side4 悪役と聖剣6
軽い砂吐き警報発動します。お気をつけください。
硬く閉じていたハッチをやっとの思いで開けると、鏡花は吹き上げる強風と共に外へ出た。赤い雨を降らせていた空は、嘘のように晴れ上がり、真っ青な海と相まってとても美しい。視界に意識を奪われていたところ、突風が吹いて少し体勢を崩した鏡花は、我を取り戻して、周囲に飛行艇がないか探した。すると、四つ這いになったそこに大きな影が映る。上だと顔を上げれば、白い鳥のような飛行艇があった。
「もうちょっと右端に寄ってくれないかしら」
着地出来そうなのは、テラスがあるトーヤかリィルの部屋である。下にいると戦艦の墜落に巻き込まれるとあって上に位置取りしているのだろうが、まだ高度があるうちに鏡花としては飛び降りたい。何か光るものはないかとポケットを探った鏡花は何も見つけられず、持っていた銃の反射を利用して合図した。届いたかわからないなと思う間のあと、飛行艇が慎重に移動し始めたのに気付いて体の位置を変える。そのまま≪感応力≫を使い、戦艦内のパイプを動かすと、狙いをつけて、飛行艇のテラスにある手すりに撒きつけた。
---グンッ
結びついた事で戦艦に引き摺られる事になった飛行艇が一瞬震える。拮抗した一瞬を逃さず、次の瞬間には鏡花は銃でパイプの継ぎ目を吹き飛ばし、命綱ともいえるパイプにしがみついていた。見ていたわけではないだろうが、そのタイミングで飛行艇も高度を上げる。その頃には、室内ロボのお陰で、鏡花も飛行艇内へと帰還する事ができた。
「キョーカ!」
「ただいま。皆無事?」
戦艦と並行して高度を保っていた飛行艇であるので、トーヤの部屋に下りたようだ。返事をしたトーヤと共にコントロールルームへと戻ると、話しかけられない程集中して、苦心の操作をしている蘇芳が居る。別の機体でも応用が利くのは凄いが、それでも愛機とは違う操作で神経を使うのだろう。
「貸して。続きは私がするわ」
「頼む」
しゅるっと腕にコードが巻き付いたのを確認し、蘇芳はそう言って、ふっと椅子の座面に寄りかかった。緊張を解く為か長く息を吐き、一言、鏡花を見る。
「よく戻った」
「そりゃあ、私もDH社の幹部ですから? やる時はやるんですのよ?」
大仰に肩を竦めて見せれば、くつくつと小さく笑われる。唐突に彼は画面を見て「終わったな」と言った。見れば、穢神の戦艦は轟音を立てて海へと入り、瞬間の浮力を得た後、水を吸い込むようにして、ゆっくり、ゆっくりと沈んでいくのが見える。
「そうね」
鏡花もまた、コードの隙間から見える手首を眺めて頷いた。いつの間にやら腕輪はあっさりと消えてしまっていて、あんなに苦労したのが嘘のようだ。そんな時、北の皇帝の咳払いが聞こえ、興味本位で鏡花は後ろを振り返る。階下では彼が魔族の長の隣で、少しためらうようにして話しをしていた。
「どうだろう、魔族の長よ。帝国の悲願を達成した今、余は、次の目標を決めねばならん。これから世界を一つにする良い案があるのだが、興味はないか…?」
すると、魔族の長も繊細な指を軽く口元に持って行って、艶やかに微笑んだ。
「もし、その案とやらが私の考えている事と同じだとしたら、世界はもう一つではないだろうか、人間の王よ」
目に見えてほっとした北の皇帝は、元の威厳を取り戻すと、軽く微笑んだ。
「もし、同じだとしたら………そうだな」
そのまま見つめ合いそうな雰囲気の二人に、鏡花は思わず「あらあら、まあまあ」と見ない振りを決めて前を向いた。階段近くで他のメンツには聞こえないように話していたかもしれないが、コントロールパネル前の鏡花と蘇芳には聞こえている。蘇芳も軽くにやりと笑うと、「トーヤの心配事は解消しそうだな」とどこか他人事のように言った。気になっていた癖に素直じゃないと、鏡花も隠れて笑い、穢神の戦艦が海に完全に沈んでしまうのを見届けた後、飛行艇は元の要塞のある場所へと一度降り立つ。
