2、歴史的大作とは
塚田教授は東京芸術大学の授業で歴史的芸術作品の話をする。時代に求められ教科書に掲載されるような作品を製作することで、大作家への道が開かれる。そんな授業に学生たちは聞き耳を立てている。
塚田雄二は東京芸術大学の美術学部日本画科教授で日本画界の重鎮である。すでに日展理事であり、平山郁夫の後継者としてこれからの日本画界をリードしていく存在である。石川県立美術館だけでなく日本中の多くの美術館で名誉館長に就任している。そのため多くの美術館に出張して講演やギャラリートークを依頼されることが多い。
塚田は芸大での美術史の授業も受け持っており、彼のこの授業は評判が高く、一流の芸術家になりたいという野望を持った学生たちに、大きな希望を持たせると言われていた。
「偉大な芸術家として歴史に名を遺す作家とそうでない作家の違いは何だと思いますか。」と塚田が問いかけると最前列で受講している学生が手を上げて
「やはり確かな技術に裏付けされた緻密な作品作りだと思います。」と答えた。またその後方に座った学生は
「運の要素が大きいと思います。何らかのチャンスに恵まれ、運よく世の中に見いだされた作家は、その活躍と評価されるステージを手にします。しかしほとんどの作家は無名のまま、作品作りに没頭しますが、そのまま死んでいって、作品も埋もれて行ってしまうのではないでしょうか。」と答えた。芸術大学には才能ある画家の卵たちや、すでに画家として活躍している者たちが大勢いるので、すでに夢を諦めざる負えない学生も中にいる事も仕方がない事実だ。しかし塚田は
「どちらの意見も正しいと思うよ。ただ一番大切なことは時代の要望に応えるような題材を選んで書くことじゃないかと考えています。どの時代もテクニックで言えば同じような技量を持った芸術家は何人もいたでしょう。しかし何を作るか。時代の要請にこたえるような作品を作ったかどうか。美術史の中でどう評価されるかということが芸術家の価値を決めます。」と説明した。すると後方に座っていた男子学生が
「具体的にどんな人をさすんですか。」と疑問を投げかけた。すると塚田は
「そうだね、この大学の学長だった平山郁夫先生を例に挙げてみよう。平山先生は若いころからその才能が認められ准教授、教授と昇進し、美術学部長から最後には学長まで昇りつめたが、その名が世界中に広まっていったのはどうしてかな。それはライフワークとしてシルクロードの風景を描いて公表したことだろう。丁度日本と中国の間で日中平和友好条約が締結され、両国の相互交流が活発化した時代に、日本の天平文化に大きな影響を与えたシルクロードを旅した平山郁夫一行はその美しい風景と仏教美術に魅了された。そしてそれから何回も中国を訪れ、シルクロードを題材にした作品を多く発表する。この一連の作品が平山郁夫先生のライフワークとなったんですが、彼は少年時代に広島で被爆体験があります。東京芸術大学在籍中、原爆症に悩み一時は死ぬことを覚悟している。しかしそこから仏教に題材を求め、『仏教伝来』や『入涅槃幻想』などを描いています。おりから国交回復以来中国ブームが吹き荒れ、残留孤児の帰還活動も盛り上がった時期とも重なり、平山郁夫先生は日本画壇を代表する画家になっていくんです。ただ、芸大の日本画科の卒業制作では主席ではなく次席だったそうです。主席は同級生で後に奥さんになった平山美知子さんだったということです。テクニックでは奥様の方が上だったという事でしょうか。この奥様も平山先生のアトリエで作業をお手伝いされています。」と言う説明をした。
学生たちは塚田教授の説明に納得の表情を見せていた。
塚田教授の話はさらに続いた。
「歴史的のどう評価されるかはその作品の歴史的価値に関係する。たとえば時代を代表するような建造物の中に納められた作品などです。東大寺南大門の金剛力士像、運慶と快慶の作品と言われていますが、正式には運慶や快慶が組織した仏師の徒弟集団の合作です。奈良時代に作られた東大寺はほとんどが火災で焼けた経緯があるが、現存するもっとも古い建物が南大門で、鎌倉時代の作です。再建された南大門に左右から参拝者を見下ろすように構える力士像を作成するにあたり、権力者たちは誰に制作を依頼するか考えたが、当代一の名工と名の知れた運慶快慶の工房に依頼することになったのでしょう。でもこの時代でも他の仏師の工房はあったと思われます。では東大寺南大門にこの力士像を残せるチャンスに恵まれたのは周りからの評価が高かったという証でしょう。しかしそのことで700年以上たっても多くの観光客に見てもらい、歴史教科書のほとんどに写真と名前が掲載されているわけです。
西洋の世界で言えばミケランジェロの「最後の審判」も同じことが言えるでしょう。ローマ教会が免罪符を販売してまで資金を調達して、バチカンに大寺院を作った時、中心的な建物としてシスティーナ礼拝堂を作り、その天井画を描かせるときに、他にも何人も有名な画家がいたけれで、なぜミケランジェロが選ばれたのか。選ばれたことでミケランジェロの評価はその時代だけでなく、現代までその名をとどろかせることになった。
他にも時代を代表する建造物の中に作品を残したのは、狩野永徳もレオナルドダビンチも東山魁夷も、そして平山郁夫先生もその中の一人と言えるでしょう。みなさんも自らの実力を侮ることはありません。みなさん素晴らしい力を持ち合わせています。そこにあと少しの運と時代の必要性を読む力があれば、後世に名を遺す芸術家になれるかもしれません。夢を信じてくっださい。」と言って締めくくった。
時代が求める歴史的な作品作りはどんな作品になるのか。