吹いて啓吾は陰鬱な気分になったが、その扉が閉められて再び真っ暗になってため息を吐いた。
やっと呼吸ができたような気がした。
部屋を出て、ドアを閉めた鏡花は、体をドアに預けながら大きく息を吐いた。
そのまま泣きそうだと思っていると、予想を違わず嗚咽が漏れる。
乱れた呼吸に、再度大きく息を吸って、鏡花は廊下から空を見た。
生憎、綺麗な月夜でもなく、雨が降っているわけでもなく、中途半端な曇り空に、遠くのグラウンドの明かりが反射している。
「っ、あーーー…」
いくらDHの社内寮であり、他のメンバーは寝入っているとはいっても、夜中に大声で泣くのは憚られ、鏡花は息を吐くようにそう呻いて首を上向けた。
鼻がつんとして、鼻水が出そうになり、最悪な気分で下を向く。
場所も雰囲気も考えず吐き出すだなんて、自分は相当酔っていると彼女はわかっていた。
しかし、大学時代からの想いの集大成。
その衝動を抑えられず、その結果、その想いをどこにぶつければいいのか、どこに持っていけばいいのか、まったくわからない。
本当に、胸の奥が熱く、吐き出したい思いは多くて、それを抑えるだけで息苦しい。
もう、いっそのこと、体の関係を持てればまた違ったかもしれないとまで思ってしまう。
「意気地なし」
ただ吐き出せた無念はそれだけ。
あと何か言えば、間違いなく泣き叫ぶだろうと思われ、彼女は喘いだ。
生ぬるい風が涙痕に痛痒い。
ポケットに入れておいたハンカチで目を擦り、鼻を擦り、鏡花は感情を鎮めていった。
「大丈夫か」
そんな折、声をかけられ、鏡花は真っ赤になって階段の方を見る。
いつ着替えたのか、前の次元から持ってきた着流しの一つを着て蘇芳は立っていた。
鏡花の記憶では、皆が酔いつぶれ、彼女自身も酔いつぶれるまで彼は帰宅したままの、シャツにジーンズという恰好だったはずだ。
それに鏡花が起きて、外に出るまで、誰も部屋から出ていない。
たぶん、啓吾とのやり取りは見られていないだろうと考え、鏡花は泣き顔を素早く拭った。
単純に、泣き顔を見られただけでも恥ずかしいとも思う。
「蘇芳、起きていたの」
「あぁ」
簡潔に答えられ、自分も外に出た理由を並べ立てるのも何か違うと、鏡花はどう答えようか迷った。
代わって蘇芳の方は、当然のように彼女の隣に並び、同じように縁に頬杖をついて外を眺める。
鏡花が泣いている理由を尋ねたいのかもしれないと彼女は思い、困ったように苦笑した。
「もう、いいのか」
泣き止んだかどうかを尋ねられて、鏡花は頷く。
苦笑交じりの彼女に、蘇芳はさらりと続けた。
「済んだのか、《シュートランス》とは」
反射的に鏡花が身をすくめ、次には驚いて蘇芳を見上げる。
彼は、微かに苦しそうに、けれどそれ以上に虚無的な視線に交えていた。
赤くなった鏡花を、蘇芳は見下ろして言う。
「お前たちが話をするのが聞こえ、外へ出た」
息をのんで、真っ赤になってうろたえる鏡花に、蘇芳はあの冷ややかな目で理由を告げる。
一切彼女に触れようとはしないし、ただ目に入れているだけなのが、さらに怖い。
別に蘇芳とは何でもない鏡花であるのに、彼の視線に気圧されていた。
「上手くいかなかったようだがな」
その一言に、鏡花の心臓が跳ね、また泣きたくなる。
蘇芳は、そんな彼女の顎に手を伸ばし、片手の親指で唇をなぞった。
グロスが剥がれているのを、目以外にも触れて確かめたようだ。
途端に、彼の目が細められ、押し殺された感情が垣間見えた。
鏡花といえば、先ほどの自分の痴態が彼に知られることとなり、青くなったり赤くなったりしていて、さらに打ち捨てられた花のようになっている。
一難去ってまた一難。
彼女の心境もわかるが、蘇芳は手加減できそうにない自身を自覚していた。
せめて限界まで抑えようとは思っており、彼女をなじる真似はしないよう気を引き締めた。
仕草はより親密であるが、ただ無言で過ぎる空間に耐えられなくなったか、鏡花は小さく唇を動かす。
「……突然お宅に訪問して居座ったのは、悪かったわよ」
泣きそうになっている鏡花だが、それだけは謝罪しておく。
引っ越し初日にこれではあんまりだろうとも、酔いがさめてきた頭では考えるが、蘇芳は不快そうに唇の端を上げただけだった。
