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『いとしきいのち』

作者: 小川敦人

『いとしきいのち』


私の体の中に、死が住み始めた日。

診察室の窓から差し込む午後の光は、妙に明るすぎた。

机の上の診断書には、残酷なまでに明確な数字が並んでいる。

余命三ヶ月。その文字列が、水面に落ちた墨のように、ゆっくりと私の意識の中に滲んでいった。

「もう少し早く見つかっていれば…」

主治医の言葉が、遠くから聞こえてくるような気がした。

まるで、他人事の様に、私は黙ってうなずいて答えた。

「そうですね」

仕事に追われる日々の中で無視した体の声に、もっと耳を傾けていれば…。

でも今は、そんな後悔を考えている場合じゃない。

診察室を出て、病院の長い廊下を歩く。両側の壁には、「7月12日は、人間ドックの日」と人を型どったキャラクターに虫眼鏡が検査をしているポスターが張られている。

そして、「行こうぜ、検診」のポスターには『日本人は、生涯で二人に一人ががんになると言われています。早期発見のために定期的な受診を!』

とポスターの下の方に書かれていた。

桜の花びらが舞う春の公園のあたたかく、やわらかい日差しでウトウトしたい。

きっと、桜の花びらが舞う風景は、来年も再来年も、その先もずっとまだそこにある。でも、私はもうそこにいない。

いまは、まだつぼみすらほころんでいない桜の木前で立ち止まると、不思議な感覚に襲われた。


携帯電話が鳴る。画面には「編集部 田中」の文字。来月の写真特集の締め切りだ。

「人々の日常に寄り添う光」というテーマで、都市の片隅で生きる人々の姿を追いかけていた企画。

電話に出る手が、少し震えている。

「もしもし、河野です」

「あ、河野さん。例の特集の進捗確認なんですが」

「ええ、あと数カットで…」

言葉が途切れる。残された時間で、私は何を写せるだろう。何を写すべきだろう。

「河野さん?」

「すみません。少し考え直したいことがあって」

電話を切った後、私は近くのベンチに座り込んだ。診断書が入った封筒を開け、もう一度その文字を確認する。

余命三ヶ月。その時間の中で、私は何を残せるだろう。

ふと、カメラバッグの中のニコンF3の感触が気になった。二十歳の時に、初めて買ったカメラ。

以来、十五年間、私の目となり、心となって、世界を切り取ってきた大切なパートナー。

「そうだ」

私は立ち上がった。残された時間で、最後の作品を作ろう。

でも今度は、外の世界ではなく、私の中の世界を写そう。この「からだ」が感じる痛みも、喜びも、すべてを。

この「いのち」が刻む時間のすべてを。

不思議と心が落ち着いていた。

西日に照らされた街並みが、いつもより鮮やかに見える。風が頬を撫でていく。

その感触が、今までにないほど愛おしく感じられた。

明日から、新しい撮影が始まる。被写体は、この命をたくさんの思い出で満たしてくれた、私自身の体だ。


余命三ヶ月。

それは不意に訪れた終着駅のような響きを持って、私の意識にじわじわと染み込んでいった。

病院の診察室で告げられた言葉を反芻しながら、私はカメラを手に街へと繰り出した。

夕日が海を染める瞬間、壮大な山々の稜線、季節を彩る桜の並木道――かつて私は、そんな美しい風景を好んで撮っていた。

だが、今の私はレンズを向ける気になれない。

足は自然と路地裏へと向かっていた。

塀に囲まれた古びた小学校の校舎、遊具の色が剥げた公園、時代を感じさせる木造アパートの玄関先。

そんな何の変哲もない景色に、なぜか心が惹かれる。

「どうして?」

問いかけながらも、答えは見つからない。

シャッターを切るたびに、胸の奥がじんわりと熱を持つ。被写体となった風景には、特別な意味があるわけではない。

それでも、私は今、この景色を記録しておかなければならないという衝動に駆られていた。

ある日、小学校の校門前でカメラを構えていると、子どもたちの笑い声が耳に入った。

ランドセルを背負った彼らが、友達とふざけ合いながら帰っていく。その後ろ姿に、ふと幼い頃の自分を重ねた。

あの頃、私は何を思い、何を見つめていたのだろう。

幼いころ、家の裏にある小さな公園で走り回った幼いころの思い出…「はしこい」女の子だった。

シャッターを切る。

気づけば、私のアルバムは、そうした何気ない日常の一コマで埋め尽くされていた。

賑わいの少ない公園、昼下がりの商店街、雨上がりの歩道。どれも見慣れた風景であり、かつては気にも留めなかったものだ。

しかし、今は違う。

私はそれらが愛おしい。

その理由を考えてみる。思い浮かぶのは、これまでの人生の断片だ。

家の近くの公園で父とキャッチボールをしたこと。

通学路の途中にあった古い駄菓子屋で、友人と駄弁ったこと。

夕暮れ時、母と手をつないで歩いた道。

どれも特別なものではない。ただ、私の人生の中で、確かに存在していた場所。

それらを今、もう一度写真に収めている。

美しい風景ではなく、普通の景色を。

それは、私がこの世界に生きていた証を残したいからかもしれない。

壮大な景色は、人々の記憶に残る。しかし、路地裏や古びた校舎は、誰も気に留めない。

だが、そこには私が生きた時間が確かに刻まれている。

