1、買い占め
東京芸術大学教授の塚田は日本画壇で大きな存在だが、歴史的に名を遺す芸術家として名御残す存在を目指していた。数々の絵を描いてきたが、その存在意義が問われる作品に取り掛かる。
石川県立美術館は兼六園近くの広坂の上り口にある。加賀百万石の歴史を育んだ伝統的な文化の殿堂である。通りを挟んだ向かい側には金沢21世紀美術館もあり、歴史的な芸術も大切にしているが、現代アートも大切にしている石川県や金沢市の意気込みが見受けられる。
今日の石川県立美術館は日展石川展の開幕日で、知事をはじめとする関係者が整列して、年に一度の日展の開幕をお祝いしている。石川県立美術館にとって日展は1年で最も多くの来館者を集める人気企画である。
日展そのものは日本美術界で最大の展覧会であり、新人作家たちにとっては世の中に認められる最大のチャンスだ。出展された作品は評価され、最高賞は内閣総理大臣賞や文部科学大臣賞が与えられる。そのほかにも特選や入選があり、若手は入選を何年も繰り返して特選へとランクアップしていく。毎年11月から、東京六本木の新国立博物館で開催され、多くの来館者を集める。東京での展覧会が終わると通年で地方の美術館を2つに分かれて開催されていく。地方の美術愛好家はこの展覧会を首を長くして待っているのだ。
石川県立美術館で今日から日展が開催されるにあたり、一般の参観者が入場する前にオープニングセレモニーが開かれようとしていた。正面から入場した広場に関係者用の椅子が用意され、招待された県会議員や県庁、マスコミ関係者がスーツ姿で座席表通りに座っている。主催者側には石川県の早川知事や西本教育長が座っている。来賓席には石山県議会議長や鎌田衆議院議員も座っている。
司会の石川テレビのアナウンサーの進行で早川知事が紹介され、あいさつに立った。早川知事は元プロ野球選手で衆議院議員から鞍替えして県知事になった逸材だ。官僚上がりの真面目な知事とは違い、ユーモアあふれるスポーツマンである。挨拶もウィットに富み聴衆の笑いも誘いながらの和やかな挨拶だった。その後は来賓の紹介があり、テープカットには早川知事と石山県議会議長、そして名誉館長の東京芸術大学美術学部日本画科の教授、塚田健二が立った。
その様子を見ている観客の中に、ひと際場違いな男が一人座っていた。松山中学校校長の杉下栄吉だった。ほとんどの招待客が政界の関係者か、この展覧会を後援している企業の役員ばかりだったのだが、杉下は県教育委員会からまわってきたギャラリートークへの参加者募集に応募して、入場してきた唯一の学校関係者だった。杉下本人も美術科の教員が何人か来ていると思って応募したが、会場の学校関係者が自分一人だったことに驚いて、椅子に座っていても背筋が寒い思いをしていた。
テープカットが終わり招待客が立ち上がると杉下もみんなについて歩き始めた。すると壁際に見たことのあるスーツ姿の男性が2人話している。杉下は誰だったかをフル回転で思い出した。
「あれ、林君と澤田君じゃないか。仕事で来てるのかい。」と話しかけた。2人で話していた林と澤田は杉下の顔を見て驚いていたが、挨拶を返してきた。林誠は石川県庁の文化課の職員で澤田信二は北日本新聞の事業部の職員である。実は2人とも杉下と同じ石川県野々市町の寺本という集落の住民である。今は野々市市になっているが金沢市の隣の都市化が進んでいる地域だが、つい最近まで野々市町で田舎の様相を残していた農村地域である。村の行事ではいつも顔を合わせていた間柄だ。
杉下は2人の顔を見ながら
「知事が出席するような大きな会場で寺本の人間が3人も揃うなんて珍しいな。」と話しかけると林は
「僕は課長のお付きですから。」と影を消そうとしている。澤田も
「僕も部長のお供です。先生はどうしたんですか。」と言うので杉下は
「ギャラリートークに応募しただけさ。招待されたわけじゃないよ。」と小声で話した。
