side1 幕間2
目の前に巨大な扇風機があったとして、スイッチを急に入れられた感じというのか。
しゅっと吸い込まれるように髪がなびいたかと思えば、次には頬肉がたるむのではないかという程に風が叩きつけられる。
目を開けられない、というか、勘弁してくれと顔を背けて二人は身をすくませた。
踏みとどまれる程度の風速であるので命の危険は感じられないが、不快度は高い。
悪役を派遣するという、とんちきな会社である“Darker Holic”だが、他会社に追従を許さぬ技術がある。それが、この、不快度MAXの異次元移動技術だ。
どうせならもっと快適に行きたいと鏡花は常々思うのだが、それはおいおい技術者が何とかしてくれる事を祈るばかりで、命の保証を天秤にかけられない。
というのも、この異次元移動技術は、元々が暗黒神と噂のNo.1の力の応用らしいのだ。
どういう原理か知らないが、DHの社員で、技術者と魔術者の協力と上司の許可があれば、誰でも可能である。
これで鏡花も、隣で呻く様に身じろぎしている元No.2も、暗黒神信仰に仲間入りだ。
ファンデが取れるどころでなく、曲がり角に差し掛かっている素肌には凶器の風が次第に収まっていく。頭上からの暖かな光を感じてうっすらと目を開けると、空と海の境が見えた。
海から吹き上げてくる風を受け、その爽やかな情景に、鏡花は肺に溜めていた吐息を吐いた。
港特有の防波堤を眺める、海上公園。空にはかもめが群れている。
鏡花と蘇芳が降り立った場所は、前回のSF任務中にも鏡花は生身で、蘇芳は機体に搭乗して、何度か立ち寄ったとある町。
文化的なモノは、鏡花達のホームであるDH本社がある次元と、あまり変わりがないようなレベルだ。
服装に関しては、DH社のある次元の方が進んでいるのか、断然センスが良いと彼女は思っているが。
フェミニンなフリルと春色のアンサンブルでコーデした鏡花は、ちょっと通りの目を引く自身の雰囲気に気を良くする。
去年も同じ時期に着たものだが、次元の違うこの世界では目新しいに違いない。
異次元移動の風の影響で、急に登場したことには気づかれないこともあり、周囲にちょっとおしゃれな人という印象を与えて、女としては面白い気分だった。
「鏡花」
こっそり微笑んでいた鏡花だが、呼ばれて隣を見上げた。
灰色の髪をやや長めにざんばらにした、長身の男。
平常時でもそうなのか、眉間には縦皺が残っている。
強面は崩れるはずなく、もはや癖がついているのだろう。
彼は着物様の服ではなく、ストライプのシャツの上にスタンドカラーのブルゾンを羽織っている。
下もジーンズで、着物が見慣れた鏡花は未だに第一印象で一瞬止まる癖が抜けていなかった。
「シ……《蘇芳》」
思わず本名を言いかけて、鏡花は慌ててコードネームを言いなおす。
鏡花が戸惑っているのも知っているだろうに、彼は呼ばれた事ににやりと目を細めて見せた。
元No.2がどういう経緯でDH社に勤務することになったのか想像も出来ないが、今は蘇芳と名乗る彼は案外満足そうだ。
DH社員として、二度目に降り立ったこの次元だが、実際のところ今回の訪問は鏡花にはあまり関係がない。
前のSFの件で居た場所だから付き添いを頼まれたが、蘇芳の方の目的がある。
大破した彼の愛機を復活させるための素材が、この次元にしかないものであったため、改めて調達に来たのだ。
けれども鏡花は、そんなの幹部ではなく、トーイや他の技術者に頼んでもらいたいと思っている。
それでも、絶対彼は認めないだろうが、ホームシックからのストレスだったり、急に知らない人の中に居る事で緊張している彼の気持ちを和らげる効果もあると思ったから、同行していた。
「さぁ、ちゃっちゃと終わらせるに限るわね。で、場所って何処?」
「この手の機器は自信がない。案内しろ」
あくまで同行者の鏡花は詳しく確認していないので、蘇芳を見上げる。
同僚となったにも関わらず、鏡花を専属の部下か何かかと勘違いしているのか、相変わらずの命令口調が返ってきて鼻白んだ鏡花だが、元No.2の彼に言っても仕方がない。
コミュニケーションスキルがないのだと思えば、腹は立たないはずだ。
着物を来ていた時の癖か、内ポケットから出されたデバイスを受け取る鏡花。
仕方なく、隣で平常顔の蘇芳を視界に入れないようにし、渋い顔して現地と目的地を確認する。
「相変わらず、No.1のテレポートって雑なのね」
人気がない場所を毎回選ぶせいか、いつも目的地から遠い。
電車やバスを利用しないといけない距離だ。
その点を説明し、鏡花は大人しく説明を受けている蘇芳を見上げた。
「で、貴方、お金持ってる?」
眉根を顰めているものの、どうにもあまりピンときていない様子の彼に、鏡花は不安が募る。
いや、もしかするとバスも利用した事がないかもしれない。
何せ彼は、この年になるまで宇宙を放浪する船に乗り続けていた、正真正銘の悪役なのだから。
返ってきた答えは、心もとないものだった。