誰かの記憶に残らなくてもいい。

私の目が、私の心が、確かに感じた風景。

シャッターを切る。

私がいなくなった後も、この景色は変わらずそこにあるのだろうか。

答えはわからない。

それでも、私は今日もシャッターを切る。

残された時間の中で、ただ、ありふれた風景を写し続ける。

写真を撮り続けるうちに、私は一つの真実に気づいた。

人生の大半を、私は「特別なもの」を追いかけることに費やしていた。

壮大な景色、歴史的な瞬間、人々のドラマティックな表情。それらを切り取ることこそが写真家の使命だと信じて疑わなかった。

しかし、今の私は違う。

シャッターを切るのは、誰もが見過ごすような何気ない風景ばかりだった。コンビニの前で缶コーヒーを片手に談笑する学生たち。

ベンチで日向ぼっこをする老人。信号待ちの間に子供の手を握り直す母親の仕草。

どれもごくありふれた光景。でも、その一瞬があまりにも愛おしく、たまらなく切ない。

私は、今までの人生でどれほどのものを見落としてきたのだろう。

家に戻ると、机の上の診断書をそっと撫でた。

「余命三ヶ月」

その言葉はもはや恐怖ではなかった。むしろ、それがあるからこそ、今を生きることの意味が深まったように思えた。

カメラを手に、私は最後の撮影を決めた。

翌朝、まだ陽が昇る前に家を出た。目指すのは、幼い頃に父と訪れた川沿いの道。あの頃、父と歩いた土手は今も変わらずそこにあるのだろうか。

朝靄が立ち込める中、私は歩いた。

思い出の道を進むと、昔と変わらない風景が広がっていた。静かな川面に映る空、風に揺れる草むら。

そして、遠くから聞こえる小鳥のさえずり。

シャッターを切る。

「お前は、写真を撮るのが好きなんだな」

幼い頃、父がそう言って微笑んだ日のことを思い出した。

「特別なものじゃなくてもいい。お前が見つけた世界を、大切に撮ればいいんだよ」

その言葉の意味を、ようやく理解した気がする。

特別な景色など、必要ない。大切なのは、ありふれた日常の中に息づく“瞬間”なのだ。

私はカメラを胸に抱え、空を見上げた。

陽が昇る。

その光が、暖かく私の全身を包み込んだ。

私は生きている。

今日という日が、人生で最も美しい一日になると、そう確信した。


写真を現像している暗室で、私は思わず立ち止まった。

赤い安全光の中、水盤に浮かぶ写真が、少しずつその姿を現していく。

それは、病院の廊下で撮った一枚。

夕暮れの光が差し込む窓辺で、点滴を受けながら外を見つめる少女の後ろ姿。

私は彼女に声をかけることはできなかったが、シャッターだけは切らずにはいられなかった。

「絶体絶命」

その言葉が、暗室の闇の中で、不思議な響きを持って蘇ってきた。

ふと、その言葉を口の中でゆっくりと噛みしめてみる。

「いと、しき、体」

「いと、しき、命」

これは「絶望」を表す言葉ではなかったのだ。

むしろ、この体の、この命の、かけがえのなさを教えてくれる言葉だったのだ。

私は暗室の壁に貼った他の写真たちを見つめた。

どの一枚にも、確かな命が宿っている。

通り過ぎる人々の表情、立ち止まる瞬間、微笑む刹那。

これらの写真は、私の「絶体絶命」への答えなのかもしれない。

たとえ余命わずかでも、この体で感じ、この命で捉えた瞬間は、永遠に消えることはない。

暗室を出ると、夜明けの光が窓から差し込んでいた。

新しいフィルムをカメラに装填しながら、私は微笑んだ。

今日もまた、いとしき体と、いとしき命を携えて、世界は私に新しい物語を見せてくれるだろう。

それは私への最後の贈り物であり、

同時に、私から世界への感謝の言葉になるのかもしれない。


次の日、写真を現像している暗室の中で私はゆっくりと息を吐いた。

水盤の中で、ぼんやりと浮かび上がる最後の写真に目を凝らす。

それは、春の公園でそよ風に舞う桜の花びらを捉えた一枚だった。

かつて私は、何気ない景色に心を奪われることなどなかった。

壮大な風景や、人々のドラマティックな瞬間を求めてシャッターを切り続けてきた。

けれど、いま目の前にある写真は、ただの桜ではない。

それは、私がこの世界にいた証であり、この命が確かに愛した光景だった。

桜の木の下には、若い母親と小さな子ども。

手をつなぎながら歩く姿を、私はただ遠くから見守っていた。

それは、幼いころの私と母の面影と重なり、思わず涙がこぼれそうになった。

私はカメラを置き、そっと写真を撫でた。

「ありがとう」と、心の中で呟く。

この体と、この命が最後に見せてくれた景色が、こんなにも美しいものだったことに、ただ感謝したかった。

窓の外、夜明けの光が静かに差し込み始めている。

新しい朝。世界は今日もまた、変わらずに続いていく。

私は立ち上がり、最後のフィルムをカメラに装填した。

「もう少しだけ、撮らせてくれる?」

そう呟いて、私は歩き出した。

この体が感じる風の匂いも、指先に触れるシャッターの感触も、

すべてが、いとしい。

『いとしきからだ、いとしきいのち』

この命がある限り、私は見つめ続ける。

この世界の愛おしい瞬間を。

世界が、私をまだ受け入れてくれている。

それだけで、涙があふれた。



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