side2 悪役たちの日常8
「何やってんだ、《蘇芳》」
「イー?」
バレバレであるが、彼は『何を言っているのか、わからない』と肩を竦めさえした。
どうも、啓吾に知られたくなかったようだ。
無理があり過ぎるだろうと思った啓吾だが、続ける前に職人が彼に口を開き、押し黙った。
「稽古をつけろとはいったが、戦闘訓練をするわけでもないんだがなぁ。受け身は身についたか?」
職人が逃げ固まっていた集団に目を向けると、一斉に下っ端が顔の前で手を振った。
中には顔の前で大きくバツを作る下っ端も居て、職人は弱った笑みを浮かべ、手のひらで額をこする。
「参ったね、こりゃあ」
そうして蘇芳と思わしき下っ端の、二メートル程手前で立ち止まった。
「いい技術は持っているんだがなぁ」
ため息交じりに独白する職人は下っ端の仮面をつける。
「イー、イッイッイー」
職人は、『仕方がないから、相手してやる』と告げ、練習場に足を踏み出した。
ふと彼は足を止めて、啓吾を振り返る。
「イー?」
『まだ居るか』と問われたので、啓吾は頷いた。
久しぶりに職人の技術が拝めることに期待して、さらに蘇芳の研修っぷりを笑い飛ばす事もついでに。
それまで練習場が騒がしかったのは、蘇芳(本人は人違いだと言うが)の研修に付き合って、下っ端戦闘員のなんたるかを教育しようとした彼らの奮闘の様だったのだろう。
だが、常に気配を見逃さない達人の域の蘇芳が、停電ぐらいで動けなくなるわけも、練習を中止するわけもないだろう。
停電という不測事態に動作停止する、彼ら一般的下っ端戦闘員とは違い、暗闇にかこつけて止まった空気を理解できずに、しかし素人である彼らへの配慮として明かりがつくまで次の行動を待って、明りが点いた途端に訓練を再開したのだと思われた。
「イー、イイー」
ふらふらと歩きながら、『どこからでもかかってこい』という職人に、蘇芳らしき人影は戸惑った様子を見せた。
何せ職人は隙だらけで、何か罠があると考えるのが普通だ。
職人は素人と同じように、気負わずすたすた蘇芳に近づいていく。
蘇芳らしき下っ端はぎりぎりの範囲まで手を出すのをためらっていたが、流石に自身から1m前後に職人が近づくと、身を固くした。
そのタイミングで職人が大きく一歩踏み出す。
歩調がずれたことで蘇芳との距離は、30㎝。
瞬間、彼の手は職人の肩に伸びていた。
周囲が息をのむ。
と、蘇芳はそのまま職人の流れる方向へ、ぐっと手を押した様子だった。
自然と職人は反射的に片足を踏み出して踏ん張り、バランスを取ろうとする。
床からの反発で伸びた上体を確認したのか、半呼吸おいて蘇芳は足払いをかけた。
つるりと綺麗に決まり、職人は前からこける。
「………………………イ?」
『………………………は?』と蘇芳が呟くのも無理はない。
一連の流れは、職人がよたよた蘇芳に近づき、彼に押されて前のめりに倒れただけだ。
声優がアフレコするなら「うわぁっ!?」という、どこの漫画だというノリで。
大仰にびくついて、呆気なくぽたりと倒れた職人。
刹那、
「「「イーーーーーーーーーー!!!!!」」」
『素晴らしい』と下っ端戦闘員からの喝采が入る。
無論、啓吾も拍手をしていた。
ちゃっかりビデオに撮って再チェックを入れているまだ若手の者を眺めながら、蘇芳は完全に固まっていた。
「………………………………イ?」
ついていけない空気に蘇芳が茫然としていると、倒れた職人が『よっこいせっ』と立ち上がる。
思わず一歩下がった蘇芳に、彼は仮面を外してみせた。
「これが、基本形」
口も開けない蘇芳に、職人は続ける。
今までの情けない演技をしていたと思えないほど、しゃきっとしている。
「それにさらに表現をつけて仕事に使う。
ここの部署なら“胸を押さえて溜め”を使ったり、大きく“跳んで背中から落ち”たり」
啓吾が、蘇芳の困惑振りに同調して笑った。
入社当初、啓吾もバカらしく思ったこの技術だが、単に演技が上手いだけで《職人》は名乗れない。
「イー……」
唸るように漏れた蘇芳の言に、職人は講義をやめて糸目を向けた。
「あぁ、不満か。まぁ、そうだろうな。なら次は本気で打ち込んできてもいいぞ」
蘇芳はそれを聞いて、小馬鹿にするように首をかしげただけだった。
それに啓吾は笑いながら追加する。
「やってみろよ、蘇芳。職人に“入れる”のは無理だから」
「…イ、イイ、イー」
『蘇芳と呼ぶな』と注意を受け、啓吾は肩をすくめた。
仮にも幹部である啓吾に、気の利く新人が椅子を持ってきてくれたので座る。
再度仮面をつけた職人。