人の波にのまれながら展覧会場に入っていくと、名誉館長の塚田健二がマイクを持って説明を始めた。塚田教授は専門が日本画なので、日本画の会場を舞台にギャラリートークをするという事で、美術愛好家が何名か集まってきていたのだ。日展と言う展覧会の組織について、審査されている作品の良い点、そして今回の日展石川展で評判となっている作品について詳しく話してくれていた。
第1展示室で一番奥の目立つ場所に掲げられた作品の前で一団が止まった。遅塚教授は
「この作品は稲村直明くんが描いた作品で『地球温暖化』というタイトルの絵で、夏の異常高温で通学途中の小学生の女の子が熱中症になって意識が朦朧としている様子を描いているようです。時代的にタイムリーな話題を描き、多くの審査委員から共感を得たようです。本年度の大賞を受賞した作品です。彼はこれまでもメッセージ性の高い作品を描き続け入選を続けてきて、いよいよ対象の受賞となったわけです。ただ時代に合ったメッセージ性と言うのは数年たつと過去のものになり、芸術的な普遍性という面ではやや弱いかもしれません。」と言って次の作品へと向かって行った。杉下は塚田教授の話を聞いて、大賞受賞した稲村さんのことを褒めてはいるが、まだ若すぎると上から目線で批評しているように感じた。
第1会場から第2会場に移るとひときわ大きな青い印象の絵の前で塚田館長が立ち止まった。
「この作品は私の作品です。早朝の森の中の池に朝日が差し込む様子を青い絵の具で表現しました。この青い色をどんな色にするかを苦労しました。実はこの色を出すのに天涯堂さんの協力でアフガニスタンでしか採掘されないラピスラズリと言う顔料を手配しました。古代よりヨーロッパでは金と同じような値段で取引されてきたものです。ちなみに日本では藍銅鉱、アズライトと呼ばれる石を使って青を表現してきました。今回用意したラピスラズリは群青色と呼ばれる色で、フェルメールの絵の中のフェルメールブルーと呼ばれる色もこの顔料を使っています。日本の青とはどうしても深みが違うんです、ただ、この色を出せるのは日本では僕だけなんです。なぜかと言うと天涯堂が輸入したこのラピスラズリを私が買い占めてしまったからです。他の人は買いたくても買えないと思います。」と言うと会場は大きな笑い声が上がった。笑い声は広がったが杉下は林君や澤田君の方を見て、渋い顔をして不快に思っていることを示した。杉下は心の中で
『買い占めるために使われた資金は芸大の教授としての研究費が使われているんだろうな。自己資金で買うべきだろ。』と考えていた。
そのまましばらく歩いているとまた塚田教授が
「この作品は私の大学で准教授をしている佐多芳正君の作品です。佐多君本人から制作の意図や苦労などを話してもらいましょう。」と言うと解説を聞いていた一般観客の一人だと思っていた若者が塚田教授に近づき、マイクを受け取って話し始めた。
「塚田先生の元で勉強させていただいている佐多芳正です。東京芸術大学で准教授をさせていただいております。この作品は日本海の港町で漁船が荒海のために出航できず、港に停泊している様子を描きました。船も人も海に出たいけど出られないもどかしさを、灰色の空や船の色、漁師の顔色などで表現しました。、荒れる海ももっと恐ろしさを黒っぽい青で表現したかったんですが、良い色が出せませんでした。塚田教授のようにもっと高価な顔料を買えれば良かったのですが、残念です。」と塚田教授のユーモアに合わせて観客の更なる笑いを集めた。
杉下は佐多の話もあまり好感は持てなかった。確かに絵を描く技量は専門家同士なので大差はないかもしれない。どんなテーマで描くかと言う着想が絵の価値を変えることは間違いないが、使う顔料で違いが出る、しかもその高価な物が希少価値で絵の価値を上げるとなると、お金持ちの絵描きの方が有利になる。資本力がモノを言う経済界と同じような図式になってしまう事は何か残念でならなかった。ギャラリートークは約30分続いて終了した。最後の作品の解説を聞いて、塚田教授が終了を告げると貴重な話を聞けた聴衆は一斉に拍手をして塚田に対する感謝の意を示した。塚田は名誉館長として招かれた名誉に答えることが出来た満足感から満面の笑みで答えていた。
ギャラリートークを終えた塚田はこのあとどんな作品作りに挑むのか。