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ソルティメルヘン短編集〜めでたし、めでたし〜  作者: 地野千塩


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一寸法師の友

 結局、何者にもなれなかった。


「佐野さん、今日は新しい子が来るからお世話をしてね」

「え?」


 福祉士から頼まれた。ここはとある福祉作業所。社会で生きづらい人達が時給百円で農作業やお菓子作りをしていた。


 私もそう。若い頃はミュージシャンを目指し、かなりいい線までいったけれど、競争が激しいレッドオーシャン世界。結局、夢破れ、その後に就職した会社がブラック企業で重度のうつ病を発症してしまい、今にいたる。現在の音楽活動も教会で讃美歌演奏するボランティアしかやれていない。ちなみにミュージシャン活動に熱中していたため、婚期を逃し、独身子なし。五十代の何者でもない女。


 とはいえ、この作業所では比較的軽度なので、自然とリーダーのような立場を押し付けられ、今日も新人くんのお世話中。


「このサツマイモはこっちのビニールに詰めて。シールはこれで止めてね」


 新人くんに仕事を丁寧に教える。といっても、彼、身体が小さく、不器用で、空気も読めない。根気よく、一から十まで説明し、どうにか仕事を終える。半日以上かかってようやくサツマイモを袋に詰められた。いかにも時給百円の仕事という感じ。


「すごい、丁寧に仕事できたね」

「そうですか。僕は褒められても嬉しくないね」


 どうも新人くん、毒親育ちらしく、過保護の結果、社会適応能力を失っていたらしい。「一寸法師」と呼ばれ、ギフテッドだ、天才だと褒められていたという。そのせいか私が褒めても何か不満そう。唇を尖らせ、目を伏せていた。


 そんな日々が続いた。新人くん、数学の才能はあったらしい。こんな作業所に来ているぐらいだから、お察しだが、才能は全く役に立たなかったと、時々泣いていた。


「世間は残酷ですよ。お金になる能力しか認めないから……」


 玉ねぎを袋に詰めながら、新人くんの涙が止まらない時があった。玉ねぎ、皮付きのまま。剥いていないはずなんだけどなぁ。


「そっか。でも何者にもなれない人が大多数だよ。私も、あなたも」

「う、うん……」


 そんな新人くんだったが、同じように夢破れて挫折した私にだけは、心を開いているようだった。というか懐いていた。他の福祉士や利用者には警戒していたが、仕事中、円周率を延々と語り、胸をはっていた。


「こんな円周率言えるから。僕ってすごいでしょ?」


 どう褒めていいかわからない。褒めたら、かえって新人くんを傷つけそうで、私は薄く笑うだけ。


 その日、帰り道。作業所で売られている野菜が捨てられているのを見かけた。サツマイモは雑に積み上げられ、玉ねぎは踏みつけられてぐしゃぐしゃだ。確かこの野菜、近所の学校や会社に半ば強制的に売りつけていたらしいが、誰も食べたくないのかもしれない。近所の人達、表面ではニコニコと笑顔で接していたが、本音では救いがない。


「まあ、実際、うちで作ってる野菜、別においしくもないしな。クッキーやケーキもパティシエのおいしいのに勝てるわけないし」


 ゴミステーションの野菜を見つめながら、呟いた時だ。新人くんが追ってきた。


「佐野さん、何みてるの?」

「あ、君も帰り? みてよ、うちの野菜が捨てられてる」

「は!? 何で? 嘘……」


 新人くん、また泣いてた。野菜が捨てられてショックだったらしい。


「そうだよ。世間のうちらへの本音なんてそんなもんだよ」

「あぁ、酷い。僕はギフテッドとして現実を見せられてこなかった。もっと早くにこういう現実を知りたかった!」


 新人くんの涙は止まらない。まるで土砂降りの雨だった。


「僕も何者かになれなかった。せめて普通になりたかった。そんな打ち出の小槌がほしい……」


 残念ながら、そんなものはないし、新人くんの前には姫も現れない。同じように何者になれなかった中年女がいるだけだ。


「ええ。わかるよ、わかるから……」


 新人くんの涙は綺麗。青臭く、社会への幻想はまだ残っているのかもしれない。私がとっくに失ったもの。夢破れた時に置いてきたものだ。


「ええ、わかる。わかるよ、君の気持ちは……」


 肩をさすり、宥めるだけで精一杯だ。できることはそれぐらい。新人くんを救えないが、隣にいることだけはできるみたい。

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