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ソルティメルヘン短編集〜めでたし、めでたし〜  作者: 地野千塩


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一寸法師の姉

 うちの弟、なんか変だった。


「ねえ、なんで漢字が読めないの? じっと椅子に座ってられないのもなんで? そもそもなんでそんなに小さいの?」


 弟に聞いても、答えない。キョトンとしていた。本人でさえ、その特性に戸惑っているようだった。


「何を言ってるのよ。この子は天才なの。ギフテッドなの。一寸法師よ。あなたは、黙っていて」


 母はそういう。まるで自分に言い聞かせているみたいに「ギフテッド」「天才」「一寸法師」と繰り返していたが、弟の特性、次第に悪くなっていく。学校の先生もお手上げという感じで、母は弟につきっきりでホームスクールもしていた。弟は数学だけは得意だったから、どうやらその道に進めたかったらしい。


「数学の家庭教師の先生。こんにちは。弟がお世話になっています」


 道で弟の先生に会った。常にくたびれたスーツを着込み、実年齢より老けてみえる。普段は大学で先生をしているらしいが、色々とあるらしい。論文や研究結果を盗用されたりしたという噂もある。出世もできず非常勤だった。


「弟さん、病院に連れていったほうがいいよ。お姉さんもそう思うだろう?」


 さすが頭のいい先生だ。弟の数学の才能、全く世の中に需要がないことも見抜いていたし、特性が足を引っ張る現実も知ってた。それに母が現実逃避をしていることも。とても言いにくそうだったが、弟の将来のためだと指摘してくれた。いい人だ。


 おそらく母は聞く耳を持たない。中学生の姉の方がまだ聞いてくれると思ったらしい。この先生、よくわかってる。


「そうですね。でも、今更母を説得するのもなぁ。弟も中途半端に病院とか福祉に頼っても、しんどくなりそうで。知ってます? 福祉に頼って高校とか出ても、ろくな雇用先がないみたい。多くは作業所で福祉漬けですよ。ええ、自力で生活できないレベルの給料です。その福祉を受けるのだって才能と知恵が必要です。怠けていない。努力もしている。それでも社会に居場所がない人っているんですよ」


 数学の先生、福祉に夢を見ていたらしい。私の言葉に黙ってしまった。頭いい人でも知らないことはあるらしい。


「だったら、自称ギフテッドで好きなことするのも、一つの案かなって思うんです。どうせあの子が福祉に頼ったところで、そういう才能もないですし、普通には生きられないでしょう。子供の頃ぐらいは夢見てもいい気もする」


 数学の先生、黙ってしまった。


 そして、案の定、弟は社会適応できず、順調に引きこもりニートの道を歩み、母とも衝突していた。弟は医療や福祉に救いを求めてるが、母は真っ向から反対。父は無関心。私もこんな家庭に居場所はなく、大学進学とともに逃げた。


 大学の時に知り合った年上の彼氏と結婚し、あっというまに子供もできた。これで実家から逃げられる。もちろん、彼や子供も愛していたけれど。


「もう家に帰ってきてよ。一寸法師もいなくなって、家が空の巣よ。虚しくて仕方ない」


 時々、母から電話がきたが、育児を理由に断った。正直、いつまでも現実逃避し、いまだに子育ての失敗を認められていない母にため息しか出ない。


「ママ! ママ!」


 ちょうど母からの電話を切った時だった。私の息子が癇癪を起こしていた。


「なあに、どうしたの?」


 息子をあやすが、悪い予感しかしない。そういえばこの子、言葉も少し遅かった。落ち着きもない。感情が抑えきれないことも多い。友達ともよく喧嘩していた。それに身体もとても小さい。


 冷や汗が出てきた。この様子、デジャブ。あの弟とよく似てる気がする。


 もちろん、すぐ病院に連れていった。診断名もついた。私も夫もショックだったけれど、受け入れるしかない。いや、受け入れるべきだ。母のようにギフテッドや天才だの才能という言葉に逃げたら、息子は絶対に不幸になってしまうから。


 おかげで、早期から医療や福祉に繋がれた息子は、幸せそうだ。身の丈にあった教育でコミュニケーションや協調性を身につけ、お友達との衝突も減ってきた。


「大丈夫。あなたはどんなに小さく、醜い一寸法師だと世間が笑っても、私とパパにとっては大切な子供だからね」


 例え、息子が外で失敗したとしても、そう言って抱きしめた。完全に母を反面教師にしてる。ある意味、母には感謝している。ありがたい。


 そんなある日、近所の書店へ行った。店頭には育児本がずらりと並ぶ。弟や息子のような子供をギフテッドで天才、才能があるという主張の本が多かった。ベトベトの甘い飴玉みたいな本だ。見た目は綺麗でも、全く栄養はない。むしろ毒になるかもしれない。母のように。


「ま、こういう本は必要ないね。レシピ本でも買おうかな」


 私は育児本を無視した。

 

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