side5 悪役と天空の姫
下っ端戦闘員時代に≪瞬加速≫を覚醒させたシュートランスが幹部になって、4つか5つ目の仕事だったと思う。その頃のDH社は別の名前で仕事をしていて、その内容も正悪混ざったものだった。世間一般が言う”綺麗な終わり”にならない事もままあり、簡単に言えば、正義が遂行できるならどんな手段も問われなかったし、悪役として悪人が自己破滅するほど悪行をそそのかしたりと、酷い物だ。だから、自分に関係ない世界の話で、給料が良いからと、シュートランスはそれらには目をつぶって仕事をしていたし、良心が咎める時も、自分が出来る範囲での救済措置を実施するぐらいしか力がなかった。それでも、その頃には救済措置を求めて悪役部門の社内有志が集まって影響力を増していて、まだマシな仕事内容だったと思う。
そんなシュートランスが派遣されたのは、今の次元とは別の次元であった。巫女や神官の力を持つ一族が王として、小大陸ほどもある大地を空に浮かばせ続けている世界への介入である。内容としては、王宮の腐敗した政治を自国の反乱軍に討ち取らせ、傀儡と化している幼い姫を保護させる事。シュートランスとしての役割は、王宮内でも一等きな臭い、イジャピアン派の代表、バーゼイス卿の部下として暗躍する事だった。
その前段階として、同じくイジャピアン派の悪党の元に派遣されたシュートランスが見たのは、賄賂の横行に、横領、違法薬物の取引、人身売買、何でもござれの悪人の姿だった。よく国が機能しているなと思うほどの腐敗具合に、こっそりと顔を顰めた事は一度や二度でない。同じ様な境遇の、補佐としてついてきてくれた先輩のフォローがなければ、とっくに潰れていただろうシュートランスだったが、老若男女、様々な人の悲鳴を聞きながら過ごして仕事をしている間に、次第に表情が動かなくなっていった。
そうして悪人としての仮面を被る訓練と実績を積み、≪瞬加速≫は秘し、凄腕の暗殺者として、バーゼイス卿に紹介されたのは、彼が仕事を開始して一年経つかといった所だった。それでもすぐに顔合わせとは行かず、彼の信用を得るまで”使いの者”を介して接触する事になり、バーゼイス卿の指示だというそれに従って、シュートランスは、同じスタッフの力を借りて対立派閥のランジシュ派の何人かを事故に見せかけて失脚させ、他、街中で何件かの事件を起こした。街中での事件なんかは、特に必要な行動ではない。結局のところ、部下の誰一人として信用しきれないバーゼイス卿なりの信頼の儀式というか、相手の弱みを作らせて握り、牽制し合う、犯罪共同体という仲間意識を育てる目的であるようであった。事実、シュートランスが心労から小さなミスをして警邏に捕まった折、彼を救ったのはバーゼイス卿である。
そこまでしてやっと懐に入り込めたのだが、顔合わせはするものの、行動全般を監視されて上手く動けずにいたシュートランスは限界に近かった。そのまま半年が過ぎても成果が上がらなかった彼の焦りが見え始めた頃、引き合わせの最初の時期はバーゼイス卿に信用される事が大切と、劣悪な環境でボロが出る事を恐れた会社から、元の記憶を消し、操作した記憶を植え付けるなどの処置が行われ、追い打ちをかける。処置を受けた後のシュートランスは、がらりと人が変わり、バーゼイス卿が気に入る程の一級の悪人として出来上がっていった。
ただ悪人になりきるための記憶処置など、本来ならば受けるはずも、行えるはずもない。けれど、あの頃の会社は、正義絶対主義のSRECが狂ったような暴走を見せていて、地位の低い悪役の人権なんて在ってないようなものだったし、誰かに訴えようとした姿勢が見られた瞬間、別の、今までの記憶一切を消す処置を行われて路上に放置される事もざらにある、真に邪悪な会社だったのである。特に、仕事の際は何年も家族と連絡を取らない人間も居て、シュートランスもその部類だったから、現場の人間以外誰も気づいていなかったし、気付いた時には秘密裏に処置された後だったのだ。
そんな人が変わって、すっかりバーゼイス卿の右腕になってしまったシュートランスだが、会社の指示には不思議と従った。どうやら処置の一つに、絶対的な従順というのがあるらしいとは、見ていた先輩の言だ。それのお陰でぎりぎり殺人だけは犯さずに済んだシュートランスが、自分を取り戻したのは、右腕になって8カ月後。件の姫君と関わるようになってからの事である。
