赤い靴を脱ぎ捨てた後に
カーレンは熱しやすく冷めにくい性格だと自覚していた。よく言えば粘り強い。悪く言えば依存的になりやすい。
あの赤い靴を見た時も一目惚れし、依存的に好きだった。赤い靴を履いて踊り狂ってると、どうしても自分から止められない状態になってしまい、結局、脚を切り落とすほど。
今は義足をはき、リハビリを受けつつ、依存症のためのカウンセリングや自助グループに出ていた。
それでもどうしても赤い靴を履いて踊り狂う喜びが忘れられない。もう脚もないくせに、夜中に踊りたくてウズウズする。頭の中は赤い靴がグルグル回っていた。
そんな折、友達に誘われて教会に行くことになった。イエス・キリストの福音も聞いたが、もともと依存性が強いカーレン。宗教的ルールをちゃんと守り、聖人になれば天国に行けると誤解した。
断食し、献金し、礼拝に出て、貧乏人を助け、祈り、安息日を守り、婚前交渉しなければ大丈夫だと思った。依存的にせっせとルールを守っていたが。
「福音をちゃんと聞けよ! カーレン、お前の善行やルールを守る行為はクソほども役に立ってないぞ」
こんなに一生懸命頑張っているのに、なぜか牧師に怒られた。
「心がないのに善行するな。ルール守って良い人ぶるな。この福音は聖人になる為のもんじゃねーぞ。悪人のためだ。いや、悪人だと自覚できるやつの為だ」
「そんな」
「そんな自分で善行を一生懸命やって、ルール守れるやつに神様、イエス様は果たして必要かね?」
カーレンは何も反論できない。また赤い靴を履いてた時と同じ。教会でも依存的になってしまう。自分は悪人なのだ。呆れてくるぐらい。
ふと、そう考えていたら、だからこそ神様が必要なのかと気づいいてきた。依存の泥沼に堕ちた自分に先に手を差し伸ばしたのは、神様の方だった?
牧師が手にしてる聖書をチラリと見る。
「牧師さん、聖書読んで宗教をやっても別に聖人にはなれませんね。肝心の信仰もないのに良い人ぶってたかも」
苦笑しながら言う。
「だろう? 本当は教会も悪人と病人しかい所だ」
「そうですね……。私みたいな依存症な女とか……」
教会での善行や宗教行為も全部やめた。一人で聖書を読んでいるだけでも、赤い靴の事は少しずつ忘れられてきた。
もうすぐクリスマスだ。今年のクリスマスは去年よりも、温かく過ごせそう。




