浦島五郎
太郎兄さんが行方不明になった。
僕は浦島五郎。とある海辺の村で漁師として生活していた。はっきり言って生活は楽ではなく、毎日毎日働いても、税も重く、苦しかった。
僕の兄は四人いる。色々と訳があり、兄弟はバラバラだったけど、一番上の太郎兄さんと一緒に生活していたのだが。
太郎兄さんがいない。家に帰って来ない。せっかく夕飯も用意していたのに?
兄さんは真面目な性格だ。兄弟の中では一番そうだ。僕たちは両親も早くに亡くしたので、長男の太郎兄さんが一番しっかりとしてしまった。だから太郎兄さんがいなくなるなんて信じられない。
とりあえず翌朝まで待った。真面目な太郎兄さんだが、どこかで酔い潰れている可能性もあったから。
それでも翌朝になっても帰って来ない。
「ねえ、君たち。太郎兄さん見なかったかい?」
僕は海辺へ行き、子供達に聞いた。正直、貧しい村の子供達は、良い子は少ない。いじめっ子や暴力好きな子ばかり。
案の定、誰も答えず、弱い子をいじめに行ってしまう。
「ちょっと君たち!」
僕が何を言っても聞きやしない。もう面倒なので、仕事へ行くことにした。
そんな時、漁師仲間から噂を聞いた。海の底には「竜宮城」という天国みたいな場所があるらしい。美しい姫君がもてなしてくれ、お酒もご馳走も食べ放題だという。
貧乏な僕は思わず唾を飲み込み。そんな夢みたいな世界があるとは。
「でも一度行ったら帰って来れないとか。例え帰って来ても、その後にもっと悪い事になるらしいよ。まるで悪夢だな」
漁師仲間はそれ以上の噂は教えてくれなかった。
「そっかぁ。でも、もしかしたら太郎兄さんは竜宮城にいる?」
僕は海辺に座った。黒っぽい海を眺めながら、そんな事を考えるが、この海底まで泳いでいくのは無理そう。
「まあ、とりあえず次郎兄さんのところへ行くか」
仕方がない。太郎兄さんは、他の兄弟のところにいる可能性も高い。まずは次郎兄さんのところへ行く事にした。
正直、気が進まない。太郎兄さんは女性に騙され、今は北の村で隠居生活をしていたから。家の金も盗むようになり、一時は本当に大変だった。
北の村は雪が積もり、歩くのも大変。風も冷たく、手もかじかんできたが、どうにか次郎兄さんが住む家までついた。
「よお、五郎かよ」
次郎兄さんは、すっかり老け込んでいた。髪は雪のように白く、薄くもなっていた。げっそりと痩せ、目は落ち窪み、とても二十代には見えない。家の中も掃除されてなく、ゴミの匂いも漂う。
「じ、次郎兄さん。太郎兄さんが行方不明になったんだよ。何か知らない?」
「さあ」
手がかりなしか。これ以上次郎兄さんと一緒にいるのは辛い。僕は逃げるように帰ろうとしたが、最後に次郎兄さんはこう言った。
「五郎、女は人生を壊すぞ。気をつけろ」
「う、うん……。まさか太郎兄さんも女関係でいなくなった?」
「……」
次郎兄さんは下を向いたまま答えなかった。
次は三郎兄さんに会う事にした。三郎兄さんは西の街で商売をやっている。確か綺麗な石をたくさん売っていて、稼いでいるという噂。成功しているが、次郎兄さんにお金を取られるのが嫌で、家を出ていたんだ。
三郎兄さんの家は想像以上に豪華。外観も金ピカだが、中の畳や壁まで金色で目がチカチカする。その上、三郎兄さんの着物も黄色で、とにかく派手。
「は? 太郎兄さん、知らないよ」
「噂でも知らない?」
「知らないね」
次郎兄さんは笑っていた。まるで無関心。その上、いかにお金を稼いでいるか自慢され、簡単に儲ける方法の教材も押し売りしてきた。
