雪の女王の慈愛
私の父は芸能事務所の社長。それはそれは権力があり、私もそのコネで楽な生活をしている。人は私を「親ガチャ大成功者」と笑ったから、子供の頃から心を凍らせていた。ついたあだ名は雪の女王だった。
「あれ? お父さん、いないの?」
そんなある日、父の住むタワーマンションに向かう。書類を届けて欲しいというから来てみたら、男がベッドの上で転がっていた。半裸だった。
すぐに父がしている事を察した。いつもの事だったが、この男、おじさんじゃないか。たぶんアラフォーぐらいだが、顔の皺の割に目に深みがない。優しく言えば「とっちゃん坊や」。悪く言えば「子供おじさん」。
「消えろよ、ブス」
私に悪態をつく姿は余計に子供っぽい。いや、子供そのものか。ネバーランドに取り残されたピーターパンみたいで可哀想。
心を凍らせていた私にも慈愛はあったらしい。この男を自宅まで連れていき、しばらく飼ってみた。
男はヒカルというアイドルだった。若い頃は王子様キャラでファンに人気だったらしい。今は落ちぶれ、ファン向けのコンサートやディナーショーなどの仕事しかない。つまり、暇人。
「だったら、うちの部屋、掃除してくれない?」
「は? 面倒だし」
ヒカルは全く家事ができなかった。子供の頃から芸能界にいたらしく、何もできない。ありがとうも言えない。ジャムの蓋も開けられない。雑巾も絞れない。林檎の皮すら剥けない。
何このおじさん。とんでもないモンスターを拾ってしまったらしいが、育成してみるのも悪くない。
「林檎はね、こう剥くんだよ。包丁もって」
「できねーよ」
「とりあえず、やってみ?」
文句を言いながらも、ヒカルは包丁を扱い、林檎の皮を剥いた。意外と器用でうまい。
「うまいじゃん」
「うるせぇ」
顔真っ赤にし、照れているヒカルは人間らしい。故に可哀想。大人になるステップを全て奪われているから。過保護の親に育てられた引きこもりと大差ない。
そんなヒカルは夜中にうなされていた。どうやら幼少期に事務所社長にされた事がフラッシュバックしているらしい。
薬と水をがぶ飲みし、どうにか落ち着いていたが、その目は虚無だった。心は凍らせているのだろう。たぶん、そうしないと生きてこられなかったのだ。
ヒカルとの同居生活はゆるく続いていた。
お互い、何も干渉しないからだろうか。二人とも心が凍っているせいだろうか。
不思議と生活は穏やかだった。
ある日、グラタンを焼いてヒカルと一緒に食べた。表面のチーズはこんがりと焦げ、湯気もふわりと上がっていたが、ヒカルは無表情。
「グラタンか。S氏と一緒によく食べたな。母子家庭だったから、いつも気にかけてくれたんだ。優しい人だった」
トラウマの元凶の男の思い出を語るヒカル。わからない。ヒカルにとっては愛や憎しみだけでは語れない存在なのかもしれないが、よく、こんな世界を生きてこれたと思う。私だったら、きっと……。
「ヒカルくん、頑張ったね」
ぽろっと溢れていた。グラタンの味が、何かを素直にさせてしまったらしい。
「あ、ああ……」
ヒカルの目から涙がポロポロと溢れていた。鼻水も出ていたから、顔はグチャチャだ。とても王子様キャラのアイドルだったようには見えない。子供みたい。
「ありがとう……」
その言葉は、きっと私に向けられたものでは無いだろうが、凍った心も、少しずつ溶けてきたかもしれない。そんな気がした。