「あいやーっ、娑婆の空気は良いもんですなっ」
飛行艇のハッチが開くと、奥から駆けてきて、一番に外へ出たのは、何処にいたかわからなかったネ=ギルナであった。今まで影も気配も察知できていなかった鏡花は、呆れたように言う。
「何よ、ネ=ギルナ。あんた、居たの?!」
「そりゃないですがな、姐さん。お宅らが困らないように商品を仕入れて、ちゃーんと、待ってましたがな」
言ってパンに野菜やお肉を挟んだサンドウィッチのようなモノを出してくるので、食欲に負けて鏡花はそれを購入した。相変わらず商売っ気が強く、全然まけてくれなかったのを不満げに思いながら、それに噛みつく。
「終わったのね…」
穢神に操られていた分、実感が湧かないのか、日の光を浴びて、リィルが呆然と言った。先に下りて彼女を待っていた仲間たちの面々を眩しく見つめていると、先で振り返ったらしいトーヤが「あぁ」と頷く。その一歩前で、まだ夢を見ているような顔をしている彼女がじれったくなって、鏡花はどんっとその背を押した。
「もう、時間を気にする事もないのよ。今からの時間はたっぷりあるんだから」
「んもう、キョーカ!!」
リィルの声に、逃げ出すようにして踵を返した鏡花。和やかな空気を眺めていた蘇芳だったが、自然と彼に寄って来た南北の王に気付き、身を正して顔を向けた。
「余は一足先にここを発とうと思ってな」
北の皇帝が言い、魔族の長もまた「国が心配だ」と頷いた。「なるほど」と蘇芳が頷くと、各自交互に手を差し出してくる。軽く目を見開いた蘇芳だったが、気持ちは汲もうとその手を取った。
「余だけでは、帝国の悲願を叶える事が出来なかった。礼を言うぞ、聖剣の守護者よ」
「光栄だ」
彼らと握手する傍ら、別れの笑みを浮かべながらも、蘇芳は今後についてを思いやった。同じくトーヤとリィルにも別れを惜しみながら、二人の王は各自の城へと足を進める。そう遠くない日に、残っているガロンやその他の仲間たちとも別れる事になるだろう。鏡花と蘇芳がSRECから受けた仕事内容は、穢神を倒した後、その要塞を秘匿された場所へ隠すというのも入っているからだ。だが、今は無粋な真似をするまいと、彼は目を閉じた。
それからしばらく経つと、誰ともなく、要塞を去るという話を切り出し始めた。最初にトーヤに告げたのは、ガロンである。彼は剣の修行の旅に戻ると言って、そう多くない荷物を纏めると、翌日には発った。それから、魔族領の家族が心配だというルル達。「一度里帰りしなきゃね」とエルフまでも住居エリアにある部屋を片付けている。
「最後の大詰めだぞ」
通りかかった鏡花に言えば、今まで横に置いていた厄介事をわざわざ目の前に出されたような、要するに気分を害した顔をして不満げに蘇芳を見た。しかし仕事を思い出したのか、彼女は苦笑すると、次々とくる急な別れに唖然とするトーヤとリィルを呼んだ。
「「―――えぇ!?」」
二人が驚いた声を上げたのは、蘇芳がこの要塞の今後について話しをしたからである。彼は先程と同様、無表情で繰り返した。
「これが俺達の結論だ。穢神が消滅した今、要塞の力は強大すぎる。これから先、この要塞の力を狙った争いが起きないとも限らない。少なくとも、かつての文化レベルに到達するまでは、この要塞は秘匿されるべきだ」
「それじゃあ、スオウ達とも、お別れってことか」
「寂しくなるわね」
トーヤとリィル、特にリィルが暗い顔で言い、蘇芳と鏡花は密かにお互いを見やる。先に口を開いたのは、蘇芳だった。最後まで役を演じ切らないとと、そういう意識が働いたのかもしれない。
「感謝する、聖剣の主たちよ。これで、穢神を倒すという、長年の我らの願いは達成された」