雨の日は嫌いだ。頭に霞が掛かったような、不快な気分が増すのがその理由だが、他にも理由があったような、そんな気分にさせる天気だからだろう。こういう日は大人しく巣に引きこもっているのが一番良いが、残念な事に、本日のシュートランスは姫君の護衛である。特に話もしないし、行動範囲も狭い物だが、無目的に立ったままというのがいけない。さらに護衛対象である姫君は、雇い主であるバーゼイス卿同様、シュートランスの事も嫌っているようで、目が合えば睨む、挨拶をすれば無視すると、大変小憎たらしいクソガキ様であった。また、シュートランス自身も子供は苦手である。やる事なす事些細で微妙な効果があるというのもそうだが、見ていると、彼女の無力感だけが浮き上がるような、そんな感じを受けて苛々するのだ。それでもバーゼイス卿にしばらく従うようにと、従者のフロル(先輩)に言われているので我慢である。
そんな折、彼は慌てたようにして飛び出してきた侍女に詰め寄られた。曰く、部屋から姫が抜け出したようだとの事である。またか、と彼はため息を吐いた。百年の一度の大嵐にあって、姫を残して王族が亡くなった寂しさからか、それとも傀儡になるしかない自身の境遇への不満なのか、彼女はよく自室や公務から抜け出している。今回も、後見であるバーゼイス卿が来ていたのでそれだろう。感知能力は無いものの、彼には俊足と、フロルという情報網があるので、それほど慌てはしなかった。精々、西の廃屋まがいの塔に籠っているんだろうという気持ちもあって、彼はため息を吐くと侍女を引きはがし、歩き出す。
歩きだしてすぐ、通りざまにフロルの使いから情報が渡され、いつも通りにシュートランスはそれを確認し、常用しているライターで燃やした。今回は西の塔でなく、王宮の隠し扉から行ける儀式の間らしい。外はいつの間にか雨はやみ、どんよりとした雲が空を覆っていた。
行き方をざっと頭に入れたシュートランスは、フロルの注意にあるように、誰にも見られないよう≪瞬加速≫を使う。見ていた者はふっと消えたように見えただろう。右腕となった今でも、バーゼイス卿から時折監視者がつけられる彼は、人の気配に注意しながら外壁を走り、王宮奥、断崖絶壁を臨むように造られた庭園を目指した。
そして、外壁の隠し扉から地下通路を通り、神殿内の聖域とされる人通りの少ないエリアから姫の儀式の時に使用する部屋に入る。瞬っと高速空間から戻ると、衝撃に足元の花が散った。名前は知らないが、この国の国花である。瞬間、シュートランスは再び≪瞬加速≫でその場から二、三歩ずれた。元居た場所は、国花を使った強力な結界でもあったのだろう、床が焦げている。恐らく神通力の強い姫の、嫌がらせ混じりの術だろうと、彼は以降より慎重に部屋の中の隠し扉を開けて進んだ。
すると、螺旋階段を下りて行く毎に何か喚く声がする。泣き声だと気付いて、彼は面倒だと顔を顰めた。時折、逃げ出した姫が真っ赤に泣き腫らしているのを、侍女や近しい護衛たちは知っている。今回もそれだなと、用心のため階段の影から覗いたシュートランスは、花園を必死に駆け回り、赤い血を振りまいている姫の姿を見て戦慄した。彼女の後からは自分と似たような黒い装束の、しかし護衛騎士でなく暴漢の格好をした男が一人追い駆けている。即座、説明のつかない怒りに支配され、シュートランスは≪瞬加速≫を使っていた。
――――――ガォンッ
獣の咆哮のような爆音が響いて花園の花が切り裂かれ、空気が動く。それは真っ直ぐに、姫に襲いかかる暴漢に向かうと体全体でぶつかり、勢いのまま弾き飛ばした。ごきゃりっと骨の折れる音がしたのは、相手の方で、シュートランスはそこに体当たりした反動で≪瞬加速≫を解除し、飛び退る。瞬っと音が戻り、慌てて振り返ると、驚いて躓いたらしい姫が顔を上げた所だった。ぶわっと花が舞う中に、異色の黒い男の姿を見つけ、姫は安堵の涙と、仇敵を見つけた顔で彼を見上げ、どう反応して良いかわからない様子である。
「どこだ」
シュートランスは姫のドレスが血を吸っているのを見て、即座に彼女の傍にしゃがみこんだ。何を言われているのかわからないと言った、無言で泣き続ける少女を守るように抱き起こし、二の腕と頬に傷があるのを確認する。今はくたりとも動かなくなった暴漢は、手に暗殺者がよく使う剣を持っていたから、恐らく彼女が首や頭を狙った攻撃から避けた時に出来たのだろう。懐から白いさらしを取りだした彼は、返事のない姫を放置して、布を引き裂いた。
「致命傷じゃない。きつく縛るから、覚悟しろ」
「何故…お前は、バーゼイス卿の……」
うわ言のように繰り返す姫をまるっきり無視し、シュートランスは手際よく彼女の手当てをした。
「痛い!」
「我慢しろ」
止血のために男の力でぎゅっと縛ると文句を言われる。結構血が流れていたように見えていたので、存外元気だなと思いながら頬の傷にも止血の薬を塗って張り付ける。すごく沁みる薬だ。