完全に悪役の顔、それも、シグウィルの表情だ。
同一人物だが、気分的に慣れない人物と顔を突き合わせている鏡花は、少しだけ顔をそむける。
「俺を餌にしたのは、許しがたい」
鏡花が上手くいかなかったことは、彼にも、はっきりわかっている。
弱弱しく彼女が言ったことに、まさか蘇芳の歓迎会自体を出汁に使ったわけではないだろうが、多少の苛立ちを混ぜて、八つ当たり気味に彼は鼻で笑った。
今の心境は、蘇芳自身も、前の生活圏での人を信用したがらない自分だと意識している。
今日、初めてそちらが自分の地なのかと自覚した。
何の警戒もなく、感情的な自分も、淡白な自分も、両者とも表に曝け出していた。
多分、鏡花がそのどちらも知っているから出せるのだろう。
やはり、彼女が欲しいと再度確認すると、嫌味ったらしい顔から一転、無表情になった。
彼の変化に何か予感を感じたのか、鏡花は戸惑う目を向けた。
蘇芳は少し身をかがめて彼女の耳元でささやく。
「抱かれたかったのか」
あんまりな言い方に、鏡花は一瞬言葉を忘れた。
かっとなって手を振り上げる彼女と、直後、慣れた様子で彼女の手を止める蘇芳。
彼は、涙目で睨み付ける鏡花を冷ややかに見下ろした。
状況的にも精神的にも絶対的な優位を醸し出す蘇芳とどこか弱腰の鏡花の図という、どこかの場面でも見た情景に二人は奇妙な懐かしさを感じたが、それ以上に自身に荒ぶる感情が前に出る。
「違うわよっ! そこまで、詰られる理由はないわっ!!」
言い捨てる鏡花だが、手が掴まれていて逃げ出せない。
そのまま泣き崩れそうな彼女を、蘇芳は引き寄せる。
瞬間、逃れようと思いっきり腕を突き放す彼女だが、片腕を吊り上げられたままのため、思うように動かない。
嫌だと泣く鏡花を、蘇芳は無理やり羽交い絞めにした。
しばしの格闘後、蘇芳が彼女の頭を抱きかかえてしまうと、彼女の拒絶は押し込まれて聞こえにくくなる。
一気に感情が高ぶった彼女は泣き出していたが、もはや蘇芳に抵抗する素振りは一切なかった。
諦めたようだった。
「そんなにも傷心ならば、慰めてやろう」
逃げられないよう強く掻き抱く彼女の頭に向かい、蘇芳は感情が漏れる事を警戒して淡泊に言う。
彼女は泣き止むことに夢中なのか、言われたセリフへの反応が遅れた。
言葉が遅れた分を、体で、彼の太腿を膝で蹴ることで表現する。
思った以上に痛みが来て、蘇芳は呻くように声を押し殺した。
「口説くには最低な状況よ。空気読んでよ、空気っ。最低っ」
喘ぎながら蘇芳への罵倒も忘れない鏡花に、低く小さく彼は笑った。
しっかりと抱きしめた腕は離さず、けれど、おとなしくなった鏡花に対して、少しだけ抱きしめ方を変える。
文化は違うが、こんな状態の女に対してすることはどこも違いがあるまいと、彼は確信していた。
一方、真綿で包まれる安心感があるわけでないが、抱きしめられた感触は固く安定感があり、とりあえず、何かしら人肌のぬくもりがあれば、落ち着くものだと鏡花は実感した。
自身が女性として大切にされている感が十分に感じられたが、異性に抱きしめられている、その相手が自分の理想と違う事がとても虚しい。
それも想い人に告白した直後であるのが、悲しく間抜けだ。
お互いに想いの方向は違っていて、近いような遠いような立場での儚い抱擁。
砂が水を飲むように安堵が広がるのが、啓吾に魅力を感じ、好意を向けている自分の気持ちへの裏切りに感じる。
ジレンマに、離れる最大の努力ができない鏡花は、蘇芳に判断を委ねた。
「離して…」
けれど、彼は一度も手を放すことなく、支えるように彼女を抱いたまま夜の風を浴びた。
彼女を馬鹿にするような、鼻で笑う気配が降ってくる。
彼は彼女の気持ちなどお見通しのようだ。
それが、鏡花にはとても申し訳なく思えたが、今は彼に縋る以外に自分ができることなどなかった。
鏡花は人生最大の敗北を感じていたが、眼下の世界は普段通りの日常が広がっていた。
その非情さが苦しいが、彼は彼女というちっぽけな存在に気が付いてくれている。
現在の鏡花には、それがたまらなく魅惑的な劇薬であった。