7、戦争
塚田と佐多の対立は塚田の学長選と佐多の教授就任が絡まって、激しい船倉となった。はたして塚田は学長選を勝ち抜けるのか。佐多の教授就任は達成されるのか。
増上寺の天井画の評判は瞬く間に全国に広がった。大手のテレビ局でニュースとして流れ、NHKは特集番組を特設した。塚田教授に対する評価は以前から変わらず日本画の最高権威として確固たるものになっていったが、佐多准教授の評判は急上昇した。東京芸術大学でも佐多を准教授から教授への昇進が噂されるようになった。
塚田の学長の任期は教授の定年よりも5年延びて70歳なので、あと3年残っている。佐多准教授が教授になっても塚田が学長でいる限りは目の上のたんこぶ状態だった。ただ佐多が教授になれば日本美術院での立場も理事職が準備されることになりそうだった。塚田はすでに常任理事職を得ているので日本美術院での理事会では顔を合わせることになるが、佐多准教授の発言力が増すことは事実だ。
増上寺の天井画の制作は終了し、マスコミでも増上寺天井画である「双竜天来」がばたびたび取り上げられると佐多准教授の評判はますます高くなっていった。東京芸術大学では1月の教授会で次年度の人事が話題に上った。西洋画研究室の牛島教授から
「日本画研究室は塚田学長が研究室の教授を兼任されていますが、もうそろそろ佐多君の昇格を認めてもいいんではないですか。」と口添えをした。彫塑研究室の玉村教授も
「塚田教授は次の学長選挙が迫っていますから、選挙と学長のお仕事にせんねんされて、後進に道を譲られるのがベストだと思うのですが。」と同調する意見を述べた。その意見を塚田学長は厳しい表情で聞いていた。
学長選挙には音楽学部指揮科の島田教授が立候補を表明していて、下工作の票集めが始まっていた。教授会の構成員は27名。過半数は14票で島田教授は10票程度を固めているという噂だ。塚田学長も10票程度は固めていたが、残りの7票をめぐる争いが水面下で蠢いていた。その7票のうちに牛島教授も玉村教授も含まれていた。塚田教授はそういう状況もあり、真っ向から島田教授や玉村教授の意見を否定することができずにいた。
その日の夜、塚田教授は橋本准教授を神楽坂の料亭に呼び出していた。飯田橋の駅から北に向けて歩くと神楽坂だ。通りの左右に多くの飲食店が立ち並ぶが、政治家も利用するような高級店は少し奥まったところに立っている。塚田が橋本を呼び出したのもそういう高級店の一つの望陽楼だった。塚田がタクシーで店に着くと女将が
「塚田先生、いつも御贔屓いただき有難うございます。お連れ様がお待ちです。」と案内すると塚田は
「しばらく2人で話をするから、最初ビールだけ頼む。しばらくしたら合図するから。」と頼んだ。廊下を歩いて奥の静かな部屋に入ると、中に橋本が座って待っていたが、塚田が入ってくると立ち上がって挨拶した。
「いや、待たせたかい。この店は初めてかい?」と聞くと橋本は恐縮した感じで
「こんな高そうなところは私たちは来たことがありません。ほとんど上野か、茗荷谷近辺の居酒屋ですから。」と高級店は敷居が高いことをアピールしている。すると先ほどの女将が襖を開けて
「いらっしゃいませ。塚田先生、お連れ様はどなたですか。」と聞きながら入ってくるとビールを2本テーブルに乗せると、2人にグラスを渡して、キンキンに冷えたビールを注いだ。
「彼は橋本君と言ってうちの学部で准教授をしているんだ。そのうち教授になるとこの店の馴染みになるからよろしく頼むよ。」と紹介した。橋本は教授という言葉を聞いて内心ではうれしい気持ちがありながらも
「そんな学長、滅相もございません。私なんかはまだまだです。」と謙遜しながらビールグラスを持って塚田のグラスと軽くぶつけて乾杯した。そのまま一口飲むと顔を紅潮させてグラスを置いた。女将が
「ではごゆっくり。」と言って出て行った。塚田はその姿を見届けると
