一寸法師の母
私が産んだ息子、なんか変。身体はずっと小さい。一寸しかない。落ち着きがない。漢字の読み書きができない。好き嫌いが激しい。空気も読めない。
「おたくの息子さん、ちょっと変わっていてね」
今日も息子の担任から呼び出された。中年の男だったが、昔、私をいじめた男子とそっくり。なるほど。学校の先生、元いじめっ子も多いのだろう。学校にポジティブな印象を持ち、挙句教師になろうとするような男。確かにいじめっ子体質の男が多いかもしれない。もちろん、心から子供が好きな人格者もいるだろうが、残念ながら、息子の担任はそうじゃない。
「本当に困っていますよ。まるで協調性がない。たぶん、何か障害を持っています。病院に行くことをオススメします」
「は? うちの子が障害者だって言うんですか!」
思わず怒鳴ってしまった。担任の男、本当にいじめっ子そっくりで、憤る。息子を障害者扱いとは。許せない。
「うちの子は才能があるんです。ちょっと変わっているだけ」
なぜか担任の男が、生温い顔をしていた。何か言いたげな下唇。病人でも見ているような目。ますます憤る。
「失礼します」
これ以上、この男と面談しても無駄だ。さっさと帰ることにした。
スーパーにも寄らないと。夕飯の買い物もしないと。あと、夫の靴下も買わないと。靴下に穴が空いていたから。
日常的なことを考えていると、どうにか落ち着いてきたが、ふとスーパーの二階にある書店に目がつく。
本当は衣料品コーナーで靴下を買う予定だったが、本屋で一番目立つところに育児本が積んであった。
「ギフテット? ってなに?」
その本の中に息子と似たような特性の子が、絵画、小説、陶芸、起業、発明の世界で活躍しているエピソードがまとめられていた。息子のように小さな子も「一寸法師」と呼ばれ、数学の世界で才能を発揮しているケースも載っていた。
もしかして、息子もギフテットというやつだろうか。確かに息子は算数だけは得意だ。円周率も余裕で暗記できる。そうだ、息子はギフテット。天才的な一寸法師。決して障害者じゃない。
「あなたは一寸法師よ。本当に天才なの。ギフテッドだから」
その日から息子を一寸法師と呼ぶことにした。ギフテット、天才、才能という言葉で褒め続けた。実際、育児本にもそう書いてあった。叱らないで褒める。子供の自己肯定感を上げることがとにかく大事。
案の定、息子は学校に馴染めず、登校拒否にもなったけれど、ホームスクールでサポートし、好きな算数だけをやらせた。
「そうよ、あなたは天才。かっこいい一寸法師よ」
しかし、息子の特性は中学生になる年齢でも治らず、むしろ悪化していた。数学の家庭教師の先生にも癇癪をおこす。少しでも注意や指摘をされると、暴れて手がつけられない。
「お母さん! あなたは一体どういう教育をしているんです?」
数学の家庭教師の先生に怒鳴られた。
「それにね、こんな問題解けたって、何もなりはしませんよ。私がいうのもなんですが、こういう学問で食っていくのは難しい。私も大学で非常勤です。ずっとこんなバイトもしてます。息子さんには身の丈にあった生活訓練などさせた方がよっぽど将来役立ちますよ」
そんな言葉を残し、数学の家庭教師の先生は二度と来なかったが、結局、彼の言う通りになってしまった。
息子の数学の才能、本当に全く役に立たなかった。大学受験でも数学以外の他教科が足を引っ張り、どこも不合格になった。バイトも続かず、あっという間にニートになると、毎日、私と喧嘩していた。
「僕は天才じゃない! ギフテットじゃない! たぶん、何か障害がある! お願いだから、病院に行かせて!」
何を言っているのかわからない。息子の叫びに耳を塞ぐ。聞きたくない。見たくもない。息子の特性の現実なんて。
「いいえ、あなたはギフテットよ」
息子は私の訴えは無視し、絶縁した。今後は病院や福祉を頼って生活するという。
息子がいなくなった家の中は空っぽだ。まさに空の巣。虚しくて仕方ない。自分の教育が間違っていたのか。そんな気もするが、認めたくない。ご近所からは「毒親」と噂されているらしいが、そんなの絶対嘘だ。自分の愚かさなんて絶対に認めたくない。
そんなある日のことだった。また書店で本を見た。スピリチュアル系の本だった。子供は親を選んで生まれてくるという本で、キラキラとした表紙だった。
実に耳に心地いい本だ。慰められる。癒される。現実よりも、こんなお伽話に浸かっていたい。
「そうよ……。子供は親を選んで生まれてくるんだ……。息子も私を選んでくれた……」
空っぽな家で一人、そんな本を読む。心地がいい。現実より優しい世界だ。誰も私を傷つけない。
それでも、なぜか虚しい。涙が出てくる。溢れた涙は、頬だけでなく、その本も濡らしてしまった。




