王子様の憂鬱
まるで眠り姫に会いに行く王子様の気分だ。
僕は今、とあるタワーマンションの最上階に向かっている。そこには事務所社長のS氏がいるからだ。
もう何百回と通っている。「ヒカルくん専用部屋」まである。名前のついた部屋をもらえると、デビューも簡単だという。実際、「なぜか」グループ内でセンターも決まり、来月からドラマの主役も控えている。
「よお、ひーくん。よく来たね」
S氏に迎えられ、タワーマンションから見える夜景を楽しみ、軽く食事をした後、「ヒカルくん専用部屋」でS氏の要求に応えた。
「かわいい眠り姫、素敵だよ。僕が呪いを解いて救ってあげるからね」
そんなセリフまで言わされる。だが、心はすでに凍てついていた。成功のために魂を売るキャラでも演じなければ、やっていられない。同じグループのメンバーからは白い目で見られていたが、S氏は母子家庭の僕にも優しかった。母の借金を肩代わりしてくれ、食事の面倒も見てくれた。他の方法が全く思いつかないのだ。
翌日は取材だった。記者から色々と質問された。
「ヒカルさんの今年の目標は? 今でも王子様みたいってファンに愛されていますが」
「そうですね……。ハリウッドデビューが夢ですかね」
嘘だ。本当は今すぐでも芸能界を辞めたい。子供の頃、S氏にされたことは今もフラッシュバックし、パニック発作も起こる。薬でなんとか誤魔化してる。今も薬の副作用で喉が渇き、ペットボルトの水をがぶ飲みしていたが、記者は全く気づいていない。ファンもそうだった。
ステージに立つのも辛い。本当は僕は王子様じゃない。トラウマを抱えた、ただの男だ。ペンライトも、うちわも、もう見たくない。歓声さえ、悲鳴のように聞こえる。喉が乾いて仕方ない。シングルマザーの家庭から成り上がったのに、なぜだろう。一ミリも動かないマネキンにでもなったような気がしていた。
それでも仕事は容赦なくやって来るが、事務所とファンに甘やかされ、何のスキルもつかない。共演者やスタッフから腫れもの扱いされ、メディアには「大根役者」と叩かれる。
そんな芸能生活だったが、S氏が亡くなった。長らく病気だったとはいえ、突然の事だった。同時に俺の仕事も少なくなり、干されたという噂も流れていた。
残ったのは子供っぽい顔のアイドルの僕。メイクで厚塗りをされ、ヒアルロン酸も打っているが、加齢には勝てない。同じグループだったメンバーも全員引退しており、羨ましくて仕方ない。
ファン向けのコンサートやディナーショーで食いつなぐが、結局は、S氏の後ろ盾がなければまともな仕事は来ない。空っぽなマネキンの自分を突きつけられた。
続々とデビューする後輩たちを見るたび、落ち着かない。演技やダンスを学び、学業やバイトもこなす後輩もいた。ハリウッドデビューを目指し、英語がペラペラになった後輩もいた。幼い頃からS氏と生活を共にし、学歴もスキルも何もない自分を否定されてる気がした。
「ヒカル先輩って痛いよなぁ」
「なー、ビジュアルもなんか不自然で美魔女っぽいし。あんな風にはなりたくない」
「知ってるか? 先輩って死んだ社長にずっと結婚も止められていたらしい」
「それで今も独り身? なんか余計に惨めだな。モテるのにもったいないね。かわいそう」
ヒソヒソと後輩に噂されている事も知ってた。
そんな折、他の事務所のA氏の噂を耳にした。S氏と似たような事をしているらしい。
なんとかA氏とコンタクトを取り、彼の住むタワーマンションへ向かう。いつもにように、眠り姫を助けに行く王子様の気分で。
「眠り姫、王子様が助けに来たよ」
A氏の要望通りのセリフを吐くが、心では泣いている。救って欲しいのは自分の方だから。
「目覚めない夢を一緒に見よう」
本当は、一刻も早く目覚めたい。タワーマンションから見える夜景だけが美しかった。