「橋本君、教授になりたいだろ。いつまでも准教授では奥さんや子供も大変だろ。給料だって随分違うし、自分のやりたいようにできるんだ。そろそろ望みを高く持ちなさい。」と諭すように話した。すると橋本は
「僕よりも佐多先生の方が年齢も上ですし、増上寺の天井画でも活躍されました。佐多先生の方が先ではありませんか。」と遠慮しながら話すと塚田は
「佐多君は君より幾つ上だい?2つしか違わないだろ。彼が先に教授になったら君はこの大学では教授は無理だ。彼が退職した時には君に残された時間は2年しかないという事だろ。どっちか1人しか我々の研究しちゅからは教授にはなれないという事だよ。」と言った。橋本は少しはわかっていたことだが、改めて言われると現実を目の当たりにした感じがした。さらに塚田は
「僕は佐多君を他の大学の教授に推薦して君をこの大学で教授に推挙しようと思っているんだ。ただ今回の学長選挙のことは聞いているかい。音楽学部指揮科の島田教授と争っているんだけど、私が勝てば君を教授に出来る。でも僕が負けると君を教授には出来ないかもしれない。私の退官を待って佐多君が教授に推挙されるだろう。佐多君は日本美術院でも評価が高くなってきていて、もう僕のいう事を聞かなくなっているから、僕の近くで教授にはしたくないんだ。わかるだろ。だから君には彫塑科の玉村教授と西洋画の牛島教授に働きかけて私の陣営に入ってくれるように選挙運動をしてもらいたい。どうだね。」と話すと橋本は表情を曇らせたが、事態を飲み込み決意したのか
「教授、わかりました。塚田教授のために命がけで選挙運動させてもらいます。」と返事した。すると塚田は
「良く言ってくれた。それじゃ大いに飲もう。」と言ってテーブルの上の呼び出しベルを押して食事開始の合図を厨房に送った。程なく女将と仲居さんがお盆に前菜とお刺身を持って現れた。見るからに美しい前菜は大きな真っ白いお皿に上品に野菜と鮭のマリネが中央にちょこんと乗せられている。お刺身もマグロとヒラマサ、そして希少価値が高くなってきた真イカが芸術的に盛られていた。橋本は
「北陸や北海道では新鮮でおいしいお魚が食べられるけど、今は東京に最高の物が集まってきますよね。それに板前さんの腕は東京は厳しい競争にさらされているので、最高ですね。」と芸術的な食事に感嘆の声を上げた。その後は焼き物、煮物、ごはん、吸い物と続き、最後はイチゴのデザートでしめられた。お酒もビールから始まったが、シャンパン、白ワインと続き、食後はブランデーを舐めた。そして塚田が
「選挙運動には金もかかるからね。これを使ってくれ。足りなかったらまた連絡してくれ。」と言って財布からカードを抜いて橋本に渡した。VISAのクレジットカードだった。受け取った橋本は
「どんなことに使えばいいですか?」と聞くと塚田が
「飲食店で使ってもいいし、贈り物をするならデパートでも使える。まあ使い方は自分でよく考えなさい。」と言って大笑いした。
食後、外に出るとタクシーが2台待っていて、それぞれ乗り込んで家路についた。
翌日から橋本の選挙活動が始まった。橋本に塚田から渡されたカードは財布に忍ばせている。カードの名義をよく見ると聞いたことのない人の名前になっている。塚田学長が足がつかないように秘密の口座で作らせた物だろう。
橋本は手始めに西洋画科の牛島教授を照準に合わせた。牛島教授のもとで働く准教授の寺田は橋本の同期で東京芸術大学出身の38歳だ。彼に連絡を取って上野公園の中にある中華料理の老舗である「精養軒」で会うことにした。大学での授業や仕事を終えた午後7時に予約を入れて、少し早めに入店して寺田を待った。7時ちょうどに寺田はやってきた。
「ヤー、ミスターハシモト、待たせたかい。」と寺田が部屋に入ってきた。寺田は大学院修士課程を修了した時にアメリカに留学して絵を学んでいるので、英語は得意分野のはずだが肝心の部分は日本語だった。
「僕も今来たところだよ。今日は僕が奢るから好きなものを食べて飲んでくれ。」というと寺田は