「私からも、ありがとう。トーヤ達が聖剣の穢れを払ってくれたから、出来た事だわ」
珍しく笑みを浮かべている蘇芳と、茶化すでなく真面目に微笑んだ鏡花に、トーヤも「本当に、お別れなんだな」と名残惜しそうに言った。
「オレ、皆と別れるのは寂しいけどさ。小さい頃から放浪の生活だったから、別れに慣れてるのかもな。それに、生きていれば、また会う事も出来るって思うんだ」
「そうね。また、いつか」
言って、鏡花はトーヤと握手する。それから彼女は、ちらっと蘇芳の横で暗い顔をしているリィルを見て、トーヤをもう一度見て、それからにっこり笑うと、握手を放した手でどんっとトーヤを押し出した。
「あとは、二人でちゃぁんと話しなさいよ?」
途端に真っ赤になる二人に、鏡花はひらひらと手を振って、蘇芳は鏡花の言動に呆れたように肩を竦めると、邪魔するつもりもないのか、彼女の後ろをついて住居エリアへと降りて行った。それから二人は階下の広間にある巨大なダイニングに適当に座り、揃って今後を相談するため、密談出来るよう近づく。
「とりあえず、≪感応力≫で、遠距離からこの船を海に沈める事は可能よ。物凄く疲れるけど」
「では、トーヤ達の目がなくなった所で一度下りて実行しよう。そして、今後の事だ。派遣期間はオーバーしているから、本(DH)社の方でも調査隊が出ているはず。しばらく以前と同じポイントで救助を待つ」
「それが憂鬱なのよね。転移時にDH社でもログが残っているはずだから、もう接触してきても良いと思うのよ」
「このままと言う事はない可能性が高いのを祈ろう」
流石のシグウィル様でも何とも出来ないと言う事か。真顔で呟かれた事に、鏡花は聖剣の要塞を見つけるまでの苦労を思い出して、「勘弁して」と天井を仰いだ。
それから一週間後、一体どんな話合いをしたのか、リィルとトーヤは揃って旅を続ける事にしたらしい。がめついネ=ギルナに大凡の家具を引き取ってもらい、残りは処分して、最初と同じ、ただ聖剣だけがない要塞の前で、鏡花は地上に降りた二人に手を振った。
「元気でっ」
旅姿のトーヤとリィルも大きく手を振り返してくれる。その横には、聖剣の主に仕えるのだと言って、船を下りたゼウスの姿もあった。蘇芳もまた軽く片手を上げて二人の姿を見納めると、鏡花を促してハッチを閉じてしまう。鏡花の≪感応力≫で飛行艇が浮上し始めたのを感じながら、二人はコントロールルームへと向かった。
「あれで良かったのか、悩みどころだな」
「ゼウスの事? 船沈める時に一緒に居てもらっても困るって言ったじゃない」
仕事の規定に触れないかと心配する蘇芳に、「なったもんはしょうがないわよ」と鏡花は大雑把に言った。二人きりで事後処理をするのは初めてだが、鏡花はきちんとこの要塞にSRECのマーキングをつけてデータを纏めているし、DH社用に穢神の戦艦の一部サンプルも確保している。これが有効活用できるとなると、次元を渡って技術スタッフがやってくる流れだ。そのためにも―――。
「色々とボロが出る前に迎えに来てもらいたいわねぇ」
コントロールパネル前で手をついた鏡花の両腕にコードが巻きつく。少しだけ集中して飛行艇を把握すると、青空に白い飛行艇が浮かび上がった。ディスプレイに両手で手を振るトーヤと、片手で髪を押さえてじっと見つめるリィルが映る。思わず笑ってしまうと、鏡花はブーストを駆動させた。ギュイィィンッと宙を引き裂く音を立て、白い飛行艇は飛び立ち、そのままトーヤ達の視界から消える山際のポイントに来ると高度とスピードを落として停滞させ、鏡花と蘇芳はそこから飛び降りる。
「じゃ、ポイントに沈めるわ」
言って鏡花は≪感応力≫を使い飛行艇を真っ直ぐ海へと運ぶ。二人が見ている先、沖合の遠い場所の海面で減速させると、そのままゆっくりと下に沈めて行った。