蘇芳は彼を無視も対応もできないでいたが、職人は《下っ端戦闘員モード》に切り替わったように、彼に襲い掛かる。
張り付くヤモリのポーズで飛び掛かってくる職人を、蘇芳は即座に腕を伸ばし、仮面を鷲掴みして宙吊りにした。
「イッ!? イイー!?」
じたばた暴れる職人。
しばし不可解に持ち上げていた蘇芳だが、ぽいっと捨てる。
「イイーー」
叫びながら転がっていく職人。
その様子を確認せず、蘇芳らしい大柄な姿の、仮面顔が啓吾を向いた。
「イーィ?」
『これをどうしろと?』と問われ、啓吾は拳を掌に打ち合わせるジェスチャーと共に言い切った。
「やっちまえ。こってんぱんに」
多分、眉根を寄せたのだろう気配の後、壁の手前で死にかけたゴキブリのようにぴくぴくしている職人にゆらりと近づく蘇芳。
死後硬直のように天に伸ばされた彼の腕をつかむと、力任せに彼を引き上げ、立たせた。
基本、能力の誇示をしない蘇芳の事、単に仕切り直しのために立たせただけだと思われる。
しかし、凶悪な彼の体格と雰囲気に観戦中の下っ端が「イッ……!!」と息をのんだ。
ヤクザに私刑されるのを想像する図だが、そういう体面的にも悪い事を嫌う蘇芳の事、彼の良心は痛みまくりだ。
職人をそのまま立たせて、反対側に距離を取る蘇芳。
背中を向けた彼を、懲りずに職人が背後から襲いかかった。
交差する直前、蘇芳が半歩横によけ、職人の腕を取る。
取った腕をぐいっと胸元へ引き寄せ、蘇芳、大きく前へ出た。
この間の失敗からの学習か、先程と同じ、単に投げ飛ばすだけの形にして、怪我の少ないよう配慮している。
彼に捕まった職人の体が浮き上がるのを確認した時には、蘇芳は足を蹴り上げ、職人を床に叩き落としていた。
人が投げ飛ばされただけであるのに、収着地点から衝撃が波紋を成して、風を感じる。
びりびりくる余韻も蘇芳の威圧感(悪役として)の持ち味だよなと啓吾がのんびり見守っていると、何を思ったのか、突然蘇芳が気を失ったように動かない職人の腹めがけて拳を入れた。
鈍い音と同時に跳ねる職人の体。
下っ端から悲鳴が上がったが、蘇芳はそれどころでなく、苛立たしげに仮面をむしり取る。
「何故だ…っ」
ぽつりと吐かれた言葉が周囲に広がる。
啓吾は“やられたー!”と悶絶する職人にかわり、言った。
職人が仮面を被っている以上、それは悪役の演技中である。
「言ったろ。ありとあらゆる攻撃を受け流し、《悪役》ができる。だから、《職人》なんだ」
DH社の理想としては各部署に《職人》がいてくれるのが一番だが、そんな無茶苦茶な技術を持っているのは、下っ端戦闘員部門とエフェクト班、事後処理専用部門だけである。
そのDH内で栄誉ある称号を持つ男、《職人》。
一種の神業の前には、対人戦法の達人である蘇芳なんか目ではないということだ。
再度勝負を申し込む蘇芳を見て、やっぱり啓吾はスカッとした気分になった。
世の中、上には上がいるものだ。
内心物凄い屈辱の嵐だろうが、表面的な彼は単に目を瞑っている状態だ。
しかし、場が場であれば、それはもはや神業。
何せ、帰宅ラッシュのかかる通りも閉眼で移動出来ているのだから、驚く方が無理というもの。
隣を歩きつつ、啓吾はそう思って彼を盗み見た。
「何か?」
途端に薄く目を開け、流し目を寄越す蘇芳に、啓吾は驚く。
「いや、別に。《キョウカ》から聞いてはいたが、凄いんだな」
「凄い?」
元々出来ていて当然、出来なければ死ぬという文化の《阿修羅族》出身の彼にしてみれば、今の評価は不可解なのだろう。
蘇芳が普通だと思っていたとしても、環境が変わり、見る人が変わればそんなもんだ。
「俺は目隠しして歩けないってことだよ」
深く考えるなとだけ告げ、啓吾は通り過ぎようとしていた横道を指した。
急な変更にもすぐに反応できる反射神経の良さを披露して、蘇芳は軽く息を吐いて向きを変え、啓吾についてくる。
生まれ育った生活と次元を捨て、DH本社のある異次元に身を置くことを選択した彼は、ここの次元の常識も生活様式も何も知らない状態であり、これまでDH本社にて、彼にとっての異世界で生活するための一般常識を学んでいた。
DH本社の仮眠室や、SFでの仕事の為に異次元のパトロンから提供された居住区で休みながらの作業だ。
中々過酷な日々だったと想像されるが、当の本人は普段通りでけろりとしている。
これが三流悪役の場合は教育が進まないことも多いと聞くが、元No.2で知性や能力が高く、自尊心もあった彼は、努力の末に本社預かりを解かれ、本日めでたく市井での生活へ移行することになった。