「いつも貧乏な俺たちなのに、どういう風の吹き回しなんだい。気持ち悪いな、でも食べるぞ・この店、前から来たかったんだ。有名店だよな。」と食べる気満々のようだった。
とりあえず飲み物は生ビールを頼み、メニューから選ぼうにもよくわからなかったので、橋本はコース料理のページを見ていた。15000円と12000円と10000円のコースがあった。迷わず
「15000円のコースを2人分お願いします。」と店員に注文した。いつもなら一番安いコースにするか、単品メニューをいくつか注文して終わるところだったが、塚田教授から預かったカードの力は絶大だった。
しばらくすると見たこともない前菜が運ばれてきた。芸術的に細切りされたきゅうりと鶏肉、クラゲなどが大皿に同心円状に並べられていた。
ビールをがぶりと飲みこむと2人とも豪快に鶏肉ときゅうりを小皿に取り分け、大きな口を開けて放り込んだ。続けてやってきた大きな容器にはふかひれが入っている。よく見るととろみをつけた餡がかけられたふかひれスープだ。まだ若い准教授には初めて見る本格的なふかひれだった。
「スープの中にふかひれが何本か入っているものしか見たことなかった。これはすごいな。」と寺田が驚きの声を上げると橋本は
「ふかひれって最高級品は三陸産で中国で使われているのも日本からの輸入品なんだってね。江戸時代の田沼意次が干しアワビなんかと一緒に輸出品として商品化されたものだって高校生の頃に聞いたことがある。」と言って大きなスプーンでふかひれの塊を半分に切って小皿にすくった。寺田も負けじと残りのふかひれを取り分けると間髪入れずに口に流し込んだ。
「すごい。初めて食べる味だ。日本で生まれた食材を中国の高級宮廷料理として発展させたんだね。恐るべき中国文化だ。」と橋本がうんちくを垂れた。
そこからは次々と高級料理が運ばれたが、そのたびに感嘆の声を上げた2人だったがいよいよ橋本が口火を切った。
「ところでさ、お前の所の牛島教授はどんな人なんだい。」とやんわりと話題を変えた。すると寺田は
「そんな話を出すってことは学長選がらみだな。」と鋭く突いてきた。橋本は見破られたので
「わかってりゃ話が早いよ。牛島さんは丼合物が好きなんだい。」とストレートに聞いた。寺田は
「学長選が近づくと毎回教授たちは派閥を形成するからね。今回は指揮科の島田教授とお前の所の塚田教授だろ。塚田さんは2期目を狙うけど、連続を良しとしない人たちはグループを作って島田さんを担ぎ出したってわけか。そこでお前は塚田教授に頼まれて票集めをするってとこだな。お見通しだろ。」と言って橋本の肩をぽんとたたいた。橋本は
「そう、ダイレクトに言わないでくれ。何も金をばらまいて選挙違反を市よって言うんではない。公職選挙法の適用外だしな。牛島さんはどんな人なんだい。教えてくれよ。」と急き立てた。寺田は
「牛島教授はパリ留学が長かったからヨーロッパ通だよ。ただ西欧風という事は表も裏も使い分けるという事だよ。賄賂が聞かない方物ではないさ。神楽坂の料亭よりも銀座の高級クラブの方を好むかもしれない。」という情報を話してくれた。
食事を終えた寺田と橋本は塚田のカードで支払いを済ませ、帰路に着いた。帰りのタクシーの中で橋本は寺田に
「なかなか俺からは牛島さんを誘いにくいからお前も一緒に来てくれないか。」と頼んだ。寺田は渋っていたが銀座の店だという事を思い出し、
「わかったよ。明日、うちの研究室に来てくれ。いっしょに牛島先生の所へ行こう。」と言ってくれた。
牛島研究室は日本画の塚田研究室とは棟が違うのでなかなか顔を合わせることはない。橋本はまず寺田の部屋を訪れて、寺田を引き連れて牛島の部屋のドアをたたいた。
「失礼します。塚田研究室の橋本准教授が。折り入ってお話が合るということで尋ねてきました。」と寺田がいうと牛島は