「どう?」
「当初の予定よりやや手前かもしれんが、特に問題ないだろう」
デバイスが動かないから、目測と角度の計算で見たらしい蘇芳がほっと肩の力を抜いた。
「やっと、終わったわね…」
心底しんどいと言わんばかりの鏡花は、言って伸びをする。周囲に警戒する要素がないのか、蘇芳も近くの木に背中を預けて「流石に、気疲れするものだな」と腰かけた。まだ日は高いからと休憩のつもりで鏡花も彼の隣に並んで腰かける。海が見える小高であるため、さぁっと爽やかな潮風が吹いた。「そういえば」と鏡花は隣で、同じ様に海を眺める彼を見る。
「仕事の初完遂おめでとう」
「……ありがとうと、言うべきか?」
関わった仕事仕事に変な介入があって上手くいかない事が多かった鏡花たちだが、皮肉にもSRECの派遣中には終わる事が出来た。何だかなぁと鏡花が考えるように、蘇芳も同じだったか、苦笑混じりに言われる。すると、今度は彼の方から「なぁ…」と鏡花に声をかけた。その声音が普段と明らかに違っていて、鏡花はぎょっとして立ち上がろうとする。すかさず手を取って引き止めた蘇芳を、思わず振り返って、鏡花はしまったと思った。
「いつまで、はぐらかそうとするんだ?」
そのセリフを言われた時、一際強い風が吹いたような気がした。乱れた前髪を片手で梳いて、鏡花はぐっと顔に力を入れる。
「人聞きの悪い事言わないでよ。私は、シューちゃんが…」
「俺には自分で言い聞かせているようにしか聞こえないがな」
鏡花の言を遮るようにして、けれど決して怒鳴るでない声が「それに」と続ける。途端に不機嫌に眉を下げた鏡花だが、「言い分は聞きましょう」とでも言うように黙りこんだ。
「お前が誰を好きだと言っているのもわかっている。けれど、俺を見ない理由にはならんだろう?」
じっと諭されるように言われる中、彼が何を言いたいか、鏡花も自覚はあった。これまで見込みがない程相手にされていない啓吾の存在で、彼に一線引いているのも分かっている。でも啓吾の事が気になって気になって仕方がないのだ。それに―――。
「私、啓吾が好きなのに、貴方も見るとか、そんな不誠実な人間じゃないわ」
この状態でシグウィルの事も考えていたら、まるで一本気のない、不埒な人間のようではないか。見込みはないとしても、啓吾への気持ちが納まるまでは、鏡花は軽い気持ちで余所を見たくなかった。すると、瞠目した彼は、途端に愉快そうに笑いだす。至極真面目に言った事にこの反応で、鏡花はさらにむっとした。
「あ、貴方には悪いと思うんだけれど、私は―――」
言いかけて、鏡花はぐいっと腕を引かれてバランスを崩し、堪らず膝をついた。硬い地面に手をついて、彼の足にぶつからなくて良かったとほっとすると、ぐいっと顔を上げさせられる。「危な…」と口を開こうとした鏡花に、彼はにっと悪そうな顔で笑んだ。
「なんだ、ちゃんと気になってるじゃないか」
「――――――!!」
一瞬、鏡花は彼の言葉を無かった事に出来ないかと思った。別に彼の中までは構わないから、自分の中で。今まで通り、『不毛だけど啓吾の事が好き』だけで終わっていれば、こんなに恥ずかしい思いをしなくて済むのではないかと。でも、聞いてしまった。よりによって、相手の言葉で暴かれてしまった。途端に真っ赤になって絶句する鏡花を見て、彼は優しい程に笑みを浮かべて頬を撫でた。
「悪い、女だ」
言いながら、ぐいっと顔を寄せられる。こんなに頭の中が混乱している処にこんな事をされたら、どうなるか分からないと恐怖感が湧き、鏡花は身を硬くした。痴漢撃退法も≪職人≫に習っていたはずなのに、いざという時に動かないなら意味ないじゃないと、そんな事を片隅で考えていたら、蘇芳の顔どころか、唇が間近に見えて、鏡花は目を閉じてしまった。