さらに、ついでとばかりに啓吾が、案内役をさせられた。
「簡単に説明しておくが、案内する社内寮は2LDK。
アパートじゃなくて、小さくてもマンションだから良いと思うぞ。
ゴミ出しは火・木曜が可燃物、水曜が資源ゴミ、金曜が埋め立てゴミだな。
ゴミ捨て場は、エントランス横にあるが、鍵をかけ忘れるな。猫が来るから」
本社からそれほど遠くない、通りに面した中型ビルの間に挟まれているのが、それ。
向かい側はコンビニがあり、このまま駅方面に行くと総合店舗があって大体の買い物はできる。
遊んだり、飲みに行く際はバスを利用し、5番目の停車場ぐらいで賑やかになっていた。
啓吾の場合、外で洗濯する機会が多く、本社方面のコインランドリーを使用できるのがありがたい。歩いて5分という手頃さが何とも言えず、素晴らしい。
啓吾がぴたりと足を止めると、蘇芳は手近のマンションを見上げた。
アパートとは違い、小さいエントランスがある。
ドアを開けて入ると、左手側に入居者用のポストがあり、啓吾は自分のところを確認した。
「ここか?」
建ってから程よく経っている、小汚い壁に、蘇芳は眉根を寄せた。
彼の見ている天井の角には、蜘蛛の巣が張っている。
締め切っていても夜間に明かりのつくこの場、虫を締め出すことは不可能だろう。
だが、啓吾はポストに磁石でつけられている、掃除当番を確認し、今月は《マッド》であることを知った。
このままだと、掃除は行われないか、4か月は先延ばしされるだろうと思われたので、次に回しておく。
「そうだ。掃除は当番制で、一か月交代だが…マッドには期待すんな。こうなるから」
啓吾が言いながらポストを指すと、蘇芳は真剣に文字を読み取ろうとして目を眇めた。
まだ書字は苦手なようだ。
啓吾はポストに入っていたダイレクトメールとカード会社からの明細を持って、先を促す。
エレベーターなんてハイカラなモノはなく、階段だ。
ガラス製のドアを開けて階段を上がり、三階についた。
「そこの、303号がお前の部屋」
言われて蘇芳は鍵を取り出して差し込んだ。
だが、回して鍵がかかり、啓吾も驚く。
再度鍵を開け、そろりとドアを開ける蘇芳。
なんだか同じような状況をどこかで見た気がする啓吾だが、彼に構わず蘇芳は隙間から中を伺った。
「入居、オメデトーウ!」
瞬間、響いた声に驚いた二人だが、蘇芳は即座にドアを閉めていた。
閉めた後に何だかまずい表情をしている蘇芳に、外にいる二人と中にいた誰かも、場が白けた様子を感じていたが、それは、サプライズ時の不測の事態ということで流そう。
蘇芳に代わってドアを開ける啓吾に、次いで「パーンッ!」とクラッカーの音が襲い掛かった。
「何やってんだ、お前ら」
落ちてきた紙テープを指先で払い、啓吾は不機嫌に言った。
明らかに身代わりになった啓吾に、追い打ちをかけるようにプラチナがブーイングする。
「なんで、《シュートランス》が出るの」
「俺が知るか」
勝手に出たのだが、慣れない事に戸惑う蘇芳のせいにした。
その後ろから伺ってきた蘇芳が、さらに驚いた顔をする。
プラチナを始めとして、アルルカンとイーサがクラッカーを手にしており、その後ろから。
「鏡花」
「久しぶり。じゃ、二人とも中に入ってよ。準備したんだから」
久しぶりの再会に鏡花は決まり悪く、肩をすくめた。
たぶん、プラチナ達に計画を言われ、同じ寮生として休みを取って参加したのだろう。
顔にも態度にも出てはいないが、蘇芳の感動っぷりは想像ができた。
蘇芳の部屋だが、啓吾は遠慮なく上がりこみ、2LDKの一番広い場所(寮生の大半はリビングにしている)に足を踏み入れる。
「やっほーぅ」
マッドがいた。
それも、恐らく蘇芳の歓迎会の為に用意されたものを、既につまみながら。
鏡花が苦笑いしながら、「マッドだし」と諦め顔で居たのは仕方がない。
アルルカンは食べる必要がないのだが端に座り、各自も席に着く。
蘇芳は自分の部屋だと聞いていたが、こんなにも幹部が集まっていることに不思議そうだった。
「さぁさ、歓迎会なんだし、座ってよ。何より、家主でしょう」
鏡花に手招きされて、蘇芳も腰を下ろす。
まるで武将のような動作は相変わらずだが、それにプラチナがビールを注ぐと、殿様のようだ。
イーサが啓吾のグラスにもビールを注ぐ。
徹夜でつい数時間前に職人と飲んだ啓吾は、一瞬だけ乾いた笑いを浮かべた。
体力的にきついが、この空気で逃げ出すのは無理だ。
「では、《No.11》の入居を祝ってー………乾杯」
「「「乾杯―ぃっ」」」
無表情のイーサの音頭で、蘇芳の歓迎会は始まった。