「橋本君か。一度話してみたいと思っていたんだ。君の所の研究室で増上寺の天井画やったんだろ。すごいじゃないか。橋本君はどっちのグループに入ったんだ?」と積極的に聞いてきた。橋本は
「塚田先生のチームに入りました。全員の力を結集した対策になったと思います。」と答えると牛島は
「西洋画はなかなかあんな大作を作るチャンスに恵まれないんだ。ルーブルに行くと「民衆を導く自由の女神」みたいな巨大な作品やシスティナ礼拝堂の最後の審判みたいな天井画は日本では作らないからね。どうしてもお寺や神社では日本画の方か選ばれるんだ。」と言って橋本を持ち上げた。橋本は
「ごゆっくりとお話しさせていただきたいと考えていました。お時間が許せば明日の夕方、銀座あたりへいかがでしょうか。」と誘うと牛島は上機嫌で頷いてくれた。
翌日、午後5時に牛島教室の階下にタクシーを手配した橋本は牛島教授と寺田を乗せて、銀座の「寿司吉田」に直行した。軽くビールを飲んで寿司をつまんで胃袋を満たすと早速「クラブ フィオレンティーナ」に入った。銀座3丁目でも高級店で有名なところだ。女性スタッフの質の高さも日本一という噂で、面接は美貌だけでなく教養も判断基準にいれているというもっぱらの噂だった。
8時過ぎに3人が入店するとまだ早かったので客は少なかった。橋本がママさんを呼んで小さな声で
「大切なお客様だから、最高の女の子を揃えてほしい。いつも来ている塚田先生の依頼なんです。」と言うとママさんは
「了解です。塚田先生からもお電話いただきました。」とひそひそ声で答えてくれた。塚田先生に報告しておいてよかったと橋本は胸をなでおろした。店の奥から3人のキャストが出て来てそれぞれの客の隣に座ってくれた。3人とも20代後半と言ったところだろうか。若すぎないところが彼らには安心したようだった。牛島先生の隣に座った由美子さんはロングドレスだが左右に太ももまでのスリットが入っていて、胸元は大きく開けている。寺田の隣には早紀さんは素足にミニのドレスできわどく白い下着が見え隠れしている。橋本の隣には江梨子さんという落ち着いた雰囲気の子で、ひざ丈の黄色いドレスで胸元は開けているが、あまり大きくない胸なので前にかがみこむとブラが浮いて中が見えそうだった。
寿司屋で少し飲んでいるので気持ちよくなっているが、彼女たちがブランデーをロックで進めてきたので30分もすると酔いが回ってきた。それまでは話題が豊富な女性たちの話術で世間の様子や政治の話、近頃の美術界の話などを語っていたが、徐々にタガが外れて教授は由美子さんのスリットの間に手を忍ばせ、彼女にキスをしている。由美子さんもダメよと言いながらうまく受け流し、拒否しているわけではなかった。寺田もミニスカドレスの由美子さんの右手で胸を触りながら左手でミニスカートの太ももを触っている。橋本は接待をする側だという理性が働き、江梨子さんの身体に触ることは控えていた。しかし江梨子さんは積極的で橋本の手を取って彼女の胸に押し当ててきた。
銀座のクラブでは日常のことかもしれないが、安月給の橋本たちにとっては別世界の出来事だった。しかし牛島教授は立場を利用して接待を受けるときに銀座を利用してきたようだった。
夜12時近くになり、お開きにしようという事になったが、橋本は最後に牛島に用件を述べた。
「牛島先生、今度の学長選ですが、先生には塚田先生の応援に回っていただけないかと思っているんですが、いかがでしょうか。」と言うと牛島は
「どうせそんなことだと思ってたよ。安心しろ。同じ美術学部なんだから塚田さんを応援するさ。塚田さんに言っておきなさい。当選したらまた銀座でってな。」とあっけらかんとしていた。橋本はとりあえず」うまくいったことに安堵の表情を浮かべた。その日の夜は30万円以上使ってしまった。
翌日から今度は彫塑科の玉村教授への選挙活動に移った。今度も同じように情報集めのために同じ准教授の吉岡を昼めしに呼び出した。大学から比較的近い根岸の「そば鶴端」という老舗のそばやで待ち合わせた。橋本が先に言って待っていると吉岡がやってきた。吉岡は来るなり
