脱スピポリアンナ
ある時、ポリアンナは悟った。
最近は、ポジティブ思考で引き寄せ、アファメーションで人生成功、マインドフルネスで心を浄化云々とスピっていたが、何か違うと気づく。
「結局、スピなんて詐欺じゃん!」
ポジティブ思考で何でも前向きに考えていたポリアンナだったが、よくよくスピチュアルを調べると、目に見えないものを商売にする詐欺だと気づく。
「そんなポジティブ思考とか、意味なかったんだ!」
あれだけ好きだったスピを辞めた。そう、脱スピである。
その後、脱スピしたポリアンナはSNSで引き寄せやアファメーション、マインドフルネスの嘘を暴き、インフルエンサーになった。スピってた時と全く逆方面の展開だ。
そもそも非科学的なスピは、眉を顰める人も多い。ポリアンナはこういった層もうまく取り込み、SNSでも地位を確立していく。
「結局、信じられるものは自分だけ! 宇宙エネルギーとかソースとか神とか天使とかスピを信じてる人は愚か。はい、論破!」
そんなスピ批判の生配信もとても人気だったが、思ったよりスピ信者は減った実感もない。相変わらず市場規模は大きいらしい。
人間の心理として、叩かれれば叩かれれるほど、その対象にかえって固執してしまうものだ。宗教が広がっていったのも、必ず背景に迫害がある。歴史を見れば一目瞭然だ。
そのうち、ポリアンナも冷笑系、二番煎じの論破系だと他叩かれるようになった。最近は思ったよりSNSのフォロワーも伸びない。結局、個人の体験に基づいただけの脱スピはこんなもんだ。そこに万人に再現性のある真理はないからだ。
「あれ、おかしいな。自分を信じて、自分軸で頑張っているのに、全然、成果が出ない」
ポリアンナは首を傾げるが、最近のスピや自己啓発は「自分を信じよう」という教義しかない。つまり、同じ穴の狢だったのだが、「自分軸」のポリアンナは、何が原因かよくわからない。
なぜかスピにハマっていた時のような虚無感も付きまとう。
「自分軸では幸せになれないの?」
そんな気がするが、自分以外の絶対的な基準がわからない。今更スピみたいなポジティブ思考もできない。
それこそ神のような絶対的基準が欲しいが、わからない。相変わらず、SNSの世界でふらふらと彷徨うだけ。
そんなある日、近所の教会の掲示板にこんな言葉が掲げられていたのを見た。
心をつくして主に信頼せよ。自分の知識にたよってはならない。(旧約聖書 箴言3:5 より)
見ていると、心がざわついてきた。確か海外の有名な占い師も脱スピし、クリスチャンになったという動画も見た事はあった。この聖書箇所も引用していた記憶がある。もう、自己中心的な考えは捨てたと言ってたような……。
「でも、やっぱり宗教はないわ。なんか耳が痛そうな言葉だし、洗脳されそうだし。居心地が悪いわ」
自分軸の癖はそう消えない。本当に脱スピしているのか、答えが出なかった。