「な、五郎も一発逆転しようぜ? 世の中金が全てだから」
僕は首を横に振った。実は次郎兄さん、かなり手荒な金稼ぎをしているらしく、村人から恨まれていたから。それに成功し、すっかり人格が変わってしまった次郎兄さんには、もう声も出ない。
僕は逃げるように次郎兄さんの家を出て、今度は四郎兄さんの所へ。
四郎兄さんは南の村の孤島に住んでいた。暖かく住みやすい島だったが、四郎兄さんが住む場所は病院の中だった。
「やあ、五郎。よく来たね」
四郎兄さんは、今にも消えそうなほど儚い雰囲気だった。顔色は紙のように真っ白。目に力はなく、うつろ。身体も痩せていた。
四郎兄さんはお酒中毒だった。気が優しく、芸術家肌だった四郎兄さんだったが、お酒に溺れて、たぶん、もう一生、病院から出られない。
「あの、太郎兄さんがいなくなったけど、何か知らない?」
「知らないなぁ。でも太郎兄さんも、僕みたいに現実逃避したかったのかもねぇ。貧乏な漁師でいるのは辛いから。現実なんて見ずに、天国みたいな場所で遊んでいる方が楽だからね」
「もしかして四郎兄さん、竜宮城って場所知ってる? そこに太郎兄さんはいる!?」
問い詰めたが、四郎兄さんが薄く微笑んだまま、答えなかった。代わりにこんな事を言う。
「五郎、君は地に足つけて生きるんだよ。次郎兄さんみたいに女に逃げるな。三郎兄さんみたいに金ばっかり追うな。そして俺みたいにお酒に逃げるな」
「う、うん……」
「ずっと現実逃避していたら、いつの間にかもっと現実が地獄になるから。五郎はちゃんと漁師として、大人になって生きような」
そして僕は四郎兄さんと別れた。
結局、兄弟達を巡る旅では太郎兄さんの行方はわからない。村に帰り、さらに村人に聞いて回ると、太郎兄さんは子供達にいじめられている亀を助け、一緒に海の中を潜った所を見たと言う話は聞いたけど……。
「やっぱり太郎兄さんは竜宮城にいる?」
そうは言っても海底まで行く方法はわからない。代わりに太郎兄さんに手紙を書き、瓶の中に詰め、海に沈めた。
手紙には兄弟達の悲惨な現実も書き、現実逃避すると後が怖い事になると伝えておいた。どんな楽しい冒険も、いつかは終わり、つまらない日常に帰る事も。
でも、つまらない日常でも、時々大きな魚が釣れた事もあった。近所のおばさんから蜜柑や林檎をいっぱい貰った事もあった。美しい星を見上げて泣く事も。全部が地獄でもないのに、受け取っている幸せを無視していたのは、自分のせいだ。
それに生活に不満があるのなら、行動を起こせばいい。隣の村には重税のせいで一揆も発生していた。受け身で愚痴を言うだけなら、誰にでもできる。
「やーい! ノロマな亀!」
「いじめちゃおうぜ!」
「ブス! ブス!」
その帰り道、僕は海辺で亀がいじめられているのを見た。いじめっ子達はいつもの面子だ。無視しようと思った。どうせ僕が何を言っても変わらない。
でも、本当にそう?
「お前ら! 亀いじめるな! これからお前たちの母ちゃんに言いに行くからな! 悪い事と良い事の区別をつけろ!」
僕は子供達を叱り、子供達の両親に報告もした。ここでは亀を助けるより、いじめている子供を何とかするべきだと思った。大人の男として。現実的に、逃げずに。
おかげで少しは子供達も大人しくなった。親達のゲンコツも効いたのだろう。
「ッチ!」
亀が舌打ちしたような音が聞こえた。背後で僕の事を亀が見てる?
「うん?」
しかし、亀は海に潜って行ってしまい、もう辺りには誰もいなかった。