「――痛っ、もう少し優しくしろ!」
「十分優しくしている。そして、お前は反省しろ。あのまま、俺が来なければ、殺されていたぞ」
喚く元気があるなら大丈夫だと、シュートランスが怖い顔をして姫を睨めば、彼女は途端に勢いを失くして口を噤んだ。拗ねるように口をとがらせているのは、まだ子供だからだろうか。そう思い、シュートランスははっとしたように目を開く。そうだ、この姫は子供なのだと、わかりきった事を思い出して、居心地悪いような、目が覚めるような心境になった。やはり、雨曇りの日は調子が悪い。
「あの者はどうなったのだ。…死んだか?」
「致命傷ではないが…、さて。もう死んだかもしれん」
「え?」
姫に問われ、背後で動く気配もなかったから放置していたシュートランスだが、手当てが終わった後は、立ち上がってそちらを眺めた。
「こういう仕事を請け負う奴は、逃げ切れなくなったら口にある毒を飲むのが定石だ。体は動けんだろうが、意識があれば毒を飲むのも容易い」
言ってシュートランスは、倒れた男の傍まで歩いていき、瞳孔が開いた目と脈のない首の血管を確認して姫を振り返り、首を振った。はっと息を飲んだ姫を見て、それから再び男に視線をやると、彼の身元を証明するものを探す。イジャピアン派が隠語で使う、六角形の紋章を見つけてシュートランスは目を細めた。
「お前はっ! なぜ、ここに来た。妾を殺すのが、バーゼイス卿の目的だろう!!」
命の危機が去って、やっと気持ちに余裕が出来たのだろう。その時間が短すぎるとも感じながら、シュートランスは姫の言に笑った。
「この男が言ったのか? あの爺はそんな単純な奴じゃない。お前が大きくなるまで傀儡として政治を動かし、それ以降も権力を握っていようとするだろう。そんな事、お前が一番知っているんじゃないか、お姫様」
シュートランスの視線を受けて、姫の表情は曇る。普段からそういった事を声高に言っている姫だ。
「ならば、そのために妾を助けたか」
あくまでバーゼイス卿の部下としてのシュートランスを見、失望したように姫は言う。何だかカチンときてシュートランスは顔を顰めて、ため息を吐いた。ずんずんと姫に近づき、がしっと頭を掴む。
「子供がごちゃごちゃ悩んで、愚痴愚痴言うなっ」
「―――――っ、じゃあ、どうしろと言うのだ、貴様はっ!!!」
間髪いれずに姫が叫ぶ。彼の手を押しのけるようにしてあげた顔から、再び大粒の涙が零れた。
「父も母も親族もなく、ただ都の為に祈る道具とされてっ!! 庇護するものも友もなく、王墓に来るのだって、監視の目があるっ!! ただ、生きているだけ、生かされているだけだっ!!」
ぴくりとシュートランスの手が震える。どこかで似たような声を聞いた気がした。その正体を掴めぬまま、姫はさらに思いの丈をぶつけるよう、口を開く
「貴様は、そんな子供にどうしろと言うのだ、―――馬鹿者おぉぉぉぉっ!!」
わーんっと泣きつくような姿だった。泣き叫んでシュートランスにしがみつき、文句を言いながら、体中を使って暴れる。ドレスがどうなろうが、こちらがどうなろうが知った事かと言わんばかりだ。だが、シュートランスは、何故かこちらの姿が正しいと思い、安堵した。こんな面倒なばかりの姿に、なんでそんな事を思ったのか、もっとよくよく考えたかったが、姫の振り上げた拳が頬に当たって霧散する。
「こらっ、落ちつけ、クソガキッ」
「だれは、くそらきら、…っ、ぶれぃ、もひょっ!!」
「お前だよ、クソチビッ」
わんわん泣く少女を苦心して抱きあげ、シュートランスは怒鳴りつける。もう少しで何か思い出しそうだったのにと少し残念な気持ちと、もう一つ決心が出来て、ぐずる姫を見た。
「ったく、しょうがねぇからもう一度説明してやる。あの爺んとこから紹介されたがなぁ、俺の仕事はお前さんの護衛だ。ついでに、俺の”御主人さま”はあの爺じゃねぇ」
「っ、んん?」
「俺の副官に、フロルっているだろ。あいつだ。だから、……誰にも言うなよ」
泣くのを堪えて姫がシュートランスを見る。それに、イジャピアン派に入っていないフロルの名前を挙げてシュートランスは念を押した。フロルからも、絶対に名前は出すなと言われていたのに、姫の信頼を得るためには必要だと彼は考えたのだ。何故姫に信用してもらう必要があるかと矛盾した気持ちも湧かないではなかったが、シュートランスはそれを呑み込んだ。
「わかっら。きひゃまを、しんよぅ、ひよう。”しゅーとらんしゅ”」
苦虫をかみつぶした顔を、シュートランスがしていたせいだろうか。しばらくじっと彼の顔を眺めていた姫は、真っ赤な泣き顔のまま、そう言って頷いた。