「話って何だい。」と言ってきたがとりあえず注文することにして彼は森側と言っていたが、橋本が天ざる2人前と天ぷらをつけた。吉岡は
「どうしたんだよ。何か頼み事でもあるのか?」と聞くと橋本は早速
「お前の所の玉村教授はどのような方なんだい?」と聞いた。すると吉岡は
「学長選だな。すぐにわかるよ。でも玉村教授は堅物だから接待や贈り物は効かないよ。ましてや現金なんて渡そうとすると警察に通報するかもな。スキャンダルにならないように気をつけろよ。」とアドバイスしてくれた。困り果てた橋本は
「それじゃ、どうすればいいのかな。」と聞くと
「教授の奥様が今、入院しているし、お子さんは大学入試でご家庭は大変なんだ。何かお手伝いするしかないんじゃないか。」と近況を話してくれた。
「奥様が入院している病院はどこの病院なんだい。」と聞くと
「文京区立病院だよ。」と教えてくれた。
翌日、橋本は仕事を終えると文京区立病院の受付付近で待機した。入口付近をじっと見ながら玉村教授が入ってくるのを待っていた。すると1時間ほどして入口の自動扉の外から見覚えのある男性が入ってきた。一目で玉村教授であることを確認すると橋本は立ち上がって外に向かって歩き始め、玉村に偶然出くわせたように対面し
「あ、玉村教授ではありませんか。私は日本画科の橋本です。先生もこの病院に何か御用が?」と聞くと玉村教授は
「橋本准教授だよね。塚田学長の所の。僕の家内が入院しているんだ。毎日寄ってから帰るんだけど、なかなか大変なんだ。君はどうなんだい?」と聞いてきたので橋本は
「私の父が入院しています。もう年なので回復することは難しそうなんですが、肝臓をやられています。僕もほぼ毎日ここにきてます。」と答えた。口から出まかせだったが、とにかく玉村教授に近づかないと何もできないので必死だった。
翌日も同じような時間帯に病院の玄関で待ち伏せするとまた玉村教授が現れた。橋本はまた偶然を装って玉村に話しかけた。
「玉村先生、今日もお会いしましたね。毎日大変ではありませんか。何かお手伝いできることがあれば、何でもしますよ。」と言うと玉村教授は
「会ったばかりの君にこんなことは頼めないけど、実は今、少し困っていて、今日は妻の病気について医師から話を聞くんだけど、息子は受験に向けて塾に行っていて、このあと8時に迎えに行かなくてはいけないけど、担当医との話が終わりそうもないんだ。息子を代々木の塾で待たせるわけにもいかず、困っていたんだ。君、迎えに言ってやってくれないか。お礼はするよ。携帯で息子にも伝えておくから。」と言ってきた。受験生の息子と病気の奥さんを抱えて、動けるのが一人しかいない家庭にありがちな困りごとだ。橋本は
「任せておいてください。息子さんの携帯電話の番号を教えていただけますか。僕からも連絡入れて車で行って塾の前で待ちます。」というと玉村先生は笑顔になってお礼を言ってすぐに息子に電話した。
塾の前で息子を迎えた橋本は安全運転で玉村教授の家がある神田神保町のマンションまで送り届けた。
翌日も夕方の病院で玉村教授を待っていると同じような時間にまた玉村教授が現れた。玉村は橋本を見つけると橋本の所に駆け寄って
「橋本君、昨日は助かったよ。どうも有難う。」と言って橋本の右手を取って両手で握って感謝を述べた。
「そんな大したことしていません。また何か困ってることがあったら言ってください。僕は一人者ですからどうせ暇ですから。」と言って頭を掻いた。すると玉村教授は
「そう言ってくれるならまた頼みたいんだけど、今日も息子の塾のお迎えを頼めないかな。妻が今日の夕方から手術なんだ。抜けられないからさっきから悩んでいたんだ。」と言うので橋本は
「遠慮なさらないでください。行きますよ。ただ僕も一つお願いしたいことがあります。今度の学長選ですが、私の研究室の塚田教授、再選になりますがご支持いただけませんでしょうか。私たち研究室一丸となって当選に向けて働きかけているんです。」と話すと玉村教授は
「わかったよ。島田さんのことは特に支持する要因もないからね。塚田君の陣営に加わるよ。お世話になった君の頼みだからね。」と言って快諾してくれた。橋本はうまくいったとほくそ笑んだが、その日の夜の塾の迎えは忘れなかった。
2人の票を確保したことで塚田学長の当選は、離反者さえなければほぼ確定した。橋本は当選を確実にするために他の教授たちへの挨拶も手土産を持参して念押しをして置いた。
2月の教授会の日、いよいよ学長選挙が行われた。投票は23人の教授が物静かに着々と済ませていく。開票は事務局の職員が複数でわずか5分で終了した。事務局長から発表があった。
「それでは投票結果を発表します。塚田教授11票、島田教授12票。よって教授会として島田教授を次期学長に推挙することに決まりました。」
その瞬間、塚田教授は苦虫をかんでしまったような表情をして、塚田陣営だと信じていた教授たちを睨みつけて、裏切り者を探した。教授会の決定はそのまま来週の理事会に提案され、承認を受けて正式決定Rとなる。離反したのが誰なのかはすぐには分からないまま、教授会は終了した。
学長室に戻った塚田を待っていたのは橋本だった。橋本は結果を聞いて祝福するために部屋に来ていたのだ。しかし部屋に帰ってきた塚田の顔色を見て結果がすぐに分かった。
「先生、裏切ったのは誰なんですか。こんなはずでは。」と言って少し涙ぐんだ。塚田は
「これで君の教授就任も難しくなった。僕も退官するするかどこかほかの大学に天下りするかだ。我々は負けたんだよ。日本画科の教授には佐多君が選ばれるだろう。君も佐多君の元で働けるならそれでいいけど、ほかに移るならどこかに声をかけるよ。」と慰めてくれた。橋本は
「僕はこの大学に残ります。佐多先生とは年が近いので佐多先生の後には教授職はないかもしれませんが、画家としての修練を積み上げるにはこの大学に残りたいです。」と返事をした。
教授会の選挙結果は佐多准教授の元にもすぐに耳に入った。下馬評と違った結果になったことについて疑問を持っていと、佐多の携帯電話が鳴った。准教授仲間の寺田だった。
「もしもし、佐多ですけど。どうした寺田君」と話しかけると
「教授会の結果を聞いたかい。美術学部から連続して学長を出せると思っていたけど、塚田先生が負けてしまっただろ。誰が寝返ったと思いますか?どうもうちの牛島教授じゃないかと思うんだ。君の所の橋本君が塚田先生の選挙運動の先頭に立っていて、牛島教授とぼくが銀座の高級店で接待を受けたんだ。そりゃ楽しかったよ。でも次の日に牛島さんが塚田先生は2期連続で学長をするのは許せないって言ってたんだ。自分の方が年上なのに学長に推挙されることがないままに退官を迎えそうだから、嫉妬したのさ。票が拮抗していたから牛島先生の一票で結果が変わってしまったのかな。」とひそひそ声で伝えてきた。橋本はいまさらそんなことを聞かされてもどうしようもないので、平然として
「そうだったの。でも他にも離反者がいて期待していなかった人が同調してくれて、結果的に一票差だったのかもしれないよ。僕はこの大学をやめたりはしないけど、塚田先生は退官するだろうね。」と伝えた。寺田は
「塚田先生にはよろしく伝えてくれよ。銀座で先生のカードにすごくお世話になったからね。」とあの日のことを忘れてないことを追い打ちしてきた。
後日の理事会で島田教授が正式に学長として認められた。就任は4月1日ということで、塚田教授の任期は3月いっぱいという事になった。塚田教授は文部科学省の斡旋で武蔵野美術大学の教授として移籍することが決まったが、本人は日本美術院での日本画作家としての活動に力を入れていくことにしたようだ。空席になった日本画科の教授の椅子には大方の予想通り佐多准教授がスライドした形になった。増上寺の天井画での活躍が認められた形になった。